デマに疑問に思った人がリーチできるように検証記事をアップしてます

Twitterでみかけるデマをまとめて指摘 - 最終防衛ライン3
ネットでデマが蔓延するのはリテラシーだけの問題じゃない

デマ絶対殺すマンとしては、デマを作る人、それを拡散しようとする人は後を絶たないので、疑問に思った人がリーチしやすいように検証記事をアップしています。ただし、ちょっと疑問に思ったことは不用意にRTなどしない、くらいのリテラシーは身につけて欲しいですが。

デマを作り、拡散させる理由を考えることは、その対処法として意義はあるのかもしれませんが、色んなタイプがいるので万能な対処法はありません。完全なる勘違いならば、指摘の仕方次第で間違った相手を正すことも可能ですが、そんなことは稀でして。
愉快犯などは訂正する気はさらさらないですが、マウントを取れれば修正させることも可能ではあります。政治的なイデオロギーで行動している人は簡単には考えを変えないですし、善意の人は信じるモノを一旦棄教させる必要があるので、大変な労力をかけても、無理なことすらあります。

上記のような方々がWikipedia編集合戦を行っているわけですが、先のミハルスなどもWikipediaがデマを広めた一因ではあります。ただし、テレビの影響力の方が圧倒的ですね。ミハルスもB玉もファイヤー・ホールドもテレビで何度も放映され、その度にbuzzってるので一向に収束しませんね。ファクトをチェックできない機関がファクトチェックとか何様なんだと思います。

エストロにお返事

全音に関しては、前回はきちんと書いていたのに、今回は濡れ衣を着せてしまって申し訳ないです。

はてなブックマーク - Twitterでみかけるデマをまとめて指摘 - 最終防衛ライン3
さて、マエストロからありがたいお言葉を頂きました。
「間違いないでしょう」を断定と解釈されるマエストロがおられましたが、「です」の未然形に推量を意味する助詞の「う」からなる語句なので、不確かな断定もしくは推定を意味すると思うのですが。

FalloutSkyrimなどはゲーム中の解釈の問題だろうと指摘されましたが、解釈だとしても全然妥当じゃないことは説明したつもりです。

食品添加物に関して「みかんの皮むきに塩酸。マーガリンに毒物トランス脂肪酸」とかコメントしてるマエストロは、食品添加物を勘違いされておられるので困りますね。塩酸処理やマーガリンは食品加工なので添加物関係ないですし、量の概念なしに何をもって世界一を言っておられるのか。

ビー玉=B玉、つまりB級品? 名前の由来を調べました - withnews(ウィズニュース) をして、B玉説を否定できないとコメントされている方がいたのですが、この記事から確認できるのは業界団体は「A玉」なる呼称を使っていないことで、それなのに業界は由来が不明なまま「B玉」説を紹介しているのは何考えているのかと。

Twitterでみかけるデマをまとめて指摘

未だに、「赤青のカスタネットの正式名称はミハルスだった」とか「ビー玉の語源はB玉」などを見かけるので、過去に私が検証した記事を紹介しながら指摘します。

  • 「ビー玉の語源はB玉」説は信憑性がない
  • カスタネットの正しい名称はミハルス」でなく、それぞれ別の打楽器
  • 「ひな祭りの甘酒は精液の象徴」ではない
  • 「日本の食品添加物は世界一」なわけがない
  • トイレットペーパーの三角折りの正式名称は「ファイヤー・ホールド」なんて言わないよ
  • 「Vault Boyのサムズアップ」は距離を測っていない
  • 「膝に矢を受けてしまってな」はノルド語で結婚を暗喩しない

「ビー玉の語源はB玉」説は信憑性がない

ビー玉の語源は、はっきりとはしませんが、多くの辞書は「びいどろ玉」が転訛したものとする説を紹介しています。
B玉説では「規格内をA玉、規格外品をB玉と称し、規格外品を遊具として売った」とされます。この話は1990年に自費出版された「びんの話」に書かれているのですが、それ以前の文献ではそのような記述はありません。また、「びんの話」を読み込むと、B玉説を取るにはおかしな点がわかってきます。
ラムネ瓶が製造され始めたのは明治30年前後で、当時のガラスは高価でした。安価になった現在でも再利用されるのですから、当時も再利用されるのが前提でした。ガラスが高価ならば、ラムネ瓶の蓋として使えないガラス玉は、融かして新しいガラスを作った方が効率的です。わざわざ、遊具用のガラス玉として売る必要がありません。また明治中期に規格内と規格外を分けるのにAとBなるアルファベットを用いているのも不自然です。
ラムネ瓶の中のガラス玉は魅力的だったようで、ラムネ瓶が生まれたイギリスでは割って中のガラス玉を取り出す人が多かったため、割ってもガラス玉を取り出せない瓶が考案されました。ただし、その後に王冠が普及したため、ラムネ瓶は廃れてしまいました。

