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走れひよこまんじゅう

ひよこまんじゅうは激怒した。必ずかの邪知暴虐の東京を除かなければならぬと決意した。ひよこまんじゅうには政治がわからぬ。ひよこまんじゅうは、福岡の銘菓である。頭から食べられたり、皮だけ剥がされたりしてきた。けれども邪悪に対しては、菓子一倍に敏感であった。きょう未明ひよこまんじゅうは博多を出発し、関門海峡を越え長い長い静岡越え、1000kmはなれた此の東京の駅にやって来た。ひよこまんじゅうには父も、母も無い。女房も無い。ひよこサブレーのセットがお得である。他には、羊羹にモナカ、カレーせんべいも人気だ。ひよこ形以外の洋菓子から和菓子まで取りそろえている。近々、東京オリンピックがもう一度行われるということだ。それゆえ、ひよこまんじゅうは、営業のためはるばる東京にやって来たのだ。先ず、浪漫鉄道いい日旅立ち、AMBITIOUS JAPANを聞き終わって、ホームに降り立った。ひよこには竹馬の友がいた。東京たまご ごまたまごである。キャラメルたまごに始まり、プリン、ロール、そしてクッキーまである。その友を銀座に訪れてみるつもりなのだ。久しく逢わなかったから、訪ねて行くのが楽しみである。歩いている内に、ひよこまんじゅうは駅ナカの様子を怪しく思った。なんだかた歓迎されいないムードなのだ。平日の帰宅ラッシュで、家路に急いでいる人が多いのは当たり前だが、なんだが人々から向けられる眼差しに好奇心がない。のんきなひよこまんじゅうも、段々不安になって来た。路であった東京カンパネラとばな奈をつかまえて、何があったのか、以前の東京オリンピックに来たとき、ひよこまんじゅうは物珍しがって見られたものだがと、質問した。東京カンパネラは首を振って答えなかった。しばらく歩いてとらやに逢い、こんどはもっと語勢を強くして質問した。とらやは答えなかった。ひよこまんじゅうは無い両手でとらやをぷるぷるゆさぶって質問を重ねた。とらやは、あたりをはばかる低声で、わずかに答えた。
「東京は、奪います。」
「なぜ奪うのだ。」
「名物がない、というのですが、名物ばかりでございます。」
「たくさん奪ったのか。」
「はい、はじめは草加煎餅を。それから、鳩サブレを。それから、文明堂を。それから、東京新国際空港を。それから東京ディズニーランドを。それから、東京ドイツ村を。」
「おどろいた。都は乱心か。」
「いいえ、乱心ではごさいませぬ。売れるのだ、というのです。このごろは、ありとあらゆるものを東京に集めて、地方や海外でちょっと有名な店舗は、支店を出すことを命じて居ります。御命令を拒めばフェスを開かせ、行列を作らせて、従業員を忙殺させます。きょうは、六店舗死にました。」
聞いて、ひよこまんじゅうは激怒した。「呆れた都だ。生かしては置けぬ。」
ひよこまんじゅうは、単純な銘菓であった。袋に包まれたままで、東京駅ギフトガーデンにはいって行った。たちまちひよこは、試食の波状攻撃にあった。懐具合を探られ、ひよこまんじゅうの中からは白あんが出て来たので、騒ぎが大きくなってしまった。ひよこまんじゅうは、東京の前に引き出された。
「この白あんで何をするつもりであったか。言え!」 暴君二十三区は静かに、けれども足立区以外は威厳を持って問い詰めた。その東京の顔は緑の銀杏で、皇居の堀は、刻み込まれたように深かった。
「土産物を暴君の手から救うのだ。」とひよこまんじゅうは悪びれずに答えた。
「お菓子がか?」都は、おかしがった。「仕方の無い奴じゃ。おまえには、東京に名物なしがわからぬ。」
「嘘だ!」とひよこまんじゅうは、いきり立って反芻した。「他人のものを奪うのは、最も恥ずべき悪徳だ。都は、地方の資源を吸い取って居られる。」
「奪うのが、正当な心構えなのだと、わしに教えてくれたのは、ふるさと納税だ。好景気を望んでいるのだが。」
