乾杯は毒殺を防ぐために行われない

「乾杯」に関するウンチクとして「毒殺を防ぐため」がしばし紹介されます。しかし、このウンチクには確かなソースがありません。これも、権力者が毒殺を防ぐために銀食器を使ったのは本当か - 最終防衛ライン3 のように「毒」の持つ神秘性故に生まれたデマでしょう。

  • 中世ヨーロッパにて、酒の席での毒殺が横行していたため、盃をお互いに飲み干すことで毒物が入っていないことを示した
  • 強い衝撃でお互いの酒をお互いのグラスに飛ばしあい毒が入っていないことを証明しあう

英語版では毒殺を避けるために乾杯を行ったとする説を紹介こそしていますが、エビデンスがないとしています。

日本語版の Wikipedia にある乾杯の由来は The Real Origin of Cheers - phrase meaning and origin で否定されています。

1番目の「お互いに飲む干す」というシチュエーションは伝統的に生じ得ません。ホストが最初に飲むことになっているからです。毒殺を警戒する王侯貴族の場合、ホストがゲストを招待するケースが殆どでしょうから、盃をお互いに飲む干すことはありえません。

むしろ、Toastmasters International -The History of Toasting にあるように飲み物が安全であることを示すため、つまりホストが身の潔白をしめすため、とした方が説得力があるでしょう。

2番目の「強い衝撃で酒を飛ばしあう」あっても、そうそう混ざり合うことはありません。そもそも、フォーマルな場では乾杯でグラスを重ねることはありません。毒殺を防ぐためなら、乾杯の際に互いに混ぜ合わせるのが一般的になりそうなものです。

グラスを互いにぶつけて音を鳴らす習慣は古くからあったようで、古代ギリシアでも行われていました。先の記事*1ではそのルーツを追い求めていますが、辿り着けていません。ルーツは不明ですが、毒殺を避けるためではないでしょう。

untitled192 - Yukon News では、”A Gentleman’s Guide to Toasting” を出典とし、毒が入ってないことを示すためと書かれています。”A Gentleman’s Guide to Toasting” を購入し、該当する文章を確認しましたが、その根拠となる出典はありませんでした。そもそも ”A Gentleman’s Guide to Toasting” は乾杯時の演説のための種本でしかありません。

乾杯は古くから行われていたようで、その起源はたどれなさそうです。個々の文化で乾杯が行われる経緯は様々で、様式も多岐に渡ります。ただ、「毒殺を防ぐため、あるいは毒殺する意思がないことを示すため」とする確固たる証拠はなさそうです。欧州に限れば、フォーマルな場における乾杯では毒殺を防ぎようがありません。根拠となる出典もみつからないため、デマと判断して良いでしょう。

Fire HD 8 Plus のバッテリーが膨張していたので Amazon に問い合わせたら保証対象外なのに交換してくれた

バッテリーが膨張

7月下旬に、純正のワイヤレス充電スタンドに立てかけていた Fire HD 8 Plus が充電されていないことに気がつきました。
充電中に自動で切り替わるはずの Echo Show が表示されておらず、不思議に思って手に取るとバッテリーが膨張していました。背面との距離がスタンドから離れて充電ができなくなっているようです。

側面から見ると隙間から液晶のバックライトが見えています。幸いにも、液晶が割れるほどには膨張していませんが、それなりに力がかかっていそうす。
また、Echo Show は毎日チェックしているので、バッテリーの膨張速度が早そうで危機感をを覚えました。早々に処分したいところです。
本体は問題無く動作しましたが、即座にファクトリーリセット。端末本体に消したくないデータがないので気楽です。

Amazon は自社端末のリサイクルプログラムを実施していますが、バッテリーが膨張した場合は受け付けていません。
廃棄方法が分からなかったのと、保証対象外ではありますが Fire HD 8 Plus は気に入っているので修理が可能なのか Amazon のサポートに問い合わせました。修理するよりも、新たに買った方が安そうではありますが、Amazon が壊れた Fire 端末をどのように取り扱っているのかも興味もありました。