B玉説の文献としては「びんの話」しかなく、それも口伝を書き記したもののため、信憑性はかなり低いと考えられます。

カスタネットの正しい名称はミハルス」でなく、それぞれ別の打楽器

赤青の板をゴム紐で括った木製打楽器は「ミハルス」か「カスタネット」か - 最終防衛ライン3
カスタネットとミハルス:音楽よしなしごと:So-netブログ

学校教育で用いられる赤と青のカスタネットの本当の名称は「ミハルス」だとする説が定期的にbuzzりますが、現在一般的にカスタネットとして知られる打楽器と「ミハルス」は別の楽器です。一時期はWikipediaもこの説を取っていましたが、現在は書き換わっています。未だに、 全音 教育用カスタネット (ミハルス) | 全音楽譜出版社(ZENON)|木のおもちゃ.jp では教育用方ネット=ミハルスとしているのですが、いい加減取り下げて欲しいです。

カスタネットは本来スペインのフラメンコに用いられる木製打楽器で、その名は栗を意味する「カスターニャ」が由来とされます。栗の木で作ったからとも、栗の形に似ているからとも言われ、正確なところはよく分かっていません。

ミハルスは日本舞踊家の千葉みはるが考案した木製打楽器で、スペインのカスタネットや沖縄の四つ竹を参考にしています。学校教育においてリズムを取るために作られ、小さな子どもでも片手で扱えるように、二つの板が蝶番で繋げられ、親指と中指で挟めるようになっています。
ミハルスは戦前の小学校の指導要綱にもその名があり、教育現場で広く使われたそうですが、戦中になくなり、現存するものはほとんど無いようです。

戦後にミハルスの代わりに学校の音楽教育で使われた始めたのが赤と青の二枚の板からなるカスタネットです。スペインのカスタネットとは異なり、二枚の板がゴム紐で繋げられ、ミハルスと同じく片手でも扱いやすくなっています。現在は、両手で使われることが多いですけども。
この教育用のカスタネットは、戦前にミハルスを使っていた教育者が白桜者に発注して製造したもので、それが全国に広まりました。つまり現在の教育用カスタネットミハルスを元にした楽器ではありますが、ミハルスそのものではありません。よって、教育用カスタネットミハルスとするのは誤りです。

「ひな祭りの甘酒は精液の象徴」ではない

菱餅が女性器で甘酒が精液を象徴しているというのは疑わしい - 最終防衛ライン3
ひな祭りの甘酒は精液の象徴とか、菱餅は女性器の象徴など、ひな祭りは性教育の意味もあったとする話。2017年のひな祭りの際にもTwitterで見かけましたね。三砂ちづるが提唱していますが、それ以外に文献がありません。

菱餅が菱形の由来は、植物の「菱」にあやかったからです。「菱形」そのものが植物の「菱」が由来です。ただし、形の由来が実なのか葉なのかはよく分かっていません。菱は繁殖力が高く葉がびっしりと水面を埋め尽くすことから、「菱形」は子孫繁栄の象徴として古来から扱われてきました。

かつて桃の節句に甘酒は飲まれていませんでした。甘酒は夏の季語で、夏バテ予防にとして飲まれていたようです。今だと、むしろ冬に神社などで振る舞われるイメージがありますね。
元々、中国では桃の花を酒に浸した桃花酒が飲まれており、日本も同様の風習が伝わりましたが 江戸時代の頃から「白酒」が飲まれるようになりました。白は百に通ずるので縁起が良いとされたようです。それがいつの頃からか、アルコールの入った白酒から、アルコールをほとんど含まない甘酒へと変わっていったようです。桃の節句が、ひな祭りへと変わっていく過程で、甘酒へと変わっていったのでしょう。
酒を飲むのは邪気を払うためで、大蛇を宿した女性が桃の節句に白酒を飲んだら堕胎させることができたとの言い伝えもあるので、精液とは関係がなさそうです。

ハマグリに関しては、昔から夫婦和合の象徴です。桃の節句で食べるかどうかは地域性がありますが、食べる地域があるのは旬の食材だからではないでしょうか。
ちらし寿司はいつ頃から食べられるようになったのかは分かりません。ちらし寿司を食べる否かや、中の具材も地域性があります。具材の由来も、お節料理のようなダジャレのようなものでしょう。

「日本の食品添加物は世界一」なわけがない

日本の食品添加物の種類は世界一では無い - 最終防衛ライン3
日本、EU、USAと比較しても、そんなに違いはありません。各国が加工食品を頻繁に輸出入する現在に置いて、一国だけ食品添加物の規制が甘い、あるいは厳しいと大変ですよね。そもそも、食品に添加して良いものは、その種類と量を厳密に規定されるべきで、種類が少ない方がむしろ揺る揺るだと思うんですけど。また、消費速度の早い弁当やパンなどは食品添加物を使用しない方向になっていると思います。故に、油断すると直ぐに悪くなってしまう。冷凍・冷蔵技術、流通が発展した現代では、食品添加物のありがたみが下がってはいますが、食品添加物がないと塩や砂糖をたっぷりと使わないと食品保存できなかったわけで。まぁ食品添加物を悪だとする人は、塩や砂糖も悪だとする人と被っている気がするので馬耳東風かもですが。

