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語彙力とは難解な言葉を平易な言葉で言い換えられること

議論の際に、難しい言葉で煙に巻く人がいます。小難しい言葉を使っていれば、頭が良く見えると思っている人がいます。そういう人とコミュニケーションをとるのは難しい。そして、会話中にその言葉の意味を問いただすと、結局何となくで使っており意味を説明できることは少ない。つまり、意味を正しく理解せずに使っていた、ということが自分を含めてよくある。
このように、語彙力とは難しい言葉をたくさん知っていることではなく、それを平易な言葉で的確に表現できることなのです。

英会話で学んだこと

国際社会のというか、必要なので英会話を習っています。レベルは自分自身もそれなりだとは思いますが、更なるステップアップのためには地道な勉強が必要だと痛感している次第。その一つが語彙でしょうか。
さて、レッスンの際に分からない単語を講師に聞くのですが、キャッチコピーではないけれど「講師は外国人」なので、当然のように英語で解説されます。相手はネイティブなので、上手いこと説明してくれます。また、自分が分かっていても他の生徒が分かってない場合は、「じゃあ、君、英語で説明してよ」という流れになるのだが、これがまた難しい。先ず、日本語訳が浮かぶあたりが駄目で、それを自分の知っている英単語を駆使して解説したり、使用する状況を例に挙げたり、似た意味の言葉や反対語を捜したりと、言葉を説明すことの難しさを再認識できます。そして、語彙力ってのは言葉をたくさん知っていること以上に、それらの言葉の結びつき、とりわけ難しい言葉を簡単な言葉で的確に表現できる能力なのだと思い知らされる日々であります。

長文談義

昨日も書いたけど、長文が読まれないのは内容以外の比率が高いために始まる長文談義について。
無駄な文章なんてないと思いたいですが、如何せん短くまとめた方が読まれる機会が多いのも真理。そして、短文を書くにはセンスが必要という事実。だから、無理して短くまとめられる力も無いのに短文を書くのも危険で、アクセス数の超えられない壁に悩むより、一人の常連を大事にしようと考えると、実は常連さんは長文を読みたいのかも知れず、悩ましい所です。
そもそも、何度も同じことを言っているようで恐縮ですが、私の場合は、自身の伝えたいこと、その考えに至った経緯とその思考のトレース等を的確に伝えたいがためにどうしても長くなる。一言一句自分の考えを誰かに伝えたいがために、本来は行間ですまされる部分も書き、その行間を埋めてしまうから長文になるのだ。行間が詰まるので、読みづらいしね。また、自分で過去ログを読み直しても、詳しく書いていたほうが当時の自分の思考をトレースできて楽しいですし。

難解なことを語る論客にはなりたくない

最近はそんなに見ませんが、小難しい言葉を並べて語る論客が嫌いです。相手に理解してもらおうという意思が感じられないので嫌いです。確かに、議論をする際にお互いがある程度同じレベルにないと議論にはなりません。論客言葉であっても、その難しい言葉でお互いの共通認識を理解できれば全然問題ないですけど、それが分からない相手にも使うのは理解に苦しむ。それじゃぁスラングを使って会話しているのと変わらない。言葉は相互理解のためにあるという言葉が表すように、相互理解できない言葉は使うべきじゃない。だからこそ、僕は分かり易く書こうと奮闘するのだけども、そうするとどんどん言葉が長くなってしまうのです。適度に、2ちゃんねる語とか、はてなメソッドでも使えば良いのですが、そうすると内輪度が高まるので苦手なんです。
最後に、長文・短文と年齢の関連性にあるように、長文を書く人は年齢が上、あるいは経験が多い傾向があると思います。また、長文書きほど、長文を読むのが好きな傾向があるかも。なぜなら、自身が長文で色々書くのは、自分も他人の考察に関する結論だけでなく、経緯を知りたいからなんじゃないかな。
ところで、長文と年齢の関係について、実は年齢よりも、ネット暦が長いと長文が多いかもと個人的に思う。実際に、それらの相互関係を調べてみたら面白いと思いますが、年齢やネット暦などのプロフィールを公開している人ってそこまで多くないと思うのですよ。ただ、やっぱ誰か調べてくれないかぁと言ってみるテスト。