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小説製造機械による屍者の帝国

屍者の帝国

屍者の帝国

はじめに

屍の帝国のみならず、以下に示す伊藤計劃円城塔作品についても言及しています。伊藤計劃作品である虐殺器官、特にハーモニーは重要なネタバレを含んでいます。円城塔作品は言及にとどめていますが、未読で気になる方はご注意下さい。

ハーモニーの先へ

フランケンシュタイン*1の話だ。ワトソン君*2の話でもある。

死体の脳内に電気刺激を与えネクロウェアをインストールすることで屍者を生産できるようになった19世紀。生者と屍者の間に連続性はない。屍者は生きていた頃の記憶や精神を持たない。屍者は命令に従って動くだけの労働者、つまりロボット*3だ。屍者により様々な事柄が自動化されており、屍者なしでは世界が成り立たなくなっている。
人間としての意識を持たない屍者はハーモニーの先の世界に生きる人類を想起させる。屍者は基本となるネクロウェアをインストールされた後、個々のプラグインを導入することで専門の労働に従事する。ハーモニーの先にいる人類たちも、様々なプラグインを導入して活動しているのだろう。ハーモニーは、HTMLを模したETML 1.2というマークアップ言語で書かれた作品だ。つまり、ハーモニーという作品自体が、ハーモニー以後の人類へのプラグインを意味している。
屍者の帝国はハーモニーの先を描いた作品であるが、同時にハーモニーの到来を予感させる。時系列では、屍者の帝国虐殺器官、ハーモニーと連なっていくが、全体としてはループ、円環を形成している。つまり、円環の理*4だ。屍者の帝国伊藤計劃円城塔の合作ではあるが、一連の伊藤計劃作品へ一つの結末を与えていると言って良い。円城塔による伊藤計劃への手向けでもある。

屍者の帝国ではワトソンが事件の核となる人物を追う物語だ。ワトソンは彼を追うことで世界中をめぐり、言葉と意識、そして死に関する一つの真理を得る。この流れは実に伊藤計劃らしい。一方で、フィクションのみならずノンフィクションからなる文献や事象を鎖のようにつなげ網目のような構造を、あたかも自発的に再構成されたように描いた点は、実に円城塔らしい。まさに、伊藤計劃×円城塔の名に相応しい作品だといえる。

伊藤計劃×円城塔

本書はフィクション、ノンフィクションを問わず多くの文献や事件を種として構成されている。遺稿にジョン・H・ワトソン、ヴァン・ヘルシング*5が登場することから、同時代に生きた人物をフィクション、ノンフィクションを問わずに盛り込むつもりだった可能性は十分に考えられる。それぞれの元ネタを知らないでも楽しめるが、知っておいたほうがニヤッとできる。私はプロットと共に元ネタを解説する副読本がでるのではないかなと睨んでいる。既に、屍者の帝国 用語集I - 妄想科學倶楽部伊藤計劃×円城塔『屍者の帝国』全ページ感想ツイート - Togetter など個人が屍者の帝国に関する注釈を作る動きもある。作ってみたくなる作品とも言え、まとめサイトなどもあるかもしれない。
多くの文献群から小説を構成する手法は円城塔の得意とする所である。私は、屍者の帝国が文庫化される際に円城塔本人が注釈をつけてくれればいいなと望んでいる。そして、その望みは十分にある。オブ・ザ・ベースボールに収録されている「つぎの著者につづく」では架空の本を次々と列挙し一つの物語としている。発表時に注釈が無かったが、単行本化の際に注釈が付けられた。あまりの元ネタの多さに、一体どのように探しまとめたのか驚愕したものだ。
多くの注釈が必要であり、たくさんの種本があることから、屍者の帝国電子書籍向けなんじゃないかなと思う。注釈をタッチ、あるいはクリックするとバルーンに表示される。より詳しく知りたい場合は専門のページヘとジャンプする。種本がある場合は、電子書籍の販売ページへ移動できるとついつい買ってしまいそうだ。

