「脚本」と「演出」を効果的に使うには

「脚本」と「演出」の違いを肌で感じる。

演出と脚本の違いを肌で感じるなら、演劇を見るのをお勧めします。演劇なんて何見て良いか分からないというなら、小説ですが恩田陸チョコレートコスモス をお勧めします。演出次第で、物語がどのように変化するかが良く分かると思います。またはガラスの仮面か。
ネット上で探すなら、「脚本」と「演出」の違いが良く分かる例は痴漢男でしょうか。2ちゃんでの痴漢男を「脚本」とすると、マンガ版:痴漢男 はその「脚本」を「演出」したともいえる。
ただ、2ちゃんでの痴漢男も脚本そのものではない。2ちゃんねるという「演出」がされている。
電車男」も色々も漫画版も結構あったように思う。元の話をどのように見せるかは「演出家」次第というわけ。

MADの「脚本」と「演出」 ニコニコ動画紹介

「演出」次第で面白さが変る分かり易い例はMADかなと思います。演出と言うか、映像編集の部類なんですが、どのように映像を繋げていくかは職人の技術とセンスによる。

FF10のEDを基軸にした涼宮ハルヒの憂鬱のMAD。まさにキョンの消失。実際に涼宮ハルヒにありそうなルートだけにさらに興味深い。誠天調書 の感想コメントを引用する。

FFXしたこと無いし 予備情報も殆ど無かったんんだけど 感動しました。
演出の神あらわる。

FF10を知らなくても、面白いと思う人がいる。きちんとアニメの元映像を編集し、「演出」することでFF10のEDという「脚本」が伝わるわけだ。

MADやパロディは元ネタが「脚本」と言える。それをどのように「笑い」に変えるかは「演出」次第なわけだ。

「脚本」と「演出」のバランス ご利用は計画的に

「脚本」だけでも、「演出」だけでも駄目です。何事もバランス。
たとえば、2000年前後のテキストサイトではフォント弄りが大流行してましたが、このフォント弄りはひとつの「演出」。なんでもない日常の出来事をフォント弄りで書くことで、あら不思議、何となく面白おかしい話に見えるようになる。フォント弄り自体が簡単なため、それ故に侍魂以後にフォント弄りなテキストサイトが乱立しましたが、そのほとんどがつまらないサイト群でありました。つまり、中身である「脚本」が無いのに「演出」だけ真似ても面白くなるわけ無いのですよ。
ただし何事も「見た目」が大事なように「脚本」が同じレベルでも、「見せ方」が上手い方が評価されます。それは、宣伝の上手い商品が売れるのと同じ。ただ、「良いもの」は上手く魅せれる部分が多く、「良くないもの」は偽装でもしないと良く魅せることは難しいので、本当に悪いものが売れることはまず無いですが。

サイトに当てはまると、何か言いたいこと=脚本がある場合、その書き方=演出は色々ある。記事をストレートに書いても良いし、物語調にしても良いし、何かに当てはめてパロディ風にしても良い。ストレートに書くのがはばかれる場合は、ネタ的に書いてみるのも良い。どのようなな「演出」をするかは、記事をどう見せたいかによる。伝えたいこと次第で効果的を思われる「演出」を選べば良いわけです。
例えば、シナトラ千代子 の演出は上手いなーと思います。特に、カノッサの屈辱風な はてなの歴史 は事実確認が曖昧な場合の逃げ口上にも使えると感心しました。


ところで、脚本と演出の違い。 におけるはしさんの偏見である

ライトなオタクは「演出」について語り合うし、ディープなオタクは「脚本」について語り合うという偏見がぼくにある(笑)

は良く分かる。知人の演劇好きは、好きなドラマは必ず「脚本」が欲しいという。浅い人は「演出」によって映し出された「物語」を語り合うが、深い人はその先の「脚本」によって「物語」を語る。そして、「演出」を「演出」として語り合うと僕は思います。