「なんの為の景気回復だ。自分の税をタックスヘイブンする為か。」こんどはひよこまんじゅうが嘲笑した。「他人のものを奪って、何が好景気だ。」
「だまれ、下賤の菓子。」東京は、きっとタワーを挙げて報いた。「ツリーではどんな清らかな事でも言える。わしには、某ビール会社のアレがアレに見え透いてならぬ。おまえだった、いまに、福岡銘菓でなくなってから、泣いて詫びたって聞かぬぞ。」
「ああ、都は悧巧だ。自惚れているがよい。ひよこは、ちゃんと名を奪われる覚悟で居るのに。命乞いなど決してしない。ただ、――」と言いかけて、ひよこまんじゅうは無い足下に視線を落し瞬時ためらい、「ただ、ひよこに情をかけたいつもりなら、処刑まで三日間の賞味期限を与えてください。ひよこは福岡でマイスターにサブレを焼かせ、必ず、ここへ帰ってきます。」
「ばかな。」主に世田谷区は、嗄れた声で低く笑った。「とんでもない嘘を言うわい。逃がしたひよこが帰って来るというのか。」
「そうです。帰ってくるのです。」ひよこは必死で宣伝した。「ひよこは約束を守ります。ひよこを三日間だけ許してください。サブレーが、焼き上がりを待っているのだ。そんなにひよこを信じられないならば、よろしい、銀座にごまたまごという土産があります。ひよこの無二の友人だ。あれを菓子質としてここに置いて行こう。ひよこの賞味期限が切れてしまって、三日目の日暮れまでに、味が持たなかったら、あのごまたまごから、東京を剥奪して下さい。たのむ、そうして下さい。」
それを聞いて荒川区は、残虐そうな気持ちで、そっとそっと北叟笑んだ。生意気なことをいうわい。どうせ切れるに決まっている。この嘘つきひよこに騙された振りをして、出荷してやるのも面白い。そうして身代わりのごまたまごを、三日目に喰らってやるのも黄身がいい。中の黒ゴマあんが絶品であると、わしは美味しそうな顔をして、その身代わりのごまたまごを喰らってやるのだ。世の中、食いしん坊とかいう奴輩にうんと見せつけてやりたいものさ。
「願いを、聞いた。その三時のおやつを呼ぶが良い。三日目には日没までに帰って来い。おくれたら、その身代わりから、東京を剥奪し喰らうぞ。ちょっとおくれて来るがいい。腐りかけがうまいともいうしな。」
「なに、何をおっしゃる。」
「はは。福岡銘菓の冠が大事だったら、おくれて来い。おまえの心は、わかっているぞ。」
ひよこまんじゅうは口惜しく、地団駄踏もうとしたが踏めなかった。ピヨピヨと鳴くことも出来なかった。
東京たまご ごまたまごは、深夜に召された。暴君二十三区の面前で、二年ぶりに相逢うた。ひよこまんじゅうは、ごまたまごに一切の事情を語った。ごまたまごは首は無いが無言で首肯き、ひよこまんじゅうをひしと抱きしめられなかった。お菓子とお菓子の食べ合わせとしてどうなのか。ごまたまごは包装が解かれた。ひよこまんじゅうは、すぐに出発した。初夏、満天の星は街の明かりで見えなかった。

ひよこまんじゅうはその夜、寝台車で帰郷したかったが廃線となったので、仕方なく1000kmの路をキングオブ深夜バス博多号で急ぎ急いで、福岡に到着したのは、翌る日の午前、陽は既に高く昇って、職人たちは工場に出て仕事をはじめていた。ひよこのサブレーも、きょうはまんじゅうの代わりに売れに売れていた。博多号にやられたまんじゅうの、疲労困憊の姿を見つけて驚いた。そうして、サクサクとひよこまんじゅうに質問を浴びせた。
「なんでも無い。」ひよこまんじゅうは無理ににわかせんべいのように笑おうと努めた。「東京に用事を残してきた。またすぐに東京に行かなければならぬ。あす、おまえをマイスターに焼いて貰う。早いほうがよかろう。」
サブレーは程よい焼き目が付いた。
「うれしいか。良質な北海道バターも仕入れてきた。さあ、これから行って、広報の人たちに知らせて来い。お披露目は、あすだと。」
