長く広く書くか、短く狭く書くか

『斬(ざん)』:長文が読まれないのは内容以外の比率が高いため(via. 明日は明日の風が吹く)にて、なぜ長文が読まれないのか考察されております。
私の場合は、文章が短いと情報伝達の齟齬が発生し易いと考え、つい説明が多くなり文章が長くなる。しかし、ある話題や議論に関する考察に共感、理解を示してくれるのは、元々分かっている人達、あるいは分かろうとしている人々なので、短い文章でも意味を汲み取ってくれることの方が多い。また、短く痛快な文章の方が、時間的観点から多くの人に読まれる機会が増えるだろう。
面白くない長文と短文とでは、長文の方がその落胆は大きいだろう。そして、面白くない短文など記憶の端にもかからない。これはまさに、長文は内容以前に「読まれない」要因が多いからか。
特に、長文は要点が複数あり、それが相互作用し結論が導かれることが多く、文章が複雑化する。そして、その複雑さが内容の理解への障壁となっているのは自家中毒で残念。長文の魅力はその複雑さこそにあるのだが、読者の時間は限られているから仕方が無い。結果、読むのはその話題に精通している人だけのことが多い。
万人に理解されるために、広く分かり易く書いた結果長文となると、逆に理解している人にしか読まない自己矛盾。逆に、短く狭く書いたほうが痛快な文章となり、多くの人に読まれやすい可能性がある。しかし、短く書くにはそれなりのセンスが必要なのです。