日本では一般添加物と既存添加物などが存在し、おおよそ1000種類くらいになります。既存添加物は日本において古くから使用されており、経験的に安全だとされている添加物です。既存添加物はアメリカのGRASに相当します。日米で食品添加物の種類に大きな違いはありません。
EUは、E番号によって食品添加物が管理され、その数は300種類ほどです。ただし、加工補助剤や香料、酵素などは含まれせん。加工補助剤などは、日本の既存添加物に相当するものであることもあり、各国の歴史的、文化的背景に左右されるためでしょう。

トイレットペーパーの三角折りの正式名称は「ファイヤー・ホールド」なんて言わないよ

絶対

トイレットペーパーの三角折りの正式名称は「ファイヤー・ホールド」ではありません - 最終防衛ライン3

アメリカの消防士が直ぐに用をたせるようにトイレットペーパーの先を三角に折り、それを「ファイヤー・ホールド」と呼んだとする説ですが、これは色々な観点から否定できるデマです。
先ず、アメリカではトイレットペーパーの向きが一意ではありません。日本では、ホルダーに紙切りがついているので外側に向けますが、アメリカにはそれがありません。公衆トイレなどは50cmくらいの大きなロールが二つ、互いに向き合って横向きついているので、内も外もありません。
『Fallout 4』トイレットペーパーModに見る常識という名の没入感、紙の先端は本当に表向きが正しいのか | AUTOMATON

次に、トイレットペーパーを三角に折るのは日本で生まれた習慣です。ただし、その起源については銀座のママ説とホテル説があります。起源ははっきりしませんが、広めたのはホテルで間違いないでしょう。

「Vault Boyのサムズアップ」は距離を測っていない

「 Vault boy が Thumb Up してるのはキノコ雲からの距離を測っているから」というデマを検証した - 最終防衛ライン3
Fallout 4のVault Boyがサムズアップしているのはキノコ雲からの距離を測っている」というデマ。
先ず、デザイナーが否定しています*1
次に、キノコ雲の距離を測る暇があるなら逃げるべきです。政府が弾道ミサイルの落下時の対処法として窓から離る、地面に伏せるなどを案内していましたが、悠長にキノコ雲を見て距離を測っている暇があるなら、同様の対処をし、さっさと地下へ逃げるべきでしょう。
内閣官房 国民保護ポータルサイト

また、親指で距離を測るのは「親指の経験則」と呼ばれます。親指で対象物を隠せる場合、その対象物の大きさの約30倍くらい離れている経験則です。危険な事象から30倍くらい離れれば安全ではありますが、広島型原爆の場合で、キノコ雲直径が4, 5kmとされるため、親指で隠れると考えられる距離は100kmを超えます。十分に安全ではありますが、平原でとない限りキノコ雲を目視することすら難しいでしょう。

以上の3点から、デマだと断言して間違いないでしょう。

「膝に矢を受けてしまってな」はノルド語で結婚を暗喩しない

The Social Flotilla - “Arrow to the knee” as old Norse Slang: A tribute to Snopes-style Myth-busting
「昔はお前のような冒険者だったが膝に矢を受けてしまってな…」はスカイリムで衛兵がしばしば口にするセリフで、他にもしゃべってはいるのですが、非常に印象的で脳裏に焼き付いてしまいます。
それ故に、裏の意味があるのではないかと推測され「膝に矢を受ける」は古代ノルド古語で結婚を暗喩するなるデマが広まってしまったのでしょう。もちろん、そんな意味はありません。

ちなみに、スカリムで酔っ払いやゴロツキが愛飲しているハチミツ酒は、北欧で重宝されたお酒で、結婚するとハチミツ酒をしこむことからハネムーンの語源ともされます。ハチミツ酒が重宝されたのはワインが作れなかったからですが、アルトワインなどが輸入されるようになると、ハチミツ酒は次第に作られなくなりました。

真実は面白味がないがデマは面白いので広まる

デマが収束しない原因の一つは、常に新しい人が入ってくるためで、過去のデマが繰り返し拡散されるのでしょう。その都度、誤りであることが指摘されますが、真実よりもデマの方が面白く目を引くため、訂正されないままになりがちです。食品添加物のは善意で広める人がいるのも余計にタチが悪いですね。
都市伝説ってのも、こうやって形作られていくのだろうな。

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*1:ただし、このサムズアップしたVault Boyはデザインしていないが

ミツバチには「方角」が見えているのかな

六角形の巣を作るミツバチに世界はどんな風に見えているのだろう - orangestarの雑記
ミツバチは世界をどのように見ているのか、彼らが文明を築いたらどのような数学や科学を持ち得るのかという素敵な考察。

異なる動物なら、異なる座標系=世界を見ていると想像するに固くないが、実は人間も実は同じ座標系を見ているわけではない。

眼で世界を見て脳で解釈する

ミツバチは複眼なので、そもそも物の見え方すら違うであろう。脳の構造も人間と異なるので、全く異なる座標系に生きていると考えられるが、それがどのようなものかを想像するのは難しい。ちなみに、収れん進化としてタコの眼は人間と似たような構造を有しているため見え方としては非常に近いのだろうと推測できるが、脳が異なるので、やっぱり座標系などは違ってくるのではないか。