Amazon に問い合わせるも

チャットにて問い合わせたのですが、人が少ないのか全然繋がりません。ようやく繋がってから、処分方法と修理が可能かを良い合わせたら、膨張した本体の状況を知らせろとのこと。
膨張を発見した状況を伝え、膨張した本体の写真を送ったら、専門の部署から折り返し連絡があるので、本体は処分せずに待てとのことでした。
こちらが知りたいのは、処分方法と修理、もしくは交換できるかなのですが・・・・・・。心配なので、事故があったら責任を取ってくれるのかと詰めたら、それも含めて対応するとのことでした。

その次の日に、専門の部署からメールにて端末が機能するのかなどを詳細に尋ねられたので、詳細に返信しました。しかし、4日経っても連絡はありませんでした*1

再度問い合わせ

梨のつぶてなので、チャットで問い合わせると専門部署にお伝えしますとの回答。
処分方法と修理対応が可能かを知りたかった点と、事故があった場合の責任の所在について念押ししました。

すると、保証期間外なのに新品を送ってくれるとの連絡がありました(もしくは、Amazon ポイントの付与)。処分は自治体に問い合わせてくれとのこと。

自治体には小型家電の回収ボックスがあるのですが、ウェブページからはバッテリーに問題がある製品を回収してくれるかは分かりませんでした。自治体に問い合わせると、バッテリーが膨張していても回収ボックスに投入してもよいとのことでした。緩い自治体でよかった・・・・・・。ただ、自治体が回収してくれない場合、詰んでいるのでは?という気がします。

バッテリー膨張はレア事象?

保証期間外なのに、新しい Fire HD 8 Plus を送ってくれるのは嬉しいのですが、完全にクレーマーと思われた節があります。まぁ、Amazon も私に端末の詳細は聞くくせに、処分を一時的に保留させたりと問題があると感じます。
ただ、Fire HD 8 Plus のバッテリーが膨張した事例はレアそうです。検索でもあまり引っかかりません。事象がレア過ぎたので、交換対応になったのかも?

lab.hendigi.com
充電スタンドによりバッテリーが膨張したのでは?と記事では推測されています。ただ、Amazon としては充電スタンドに立てかけて Echo Show のように使うことは想定していると思うので、それが原因だと Amazon としてもユーザーとしても困りますよね。仮にそうならば、バッテリー膨張がもっと頻発しているのでは?という気がします。

*1:土日を挟んだので一般的な営業日としては2日。ただし、Amazon は24時間年中無休での対応を謳っています。

呪いの薄まったリメイク版 LIVE A LIVE

SFC 版、Switch 版の両方のネタバレを含みますので、未プレイの方はご注意ください。

語りたいことが多すぎる・・・・・・。

スクウェア・エニックスは旧作の移植を多く手がけていますが、旧スクウェア作品でフルリメイクされた作品はあまり多くはありません。ドラクエは6までがフルリメイクされていますが、FF では 1、3、4、7 と作品数の割に少ないです。LIVE A LIVE がフルリメイクされたのは、ある意味で異端です。まぁ、SFCからして異端なゲームでした。
LIVE A LIVE について語りたいことが多すぎます・・・・・・。SF編のキャラクターデザインを担当した田村由美が「ミステリと言う勿れ」でヒットしているとかとか!(敬称略で行かせて頂きます)

www.jp.square-enix.com

グレードアップなリメイク

スーパーファミコンSFC)で1994年に発売された LIVE A LIVE が HD-2D でグレードアップなリメイクで Nintendo Switch に帰ってきました!キャラクターは SFC 版よりも大きなサイズのドット絵で、動きがよりダイナミックに!ピクセル風の 3D な背景が箱庭感をグッと引き立てています。

Switch 版では、声優による声も追加されました。声優が本当に豪華で、さらに熱演によりただでさえ心に来るセリフが染み入ります。SFC 版にも効果音程度には声がありました。当時のスクウェアの社員が担当しており、高原日勝は社内オーディションで選ばれた光田康典が担当しています。手作り感のあるゲームで、土佐弁の監修を野村哲也がやっています。リメイク版では声優も含めてスタッフからの LIVE A LIVE への熱い思いが随所から伝わり、それがファンに応える形になっているのもすばらしいです。

音楽は SFC 版と同じく下村陽子が担当しています。中世編や最終編の楽曲は SFC 版よりも尺が長くなり、最初のループは原作の雰囲気をゴージャスに再現しつつ、次のループで大胆アレンジになっているなど聞き応えがあります。「GO!GO!ゴーゴーブリキ大王!」の主題歌を影山ヒロノブが歌っているのは、最早ずるい。

より遊びやすく

システム面でも全体的に遊びやすくなっています。最終編に突入しても、各シナリオをやり直せますし、最終編の主人公も個別に選択できます。わざわざ枝セーブを作らなくても、堪能できるようになっています。
また、最終編には装備したアイテム以外も持ち込めようになっています。最終編のキューブのために持ち込むアイテムを悩む必要がありません。アイテムコンプが捗りますね!