ひよこまんじゅうは、また、よろよろと歩き出し、店へ帰って商品陳列棚を飾り、プレスリリースの席を調え、間もなく床に倒れ伏し、元から呼吸はしないが呼吸をせぬくらいの深い眠りに落ちてしまった。
眼が覚めたのは夜だった。ひよこまんじゅうは起きてすぐ、マイスターの家を訪れた。そうして、少し事情があるから、焼き上がりを明日にしてくれ、と頼んだ。マイスターのエベナウワー氏は驚き、それはいけない、こちらには未だになんの支度も出来ていない。ホークス優勝の季節まで待ってくれ、と答えた。ひよこまんじゅうは、待つことは出来ぬ、どうせまたクライマックスシリーズで敗退するのだ、どうか明日にしてくれ給え、と更に押して頼んだ。マイスターのエベナウワー氏も頑強であった。なかなか承諾してくれない。夜明けまで議論をつづけた、やっと、どうにかマイスターをなだめ、詫び石を与え、説き伏せた。お披露目は、真昼に行われた。オーストリアの洋菓子職人で最高の称号であるマイスターをもつエベナウワー氏の力と、厳選された北海道バターと独自ブレンドの小麦により、さっくりとした食感のサブレーが出来上がった。コンセプトの紹介が済み試食が始まろうというころ、黒雲が空を覆い、ぽつりぽつりと雨が降り出し、やがて公共交通機関を麻痺させるような大雨となった。お披露目に列席していた報道関係者たちは、何か不吉なものを感じたが、それでも、めいめい気持ちば引き立て、狭い広報室の中で、むんむん蒸し暑いのも怺え、陽気にサブレーを食べ、楽しんだ。ひよこまんじゅんも、満面に小麦色を湛え、しばらくは東京都のあの約束をさえ忘れていた。お披露目は、夜に入っていよいと乱れ、乾杯には焼酎やなく、やっぱビールですもんね、口がビールになっとりますけんねぇと、外の豪雨を全く気にしなくなっていた。ひよこまんじゅうは、売れ残るのは本意では無いが一生このままここにいたい、と思った。この佳い人たちと生涯暮らして行きたいと願ったが、いまは、自分のブランドであって、自分のものでは無い。結局立体商標はとれなかった。ままならぬ事である。ひよこまんじゅうは、わが身に鞭打つと崩れるかもしれぬが、ついに出発を決意した。あすの日没までには、まだ十分の刻の涙が見える。ちょっと一眠りして、それからすぐに出発しようと、フラグを立てた。その頃には、公共交通機関も復活していよう。少しでも永くこの店に愚図愚図になるまでどまっていたかった。ひよこまんじゅうほどの売れ筋にも、やはり未練の情というものは在る。今宵呆然、さっくりと焼き上がったサブレーに近寄り、
「おめでどう。私は疲れてしまったから、ちょっとご免こうむって眠りたい。眼が覚めたら、すぐに東京に出かける。大事な用事があるのだ。私がいなくても、もうおまえにはマイスターがあるのだから、決して寂しいことは無い。ひよこまんじゅうの、一ばんきらいなものは、奪う事と、それから、偽装することだ。おまえも、それは、知っているね。お客様との間に、どんな秘密を作ってはならぬ。おまえに言いたいのは、それだけだ。ひよこまんじゅうは、たぶん銘菓なのだから、おまえもその誇りを持っていろ。」
サブレーは、夢見心地で首肯いた。ひよこまんじゅうは、それからマイスターの肩をたたいて、「仕度の無いのはお互い様さ。福岡限定商品だってあるのだ。他にはどこにもない。ひよこの仕事を手伝ってくれたことを誇ってくれ。」
マイスターを揉み手して、てれていた。ひよこまんじゅうは笑って人々にも会釈して、お披露目から立ち去り、赤いレトロな卵形パッケージにもぐり込んで、出荷前のように深く眠った。

眼が覚めたのは翌る日の薄明の頃である。ひよこまんじゅうは跳ね起き、ブラックジャックのように、南無三、寝過ごしたか、いや、雨で新幹線や飛行機のダイヤは乱れているが、まだまだ大丈夫、これから高速道路をすっ飛ばせば、約束の刻限までには十分間に合う。きょうは是非とも、あの東京に、銘菓のブランド力とやらろ見せてやろう。そして笑って皿に上ってやる。ひよこまんじゅうは、悠々と身支度をはじめた。雨も、いくぶん小降りになっている様子である。高速道路は利用出来そうだ。さて、ひよこまんじゅうは無い両腕をぶるんと大きく振るって、雨中、矢の如く車を飛ばした。ただし、交通ルールをきちんと守った上で。

