「律」のエルデンリング

エルデンリングの面白さについてずっと考えていたのだけど、世界観の根幹でもある「律」がそれだなと。
プレイスタイルを「律」することが、面白さに繋がっている。

広大なフィールド

探索が楽しい。8周した現在でも新たな発見がある。

一周目は攻略サイトを見ずに、二周目は攻略サイトとにらめっこしながら探索したのに、三周目以降で取りこぼしたアイテムがポロポロと出てくる。
単純に風景を見ているだけでも楽しめる。その点で、ゲームの雰囲気とは異なるがフォトモードが欲しくなる。それぞれの地点で、異なる風景が見える。あそこに行ってみたいなと思ったら、そこへ行ける。ただただ、それが楽しい。

フィールドではリムグレイブとリエーニエあたりが、色々と密に詰まっていて探索する度に発見がある。一方で、禁城以降の巨人たちの山嶺や、聖別雪原はさっぱりしている。人が立ち入らない領域なので、これくらいがちょうどよいだろう。
ダンジョンとしては、ストームヴィル城やエブレフェールが楽しい。共に、縦方向に階層が伸びており「見えるけど行けない」構造なのが、探索欲をかき立てる。ストームヴィル城などは、面積は広くないのにまさに体積=ボリュームが大きくなっている点が興味深い。
小さなダンジョンも、単純な構造を繰り返していると見せかけて・・・・・・という構成もあるので、油断は禁物だ。

「律」の戦闘

戦闘も楽しい。8周してレベルカンストしても歯ごたえのある敵がゴロゴロしている。

戦術が多数用意されているのもあるが、同じボスでも異なる戦いになるため新鮮味がある。雑魚敵も戦ってもいいし、戦わなくてもいい。それぞれの状況で小さな目標ができ、それが楽しさに繋がっているように思う。例えば、特定の武器や魔術に祈祷のみで戦う、ダメージを受けない、サーチ・アンド・デストロイなどなど。

戦術は多種多様で、戦技や遺灰は特に強い。しかし、それを使ってもいいし、使わなくてもいい。マルチで戦ってもいいし、戦わなくてもいい。レベルだって上げてもいいし、上げなくてもいい。マルチを念頭に置くと、マッチしやすいレベル帯があるため、そのレベルでビルドを詰めていくことなる。そうでなくても、特定のレベルで自分なりのビルドを組み立てる楽しさがある。

色々な感想を見ると、多くのプレイヤーは自身で難易度調整をしているようだ。難しいと思えば、戦技やら遺灰やら、なんでも使えばいいし、レベルも上げればよい。遺灰を使わない、強い戦技を使わない、などのこだわりを貫くプレイヤーもいる。つまりは、プレイヤーそれぞれがプレイスタイルを「律」している。これは、物語や世界観の根幹である「律」にも通ずる。
エルデンリングにおける「黄金律」などの「律」は明確には語られないが、何ものかが強いたルールである。プレイスタイルは、プレイヤーが敷いたルールであり、これもひとつの「律」であろう。王になるためには「律」が必要で、それが体現されたとも言える。

私の場合は、敵が卑怯だなと感じることが多々あったので、こちらも卑怯なことをやってもいいだろうと開き直って戦技や遺灰を遠慮無く使うようにした。そうすると、戦闘がさらに楽しくなった。レベルをカンストさせてもルーンベアと直接対峙するのは躊躇するし、坩堝の騎士二体同時には相手にしたくない難易度ではある。

探索も「律」である

振り返ってみると、探索でも様々なマイルールを敷いている。初見の楽しみを求めて攻略サイトを見ないのもマイルールであり「律」だろう。周回すると方針を立てやすいが、これも「律」である。
雑魚との戦闘、フィールドでの採取、ちいさなダンジョンの探索と、大きめのダンジョンの攻略、そしてエルデの王=クリアと、大小様々なタスクが用意されているのもあり、要所要所でプレイヤーが大小様々な「律」を持てるようになっている。この「律」こそが、エルデンリングの楽しさの根幹にあるものだろう。