戦闘も、基本的には遊びやすい方向に修正されています。SFC 版では表示されていなかった、弱点、耐性、行動ゲージ、敵の HP が表示されているので、戦略を立てやすくなりました。LIVE A LIVE の属性は、手の技や足の技と独特な上に、15種類もあります。表示されていなかった SFC が不親切なのですが、当時のスクウェアのゲームではありがちな仕様でしたね。

戦闘バランスは調整され、一部のキャラクターは強化されています。個人的に西部劇編で決闘時のマッドドッグスが強化されたことで、彼の格があがったのは良い調整でした。
ただし、バフとデバフとしてレベル増減がなくなったことで、一部の戦闘のバランスが変わっているのが気になりました。

変わって気になる所と変わらないからこそ気になる所

ストーリーなどに大きな変化はありませんが、一部のセリフやアイテム名に変更があります。「妙子のパンツ」が「妙子の日記」になったりと、2020年代にリメイクするにあたって配慮された修正です。個人的には近未来編でクルセイダースRSが落とす「へんたいパール」が「おしゃれパール」になったのが面白かったです。
イベントも細かく修正されており、西部劇編の決闘で、クレイジーバンチが町人からも見えない位置になっています。

変わらないからこそ気になる点もあります。たとえば、チャン・リン・シャンなどの小ネタや、主人公の命名による違和感など。
ただ、当時の手触りを保ちつつ、現代向けにアレンジされ、グレードアップされているので、理想的なリメイクとなりました。

売れなかった SFCLIVE A LIVE

理想的なリメイクとなった Switch 版の LIVE A LIVE でありますが、そもそも本作の移植やリメイクは難しいと考えられてきました。

移植やリメイクが困難な理由として、しばし小学館との権利関係が指摘されてきました。キャラクターデザインを小学館に連載する漫画家が担当しているからです。ただ、2015年には Wii U 向けの、2016年には 3DSバーチャルコンソールがリリースされているので、この点は解消されたのでしょう。

2014年9月に原始編のキャラクターデザインを勝手に行い、LIVE A LIVE のきっけかを作った小林よしのりが ”「ライブアライブ」とかいうゲームを、ケータイでやれるようにすると言うのだ。” と述べています。タイミングとしては Wii U 版のバーチャルコンソールのことのようにも思われます。スマートフォン版の企画もあったのかも知れませんが、実現しなかったのでしょう。

LIVE A LIVE が移植やリメイクされなかった要因として、確かに権利関係の問題はあったのでしょうが、そもそも販売実績がないのです。100万本越えが当たり前だった SFC 時代のスクウェアにおいて、LIVE A LIVE は23万本しか売れていません。
30万本のミスティッククエスト(FF USA)よりも売れていないのです。LIVE A LIVE より販売本数が少ないのは、SFC 末期の1996年に発売されたトレジャーハンターG(17万本)とルドラの秘宝(12万)くらいです。ルドラの秘宝がワーストのため、LIVE A LIVE は下から数えて3番目となります。実績もなく権利関係のややこしい本作をわざわざ移植やリメイクすることもないでしょう。
ともすると、リメイク版は海外展開しているのもあり、オリジナルよりも売れるかも?

印象に残る LIVE A LIVE

売れていない LIVE A LIVE ですが、何かと話題になるゲームでもありました。

  1. 小学館の7人の漫画家がキャラクターデザインを手がたオムニバス型式
  2. 格闘ゲームのような戦闘だけ、サウンドノベルのようで戦闘がないなど、それぞれで異なる遊び方が提示されるシナリオに
  3. 「心じゃよ」や「あの世で俺にわび続けろ」など心に残りミームとなったセリフ
  4. そして、中世編からの最終編の衝撃

これらは、語り草になっています。だからこそ、ファンの間で移植やリメイクが望まれてもいました。

LIVE A LIVE はアンチ RPG か?