ひよこは、今宵、奪われる。ブランドを奪われる為に走るのだ。走らなければならぬ。東京の奸佞邪知を打ち破るために走るのだ。車を走らさねばならぬ。そうして、ひよこは奪われる。若いときから銘菓を守れ。さらば、ふるさと。老舗ひよこは、つらかった。幾度かPAにとどまりそうになった。キンコン、キンコンとアラームを鳴らしながら走らせた。博多を出て、ふぐの門司を横切り、空気の山口をくぐり抜け、もみじまんじゅうの広島に着いた頃には、雨も止み、日は高く昇って、そろそろ暑くなって来た。ひよこは、窓をくるくるハンドルを回して開け、中国地方まで来ればもう大丈夫、もはや故郷への未練は無い。サブレーたちは、きっと良いパートナーになるだろう。ひよこまんじゅんには、いま、なんの気がかりも無い筈だ。まっすぐ東京へに行き着けば、それでよいのだ。そんなに急ぐ必要も無い。ゆっくり運転しよう、と持ち前のフラグ気質を取り返し、好きなミクをゆっくりボイスで歌い出した。ぶらぶらPAによりながら20㎞行き30㎞行き、そろそろ全行程の半ばに到達した頃、降って湧いた災難、ひよこまんじゅうのアクセルは、はたと、とまった。見よ、前方の大阪を。パチものが氾濫し、ばったもん滔々と鶴橋に集まり、難波橋を破壊し、どうどうと響きあがる虎ファンが、木端微塵にケンタッキーの人形を跳ね飛ばしていた。ひよこは茫然と、立ちすくんだ。あちこちを眺めまわし、また、声を限りに呼び立ててみたが、面白い恋人や、サザエボン、アジデス、フランク三浦など、オリジナルの影もなく、悪びれた様子もない。調子はウナギ上りで、フランクミューラーの商標差し止めは認められなかった。まんじゅうは川岸にうずくまり、ひよこ泣きながら石坂茂に手を挙げて懇願した。
「ああ、鎮めたたまえ、荒れ狂うパチもんの流れを、吉野堂の二代目よ!賞味期限は刻々と迫っていきます。太陽も既に真昼時です。あれが沈んでしまわぬうちに、東京に行き着くことができなかったら、あの佳いごまたまごの東京の名が奪われしまうのです。」
ばったもんは、ひよこをせせら笑う如く、ますます激しく河内弁をましくしたてる。浪花節だよ、女の女の人生は。今はひよこも覚悟した。ばったんもんの荒波を渡りきるしか他に無い。ああ、二代目も夢に見た!夢の中にあらわれたひよこを形にしたのだ。ばちもんのも負けぬ、黄身と餡の偉大な力を、いまこそ発揮して見せる。ひよこは、ざんぶと流れに飛び込み、大阪のおばちゃんのようにのた打ち荒れ狂うばったもんを相手に、必死のセールスを開始した。満身の味を皮にもこめて、押し寄せ渦巻き足を引っ張る流れを、なんのこれしきと掻きわけ掻きわけ、目の不自由な方めっぽうひよこ奮迅の姿には、大阪商人も心を打ったか、ついに憐愍を垂れてくれた。京都に立ち寄りつつも、見事、関ヶ原を抜け、三重に辿り着く事が出来たのである。ありがたい。まんじゅうはひよこのようにちいさな胴震いを一つして、すぐに新幹線に乗り継ぐべく、先を急いだ。一刻といえども、むだには出来ない。陽は既に西に傾きかけている。赤福の攻勢を受けながら、看板を見切れ、見切って、ほっとした時、突然、目の前に名古屋が躍り出た。
「待て。」
「何をするだ。私は陽の沈まぬうちに東京へ行かなければならぬ。HA・NA・SE。」
「どっこい放さぬ。商標に製法まで全部を置いていけ。」
「ひよこにはブランドの他には何も無い。その、たった一つのブランドも、これから東京にくれでやるのだ。」
「その、ブランドが欲しいのだ。」
「さては、東京の命令で、ここでひよこを待ち伏せていたのだな。」
