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死人の視点で見る「おおかみこどもの雨と雪」

昨日、おおかみこどもの雨と雪を見てきた。今日なら1日で映画の日なので1,000円で見られたことに気が付き公開したのはヒミツだ。
綺麗な映画であり、アニメ好きで語るのが好きなら見て損はないと思うが、面白いですよ!と万人に薦めれられる映画ではない。見た後に、どう考えるかも楽しみの一つであるので、むしろ事前に感想を読んでおいた方が消化しやすいかもしれない。
私は、公開前から、富野由悠季:「おおかみこどもの雨と雪」を異例の大絶賛 を読んだりツイッター上で見てないくせに見た人の感想に絡んだりしていた。そのため、突っ込みどころをある程度把握しており、その点をすんなり処理できたので、逆に素直に楽しめたかなと感じている。


突っ込みどころとしては、花ちゃんが超人過ぎるところとか、そんな簡単に村社会に受け入れられないだろとか色々ある。村に関しては、韮崎のじいさんが認めた点が村に受けいられた大きな理由じゃないかなぁと思うのだ。また、村で雨と雪のヒミツを共有した場合、村で受け入れられる過程を経て、おおかみこどもが人間社会にどのように受け入れられていくかが話の争点になってしまうだろう。花が自然分娩を決断したことや、彼であるおおかみおとこの結末から考えると、花はおおかみこどものヒミツを他の人間に打ち明けることはないだろう。なぜならば、人間が彼であるおおかみおとこを殺したのだから。そこが花のエゴであり、雨と雪を苦しめる点なのだけど。


おおかみこどもの雨と雪は誰の目線で見るか、登場人物の誰を主人公、主役と見るか、また見る人の立場で大きく印象が変わる。個人的には、母親が見たらどう思うのかなというのが一番気になっている。
前作のサマーウォーズも誰を中心に据えるか、誰の物語とするかが解釈のポイントであった。例えば、ネタバレ『おおかみこどもの雨と雪』評 - ハックルベリーに会いに行く でハックル先生は母親である花を主人公であると見ていたが、見終わった後に雨と雪が主人公であったと考えている。物語の語り手が雪であるし、雨と雪の成長する物語で、タイトルにもなっている子どもたちが主人公であると考えるのは当然だろう。
しかし、劇中では花からの視点が非常に多い。アパート内で雨と雪を育てている視点はその殆どが花である。この点は、語り手である雪が母親である花から聞いたからではあろうが、花も主人公として描こうとしていると解釈できるだろう。監督が意識しているかは分からないが、視点がバラけることで、結果的に誰の目線からでも物語を見られるようになっている。
例えば、『おおかみこどもの雨と雪』が黒ロン映画だった - 水星さん家 のように雪のみを着目する見方もありだし、非常に面白い。僕としては、是非雨ちゃんに「大丈夫」してあげたい。


見終わった後に、自身が誰目線で見たかをじっくり考えた。世代的に花の彼であり夫、雨と雪の父であるおおかみおとこ視点で見ていたように思われる。おおかみおとこは途中で死んでしまうが、おおかみおとこは死人である。雨と雪の成長には介入できない。花は必ずしも良い母親とはいえないかもしれない。決して、賢い母ではないかもしれない。しかし、おおかみおとこは母である花を信じている。だから、雨と雪の成長を安心して見守ることができる。物語に介入できず、見守るだけなのは観客も同じだ。死んでしまったおおかみおとこの視点が最も観客に近いのではないかな。そう考えると、自分の中で腑に落ちた。
最終的に、雨と雪の選ぶ道は別々になる。この道は、父であるおおかみおとことも異なる。雨が男らしく育ち、そして雪が可愛く育ったのは父親冥利に尽きる。だから、僕は見終わった後にすっきりしたのだろう。


最後に、花とおおかみおとこの出会いは一橋大学であるらしい。『おおかみこどもの雨と雪』関連感想メモ(大学周辺逆ロケハン付) - Togetter にて映画で実際に出てきた場所や店の写真があるので興味ある方はチェックしてみては。