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LIVE A LIVE はアンチ RPG と評されることがありますが、個人的にはしっくりしません。むしろ RPG の可能性に挑戦したゲームだと考えています。

LIVE A LIVE はオムニバス型式で、それぞれのシナリオで異なる仕組みになってますが、それらが RPG におけるイベントとして配されていても不思議はありません。戦闘だけの現代編はトーナメント戦、会話のない原始編も異界とのコンタクトとして展開できるでしょうし、SF編はむしろ本流となっています。

LIVE A LIVE は、キャラクターデザインが先行し、出版社とのコラボレーションなど、クロノトリガー(1995年)と共通する点が多いです。異なる世界観を接続する方法が、時空とオムニバスと異なるものの、非常に似通っています。時田貴司クロノトリガーを勝手にライバル視していたと冗談めかしていましたが、意識はしていたのでしょう。

スクウェア・エニックスになった現代から振り返ると、当時のスクウェアは出版などのメディアミックスを切望していたように思えます。その点で、売れなかった LIVE A LIVE は成功した企画ではなかったのでしょう。

奇跡のリメイク

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LIVE A LIVE がリメイクされる契機となったのは、HD-2D であったようです。スクウェア・エニックスによる OCTOPATH TRAVELER で採用された HD-2D はドット絵と 3DCG を組み合わせた表現手法です。SFC のドット絵の雰囲気をそのまま現代に持ち込んだ雰囲気がありました。逆に、SFC や FC のリメイクにはもってこいのはずです。

スクウェア・エニックスの社内で HD-2D によるリメイクが検討される中で、LIVE A LIVE が選ばれました。できあがった本作を見れば、HD-2D と LIVE A LIVE の愛称は抜群です。OCTOPATH TRAVELER を手がけた浅野智也も LIVE A LIVE が好きだったようです。OCTOPATH TRAVELER もオムニバス型式で、最後にシナリオが融合する点で LIVE A LIVE と共通する点があります。

順当進化なリメイク

HD-2D によって SFC 版のドット絵の雰囲気をそのままにリメイクされた Switch 版は、まさに順当進化した LIVE A LIVE です。

近未来編の「GO!GO!ゴーゴーブリキ大王!」が流れるオープニングは、スーパーロボットアニメ感がさらに増しています。SFC 当時にはできなかった技術が、ようやく表現したかったものに追いついた感があります。
SF編では、ベヒーモスが絶妙な大きさになっており、演出もさらに磨きがかかっています。3DCG と船内との相性が抜群すぎます。

フィールドやマップの構成は SFC 版と同じなのですが、別の雰囲気を醸し出しています。幕末編では城の立体感が増しており、マップ構成は同じなのにほぼ別物と感じられます。功夫編の澄んだ山岳には高度を、原始編はフィールドは広大さを感じられます。魔王山のおどろおどろしさも不気味です。

戦闘の演出やバランス調整はすばらしいが気になる部分も

戦闘フィールドの表現も細かくなっており、現代編では観客が、西部劇編での決闘には街の住人が追加されており臨場感があります。近未来編の隠呼大仏戦では、小さく表現されたシンデルマン達によって、ブリキ大王の大きさが感じされるのもにくい作りです。

戦闘の演出も派手になっているので、目が楽しいです。ただ、少しテンポが悪くなったかな?と感じる部分もあります。技の待機時間が短くなった技も多いので、総合的に戦闘のテンポは良いです。ただ、ターン制のRPGバトルに慣れ親しんでいない人だと、煩わしく感じるかも知れません。

戦闘では、バブとデバフによるレベル増減がなくなりました。本作は、レベル差がダメージ量や命中率に大きくかかわってきます。SFC 版では戦闘中に味方のレベルを上げる、または敵のレベルを下げることで有利に立ち回ることができましたが、Switch 版ではそれができなくなりました。
基本的には問題ないのですが、キングマンモーを倒すのが大変になりました。レベル差が大きいので、なかなか麻痺が通りません。そのくせに地相による超回復は相変わらずです。ただ、近づくと地面が揺れる演出が追加され、臭いを特定すればレーダーに表示されるため、再戦はしやすくなりましたが。