眼は光を受容するセンサーとして発達したと考えられている。そのセンサーを多彩に進化させたのがシャコである。シャコの眼には多種多様な受容体が存在している。色だけでも12種類のも受容体がある。人間は3種類しかないため、さぞかし多彩な色を見分けることができるのだろうと考えられてきたが、最近の研究によると特定の色のみを見分けているらしい。つまり特定の色のみに反応するセンサーとして働く。シャコはその他にも、直線偏光や円偏光も見分けることができる。シャコは人間とは異なり、センサーの方を複雑にして脳での処理を単純化、もしくは高速化していると考えられている。

シャコの「驚異の色覚」は幻想だった? | Vol. 11 No. 4 | Nature ダイジェスト | Nature Research
「円偏光」を感知できる特殊生物、シャコ|WIRED.jp

処理系が異なれば違う世界が見えるだろう

それぞれの動物に異なる座標系があると考えられるが、実は人間も全く同じ座標系に生きているわけではない。先日、京都大学が日本人とカナダ人では視覚認知で差があることを発表していた。その理由はまだ明らかではないが、文化的、地形的な相違だと考察されている。
個人的には、地理、地形的の影響の方が大きいと考えている。
日本の人と北米の人ではものの探し方が違う — 京都大学


もし「右」や「左」がなかったら―言語人類学への招待 (ドルフィン・ブックス)

もし「右」や「左」がなかったら―言語人類学への招待 (ドルフィン・ブックス)

「左右」に関する、科学的、文化的背景を追っていたら巡り合わせた本で、何度もお世話になっている。この本によると、世界には「左右」という語彙のない言語があるという。
オーストラリアのある先住民は方向を表す際に「左右」を用いず、常に「東西南北」で表現するという。つまり、「左右」という相対座標ではなく、常に「方角」という絶対座標を使うのだ。その理由は定かではないが、彼らが平原に住み比較対象とするランドマークが多くないためと考えられている。
彼らは方向感覚に優れ、常に東西南北を意識しそれを記憶しているのだろう。イメージに常に東西南北の情報が付加されている感じだろうか。方向音痴とそうで無い人は異なる地図で生きていると考えると、方向音痴でない人は実感が湧きやすいのではなかろうか。

メキシコの住む部族も、通常とはやや異なる空間の切り分け方をする。彼らは南が高く北へ傾斜した土地に住むため、南の方を「上り側」、北の方を「下り側」と表現する。「横」を意味する語彙はあるが、「左右」に相当するものはない。彼らも、オーストラリアのある先住民と同様に方向感覚に優れている。
両部族に共通するのは地形で、一方はランドマークがないこと、他方は強烈な傾斜で生活している。地形によって方角を常に意識するようになったのだろう。

ミツバチは「方角」の語彙が多そう

オーストラリアのある先住民のような周囲に何もない平原ならば、東西南北以上に方角が細かに分かれても良さそうなものだが、どうやらそうでもないらしい。極座標に生きても良さそうなものだ。方角が豊富ならば、距離は「時間」で見積もればよい。やはりXY座標の方が便利なのだろうか。
その理由の一つは方角を決める術が太陽や月しかないからだろう。東から上り、南半球なので北天し、西へ沈む。90度づつに区切るしかない。方角を細かに決められる基準や感覚があれば、極座標になるだろうか?
そうとも言い切れない気がする。恐らく「飛翔」も関係してそうだ。人間は平面を移動するしかないが、ミツバチは「飛翔」できるため空間を移動する。すると「高さ」が加わるため、XYのみならずZ方向も必要となってくる。方角と距離のみから座標を表した方が簡素なのかもしれない。

渡り鳥は「眼」で方角を認識している説がある。青色の受容体と地球の磁場が干渉し、方角によって色合いが変わって見えるのではないかと考えられている。色合いによって方角を表現できるのならば「東西南北」よりも多くの方角を色合いで表現できるだろうから「渡り鳥」が言語を有するならば、人間よりも方角の語彙が遙かに多くなりそうだ。ショウジョウバエも磁場を検知するそうで、ミツバチも磁場を検知するだろうと考えられている。
渡り鳥は磁場が見える:青色光受容体と磁気の感知|WIRED.jp
「鳥は量子もつれで磁場を見る」:数学モデルで検証|WIRED.jp

ミツバチが文明を持てば、渡り鳥が言語を有すればどうなるか。SFっすなぁ。

ゼルダの伝説ブレスオブザワイルドでマップの達成率が100%になったので感想を書く

コンプリート要素は大体やり切って、ひと区切りがついた。 攻略サイトの力も借りて大体270時間くらい。他のオープンワールド系に較べれば早い方かな。クエストが少ないからだろう。
マップの達成率100%、防具の強化も完了し、大事なものも全部集まった。図鑑は取り逃しもあったけど、ルピーの力で埋めることもでた。そういえば、お金に関してはボウリングで一万ルピーくらい稼いだのだけども結局使い切れなかった。装備の購入や大妖精の泉などお金が必要になるシチュエーションはあったけども、その都度こまめに採取していたコハクなどを売れば乗り切れた。