名古屋は、岐阜の天むす、浜松のひつまぶしを使って襲いかかった。ひよこはひょういと、お手玉のようにかわして、飛鳥の如く名古屋に襲いかかり、
「気の毒だがサトウハチローのためだ!」と猛然一撃、たちまち、三県を殴り倒し、残りの静岡の道程も、富士山を横目に通り過ぎた。一気に箱根の峠も駆け下りたが、山の神でもないので、流石に疲労し、折から午後の紅茶がまともに、かっと温くなって来て、ひよこは幾度となく日持ちに不安を感じ、これではならぬ、と気を取り直しては、よりよろこだまに乗り換えてしまい、ついに、東海道線に下った。各駅停車なのだ。切符をSuicaに持ち替え、くやし泣き出した。ああああ、ばったもんをはねのけ、名古屋の横暴をも打ち倒し韋駄天、ここまで突破して来たひよこよ。福岡の銘菓、ひよこよ。今、ここで、乗り継ぎに失敗するとは情けない。ごまたまごは、ひよこを信じたばかりに、やがて東京を剥奪されなければならぬ。ひよこは、希代の信用毀損、まさしく東京の思う壷だぞ、2ちゃんねるではないぞ、と自分を叱ってみるのだが、全身萎えて、ローカルバスの旅の蛭子能収ほどにも前身かなわぬ。神奈川県の町田にごろりと寝ころがった。原材料高騰すれば、利益も共にやられる。もう、どうでもいいという、銘菓に不似合いな不貞腐れた根性が、白あんの隅に巣喰った。ひよこは、西村京太郎の時刻表トリックばりに努力したのだ。フラグを立てる心は、みじんも無かった。二代目も照覧、ひよこは精一ぱいにブランドを確立してきたのだ。町田まではやってきたのだ。ひよこは不信のブランドでは無い。ああああ、できる事なら私の皮をを截ち割って、真っ白なあんをお目に掛けたい。砂糖と隠元豆と卵黄からできているこの黄身餡をみせてやりたい。けれども、ひよこはこの大事な時に、独自製粉の小麦粉が尽きたのだ。ひよこは、よくよく不幸な菓子だ。ひよこは、きっと笑われる。ひよこの吉野堂も笑われる。ひよこはごまたまどを欺いた。中途で食べきらないのは、はじめから食べられないのと同じ事だ。ああああ、もう、どうでもいい。これが、ひよこの定まった木型なのかもしれない。ごまたまごよ、ゆるしてくれ。ごまたまごは、東京銘菓として名をはせた。ひよこも福岡銘菓としてがんばった。私たちは、たまごとひよこで本当に良い取り合わせであったのだ。いちどだって、ごまたまごの黒いゴマ餡とひよこの白あんを、お互いに中身に宿したことは無かった。いまだって、たまごはひよこを無心に待っているだろう。ありがとう、ごまたまごよ。よくもひよこを信じてくれた。それを思えば、たまらない。おいしいという笑顔は、この世で一ばん誇るべき宝なのだからな。ごまたまご、ひよこは無い足で走ったのだ。ごまたまごを欺くつもりは、みじんも無かった。信じてくれ!ひよこはダレを均一に焼き上げるために考え抜かれた形なのだ。ばったもんを撃退した、名古屋の囲みからも、するりと抜けて、箱根の峠を駈け降りて来たのだ。山の神くらいにしかできぬ。ああ、この上、ひよこに望み給うな。賞味期限まで放って置いてくれ。どうでも、いいのだ、ひよこは廃棄されるのだ。だらしが無い。笑ってくれ。東京はひよこに、ちょっとおくれて来い、と耳打ちした。おくれたら、身代わりから東京を剥奪して、ひよこを宣伝してくれると約束した。ひよこは東京の卑劣を憎んだ。けれども、今になってみると、ひよこは東京の言うままになっている。ひよこは品薄商法をとるだろう。東京は、ひとり合点してひよこを笑い、そうして事も無くひよこを不正な価格で転売するだろう。そうなったら、ひよこは死ぬよりつらい。ひよこは、永遠に福岡の裏切り者だ。九州で最も、不名誉の土産だ。ごまたまごよ、ひよこも死ぬぞ。ごまたまごと一緒に死なせてくれ。ごまたまごだけはひよこを信じてくれるに違いない。いや、それも私の、ひよこよがりか?ああああ、もういっそ、転売業者として中国から爆買いされようか。福岡なら中国も近い。マイスターは、ひよこまんじゅうを追い出すような事はしないだろう。材料だの、食感だの、味だの、考えてみればくだらない。胃の中に入ったらすべて同じだ。働かざる者食うべからず。それが人間世界の定法ではなかったか。ああああ、なんでRPGの主人公の名前を考えなくちゃいけないんだ。ばかばかしい。ひよこは、酷い裏切り者だ。どうとも、勝手にするがよい。やんぬる哉。――包装を投げ出して、うとうと、まどろんでしまった。