バランス調整がおかしいと感じる部分もあります。最終編でオルステッドを選択した際のブリキ大王が強すぎます。レベル増減ができなくなったのもありますが、最終編での隠呼大仏が弱体化されているためです。オルステッド以外の主人公なら嬉しい仕様なのですが、オルステッド側だとブリキ大王をハメないとほぼ勝てません。アルマゲドンを起こしやすくはなりましたが、調整を間違っているような気がします。

声の追加は熱いが、気になったところも

声優によるセリフが本当に素晴らしいです。もともと素晴らしいセリフ回しに、声が加わることでさらに感情が揺さぶられます。
声優陣が豪華すぎます。セリフのない原始編のポゴやゴリを、緒方恵美橋詰知久が引き受けてくれて本当に嬉しい限りです。

戦闘中にも声が当てられています。イベント戦では擬似的な掛け合いを演出できますが、状況やプレイヤーによって異なるのがゲームならではといえるでしょう。
全編に登場している杉田智和中村悠一のように、SFC 版のファンが多く参加しているのは、本当に愛された作品だと思います。


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一方で、主人公たちの名前が呼ばれないのは違和感がありました。
SFC 版では主人公の名前を好きに設定できたので、それを踏襲したのでしょう。
主人公の名前を呼ばないようなセリフ回しにはなっていますが、無理な部分も多くあります。
特に、中世編でオルステッドの名前が呼ばれないのは、かなり残念です。やはり「あの世で俺にわび続けろオルステッドーーーーッ!!!!」の「オルステッドーーーーッ!!!!」の程嶋しづマで聞きたかったです。DS版のFF4でセシルをやっているからこそ!

デフォルトネームに設定した場合のみ、セリフで名前を呼ぶという仕様でも良かったのでは?と思いつつ、それでは収録や処理が煩雑になってしまいます。中世編や最終編の仕組みは、オルステッドの名前を好きに設定できるからこその裏切りでもあります。

薄まった呪い

最終編に少しだけ変更点と追加要素がありますが、これにより裏切りが僅かばかり緩和しています。SFC 版とは異なる解釈とも取れます。

変更点は最終編の心のダンジョンにいるストレイボウのセリフで、SFC 版よりも自責の念が強まっています。
追加要素は、シン・オディオです。各編のラスボスを倒した後に戦うことになります。シン・オディオ戦では、パーティーに加入していない主人公3人も戦いに加わります。そして、最後にオルステッドも参戦します。展開としては非常に熱く、オルステッドへの救いが示された形で、そこには優しさがあります。


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LIVE A LIVE が語りづがれた一因は、オルステッドのあり方でしょう。
主人公の名前を変更できるのは、当時の RPG としてはお約束ではありますが、主人公とプレイヤーの近さを意味する不文律でもありました。
聖剣伝説では主人公のみならず、ヒロインの名前を付けられるからこその重みがあります。バハムートラグーンでは、それがプレイヤーへの裏切りとして作用しています。
LIVE A LIVE も後者で、特にオルステッドへの名付けはプレイヤーへの裏切りとなっています。この裏切りのインパクトが大きかったからこそ、LIVE A LIVE が長く語り継がれることになりました。私にも、しこりとして残っています。呪いとも言えるでしょうか。
リメイク版は、そのしこりが完全に取り除かれた分けではありません。オディオや魔王の謎は残されてままです。ただ、呪いは薄まったように思います。自分としてはそれが少し寂しく感じます。

TERALOMANIA を誰よりも信じます

シン・オディオ編では新たに作曲された GIGALOMANIA が流れます。各オディオ編で流れる MEGALOMANIA のオマージュです。

LIVE A LIVE がリメイクされた経緯は様々な要因があります。
SFC 版は販売本数こそふるいませんでしたが、プレイヤーには壮絶な印象を残しました。結果的に、長きに渡り語られることになりました。
プレイヤーの中にはゲームにかかわる仕事に就く人もいました。素晴らしいリメイクとなったのは、まさに幸運でしたが、LIVE A LIVE が心に刻まれた人々がいたからこそ成し遂げられたのではないでしょうか。
ファンが語り続ければ、次の30年でリメイクが生まれるかも知れません。その時は、TERALOMANIA が出るかも知れません。「いいえ、TERALOMANIA を誰よりも信じます。」

