ブログで世界を変えられると思っているのは別の意味でみっともないと思ってしまう

No Border に、

というお題があったのだけれど、これを読んで、そう言えばブログを書いている人は本当に少なくなったなあということに思い至った。


ぼくは今、毎日ツイッターに張り付いて仕事をしているのだけれど、最近はTLでブログを書いている人というのをとんと見かけない。
よく見かけるのはやっぱりTogetterをまとめている人だ。一番は自己まとめなのだろうけど、アレな人をヲチしたり、議論をしたりしている人もいるように思う。
次によく見るのが、ツイッター診断メーカー で遊ぶ人で、診断を作ったり信じたりしている。これはけっこういい歳をした大人がやっている。普通の勤め人ふうの人が仕事場にいる時からやっていたりして、ツイッターが広く一般に普及しているというのがあれを見るとよく分かる。それからたまにふぁぼ乞食がコピペを投稿したり、RT乞食が拡散希望してたり、あるいは有名人に絡んでいる人を見かけるのだけれど、ブログを書いている人というのははほとんど見かけなくなった。


かく言うぼくは、昔は本当にブログをよく読み、書いた。特に学生の頃は、ネットといえばブログタイムだった。
その頃のぼくは、ほぼ毎日、その日に更新されるされるお気に入りの個人ニュースサイトを読んで、ネットで騒ぎ担っていることを元にブログを更新するのが習慣となっていた。当時、ぼくはおばあちゃんと一緒に暮らしていたのだけれど、彼女はどちらかと言えばネットに否定的で、いい大人がブログを更新しているのを見かけると、みっともないと言って眉をひそめた。そうしてぼくには、あなたはまだ学生だからぎりぎり許されるけど、大人になってまでまさか更新するようなことはないわよね――?と、遠回しに釘を刺してくるようなところもあったりした。
しかしその頃のぼくは、大人になったらどうなるかなどというのはちっとも考えたりしなかったので、そんなふうに言われても、何かを思ったり考えたりすることはなかった。


それから長い歳月が過ぎて、ぼくはいつの間にか大人になっていたのだが、気がついてみると、全くと言っていいほどブログを更新しなくなっていたのである。つまり、おばあちゃんが望むような大人に、一応はなれたわけだ。


ところで、ぼくがブログを更新しない理由は一つしかなくて、それは世の中を変えられないからである。ぼくは今、本当に読みたい思えるブログというのがほとんどなくて、わずかに「電車の中でマンガを読んでいるのは別の意味でみっともないと思ってしまう - ハックルベリーに会いに行く」と「No Border : ツイッターがネタツイートばかりになった真の理由」だけだ。だから、ツイッターに限らずブログを世の中を変えられると思って更新している大人を見かけると、「いい大人が……」とは思わないけれども、面白さの感性みたいなものは疑ってしまうのである。「どうしてあんな面白くないツイッターのTLを、わざわざまとめるのだろう?」と。


面白さなんて人それぞれという考え方もあるけれども、ブログのPVは本当に落ちているらしいから、単純に「人それぞれ」で済まされる問題でもないと思う。どうひいき目に見たって、やっぱり今のブログは面白くなく、だから読む人が減ってるのだろうし、ぼくも読まなくなったのだろう。
そういう意味で、電車の中でブログを書いている人に対しては、「いい歳をして」という意味ではないのだが、面白さに鈍感な人だなあという意味では、やっぱり「書を捨てよ町へ出よう」と思ってしまうところはあるのである。