ディファレンス・エンジン〈上〉 (ハヤカワ文庫SF)

ディファレンス・エンジン〈上〉 (ハヤカワ文庫SF)

屍者の帝国における多くの種の中でも大きな意味を持つのが、「ディファレンス・エンジン」であろう*6伊藤計劃虐殺器官のスピンオフとして The Indifference Engine と題する短編を書いている。円城塔は言うまでもなく、デビュー作が「Self-Reference ENGINE」である。二人共、「ディファレンス・エンジン」から大きな影響を受けている。
伊藤計劃記録にも収録されているが、伊藤計劃円城塔と共著で「ディファレンス・エンジン」に関する解説と称した短編を書いている。つまり、二人は屍者の帝国に関する合作を既に書いていた、とも言える。二人の交流は、作家としてデビューする頃から始まったようだ。著者インタビュー:伊藤計劃先生 によると伊藤計劃虐殺器官早川書房から出版されたきっかけは円城塔の働きかけによる。円城塔の方から伊藤計劃を見つけ出しmixiで知り合ったそうなので、デビュー前から円城塔伊藤計劃のことを意識していたのだろう。インタビューなどからも、円城塔伊藤計劃に入れ込んでいる印象を受ける。

円城塔が、屍者の帝国を書く事になったきっかけは 伊藤計劃×円城塔『屍者の帝国』刊行までの経緯 - Togetter にまとめられている。遺稿やプロット、作品やブログ、そして二人しか知らない共に交わし合った会話によって伊藤計劃屍者の帝国円城塔により再構築された。もちろん、伊藤計劃自身の作品ではないが、再構築できるのは円城塔しかいなかったであろう。伊藤計劃が書いたであろう屍者の帝国とは違うだろうが、結論は近似解として成り立っているはずだ。解として成り立たせることが出来なかった大きな部分はイスラエルの存在なのだろう。屍者の帝国 伊藤計劃×円城塔 | 河出書房新社 において円城塔が吐露するように、本作においてイスラエルの比重はもっと大きかったはずだ。伊藤計劃はハーモニーの次は戦争を書くとも言っていた。戦争を扱うのならば、イスラエルは不可避の存在だ。描けなかったのは知識と時間の不足もあるだろうが、何よりも円城塔本人が細かな描写を書き続けることを得意としていないからだろう。

円城塔は構造を消費する作家だ。一方で、伊藤計劃は装飾、つまり描写していく作家だ。伊藤計劃の描写性はゲームプレイヤとしての立場に近いのではないか。虐殺器官を読むと特にそのように感じられる。スナッチャーポリスノーツ、そしてメタルギアシリーズ*7に傾倒していることからも、プレイヤとゲームの登場人物の関係、特にゲームの操作キャラの意識とプレイヤの関係に着目していたと考えるのは自然であろう。
ゲームをプレイしていると、実際に行ったことのない所でも行ったような奇妙な体験を味合うことがある。映画マを見ていて、実際には行ったことのない遠い外国の地方なのに、画面に映し出させる教会の角を曲がると港があることを知っている。はたして、主人公が教会の角を曲がると画面には港が映し出される。奇妙な既視感。ふっと、ゲームで舞台となった地方をプレイしたことがあることを思い出す。
伊藤計劃ともなればゲームでなくても、映画、小説で読んだ場所を再構成可能であろう。つまり、脳内に箱庭を作ることができる。伊藤計劃ディファレンス・エンジンを小説においてシムシティやA列車などの箱庭ゲームを再現する方法だとも記していた。伊藤計劃の描写力はこのゲーム的な箱庭感覚を元にしていると考えている。

キャラクターを借りてくる (以下ネタバレあり)