一番大変だったのはやはりマップの達成率。コログの実はもちろんのことロケーションを埋めるのに苦労した。それに比べると、防具強化の素材集めは楽なもの。というか、コログの実を集めてる間に結構貯まっていたパターンだけども。
ゲームとしてはコンプリートをめざすよりも何度もやり直したい方が面白いんじゃないかなと、二週目をやり始めて思う。RTA向きだし、tipsを知っているため効率的にすすめられるし。

武器の破壊に関しては、雑魚と戦う機会が減るので、徐々に気にならなくなった。ポーチの数がたくさんあってもあんまり意味が無いし、むしろ十字キーの簡易装備変更が面倒になる。十字キーにはお気に入りの武具や薬などに割り当てられれば良かったのにと思う。

マップの達成率100%は本当に大変

マップの達成率はクリア後にマップの左下に表示されるパーセンテージで、神獣、祠、ロケーション、コログの実と連動している。日本で乱立するあんまり役に立たない攻略サイトは図鑑なども含むとか、条件がはっきり書かれてないけれど、マップ左下の達成率はマップに関わることのみが条件。一つ当たり0.08%増加し、120個の祠を全部巡っても10%程度で、要するにコログが7割方を締めている。普通にクリアしても20%くらいで、行っても50%くらいではなかろうか
ロケーションは訪れると明記される地名で、数が表示されるわけではないので取り逃しを判別しづらい。コログの実を全て見つけた後に0.3%ほど残ったので、攻略サイトとゲーム内の地図を交互に見比べながら、ゲーム内の方に載っていない地名を探し出した。さながら間違い探しで、捜索の結果、近くは通ったはずだけども通過してない地点ばかりだったのが驚いた。コログの実と関係の無い地域や橋、集落跡地なんかが見落としやすいかも。

コログの実は、300個までは攻略サイトを見ずに探索。一旦クリアしてから、いくつか気にはなっており、怪しいけども取り方が分からなかった場所の解法を攻略サイトで確認してから、650個くらいまではがんばった。そうこうしてる内にDLCでコログの面が発表され、夏頃まで待っても良いかなと思ったのもつかの間、もう一度マップ中を巡るのもそれはそれでつらいので、攻略サイトを使ってコンプリートすることにした。攻略サイトのおかげで探索はスピードアップしたものの、それでも2個ほど取りっぱぐれてしまい、ロケーションの際と同様に間違い探しをする羽目に。結局、二つともゲーム内の地図からも判別できる石並べだったので早くに発見できたのだが、攻略サイトを見る前に発見できそうな場所でもあったので、真剣に探してるつもりでも全然見逃しちゃうのだなと。

コログ集めは神トラ2のマイマイ探しに近いのだが、マイマイと異なりコログは鳴かないし、なによりもマップが圧倒的に広すぎる。さらに三次元なのできちんと上下左右を見渡さないといけない。岩陰に風船があるかと思えば、足下の岩も確認しないといけないし。裏に回って風車をさがしたり・・・・・・。恐らく最も多いのは岩の持ち上げだけども、その岩が崖の上からも下からも見辛い出っ張りにあると本当に発見しづらい。もちろん、地図で確認できる出っ張りが殆どだけども、それこそ無数にあるし、全部に岩があるわけでもなし。

コログは注意して探してても見逃しやすいし、攻略情報を参照してても尚取り逃しが発生する。攻略情報を用いる場合では、きちんと番号をつけて管理した方が良いと思う。それほどまでに900個という数は多い。攻略本買ってコピーしてそこに書き込むとかが手っ取り早いかも。

大事なモノ集めはミニゲームがな・・・・・・

モンスター討伐はコログ集めのついでに完了。夜にしか現れないスタルノヒックスを見逃してた。
ミニゲームでは流鏑馬が一番面倒だった。爆弾矢を使って力業でクリア。繰り返して遊びたいミニゲームが無い感じ。釣りがやりたかったし、虫取り網も欲しかったなぁ。これまでのシリーズにあるのに、本作にはないものの筆頭としてフックショットがあるけども、今回は崖登りがポイントだけに、あると全然ゲーム性が違ってしまうだろう。登場させるにしても、シーカーストーンのアイテムだと祠の謎解きに組み込む必要があるため、武器になるんだろうけど。

防具強化のための素材集めもコログのついでにそれなりに収集できたので、そんなに苦労しなかった。意識して集めたのは古代のコアやガンバリカブトくらい。ヒケシアゲハはテリーから買い付けたけども。ガンバリカブトはウオトリー村の近くにたくさんいるので、夜にシーカー装備でセンサーもつければすぐに集まる。コアもガーディアンで盾パリイの練習してると集められるし。
ドラゴン狩りも行ったが、赤い月に関係なく毎日同じ場所を同じ時間に通過するため、割とすぐに集めらる。コログ集めの後にやったので拍子抜け。星のかけらも赤い月の度に武具を集めるためにライネルを狩ってたら結構貯まってた。