ふと鼻に、潺々、アゴ出汁の香りがした。そっと頭をもたげ、餡を呑んで目を澄ました。すぐ近くにうどん屋があるらしい。見ると、赤い楕円板にカタカナで店名が書かれた看板が掲げられているのである。そのウエストに吸い込まれるようにひよこは入っていった。ゴボウ天の入ったうどんを、一口食べた。少し柔らかめで、博多に帰ったような気がした。歩ける。行こう。博多魂の恢復と共に、わずかながら希望が生れた。義務遂行の希望である。わが黄身を投じて、ブランドを守る希望である。斜陽は赤い光を、薬師寺公園に投じ、葉も枝だも萌え萌えキュンキュンするばかりに輝いている。日没までには、まだ間がある。複雑な小田急線のダイヤから快速急行を見極め乗れさえすれば、問題無い。京急のダァシェリイェスよりは分かりやすい。ひよこは、信頼に報いなければならぬ。いまはただその一事だ。走れ!ひよこまんじゅう。
ひよこは信頼されている。ひよこは信頼されている。先刻の、あのシンクタンクの囁きは、あれは夢だ。悪い夢だ。まんじゅうの皮がダレているときは、ふいとあんな二代目が見た夢とはまた違った悪い夢をみるものだ。ひよこまんじゅう、おまえの恥ではない。やはり、おまえは福岡銘菓だ。再び小田急線に乗れたではないか。ありがたい!ひよこは、正義の菓子として死ぬ事が出来るぞ。ああ、陽が沈む。ずんずん沈む。待ってくれ、天照大神よ。お伊勢様を参る時間はなかったのだ。一本うどんを食べたかった。
家路に着く人を押しのけ、跳ねとばし、ひよこまんじゅうは新宿駅の迷路を走った。小田急百貨店、そしてルミネの中を駆け抜け、JRの改札を抜け、山手線か中央線かで迷い、少しずつ沈んでゆく太陽の、十倍も早く走った。一団の部活帰りの学生と颯っとすれちがった瞬間、不吉なRTがまわってきた。「いまごろは、あの土産も、磔にかかっているよ。」ああ、その土産、その土産のために、ひよこは、いまこんなに急いでいるのだ。その土産から東京の名を奪ってはならない。急げ、ひよこまんじゅう。おくれてはならぬ。卵と餡の力を、いまこそ知らせてやるがよい。パッケージなんかは、どうでもいい。ひよこまんじゅうは、いまは、ほとんど未包装であった。プレゼント用の花飾りも、贈答用ののしもつけられず、二度、三度、口から餡子が吹き出た。見える。はるか向こうに小さく、神田の先に丸の内オアゾが見える。オアゾは、夕陽を受けてきらきら光っている。
「ああ、ひよこまんじゅう様。」うめくような声が。ガタンゴトンという列車の音と共に聞こえた。
「誰だ。」ひよこまんじゅうはラッシュに揉まれながら訪ねた。
「雷おこしでございます。ごまたまごと同じく、東京土産でございます。手前は浅草でございますが。」その250年の老舗も、ひよこまんじゅうと並んでつり革を掴んで叫んだ。
「もう、駄目でごぜえます。むだでごぜえます。走るのは、やめてくだせえ。もう、ごまたまごを助けることは出来やせん。」
「いや、まだ陽は沈まぬ。」
「ちょうど今、あの方から東京が剥奪されるところです。ニコ生でもやっています。ああああ、あなたは遅かった。ほんの少し、もう一本早い列車に乗れたなら!」
「いや、まだ陽は沈まぬ。」ひよこまんんじゅうは皮の張り裂ける想い出、赤く染まった車窓ばかりを見つめていた。乗ってるいるより他に無い。