屍者の帝国には、Fateシリーズや平野耕太によるドリフターズのように、もちろん英霊ではないけども、フィクション、ノンフィクションを問わず多くの人物=キャラクターが登場する。いわゆるパロディである。ちなみに、文章は円城塔による伊藤計劃パスティーシュである点を考えると、興味深い「構造」になっている。
様々なキャラクターが登場するが、屍者の存在する世界である以上、オリジナルとは異なる存在になっている。これが、キャラは戴くが歴史は要りません ということだろう。例えば、カラマーゾフの兄弟
三男のアレクセイはゾシマ長老に仕えていたが、長老の死をきっかけに還俗した。この点はカラマーゾフの兄弟でも屍者の帝国でも同じである。還俗のきっかけも共にゾシマ長老の死体から腐臭が漂ったからであるが、屍者の帝国においてはさらに違った意味が付加されるだろう。聖人と目されていたゾシマ長老もネクロウェアをインストールすればただの屍者に成り下がる。アレクセイが屍者に興味もつのは必然の流れであろう。ドストエフスキーが影響を受けたとされる、ニコライ・フョードロフがアレクセイの師としているのも面白い。

ウォルシンガム機関のMとして、シャーロックの兄であるマイクロフト・ホームズも登場する。作中に、「奴に何かあっても遅滞なく次のMが任命される」なるセリフがあるが、007シリーズにおいてMの俳優が変わっていく事を挿したメタ発言でもある。伊藤計劃による短編である From the Nothing, with Love は、ジェームス・ボンドの俳優が変わっていく事を題材としたメタ作品である。ちなみに、From the Nothing, with Love は代替わりの際にジェームス・ボンドとしての記憶をインストールするという話で、屍者の帝国を思わせる。同時に、ジェームス・ボンドとして同じ行動を繰り返す過程で、徐々にジェームス・ボンドとしての意識が擦り切れ、無くなる話でもあり、ハーモニーの雛形とも言える作品だ。

このように、非常に多くのフィクションや史実を元にしながら、伊藤計劃の残した文章から屍者の帝国を再構成したのは円城塔だからこそなせる技だろう。円城塔により構築された屍者の帝国は非常に面白い構造になっている。ある意味、円城塔にとっての伊藤計劃に関する私小説とも取れる。これは、道化師の蝶に収録されている松ノ枝の記を読むとよく分かる。

屍者の帝国から、道化師の蝶、松ノ枝の記を読む

円城塔は道化師の蝶により芥川賞を受賞した。読んだ当初は面白い話であるが意味がわからなかった。しかし、屍者の帝国を読んで合点がいった。特に、道化師の蝶の収録されている松ノ枝の記は円城塔と故・伊藤計劃の話なのだなと。わざわざ「故」をつかたのには理由があるのだが、それは松ノ枝の記を読んで確かめてみて欲しい。
松ノ枝の記において、作家である「わたし」は「彼」の本に出会い翻訳を決意する。そうして、「わたし」と「彼」の関係が始まる。互いに手紙と翻訳した作品でしか交流をしていなかった。「彼」は五作目を書き上げたので「わたし」に原稿を送ったが、原稿は「わたし」の元には届いていない。このままでは「わたし」は「彼」の作品を本焼き出来ない。そこで、「わたし」は「彼」に会いに行く事を決心する。
「わたし」は「彼」のある真実を知ることになるのだが、それはぜひ読んで確かめてみて欲しい。読んだ当初はメタな作品であり、書くこと自体に執着を持っている円城塔らしい作品だなと感じだ。しかし、屍者の帝国を読み終ると、「わたし」と「彼」は円城塔伊藤計劃の関係なのだなとよく分かる。
以上を踏まえると、道化師の蝶は円城塔が作品を作る過程を描いた作品なのだなと感じられる。特に、作中の人物たちが友幸友幸を追う姿には、屍者の帝国伊藤計劃に代わって書こうとした円城塔のあがきが感じられる。友幸友幸は伊藤計劃でもあり円城塔でもある。円城塔伊藤計劃を書くことによって、パスティーシュを超え、円城塔伊藤計劃がインストールされる。

