ゲーム音楽にはオリンピックの開会式に使われるだけの価値があるけど、任天堂関連が使われないのは残念だし不自然

ゲーム音楽はオリンピックの開会式に使われるだけの「格」があった

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ゲーム音楽がオリンピックの開会式に使われたました。個々人で色々な感想があるでしょが、私としては感動したとかそういう感情はありません。喜ばしいことではありますが、ゲーム音楽には国際的なイベントで使用される程度の「価値」や「格」はあると考えているので、ようやくと言った感情の方が近い気がします。また、ゲームそのものではなく「ゲーム音楽」だったのは、いつものように便利に使われたなとも思います。

「格」に関しては、フィギュアスケートなどで「ゲーム音楽」が使用されています。菅野よう子さんが令和元年の「天皇陛下御即位をお祝いする国民祭典」での楽曲を担当したのも、「ゲーム音楽」にまつわる「格」や「許容度」が十分に上がった結果でしょう。

使い勝手のいい「ゲーム音楽

ゲーム音楽」は便利な曲です。これはゲーム音楽に限りません。テレビでは昔からバラエティに限らずドキュメンタリーやニュース番組で、クラシックにはじまり、映画、テレビドラマ、アニメなどのバックミュージックが流用されています。アニメなら、ルパン三世のタイトルコールやカウボーイビバップのオープニング曲、テレビドラマだと金田一少年の事件簿TRICK なんかがよく使われています(例が古い)。
バックミュージックであるが故に番組が伝えたいメッセージを支えつつ、楽曲のイメージがそれよりも前に出ることはありません。この場合、楽曲の出自は重要ではありません。むしろ出自が想起されない方が望ましい。ゲーム音楽、特にRPGの場合は、様々なシチュエーションを想定した楽曲が存在しており、それいでいて曲そのものの知名度は高くはないので使い勝手がよいでしょう。
ともすれば、原曲のイメージが上書きされるケースもあります。映画「バックドラフト」のテーマを「料理の鉄人」のテーマとしてイメージする人は多いのではないでしょうか。

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ゲームのイメージを想起させるための「ゲーム音楽」利用

オリンピックの選手入場で「ゲーム音楽」を流す際に、必ずしも元となったゲームが想起される必要性はありません。オープニング曲が多いのも、開会式のイメージを盛り上げるためでしょう。この点がアニメ音楽が使われなかった理由の一つかもしれません。アニメだとオープニング曲はほとんどがボーカル曲のため、バックミュージックとしてはやや不適切です。その筈なのですが「NieR」の「イニシエノウタ」はボーカル曲なんですよね。

もちろん、オリンピックでの演出意図は「ゲーム音楽」ひいては元となったゲームのイメージを利用したものでもあります。有名な曲が多いのもそのためでしょう。
ゲーム音楽」によりゲームのイメージを利用する演出としては、トヨタのCMでドラゴンクエストモンスターハンターの楽曲が使用された例があります。
原曲のイメージを流用した演出としては、「地獄の黙示録」で「ワルキューレの騎行」があるでしょうか。この手の演出で面白と感じたのは、エヴァンゲリオンの「EM20」がシン・ゴジラで使われたこと。「EM20」はドキュメンタリー番組でよく使われています。その結果、シン・ゴジラで使用された際に様々な演出効果が生まれました。

任天堂の曲がないのは不自然では?

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国際的な式典で使用さえるほどの許容度が明確に示されたってのが、私の感想です。

ただし、「ゲーム音楽」を利用するのにマリオやゼルダなど任天堂関連が使用されないのは不自然です。リオ五輪の閉会式で、安部元首相がマリオよろしく土管から飛び出る演出があったことを考えればさらに不自然です。

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文春の記事から考えるに「ゲーム音楽」を使用する案は以前からあったようです。曲目にもマリオやゼルダの楽曲が確認できます。当初は任天堂宮本茂代表取締役が監修を担当していたようですが、途中で抜けたようです。その過程で、選曲から任天堂関連曲も外されたのかもしれません。
このような経緯を考えると、演出として中途半端ですし、様々なアイデアの残りカスみたいだなと感じました。