「やめて下さい。急ぐのは、やめて下さい。他のお客様の迷惑になります。ごまたまごは、ひよこまんじゅうを信じて居りやした。動輪広場に出されても、平気でいました。東京が、さんざんごまたまごをからかっても、ひよこまんじゅうは来ます、とただ答え、強い信念を持ちつづけている様子でござんした。」
「それだから、急ぐのだ。信じられているから急ぐのだ。間に合う、間に合わぬは問題でないのだ。菓子の味も問題でないのだ。ひよこは、なんだか、もっと恐ろしく大きいものの為に急いでいるのだ。ついて来い! 雷おこし。」
「ああああ、ひよこは狂ったか。それでは、帰宅ラッシュの駅ナカをうんと走るがいい。ひょっとしたら、間に合わぬものでもない。急ぐがいい。」
言うにや及ぶ。まだ陽は沈まぬ。列車のドアが開いてから、ひよこまんじゅうは走った。ひよこまんじゅうの中身はからっぽだ。一体どうやって中身を抜いたのだろうか。わけもわからぬ大きなホームと駅ナカと、JR東と東海の仲の悪さに引きずられるように走った。陽は、ゆらゆ有楽町方面に没し、まさに最後のマリオンの残光も、消えようとした時、ひよこまんじゅうは光回線の如く動輪広場に突入した。改札には引っかからなかった。
「待て。その東京を奪ってはならぬ。ひよこまんじゅうが帰ってきた。約束のとおり、いま、帰って来た。」と大声で動輪広場の群衆にむかって叫んだつもりであったが、ひよこのあるのかないのかわからない小さな嘴からは嗄れた声が微かに出たばかり、群衆は、ひとりとしてひよこまんじゅうの到着に気がつかない。すでにプロジェクションマッピングが高々と用意され、カウントダウンもスタートし、プロモーションの幕があがろうとしている。ひよこまんじゅうはそれを目撃して、最後の勇、先刻、ばったもんを押しのけたように群衆を掻き分け、掻き分け
「私だ、プロモーター!名を剥奪されるのは、ひよこだ。ひよこまんじゅうだ。ごまたまごを菓子質にしたひよこは、ここにいる!」と、小さな嘴で精一杯叫びながら、プロジェクターの前に躍り出て、ごまたまごに、齧りついた。群衆は、どよめいた。あっぱれ。ゆるせ、と口々にわめいた。ごまたまごの縄は、ほどかれたのである。
「ごまたまご。」ひよこまんじゅうは餡を浮かべて言った。「ひよこを殴れ。ちから一ぱいに頬を殴れ。ひよこは、途中で一度、悪い夢を見た。ごまたまごが若しもひよこを殴ってくれなかったら、互いに抱擁する資格さえ無いのだ。殴れ。」
ごまたまごは、すべてを察した様子だが首が無いので首肯くことができず、動輪広場の喫煙状にも鳴り響かなかったが、ぺちとひよこの右頬を殴った。殴ってから優しく微笑み、
「ひよこまんじゅう、ごまたまごを殴れ。同じくらい音高く頬を殴れ。ごまたまごはこの三日の間、たった一度だけ、ちらとひよこまんじゅうを疑った。生まれて、はじめて疑った。殴ってくれなければ、抱擁できない。
ひよこまんじゅうは唸りをつけて、どことも分からぬごまたまごの頬を殴った。
「ありがとう、友よ。」二菓子同時に言い、ひしと抱き合い、それから中身が漏れ出そうであった。
群衆の中からも、歔欷の声が聞えた。暴君二十三区は、群衆の背後から二菓子の様を、まじまじと見つめていたが、やがて二菓子に近づき、顔をあからめて、こう言った。
「おまえらの望みはかなったぞ。おまえらは、東京のブランド力に勝ったのだ。TOKYO&とは、やはり空虚な妄想だったのだ。どうか、わしにもおもてなしの心で仲間に入れてくれまいか。どうか、わしの願いを聞き入れて、いまえらの仲間の一人にしてほしい。」
どっと群衆の間に、歓声が起こった。
「マラソン、東京マラソン。」
ひとりの少女が、黒糖あんをひよこまんじゅうに捧げた、ひよこまんじゅうは、まごついた。ごまたまごは、気をきかせて教えてやった。
「ひよこまんじゅう、君は東京オリンピック以降、東京銘菓じゃないか。早く、東京限定の黒糖ひよこ、塩ひよこになるがいい。その可愛い娘さんは、ひよこまんじゅうが、福岡銘菓とだけ見られるのが、たまらなく悔しいいのだ。」
銘菓は、東京でも売られていた。