田中哲司のファンなので舞台版エヴァンゲリオン・ビヨンドを見に行った

みなさんご周知の通り、私はエヴァンゲリオンのファンなのですが、舞台版は窪田正孝田中哲司が演じるゲンドウっぽい叶司令を見に行きました。そして、そこはとても満足できました。
エヴァのファンだとか、演出であるシディ・ラルビ・シェルカウイに惹かれてみるのなら、おすすめできません。また、Bunkamura「舞台・エヴァンゲリオン ビヨンド」の観てきた!クチコミとコメント | 演劇・ミュージカル等のクチコミ&チケット予約★CoRich舞台芸術! にあるように、歌舞伎町タワーの THEATER MILANO-Za のこけら落としと考えると、それに見合った作品ではありません。

田中哲司のゲンドウもとい叶司令はよかった

エヴァンゲリオンの実写版をやるなら、碇ゲンドウ田中哲司の他にはいないだろう。庵野監督作品では、シン・ウルトラマンで禍特対の室長を演じていたが、珍しく物わかりの良い上司役であった。でも、田中哲司は権力欲バリバリの役こそ光るのである。舞台版では、それが遺憾なく発揮されており、期待したものが見られて満足でした。

窪田正孝も CDB さんが 舞台『エヴァンゲリオン•ビヨンド』脚本への批判と、主演の窪田正孝に対する絶賛が混乱して6000文字無料で書いてしまった記事|CDBと七紙草子 と語るように、すばらしかったのだが、正直なところもう少し見ていたかった!主人公なのに、搭乗*1シーンが少なすぎる!

ネタバレ分少なめの感想

ストーリーとしては、新劇場版の Q からシンの流れを組んでおり、まぁまぁエヴァっぽかったのだが、込められた SDGs っぽいメッセージが全然エヴァっぽくない。最後はなんか宮崎駿っぽいし。
地球環境だとか、子どもが戦うことの是非とか、確かにエヴァから引っ張り出せるテーマではある。けれども、エヴァに限らず庵野監督作品は政治的なメッセージが薄い。そのため、これらのテーマを前面に出すとエヴァっぽくなくなる。このメッセージ性もエヴァを舞台に落とし込み、限られた時間でストーリーを集結させるための舞台装置でしかないため、とってつけた感がヒシヒシと伝わってくる。映画版ナウシカのラストっぽさは、そこにあるのだろう。

見せたいものはエヴァではなくシディ・ラルビ・シェルカウイによるコンテンポラリー・ダンスの演出や振付のように感じられた。演出と振付を行った「プルートゥ PLUTO*2の評判は高いようだ。THEATER MILANO-Za のこけら落としとして「プルートゥ PLUTO」のようにオタク作品とシディ・ラルビ・シェルカウイのコラボが期待され、その原作としてエヴァンゲリオンが選ばれたのだろう。

コンテンポラリー・ダンスの善し悪しは分からないのだが Bunkamura「舞台・エヴァンゲリオン ビヨンド」の観てきた!クチコミとコメント | 演劇・ミュージカル等のクチコミ&チケット予約★CoRich舞台芸術! によると、少々小粒だったようだ。舞台装置が大がかりなのもあり、幕間の埋め合わせとしてダンスが披露される。そのため、全体的にテンポが悪い。幕前の狭いスペースで踊る必要があるため、ダイナミックに動けないなどの制約もあるのだろう。
一方で幕が開いた状態では、爆発などの表現は躍動感に溢れれいた。エヴァでお馴染みの様々な情報が表示される操作パネルなどもダンサーによって表現されているのは面白かった。
エヴァパイロットがケーブルに釣られて戦闘を行うが、このケーブルはアンビリカル・ケーブルのオマージュとなっている。絵面としてはなかなかに滑稽なのだが、演出としてはひとつの発明であり感心させられた。また、エヴァンゲリオンを人形師が操作する文楽エヴァンゲリオンはもっと見ていたかった。
興味深い演出は多かったが、これらは「絵」を知っていることが前提になっている。原作を知らないと、演出意図を想像するのが困難となる。この他にも、原作を知っていることが前提となる演出やストーリー展開が多いのだが、この取捨選択がチグハグに感じた。
たとえば、パイロットがエヴァにどのように搭乗しているとか、何を原動力にして動いているかなどは原作ありきとなっている。プロジェクションマッピングも多用されるため、観客の想像力に任せたいのか任せたくないのか意図を掴み損ねる部分が多い。

