宮崎駿監督作品「君たちはどう生きるか」が分からんという感想が分からん

遅ればせながら「君たちはどう生きるか」を見てきました。なので、ネタバレありきで感想を書きます。

ちゃんと帰ってくる眞人

前情報が全くなく、インターネットでもネタバレが全然流れてこない。「分からなかった」という感想が多かったので、観念的な描写の多い作品なのかなと覚悟を決めて見に行った。

実際に見てみると、普通に分かりやすくて拍子抜けした。「崖の上のポニョ」や「ハウルの動く城」の方がよっぽど分からないと思う。「崖の上のポニョ」は子ども受けこそ良いものの、よくよく見ると分からない作品だ。「ハウルの動く城」は後半にかけてソフィーの心理描写と現実との境が曖昧になってくる。
この二作は、主人公が彼岸から帰って来ない。「崖の上のポニョ」のラストは死のメタファーとされるが、そういう意味での彼岸ではない。宗介は異類であるポニョと契約して、人間とは異なる生き方を選ぶ。
ハウルの動く城」におけるソフィーは、人間の世界に帰ってこなかったというよりも、元来魔女としての力を持っていたので本来の世界に戻ったと解釈するのが正しいかもしれない。その点で「魔女の宅急便」のキキに近い。ただし、キキは魔力を一旦喪失するため、物語上は本来の異なる世界からトンボを助けたい思いから、デッキブラシをきっかけに魔女としての世界に戻ってきている。

君たちはどう生きるか」の眞人は元の世界に戻ってきている。タイトルからしても戻ってきてくれないと困る。ただ、物語のヒキとしてはやや彼岸と繋がった状態ではある。

宮崎駿なんだから宮崎駿っぽいのは当たり前

のっけから火事の中を眞人が走るシーンがすげぇ作画で、これを手で描いてると思うと逆に笑えてきた。眞人が一旦寝間着で外に出た後にわざわざ服に着替えるシーンは普通だったら必要無いが、いかにもジブリというか宮崎駿っぽい。
屋敷の入口辺りは随分と適当な感じで描かれているものの、存在感があるのは流石の宮崎駿だなと感じた。
そもそも、宮崎駿作品なのだから、宮崎駿っぽいのは当たり前である。そこが、セルフオマージュっぽいと言われる所以ではなかろうか。

たとえば、下の世界の幻の帆船は確かに「紅の豚」や「風立ちぬ」っぽいけども、宮崎駿が好むこの世とあの世のメタファーでしかない。
森のトンネルは「となりのトトロ」ではあるものの、異界への入口としてはありがちな表現だ。
個人的には、キャノピーを運ぶ様子はナウシカ王蟲を思わせたが、相変わらずに飛行機が好きなだけだろう。むしろ、飛行機があんまり出なかったのは「風立ちぬ」で満足したからだろうか。

家族の物語

私は家族の物語として受け止めた。眞人とナツコが互いを受け容れる話。アオサギの扇動と先導により、使用人となるキリコと眞人の母となるヒミ、つまり過去との絆から眞人がナツコを受け容れる話でもある。その逆でもある。ヒミが母となった物語でもあろう。
属人性によった解釈も可能であるが、個人的には好きではない。

宮崎駿最新作『君たちはどう生きるか』を理解できなかった人のためのネタバレ謎解き。+おまけ記事30000文字。|海燕 における、友達ができたとう解釈は好きだ。

分かりにくさと共に解釈の幅を広げている要因は、先にも述べたがメタファーの多さ。下の世界そのものが生と死のメタファーから成り立っている。大叔父が創造したのではなく、石の力を間借りしているに過ぎないが。
そして、現実と非現実の境目が曖昧である。眞人が自身の頭を石で傷つけるとスゴイ勢いで血が噴き出すが、それが現実なのか彼の主観なのか。アオサギで木刀と戦ったのは夢か幻か。ヒミがパンに塗ったジャムで口を汚すのは大げさな表現ながら現実のような気もするが、そもそも下の世界の出来事は現実であろうか。
さらに、登場人物が多くを語らない。眞人は学校で子ども達となんらかのコミュニケーションをとってはいるがセリフはない。似たような描写はアオサギと共に大叔父を探すシーンなどでも出てくる。
表情だけの演技も多い。ナツコが寝ている眞人を見つめる目から読み取れる感情はハッキリとはしない。受け容れるかどうか揺れ動いているだろうから、後の描写からしても「ハッキリとはしない」のも当然と解釈できる。
眞人が自らを傷つけた理由を「悪意」と語るが、その解釈も多様である。

例外は眞人の父親であるショウイチでよくしゃべる。しかし、彼は物語上で異質な存在である。屋敷はヒサコの生家であろうし、大叔父とは血のつながりがない。

キリコいいよね

キャラクターとしてはどうしたって柴咲コウが好きなのでキリコが好きだ。若いときっぷうがいいのに、なんで婆さんになるとあんな卑しくなるのか。ヒサコであるヒミも下の世界の記憶がないことからキリコも同様に忘れてしまったのだろう。
上下の世界におけるキリコの違いは年齢もあるが、役割の違いもあるだろう。下の世界に迷い込んだモノには何らかの役割が与えられる。アオサギや登場しなかった鍛冶屋は恐らく人間だが、ペリカンやインコも外部から取り込まれたモノ達だ。

大叔父が意図した眞人の役割は継ぐモノであるが、それは同時に世界を破壊するモノでもある。ナツコは眞人を呼び寄せるモノと同時に継ぐモノを産む役割も担っていたはずだ。

セオリー通りのジブリ宮崎駿作品

ジブリにおける宮崎駿作品は、基本的に主人公が彼岸に旅立ち帰ってくる話である。例外としては「崖の上のポニョ」や「ハウルの動く城」などがある。個人的に、この二作を分かりやすくは感じない。「君たちはどう生きるか」はセオリー通りの作品だ。もちろん、メタファーの多様や現実と非現実の曖昧さに、セリフの少なさが「わかりにくい」部分ではある。それと同時に解釈にかなりの幅を持たせている。
私は家族、特に眞人とナツコの物語だなと感じる部分が多かった。ただ、何度か見る内に違う感想も抱くようになるだろう。これは、過去の宮崎駿作品でも同じだ。何度も見たくなく、何度も見れる作品だからこそ。