最終盤になると強い敵がいなくなるというか、折角集めた強い武具を披露する相手がいないのが残念というか。こちらが縛って相対的に敵を強化したり、あるいは敵に強い武器に与えたりすることはできるんだけど、手に入れた強い武具を試す相手が不足している。カースガノンなんかも再戦できたり、ガノンも英傑の支援無しで挑めたらよいのになぁと。その辺はDLCに期待したいものの、第一弾はちょっと違う感じ。

印象に残った祠ねぇ・・・・・・

祠の説明として「ゼルダの醍醐味であるパズル要素を詰め込んだ」としばし言われるのだけども、どうにもピンとこない。ゼルダの醍醐味は世界を巡ることだと思っていているので、オープンエアことオープンワールドこそが正当な進化だと感じる。スカイウォードソードなどは広いようで、各地点は断絶しているしマップの使い回しもあるし。試練は結構楽しくはあったんですが。

印象に残った祠の謎解きはあんまりない。解けずに悩むこともほとんど無かったからだろう。携帯モードで遊ぶことが多かったので、ジャイロ機能を使ったカラクリが面倒だった記憶はある。コントローラーを本体から外し、テーブルモードなりTVモードに切り替える必要があるからだ。切り替えても、動きがもどかしいし。あんまり数がなくて良かった。

双子山の二つの祠や、星座の数を使った、物理エンジンをあんまり使っていない祠の方が謎解き感があって楽しかった記憶がある。物理エンジンを利用した謎解きは、解けないもどかしさではなく、先のカラクリ同様に物理エンジンを制御できないもどかしさだからかもしれない。ビタロックは上手く飛ばす方向を制御できないし、物体を叩いていると武器が壊れちゃうし。
あるいは、序盤に訪れてしまった「極位」の試練の間の方が達成感はあった。よくあんな装備で倒していたなと思う。

神獣としては、一番最初に訪れたゾーラの象が記憶に残っている。象の鼻を動かせるのはなんだか楽しかった。未だに正式な解法が分からない端末がある。それぞれの神獣の仕掛けが楽しかったのだが、リトの鳥は、結構簡単に解けちゃったなぁという感じ。

エストなど

エストはもうちょうと欲しいというか、長めのお使いイベントがあっても良かったんじゃないかなぁと。
ウツシエの記憶は良かった。色んな地点を巡る中でアングルから特定の地点を探し出すのはかなり面白い遊びだった。水曜どうでしょうの絵はがきの旅みたい。
また、ストーリーの仕組みとしても上手く機能している。ただ、ウツシエをきちんと見ないと、ゼルダがヒロインとして輝かないのだけども。

メニューは改善の余地があるよね

オープンワールドなのでメニュー周りがゴチャゴチャしてるのはしょうがないものの、もうちょっとなんとかならなかったのか。ただし、終盤になるにつれメニューを頻繁に開かなくなるためどうでもよくなる。 武器に関しては取りあえずたいまつとコログのうちわと、ライター代わりの炎の剣、および強い剣があればそれで十分とな感じ。

コログ集めやモンスター討伐の段階になると、そんなに敵と戦わなくなるため武器も盾もそんなに消耗しなくなる。イワロックは面倒なのでウルボザの怒りで処理してた。ヒノックスは弓矢を使い、コログ集めでも弓矢が必要なので弓矢の補給の方が重要。そのため赤い月の度に、ライネルとゾーラの里付近のリザルフォスが狩られる。

ポーチの容量はたくさんあるのに、武器も盾も消費されないため破壊要素がほとんど気にならなくなった。そもそも白銀の雑魚を相手にするのも面倒になってくるので見逃すし、人助けもしないし、面倒くさいガーディアンはレーザーのパリイで倒せばいいし。
ポーチの容量が増えるよりも、武器、盾、弓を大量に保管できる倉庫があった方が嬉しいなぁといった感じ。ポーチの容量が増えると十字キーでの簡易装備変更はあんまり快適じゃないし。中盤にかけて武具にも追加効果が加わってくるため簡易メニューバーではじっくり探せないし。矢のつけ替えだけはずっと便利ではあったが、十字キーはもっと有益な使い方があったのでは。
武器のつけ替え頻度は減るものの、防具のつけ替えは頻繁にやってたので、十字キーにお気に入り防具セットなどを割り振れてもよかったのでは。ただ、個人的にはメタルギアソリッド3のカモフラージュの変更が好きだったので、防具のつけ替えはむしろ楽しい部類だった。
料理や調合も改善の余地ありだけども、徐々に頻度が低下していった。面倒というよりも、序盤は装備が充実してないのもあって色々な効果の料理や薬が必要だけど、装備で暑さや寒さを回避できるようになり、防御力も整ってくる終盤では全快と攻撃力アップだけあればいいかなと。場合によってはミーファがいるから回復アイテムを意識して使わないことも。
素材に関しては、薪と火打ち石はアクセスしやすくして欲しい。まぁ火は火炎の剣で着火しちゃうんだけど。