ワトソンとフライデー

屍者の帝国の書き手は誰か。作者という意味ではない。
シャーロック・ホームズシリーズの作者はアーサー・コナン・ドイルであるが、書き手はワトソンである。そういうこになっている。屍者の帝国の書き手は、ワトソンだろうか。語り手の視点はワトソンである。物語を描いたのはワトソンである。しかし、本当に書いたのは誰か。それはやはり、フライデーだろう。フライデーは本来タイプライターのような存在である。ワトソンはタイプライターでシャーロック・ホームズシリーズを書いた。ワトソンはフライデーで屍者の帝国の物語を書いた。正確に書くならば、フライデーはワトソンの行動を記録していた。そして、フライデーはその記録を元に「屍者の帝国」を自身の意志として出力した。伊藤計劃虐殺器官において、個人が記録した写真や日記を元に自動的にその生涯を伝記のように出力するサービスを描いた。円城塔は、「これはペンです」において自動的に論文をはじめとする文章を出力するソフトウェアを描いている。
フライデーは意識のない屍者であった。しかし、多くの情報を入力され、それらをつなぎ合わせる、翻訳するプラグインとしてヴィクターの手記を導入されたことがきっかけで意識が芽生えたのだろう。意識を持たないフライデーに意識が生じた過程は、ハーモニーの先の世界においても、再度意識が生まれることを予見させる。個別の人間は Watch Me の制御下にあるため意識は抑えこまれたままかもしれない。しかし、Watch Me によりつながれた人間同士のリンクの中で意識のようなものが生じるのかもしれないと思わせる。

屍者の帝国の書き手はフライデーだ。フライデーは屍者である。読んでいるときは、単純に生者であるワトソンが円城塔であり、屍者であるフライデーが伊藤計劃なのかなと思っていた。世界中を冒険しザ・ワンの手がかりを追うワトソンが、伊藤計劃の残した屍者の帝国の手がかりを探し求める円城塔に重なった。しかし、エピローグを読むと、円城塔は Project Itoh *8 がインストールされたフライデーだ。しかも、生きながらにして。円城塔は「小説製造機械になるのが夢で」とも述べている。まさに、フライデーそのものだ。この時、フライデーが描いた屍者の帝国こそが伊藤計劃を意味するのだろう。ザ・ワンが妻を再構築しようとしたように。
その試みは円城塔屍者の帝国を再構成しようとあがいた姿に重なる。円城塔の試みが成功したか否かは、ザ・ワンの結末と同じく読者が判断してくれ、ということなのだろう。

フライデーは伊藤計劃でもあり、円城塔でもある。より正確に言うならば、屍者たるフライデーが伊藤計劃であり、ヴィクターの手記を導入され生じ、屍者の帝国を出力させた意識が円城塔である。屍者の帝国はその内部でループしている。だから、フライデーが伊藤計劃であり円城塔でもあるように、ワトソンも伊藤計劃であり円城塔でもある。
最終的にワトソン君はどうなったのであろうか。フライデーの記述からはシャーロック・ホームズと冒険している様子が伺える。しかし、ワトソンは屍者の帝国にはいないのだろう。つまり、屍者の帝国というループから脱して、シャーロック・ホームズシリーズという世界線へと移ったのではないか。だから、きっとフライデーの言葉はワトソン君には届かない。しかしいずれ、復活の時にフライデーの意志がワトソン君に伝わるのかもしれない。

*1:本来、フランケンシュタインは死体を蘇らせたフランケンシュタイン・ヴィクター博士を指すが、蘇らせたクリーチャーを指すことが多い。本作でも同じ用法が見られる。

*2:ジョン・H・ワトスン。日本ではワトソン君で知られる。

*3:語源はチェコ語で「労働」を意味するrobotaとされる

*4:マミさんより

*5:ドラキュラに登場する博士だが、本作にはドラキュラは登場しない。

*6:伊藤計劃http://d.hatena.ne.jp/Projectitoh/20081019/ においてディファレンス・エンジンスチームパンクではなくサイバーパンクであると評している

*7:いずれも、コナミ小島秀夫監督作品。伊藤計劃によるメタルギアソリッド4のノベライズも是非

*8:伊藤計劃の英訳名