「律」のエルデンリング

エルデンリングの面白さについてずっと考えていたのだけど、世界観の根幹でもある「律」がそれだなと。
プレイスタイルを「律」することが、面白さに繋がっている。

広大なフィールド

探索が楽しい。8周した現在でも新たな発見がある。

一周目は攻略サイトを見ずに、二周目は攻略サイトとにらめっこしながら探索したのに、三周目以降で取りこぼしたアイテムがポロポロと出てくる。
単純に風景を見ているだけでも楽しめる。その点で、ゲームの雰囲気とは異なるがフォトモードが欲しくなる。それぞれの地点で、異なる風景が見える。あそこに行ってみたいなと思ったら、そこへ行ける。ただただ、それが楽しい。

フィールドではリムグレイブとリエーニエあたりが、色々と密に詰まっていて探索する度に発見がある。一方で、禁城以降の巨人たちの山嶺や、聖別雪原はさっぱりしている。人が立ち入らない領域なので、これくらいがちょうどよいだろう。
ダンジョンとしては、ストームヴィル城やエブレフェールが楽しい。共に、縦方向に階層が伸びており「見えるけど行けない」構造なのが、探索欲をかき立てる。ストームヴィル城などは、面積は広くないのにまさに体積=ボリュームが大きくなっている点が興味深い。
小さなダンジョンも、単純な構造を繰り返していると見せかけて・・・・・・という構成もあるので、油断は禁物だ。

「律」の戦闘

戦闘も楽しい。8周してレベルカンストしても歯ごたえのある敵がゴロゴロしている。

戦術が多数用意されているのもあるが、同じボスでも異なる戦いになるため新鮮味がある。雑魚敵も戦ってもいいし、戦わなくてもいい。それぞれの状況で小さな目標ができ、それが楽しさに繋がっているように思う。例えば、特定の武器や魔術に祈祷のみで戦う、ダメージを受けない、サーチ・アンド・デストロイなどなど。

戦術は多種多様で、戦技や遺灰は特に強い。しかし、それを使ってもいいし、使わなくてもいい。マルチで戦ってもいいし、戦わなくてもいい。レベルだって上げてもいいし、上げなくてもいい。マルチを念頭に置くと、マッチしやすいレベル帯があるため、そのレベルでビルドを詰めていくことなる。そうでなくても、特定のレベルで自分なりのビルドを組み立てる楽しさがある。

色々な感想を見ると、多くのプレイヤーは自身で難易度調整をしているようだ。難しいと思えば、戦技やら遺灰やら、なんでも使えばいいし、レベルも上げればよい。遺灰を使わない、強い戦技を使わない、などのこだわりを貫くプレイヤーもいる。つまりは、プレイヤーそれぞれがプレイスタイルを「律」している。これは、物語や世界観の根幹である「律」にも通ずる。
エルデンリングにおける「黄金律」などの「律」は明確には語られないが、何ものかが強いたルールである。プレイスタイルは、プレイヤーが敷いたルールであり、これもひとつの「律」であろう。王になるためには「律」が必要で、それが体現されたとも言える。

私の場合は、敵が卑怯だなと感じることが多々あったので、こちらも卑怯なことをやってもいいだろうと開き直って戦技や遺灰を遠慮無く使うようにした。そうすると、戦闘がさらに楽しくなった。レベルをカンストさせてもルーンベアと直接対峙するのは躊躇するし、坩堝の騎士二体同時には相手にしたくない難易度ではある。

探索も「律」である

振り返ってみると、探索でも様々なマイルールを敷いている。初見の楽しみを求めて攻略サイトを見ないのもマイルールであり「律」だろう。周回すると方針を立てやすいが、これも「律」である。
雑魚との戦闘、フィールドでの採取、ちいさなダンジョンの探索と、大きめのダンジョンの攻略、そしてエルデの王=クリアと、大小様々なタスクが用意されているのもあり、要所要所でプレイヤーが大小様々な「律」を持てるようになっている。この「律」こそが、エルデンリングの楽しさの根幹にあるものだろう。