「笑う」と「笑み」と「お笑い」

赤ちゃんをあやす際に、おかしな顔をします。おかしな顔をすると赤ちゃんは笑うのですが、どうして笑うのでしょうか?赤ちゃんに聞いて見ないと本当のことは分かりませんが、我々もにらめっこをして相手の変な顔を見て笑うように、顔がおかしいから笑うのです(当たり前ですけど)
つまり、「本来顔はこうあるべし」、という我々の持つ共通の認識から外れているから笑うのですが、あまりに逸脱するとそれがおそれになってしまうのですが。

「お笑いタレント」を「芸人」と言うように、元来「芸」によって人を笑わせていたのですが、「芸」に関してもあまりにすご過ぎると「笑い」ではなく「関心」が生まれてしまいます。例えば、マギー司郎がミスターマリックのようなマジックをしたら、如何にあの喋りといえども笑いは半減し、マジックのすごさに関してしまうでしょう。


ところで「笑う」と言う行為は自発的な「笑み」と異なり「相手」が必要です。「相手」がおかしいから、変だから笑うのです。これぞ「お笑い」の基本であります。最も根源的な笑いとしては、相手が愚かな、つまり自分が上の視点である「嘲笑」だと僕は思うのです。この根源的な「笑い」のために、「笑い」は相手に礼を逸する行為で「笑い」とは低俗なものだ、ひいては「お笑い」番組が低俗であるという烙印を押されるのですが、これは決して消えることの無いものだと思います。


この「嘲笑」の「お笑い」として代表的なものが「どっきり」や「いたずら」なのだと思います。これは誰にでも笑える番組だと思いますが度が過ぎると、厭らしくなり見てる側としては良い気分ではありません。