ドラマ版デスノート悪くないじゃん?

ドラマ版のデスノートは、ライトが英語の文章を辞書を引きながらでないと読めない真面目系クズであったり、ニアが女性になっていたりと改変がなされていますが、一話は概ね良かったんじゃないでしょうか。

原作がYouTubeスマホもなかった10年前の作品なので、ある程度の改編は仕方は必要でしょう。その割には、Lによる全世界テレビ中継と銘打った関東地方だけに放送したキラへの挑発や、FBIによる尾行などのエピソードは時代背景の違いを考慮せずにそのまま流用するつもりのようで、気にかかります。
例えば、今ならTwitterなどのSNSを利用すれば、全世界同時中継でないことはすぐにばれてしまいます。ドラマ版のライトはスマホではないので、気づかなくても特に問題はないのですが。まぁ、原作のライトであっても、Lの挑発に激昂しているので同時中継でないことに気がついても、デスノートを使いそうですけどね。

気になるところは他にもありますが、先ずは良かった点を述べておきます。

承認欲求としてのデスノート

ライトが一旦捨てようとしたデスノートを再度使おうとしたのが、人質の身代わりとなった父である総一郎を助けるためだったのは納得できるエピソードだなと思えました。普通の若者であるライトが家族など身近な人を助けるために力を行使するのはありそうな展開です。また、この立て籠もり犯の事件により、母の死に目に会えなかった父と息子の確執や、総一郎が警察として犯人の命も救いたいと考えていることなどがコンパクトに説明されていて、上手いなと感じました。

先に文句を付けましたが、テレビ中継によるLの挑発も良かったです。特に、Lがライトの承認欲求を突いたセリフ回しと、その後のライトが激昂するシーン。ドラマ版ではリュークが現われた後に普通の大学生であるライトが犯罪者を裁くキラへと変貌する理由付けが弱いです。実際「一ヶ月後」というモノローグで過程をすっとばしています。もちろん、原作もきちんと描かれている分けではありませんが。
ドラマ版ではライトがキラとなった動機がぼやけています。はっきりとは描かれていませんが、捜査班が動機として挙げたネットでのキラ崇拝がその一つであると解釈できそうです。キラ崇拝は原作を踏襲したエピソードですが、Lがテレビ中継であるキラの行いを「悪」であると断言すると同時に、認めて欲しいと挑発し、それにドラマ版のライトが激昂したことからも、ライトはある種の承認欲求としてデスノートを使っているのかもしれないと感じられました。
不良の同級生をデスノートで殺した際も、その不良が周囲から良く思われていなかったことで、自らの行為を正当化していたことからも、ドラマ版のライトは、キラ崇拝により犯罪者を裁くように後押しされているのかなと。10年前よりもネットが身近になった現代ならばキラ崇拝はより加熱しているのではないでしょうか。

気になる点

立て籠もり犯と総一郎の因縁など、個々のエピソードはちゃんとしているのに、デスノートが絡んでくる部分が、やや浮いているように感じました。デスノートに振り回されている感じがします。先にも述べましたが、ライトがキラへと変わる過程を描いていないのは「逃げ」かなとも。
例えば、立て籠もり犯をデスノートで殺害した後に、「あんな酷い奴は死んで良かった」とか「犯罪者は死んだ方がよい」などのネットの書き込みを見て自己を正当化して行き、キラになっていくという描写があっても良かったのではと。それをきちんと描けプロデューサーだと思います。
原作を踏襲しつつ、視聴者と共感を得やすい主人公像を造ろうとしてやや失敗しているようにも感じます。

細かな点で言えば、今時あんな分かりやすい不良がいるのかとか、踏切に突っこむ事故だったのに壊れないライトくんの携帯電話とか。携帯電話を警察官がライトくんに届けるエピソード必要なんですかね?同級生なので、一応告別式の連絡は来るでしょうし、実際来たから参列はしないものの外から除いてたわけで。

今後気になるところ

Lがまだ未知数ですが、一話の感じだとやや不安を覚えます。ただ、それ以上にニア役である優希美青の演技力が最大の懸念事項です。朝ドラのマッサンで娘役のエマを半年くらいやってましたが、ちっとも上手くなりませんでした。
そういえば、ライト役の窪田正孝花子とアン、L役の山崎賢人はまれなので、主演が朝ドラつながりなんですよね。