結局、二週目を始めた

ほぼコンプリートしてしまったので、試しに二週目をスタートしたのだが、これまた楽しい。tipsを知っているので、色んなことがスムーズに進む。序盤は雑魚の体力が低いので、とりあえず爆弾だけでなんとかなる。tipsを知ってるとメニュー周りもそんなに気にならないというか、開発陣が全員で何度もプレイし直したと言うけども、UIは修正段階で後回しにされやすい項目になるよなとも。

JRPGとは少年ジャンプである

JRPG」と「洋ゲー

「JRPG」という括りを適切だと思ったことが正直一度もない: 不倒城
JRPGはどうなるべきなのか?RPGを愛する海外デベロッパーに聞く、JRPGの現在地と未来 | AUTOMATON
JRPG」とはなんぞや。海外で生まれた言葉のため、日本人には分かりづらい。似たような概念として「洋ゲー」があるだろうか。

海外産のゲームを「洋ゲー」と呼ぶことがあります。古くから使われていますが、Xboxのリリース以降に頻度が増えたように感じます。「洋ゲー」の中にも、色んなジャンルがあり、一括りにすることはできませんが、なんとなく個々人に「洋ゲー」のイメージがあるんじゃないでしょうか。色んなイメージはありますが「日本で爆発的に売れることがない」ってのは共通しているように思います。

一方「JRPG」は、海外で使われ始め、元々は「日本産のRPG」という意味でしたが、現在はやや批判的な文脈で使われることが多いようです。「Japanese RPG」が「JRPG」と略されるようになったのは、2006年から2007年頃のようで、PS3Xbox oneの頃にあたります。2006年に「JRPG」としてはFF12幻想水滸伝5、ディスガイア2ポケモンダイヤモンド・パールがリリースされています。ゲーム市場がグローバルになっていった頃で、日本で「洋ゲー」が頻繁に使われるようになった時期とほぼ同じです。「JRPG」に対して、 欧米産のRPGを「Western RPGWRPG」と呼びますが、こちらは「JRPG」以後の言葉で「洋ゲー」に対する「和ゲー」みたいなものでしょう。「WRPG」はしばし「リアリティのある」みたいな説明が書かれているのですが、何を「リアル」に感じるかは、それこそ文化問題でして。

JRPG」が単に「日本産のRPG」に留まらずたくさんの意味を内包してしまったのは、日本産のRPGに特有な性質があると、欧米のゲーマーが感じ取ったからでしょう。現在では「ストーリーが重厚でターン製のコマンドバトルのクラシカルなコンピュータRPG」といったイメージがあるようです。日本における「洋ゲー」のイメージと同じく「当地では受けないゲーム」の意も含んでいます。批判的な意味の根本は日本人にとっての「洋ゲー」と同じく、文化背景の差異から来ています。日本で「洋ゲー」が受入れられにくいのも、「JRPG」が批判的な文脈で使われることが多いのも、生まれが違うから。日本の文化を知らない人が「JRPG」を遊んでもストーリーを理解しづらいし、同様に西洋の文化を知らない人が「洋ゲー」をプレイしても、何が面白いのか分からない。差異の根本が文化背景に当たるので、「洋ゲー」とか「JRPG」と呼称するしかない、とも言えます。また、日本人が「JRPG」なる言葉に違和感を覚えるのは、当たり前とは当たり前で、同じ文化に属するため「違い」を認知するのが難しいからです。

文化の違い

文化の違いとして、 「ゼルダの伝説 ブレスオブザワイルド」を例にしてみます。「ゼルダの伝説 ブレスオブザワイルド」には日本人ならすぐに分かるけど、海外のプレイヤーには分からないネタが散りばめられています。元ネタを知らなくてもプレイに支障はきたしませんが、分かると愛着が湧くものです。
例えば、祠の名前は開発者の名字が元ネタです。リト族の名前は鳥の肉の部位なので、ちょっとひどいなと思います。祠をはじめとする古代文明のイメージは縄文式土器からインスパイアされています。ガーディアンは茶器のイメージを含んでいるそうです。これらの元ネタは、日本人ならば、自然と気づく場合もあるし、指摘されても直ぐに元ネタを思い浮かべることができます。けれども、日本人以外では名前の元ネタを理解するのも難しく、ましてや「縄文式土器」と説明されてもイメージすら沸かないでしょう。開発者も、世界的にはあまり知られていないことを逆手にとって採用しているようですし。

ドラクエとFF

欧米における「JRPG」のイメージは、やはりFFやドラクエでしょう。どちらかというと海外展開の早かったFFに寄っている気がします。「JRPG」としてはディスガイアやゼノシリーズもコアな人気があるようです。一方で、デモンズソウルやダークソウルをJRPGに含めるか否かで白熱した議論が交わされています(皮肉)。ところで、海外でリリースされていない日本のRPGは「JRPG」として認知されていないでしょう。ヘラクレスの栄光ミネルバトンサーガ、moon、メタルマックスサンサーラ・ナーガ、星をみる人、天外魔境元祖西遊記スーパーモンキー大冒険頭脳戦艦ガルは海外リースされていません。ロマサガiOSAndroidアプリはWorld Wideとして、ミンサガも北米でリリースされてますが、スーファミ版は日本のみの販売です。つまり、日本国外においてこれらのタイトルが「JRPG」という俎上で議論されることはないはずです。

