昔のゲームは想像力をかき立てたか

「昔のゲームの方が想像力を刺激されて良かった」は本当か|てっけん|note
俺たちは、ゲームを遊ぶ時に何を「想像」していたのか: 不倒城

「昔のゲームの方が想像力をかき立てられた」って言説は「グラフィックの向上が面白さに寄与していない」の言い換えだと考えています。

昔のゲームは記号で構成されていました。ドラゴンクエストドラクエ)はシンボルで描かれていました。勇者のシンボルを動かし、それが町のシンボルに重なれば町に入り、洞窟ならその中へ。町人のシンボルの前で立って「はなす」を選択すれば話を聞けて、宝箱の前に立ってコマンドを選択すれば宝箱の中身が手に入る。
ドラクエ以前であれば、グラフィックではなく「*」や「◆」などの記号が使われていたゲームもありました。つまり、記号によるお約束がゲームでした。シンボルで成立するのは、RPGの成り立ちや、将棋や囲碁などを挙げるまでもなくゲームが見立てだからでしょう。

シンプルな記号故に想像の余地があったのは確かで、プレイヤーはドラクエの勇者や仲間達の性格、町並みやダンジョンの様相などを各自で想像していたでしょう。それをして「昔のゲームの方が想像力を刺激されて良かった」となるのでしょう。プレイヤー同士で語り合ったら、それぞれ異なるイメージがあるでしょう。そのような下地があるからこそドラゴンクエスト4コママンガ劇場もウケたのではないでしょうか。

しかし、ドラゴンクエストで決定的に姿がぶれないものがあります。それはモンスターです。鳥山明のキャラクターデザインが優れているのもありますが、モンスターだけは想像の余地が少ないグラフィックで描かれ続けました。これはドラクエに限らずRPGではモンスターを倒すことが、プレイヤーの共通目的だからでしょう。ビホルダーと言われて、色々と思い出される人も多いのではないでしょうか。
ドラゴンクエストはシリーズが進むにつれグラフィックが向上し、ドラクエ8からは3Dへとなっていきますが*1、モンスターだけは鳥山明のデザインがそのまま再現されています。ドラクエをはじめとするRPGのモンスターに目を向けると「昔のゲームの方が想像力を刺激されて良かった」は疑問符が付きます。

見立てからリアルへ

冒頭にも述べたように、多くの場合「昔のゲームの方が想像力をかき立てられた」は「昔のゲームの方が好みだった」とか「グラフィックの向上が面白さに寄与していない」など、不満点の言い換えだろうと思います。

ゲームが見立てであるならば、必ずしも美麗なグラフィックは必要はありません。綺麗なグラフィックはゲームのルールやシステムの面白さに必ずしも寄与しません。むしろ、そのようなグラフィックを用意するには時間も人員も資金も必要です。そこに労力を費やすなら、ゲームの中身に心血を注いでくれという反発があるのも理解できます。

グラフィックが発展していく中で旧来のお約束が成り立たなくなったり、違和感を覚えたりするケースがあります。
記号的なシンボルで描かれなくなると、あらゆるものを絵として表示しなければなりません。グラフィックが中途半端だと、ダンジョン出入り口が分からなかったり、イベントが発生する場所に気づかなかったりします。聖剣伝説3 TRIALS of MANA が楽しくて6周した - 最終防衛ライン3 でも少し述べましたが、SFC版の聖剣伝説3を改めてプレイし直すと、そのような場面によく遭遇しました。聖剣伝説3は当時としては綺麗なグラフィックではありますが、表現したいことがSFCの性能に追いついていないように感じました。

また、これまでのお約束を踏襲したら違和感が発生するケースもあります。例えば、FINAL FANTASY 8 (FF8)は等身がリアルなのに、従来のRPGに倣って先頭キャラクターの後ろに仲間がぞろぞろとついて行きます。FFシリーズは先頭キャラクターのみを表示するのが常だったのに、なぜかドラクエのように先頭キャラクターの後を金魚の糞のように仲間がついて行く表現にしたのが、ちょっと謎です。
あるいは、FF7くらいから戦闘時に敵と味方が対峙するのも違和感のある表現です。攻撃時に敵に近づき、律儀に元の位置に戻るのもおかしなものです。

グラフィック向上によるストレス

グラフィックが向上すると、アイテムなども記号的なシンボルから、リアル寄りになっていきます。これも、グラフィックが中途半端だとアイテムだと視認できないこともあり、現在でもアイテムボックスで代用されるケースがあります。ゲームにもよりますが、アイテムを現地調達し、それを瞬時に把握する必要があるならば、視認しやすいグラフィックが望ましいでしょう。しかしながら、これもデザイン次第では、ゲームにマッチしないことも。

背景やフィールドが作り込まれてくると、見えているのに行けない場所や通れない場所へのストレスが溜まりやすいです。FF13 はレールプレイングゲームで RPG と評されていました。FF13が一本道になってしまったのは、これまでのようにフィールドを作り込めなかった故に一本道になったのでしょう。マップ構成としては、見えているのに行けない場所はあまりないので工夫が見られます。それ故に狭苦しく見えます。まぁ、そもそも物語が狭苦しいのですけど。

想像は無限大

「昔のゲームの方が想像力をかき立てられた」は現代のゲームに対する言語化できない不満があることの表明が含まれているように思います。その大きな要因が、グラフィックの綺麗さが必ずしもゲームの面白さにつながらないことだったり、あるいはゲームの見立てやお約束への違和感であったり、単に not for me であったりするだけでしょう。

今も昔も、ゲームでは様々な想像力を駆使します。もちろん、想像力を使う場所は違ってきているでしょう。小説とマンガやアニメの比較すると、小説の方が主人公の姿などに想像の余地がありますが、それ故にイメージがぶれやすく個々人で異なる可能性が高いです。一方で、マンガやアニメならばそのイメージがぶれません。ただし、それを実写化するとなると、誰に演じて欲しいかは想像の余地があります。

グラフィックがしっかりしていれば、他のプレイヤーと共通の認識を持ちつつ、別の方向に想像を膨らませる余剰が生まれやすいです。スカイリムなどは、私はその世界を体験するためにプレイしています。戦闘システムは、当時としても洗練されたものではありませんが、私はスカイリムの世界を体験するためにプレイしているので、戦闘システム自体はどうでもいいと思っています。むしろ、世界がそれらしくあればあるほど楽しいので、グラフィックが向上すればするほど楽しいと感じるでしょう。スカイリムでは、冒険者の物と思われる野営跡があったり、道半ばとなった人との装備が落ちていたりと想像をかき立てられる風景を目にします。これらの想像は、綺麗なグラフィックだからこそなせることでしょう。グラフィックが綺麗であれば、ゲームの中に住む人々の生活様式が見えてきます。着るものや食べるの、建築様式などから、色々と想像ができます。

おまけ:カンバーランド併合

なんで帝国ってわるもんばっかりなの?はてなブックマークのコメントで、主人公側の事例としてロマンシング サガ2のバレンヌ帝国を挙げました。その際に、バレンヌ帝国が各国を併合していくのは、七英雄という共通敵がいるから正当化されているけど、カンバーランドの併合は強引ではと指摘しました。ただ、よくよく考えるとカンバーランドの方が皇帝を呼んで王位継承の相談をしていますし、建築様式もアバロンと良く似ています。そう考えると、バレンヌ帝国の全盛期にはカンバーランドはその属国だったのでしょう。七英雄に立ち向かう国力の無いカンバーランドが帝国に併合されるも自然の流れかなと。

*1:正確には7から