「寝取られ」を認知できない人へのバハムートラグーン

OTAPHYSICABLOG:「寝取られ」の醍醐味 において「寝取られ」を認知できない人はどうすれば「寝取られ」を体感できるのかが語られている。「寝取られ」を体感する方法としては、ゲーム、特にバハムートラグーンが有用であろう。
「寝取られ」に目覚めた人の中には、ゲームにより体感した人が一定数いるのではないだろうか。

寝取られ認知障害

ジョンがヘンリーによってサムを寝取られたとしよう。このシチュエーションが「寝取られ」になるのは、物語の受け手がジョンを主人公と見なすかぎりにおいてである。ヘンリーが主人公であれば、それは「寝取られ」ではなく「寝取り」になってしまうだろう。

登場人物が全員男であることはこの際置くとして、物語の受け手が寝取られる側に感情移入できなければ、寝取らを体験することはできない。寝とりと寝取られの物語において、常に寝取り側に立つ、つまり「寝取られ」ではなく「寝とり」として認知する人は、寝取られを理解出来ない。

「寝取られ」は文字通り「られる」ことがポイントである。「られる」側に自分を置く必要があるが、主人公が寝取られたからと言って必ずしも受け手が「寝取られ」を体験できるわけではない。受け手を寝取られる側に感情移入せざる得ない状況に置かなくては、寝取られを体感させることはできない。
主人公の好きだった相手が自分以外と付き合うとか、浮気や不倫によりパートナーと別れるなどという物語がある。しかし、それらの物語が必ずしも「寝取られ」の体感を伴なうわけではない。前者は青春の物語であり、付き合えなかったほろ苦さなどに味わい深い面がある。主人公は他の相手を付き合って幸せになりましたという結末もあり得る。
後者は、他人の不幸は蜜の味であり、不倫される側を客観視する必要がある。主人公が愚かで、三行半を突きつけられて当然の人物として描かれる場合もあれば、逆にパートナーがどうしようもなく愚か者で別れてよかったという話もある。不倫相手が不幸になる話も少なくない。
このように、通常の物語において「寝取られ」を体験するのはなかなか難しいのではないかと考えられる。

寝取られとゲーム体験

「寝取られ」体験は、寝取られる側と同化するほど感情移入しなければ体感できない。「どうして寝取られなければならないんだ!」と憤ることができなければ、「寝取られ」を体験したとは言えない。もう一度書くが、寝取られを受け手に実感させるには、受け手を寝取られる側に感情移入せざる得ない状況に持って行く必要がある。

寝取られを強制的に体験する、つまり寝取られる側に感情移入するにはゲームとして、主人公=操作キャラが寝取られを体験すればいい。その一つがバハムートラグーンである。
バハムートラグーンとはSFC末期にスクウェアより発売されたシミュレーションRPGである。王国に仕える主人公のビュウとその国の王女ヨヨは幼なじみである。ゲーム開始時は、二人は仲睦まじく二人で訪れると将来結ばれるという教会にも行くほどの恋人として描写されている。それ故に、プレイヤは操作キャラたる主人公のビュウとヨヨは結ばれるのだろうと予測する。お約束として、王女たる、そしてドラグナーとして大きな力を持つヨヨは敵国によりさわられる。マリオにおけるピーチ姫のように、愛すべきヨヨを取り戻すことがプレイヤのモチベーションになるわけだが、いざヨヨを助けてみると彼女は敵国の大将であるパルパレオスと良い仲になっている。プレイヤはヨヨに対して裏切られたと感じる。主人公であるビュウは、つまりプレイヤはヒロインだと思っていたヨヨを敵国のパルパレオスに寝取られたわけである。この時、男性のプレイヤならば「寝取られ」側に立たざる得ないだろう。なぜなら、主人公ビュウは自分が操作するキャラクターなのだから。
その後パルパレオスが仲間となり、ストーリーに置いてもヨヨとパルパレオスの二人が支えあう描写が見られ、序盤でヨヨに感じた恋心をヤキモキさせながらゲームを進行していくという何とも思い出に残るゲームである。

ゲームの特徴、そして面白さは、主人公、あるいは操作キャラクターの体験をプレイヤ自身が感じた体験だと思わせる点にある。ドラクエで主人公が攻撃されると、痛くもないのに「イテッ」と叫ぶことがある。レースゲームをすると自分の体が傾く。FPSで高いところから飛び降りるとスーっとした気分になる。塊魂をやっていると眼に見えるものを巻き込みたくなるなどなど。それは「寝取られ」も同じ。「寝取られ」を実感、そして寝取られ属性に目覚める要因の一つとして「ゲーム」が果たした役割は大きいのではないだろうか。

終に変えて ヨヨは悪女か

ヨヨはスクウェア三大悪女に奉られるほどに、悪い女として知られるが、彼女は悪女と蔑まれる程の悪い女ではない。むしろ純粋な女の子であり、ドラグナーとしての責務を背負った可哀想な子でもある。後半では、芯の強い女性となっている。主人公と再会できる保証もない囚われの身に置いて、敵対する立場にありながら親身になってくれた相手を好きになるのは仕方のないことだろう。幼き頃に交わした約束を反故にして主人公と決別する様は、少女から女性への、そしてドラグナーとしての成長と解釈できる。
ヨヨは悪くないない。悪いのはヨヨの名前を変更可能にした制作側である。好きな子の名前を入れてしまった人もいるだろうし、名前を変えずにプレイした人も名前を変えられないキャラクターよりも感情移入したはずだ。ヒロインの名前を変更可能なスクウェア作品として聖剣伝説1もある。聖剣伝説1は変えられることがエンディングに深みを持たせているのに対して、バハムートラグーンの場合は主人公以外の男性と良い仲になり、主人公はヒロインを親身になって支えることができない。バハムートラグーンにおいて、ヒロインの名前を変更できるのは意地悪の演出だと言わざるえない。それ故に、強制的に「寝取られ」を体験できるゲームではあるのだけど。

ちなみに、スクウェア三大悪女とは、魔界塔士サガのミレイユ、ライブ・ア・ライブアリシアバハムートラグーンのヨヨである。三人とも、何らかの形で主人公を裏切っているが、そうせざる得なかった面があり、哀しき女性たちとも言える。ミレイユの代わりにFF8のリノアが入ることもありますが、リノアさんなんてタダのお嬢様じゃないですか。

寝取られ属性、あるいはNTRとも書かれるが、なかなかニッチな属性である。私は寝取られを体感できるけども、寝取られ属性は無いので何が良いのかは分からない。寝取られたことでキュンキュン来るのが良いのだろうか。一種のマゾで、自虐もあり寝取られたパートナーに対してもキュンキュン来るのが良いのだろうか。
ただひとつ言えるのは、寝取られを体感するきっかけとして、ゲームの要素は大きいのではないかということだけである。