ジョジョリオンなんもわからん

連載が終了して最終巻を読んだが、なんもわからんかった。まとめて読めば分かるだろうと、一巻から読み直したものの、やっぱりなんもわからん。ただ、お陰でなにがわからんのかはわかった。

とにかかく岩人間がわからない。こいつらの諸々がよくわからないから、ジョジョリオン全体がよくわからんことになっている。岩人間をよくわからん存在として受け入れることはできる。ただ、そうすると彼らの目的がよくわからんくなる。人間としての富と名声を求めているようで、その点は人間として共感はできるのだが、翻って岩人間がそれを求める理由がよくわからない。
ラスボスである透龍の力の源泉もよくわからん。追えば厄災をもたらす能力は、厄災を避けるスティールボールランのラストの逆で、ラスボスに相応しい。けれども、スティールボールランはあの人の力あってのものだ。ジョジョリオンでは透龍個人の能力でしかない。

スタンド戦が複雑なのはいつものことで、原理は分からないが道筋はわかるようになっている。そこがジョジョの魅力だ。個別のエピソードは面白くて、その内容も理解できる。ロカカカはよく分からない植物ではあるが、定助たちの視点から見れば東方家やホリーの呪いを解くキーアイテムだ。ただ、岩人間がそれを求める理由がどうにもわからない。彼らは、ロカカカを自分たちのものと考えている用だが、特に根拠はない。精々、日本に輸入しているくらいなものだ。ただ、密輸入できるのも常敏によるところが大きい。
岩人間が富と名声を求めるのは人間として共感できるけども、岩人間にそれは必要用にも思えない。やはり、岩人間がわからない。

わからないのは仕方の無いことで、荒木先生も岩人間を我々とは異なる未知なる生物として描きたいのだと思う。ただ、そう考えると人間社会における富と名声を得ようとする行動原理がどうにもわからない。富と名声なんて、岩人間にしてみれば一時のものにしか思えない。もちろん、接ぎ木されたロカカカの実は新しい種の可能性を示しており、定助がまさにそれなんだけど、岩人間、すくなくとも透龍は新しい種になる気は無さそうだ。作中でロカカカの実を使ったけれども、それも止むに止まれぬ事情で、仕方なくといった感じだった。

定助と岩人間が対になっているのはわかる。どちらも戸籍がなくて、アイデンティティーがはっきりしない。ジョジョリオンは、定助がアイデンティティーを確立し、新しい居場所を作り出す物語だ。岩人間もそれを求めていた。岩人間は社会性の生き物ではないが、見た目が人間なので人間社会で生きたくなるのかもしれない。ただ、彼らが人間社会で生きるためには、法的かつ個人的な人間としてのアイデンティティーを確立する必要がある。他人の戸籍を乗っ取り、人間社会で生活していた。透龍は、ほぼほぼ富と名声を得ていた。でも、それは透龍のそれではなかった。それがダメだったのだろうか?新種のロカカカの実を得たとしても、透龍ではなく明負悟としての功績になるはずだ。透龍自身がどちらを求めていたのかよく分からない。明負悟の名声か、透龍自身の名声か。

岩人間を、二部に登場した柱の男達と似たような存在と考えることもできる。ジョジョシリーズは六部で世界が一周しているので、七部以降は一部から六部の世界とはパラレルワールドになっている。柱の男であるカーズの目的はエイジャの赤石を手に入れて究極生命体になることだ。わからんけど、なんかすごそうなのはわかる。柱の男達も、カーズの目標が究極生命体になることであって、種としてどうこうという話でもなかろう。

岩人間全体に目的があるのではなく、透龍個人、もしくは透龍を含めた岩人間が、富と名声が必要ということであろう。どのような富と名声が必要かは、岩人間ごとに異なっている。その中で、透龍が最も力を持ち超然としているように見えて、最も世俗を気にしている。結局の所は、岩人間が分からないというよりも透龍がよく分からないのだろう。この辺は、六部のプッチ神父の良くわからなさもあるが、神父はまだ生い立ちが分かる方だ。透龍に関しては、皆目分からない。そもそも、岩人間のため「共感」という手段も取れないし、心理的な分析も的外れであろう。結局、岩人間がよく分からないのだ。

ジョジョリオン東日本大震災を元にした物語である。岩人間の得体の知れ無さも、震災のような理解のおよぶ範疇にはないのだろう。そのくせに、人間の富と名声を求めるあたりが、余計によく分からない。
定助は自己のアイデンティティーを人間社会に確立できた。それは人間だからだろう。透龍や岩人間は常に誰かの影を利用することでしか人間社会にアイデンティティーを確立できなかった。透龍としてアイデンティティーを確立できていなかったことが、ジョジョリオンという物語における裏の駆動力だったのだろうか。