以下、大いにネタバレ

原作のキャラクターを拝借しつつ、それぞれの役どころなどが再配置されているのだが、それがあまりうまく機能していない。

エヴァパイロットとして、叶トウマ、ヒナタ、エリ、ナヲが登場する。
叶トウマは司令である叶サネユキであり、シンジっぽいのだが実際の所は異なっている。早々にエヴァに取り込まれてしまうため、役どころとしてはシンジの心的世界に登場するそれぞれの人物に近い。
ナヲはカヲルくんをベースにレイの役どころを担いつつ、エヴァの凶暴性を象徴する部分としてシンジを含んでいる。音楽を愛する点は原作を踏襲しているのだろうが、舞台でそれを表現するほどでもない。
ヒナタは「あんたバカぁ?」と原作通りのセリフを言わせるほどにアスカであるが、それ故に彼女の存在が浮いている。エヴァパイロットであることを誇りに思っているが、内心では褒められて仕方がない点は原作通りであるが、エリートであるとかそういう背景がないため、ただの自意識過剰にしか見えない。
エリは語感的にマリなのだろうが、自然を愛しエヴァによる環境破壊を憂い、使徒との不戦を望む当たり、似ても似つかない。舞台版において物語を終わらせるためにキャラ付けされたキャラクターであり、ヒナタとは別のベクトルで浮いている。ただ、物語を閉じる役割をになっている点ではマリかもしれない。

舞台版のシンジは窪田正孝が演じる渡守ソウシである。ぱっと見では加持リョウジであり、前半はそのような役である。しかし、実際は14年前に舞台版でのインパクトを引き起こすきっかけを作った初代エヴァパイロット*3であり、最終的にトウマに代わり大人としてエヴァに乗り込み物語を終焉へと導く存在だ。この構成は、新劇場版の破においてニアサーを起こし、その14年後のシンにて落とし前を付けるシンジそのものであろう。この点が最もエヴァらしいと感じた。ただし、最後の最後は完全にナウシカの「おわり」だったけども。

舞台は前半と後半の二部構成となっている。後半はあっという間だったが、前半はとにかく長く感じた。幕間のコンテンポラリー・ダンスもそうだが、ストーリーのテンポも悪い。
パイロットは4人も必要ないだろう。4人もいて、そこにソウシやミサトの役どころであるイオリに加え叶司令のストーリーも展開されていくため、内容が多すぎるのだ。

エヴァも同様に四体だが、それは四大元素である火水土風をモチーフにしているからだ。使徒も同様に四大元素に対応している。環境破壊など地球環境を守ることをテーマに据えているために四大元素を持ち出したのだろう。つまり、これがパイロットが4人である理由でもある。
四大元素といえば、ファミコンからスーパーファミコンに置ける坂口博信によるファイナルファンタジーを思わせる。所謂ガイア理論であるが、かなり今更感のあるテーマだ。現代においては、子どもが戦うことをの方をもっと大きく取り上げた方が良かったように思う。そもそも、地球環境の保全も舞台として物語に結末をつけるために用意された装置にしか見えなかった。

ダシに使われたエヴァ

舞台版エヴァンゲリオン・ビヨンドは、ゲームとは全く違う映画ファイナルファンタジーと似たような構造にあるのは興味深いところだ。
3DCGの発展を狙った映画ファイナルファンタジーは、ファイナルファンタジーをモチーフにする必要がなかったはずだ。
舞台エヴァンゲリオン・ビヨンドもエヴァである必要がなかった。シディ・ラルビ・シェルカウイだけでは日本では集客力が足りないので、話題性のあるエヴァンゲリオンが選ばれたに過ぎない。舞台としてまとめるには3時間程度で話をまとめなければならない。そこで地球環境などをテーマに据えたのであろうが、そうするのは政治的メッセージの希薄なエヴァンゲリオンとは相性が悪い。まとめようとした結果、ストーリーがこんじまりとしている。演出も脚本も何かよく分からなかったけど「なんかすごい」と思わせる作品に仕上げた方が、まだエヴァっぽかったのではないだろうか。

最後に歌舞伎町タワーへの苦言

結局仕切りが作れたジェンダーレストイレで話題となった歌舞伎町タワーであるが、イベント会場としての作りが雑すぎる。
先ず、入口もエスカレーターも狭すぎである。できたばかりで人が多いのもあるだろうが、劇場へ向かうエスカレーター前に人が溢れており辿り着けない。上映時間前には混雑することが予想されるのに、それが全く考慮されていない導線になっている。エレベーターもあるが、そちらは劇場からの退出専用に使われているようだ。

劇場内は適度に傾斜が付けられており、一番後の席なら舞台全体が見えるようになっている。ただ、後の方の席は2階席が張りだしており圧迫感があるかもしれない。
劇場内にあまり不満は無いが、劇場の通路が狭すぎる。また、パネルの設置場所が通路にあるのが頂けない。殆どの人がスマホを有する SNS 全盛の現代において、パネルを撮影したい人が多数出るのは予想できるにも関わらず通路に設置するセンスの無さ。十分広いスペースがあるにも関わらずである。

*1:登場ではない

*2:2015年、森山未來主演

*3:厳密には少し違う