ドラクエやFFはウルティマウィザードリィといったコンピュータRPGを日本向けにアレンジしたゲームです。日本の代表的な「RPG」で、また多くのゲームが影響を受けているため日本人としても、ドラクエやFFにそれに類するRPGを「JRPG」と呼称するのに、あまり違和感がないのでは。ドラクエのターン制のコマンドバトルなどは「クラシカル」で「古くさい」と感じられるかも知れません。システム面の発展が見られないのも「JRPG」の批判の的となっています。ただ、FFなどはターン制を打破するために試行錯誤を繰り返してきました。FFが「JRPG」の文脈で批判されるのは「ムービーが多い」とか 「ストーリーのためにゲームが一本道になっている」などで、日本でも同様の批判がなされています。FF13にはこれらに加えて「無駄な特殊用語が多い」 とか、ホープの声優にも批判が集まったそうですけど。
ドラクエのクラシカルな部分や、FFの一本道な点は日本のゲーマーでも、「JRPG」として批判されるのは理解できるでしょう。しかし、おそらくそれ以上に日本以外のゲーマーは「JRPG」を肌に合わないと感じているのだろうと思われます。日本のゲーマーが「洋ゲー」を好みでないと切り捨ててしまうように。

少年ジャンプ的なるもの

【全文公開】伝説の漫画編集者マシリトはゲーム業界でも偉人だった! 鳥嶋和彦が語る「DQ」「FF」「クロノ・トリガー」誕生秘話
ドラクエにもFFにも共通し、日本人にしか分からない「JRPG」に特有な文脈は「少年ジャンプ」でしょう。ドラクエ堀井雄二週刊少年ジャンプに連載を持っていましたし、その関係もありキャラクターイメージを鳥山明が努めています。ドラクエの誕生には編集をやっていた鳥嶋和彦が関わっていました。一方でFFは当初はジャンプと関わりが無く、週刊少年ジャンプの紙面で取り上げられたのは5からです。ただ、それ以前のFF4において、鳥嶋和彦の感想を受けて、坂口博信は魅力のある適役であるゴルベーザや四天王など生み出しています。ゴルベーザはどう考えてもダースベイダーなのですが、四天王などは少年ジャンプ的なるものでしょう。この少年ジャンプ的なるストーリー展開は以降のFFシリーズにも受け継がれています。
そして、 鳥嶋和彦により堀井雄二鳥山明坂口博信の三人が関わったクロノ・トリガーが企画されるわけですが、少年ジャンプそのものですよね。
もちろん、ジャンプ的なるもの以外にも日本特有の文化的背景が存在します。ただ、日本のRPGとしても古参でナンバリングが10以上も続いているドラクエもFFもジャンプと関わりが深く、また「JRPG」のストーリー展開などを語る上でも外せない文化背景を少年ジャンプが有してるのは間違いないでしょう。
ちなみに、ナンバリングこそないものの、テイルズオブシリーズは核となる作品が16作もリリースされており、FFよりも多いです*1。派生を含めるとFFやドラクエの方が多いですが、濃さで言えばイースシリーズもかなりなものだなと。

所変わればシステム変わる

個人的に、最近プレイしたなかでウィッチャー3はコマンド選択式ではありませんがストーリーの運びなどが「JRPG」っぽいなと感じました。小説が原作で、その世界観を再現するためにゲームが作られたと推測され、そのため「JRPG」的なものになったのかもしれません。

文化背景が違えば生まれるゲームが違うのはRPGに限った話ではないわけで、シムシティなどもよくよく考えると非常にアメリカ的なゲームです。渋滞解消のために、やたらと一方通行を進めてきて、私としては違和感があったのですが、アメリカの都市部に行くとやたらと一方通行に出くわすので理解できました。道路の保守なんかも、日本に比べると市の財政状況がもろに反映されますし、スラムができるとやばいレベルで治安が悪化してます。市民が執拗車通勤したがるのもアメリカ的です。

まとめに変えて

結論として「JRPG」が海外で議論される上では、日本のみでリリースされたヘラクレスの栄光ミネルバトンサーガにmoon、メタルマックスサンサーラ・ナーガロマサガ、星を見る人、天外魔境元祖西遊記スーパーモンキー大冒険頭脳戦艦ガルは「JRPG」として語られることはないってことです。キングスナイトは一応北米でリリースされてるけど古いので「JRPG」として議論の俎上に登ることはないんじゃないですかね。レーシングラグーンも海外でリリースされてないので「JRPG」として認識されていないでしょう。翻訳が無理だもの。

以下追記
冗談はさておき、海外における「JRPG」はFFやドラクエなど、あるいはそれに準ずる作品を意味するでしょう。日本に場合は、日本のゲーマーが「RPG」と聞いて思い浮かべる作品やイメージが海外における「JRPG」と割と重なるんじゃないでしょうか。

*1:JRPG」の文脈で語るには海外でのセールス数がFFと比べるとやはり少ないですね……