好き嫌いの問題にダブスタもなかろう

「手塚キャラ美少女化がダメでクッパ姫がOKな人なんなの?」な反応に批判 - Togetter]

クッパ姫で散々遊んだくせに、手塚治虫キャラクターの萌え化に文句を垂れるのは矛盾している、ダブスタだとおっしゃられても困るのだ。

好き嫌いの問題にダブスタもへったくれもない。カニは好きなのにエビが嫌いなのは同じ甲殻類なのにダブスタってのは難癖だろう。ならば同じ節足動物である昆虫も食べようって話に広がってしまう。あるいは、じゃがいもでもフライドポテトは好きだがマッシュポテトは苦手だって人もいるだろう。好き嫌いの表明にダブスタを求めても仕方ない。FGOはOKだけどクッパ姫とか女体化がダメって人も観測されたが、好みの問題である。
もちろん、好き嫌いの理由を言語化することもできるし、その方が理解も得やすい。カニは好きだがエビの食感が嫌いだと分析することはできる。また、クッパ姫と手塚キャラの場合は好き嫌いの問題ではあるが、批評の話でもある。批評の場合は理由もなしに批判したらダブスタであると断じられるのは当たり前だ。

ただし、ダブスタと断じるならば、クッパ姫で遊んでた集団と手塚キャラの萌え化を非難してる集団が同じかどうかを検証すべきだ。大きな括りでは女体化に属するため、女体化を是とする集団の振る舞いがダブスタのように感じられる側面があるだろう。ただ、そのような集団があったとしても、女体化のシチュエーションやコンテンツによって好き嫌いが生じるため、クッパ姫は是だが手塚キャラの萌え化は非であるとする人がいても不思議ではない。女体化あるいは萌え化に拘りがある故に細かな差異が気になり、好悪が激しくなるとも考えられる。特に拘りがなければ、興味も無いので両者の差が分らない、分ってもそんな小さな違いに拘ることが理解できないだろう。つまり、それぞれが対象を見る解像度が異なるため、同じ対象物を論じながら見ているものが違うため議論が成り立たないのだ。

解像度をそろえるために、クッパ姫に関して細かい話をしつつ、クッパ姫と手塚キャラの萌え化の違いを語っていきたい。

クッパのピーチ化とピーチへの憑依

http://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1809/18/news112.html
https://www.huffingtonpost.jp/2018/09/24/kuppa-hime_a_23539620/

クッパ姫は、NEW スーパーマリオ U デラックスに登場するキノピコの設定からの解釈である。キノピコはスーパークラウンにより、ピーチ姫そっくりのキノピーチに変身なる設定が任天堂から発表された。降って湧いた設定に多くのファンが困惑し、様々な憶測を呼び、色々な解釈が生まれた。たった数日間のことである。主に、日本国外での盛り上がりであるが、ものすごい熱量である。まぁ、マリオに胸毛があるかどうかで議論し尽くせる連中なので、不思議ではないのだけど。
そのようなムーブメントの中で、スーパークラウンをクッパに被せればピーチ化したクッパになるのでは?と解釈したのが「クッパ姫」である。

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マリオオデッセイ(以下、オデッセイ)の設定資料集にもピーチ姫化したクッパが描かれている。しかし、これはクッパ姫とは異なる設定や解釈によるものだ。オデッセイでは、キャプチャーという敵キャラに憑依して能力を利用するシステムがある。キャプチャーシステムはオデッセイの肝であり、攻略の鍵でもある。
ネタバレになるが、マリオがクッパに憑依するシチュエーションもある。この設定を延長すればピーチ姫をキャプチャーすることも可能であろう。それが、設定資料集に描かれた「クッパ姫」である。女体化であるが、設定資料集はクッパがピーチ姫に憑依した状態である。対して、スーパークラウンのムーブメントの中で生まれたクッパ姫は、クッパがピーチ姫に変身した姿である。それぞれで解釈が異なるし、想定されるシチュエーションも違う。例えば、姫に変身したクッパ姫であればピーチと同時に存在でき、二人の掛け合いが生まれ得る。一方、ピーチ姫に憑依したクッパの場合、ピーチ姫とは同時に存在できない。二人の掛け合いを描く場合は、内面でのせめぎ合いが主ではなかろうか。
また、ピーチ姫に憑依したクッパを設定資料に留めたのは、人格のあるキャラクターへの憑依に関して配慮したとも考えられる。オデッセイでキャプチャーできるキャラクターは明確な人格を持たないのがほとんどである。クッパは例外ではあるものの、マリオがキャプチャーする際に意識はなかったし、ピーチ姫およびクッパをも救うために憑依した緊急避難的な状況でもあった。意識のあるキャラクターにキャプチャーする場合は、意識を乗っ取る必要があるため容易ではないだろう。仮に容易に可能だとしても、意識を乗っ取る表現は慎重に描写されるべきだ。特に、ピーチ姫を掠う主体であるクッパが憑依するのは、十分に配慮がなされるべきだ。

ファンの界隈で発生したスーパークラウンによるクッパ姫と、マリオオデッセイの設定資料集で描かれたピーチ姫に憑依したクッパは、同じクッパのピーチ姫化ではあるけども、解釈やシチュエーションが異なる。両者を女体化でくくるのもやや乱暴で、クッパ姫は性転換と解釈できるが、オデッセイはそうではなく人格の上書きである。つまり、両者を一括りにするのは解像度の低い見方である。

解像度が低いことが問題なのではい。解像度が高く両者が異なって見えるのは、マニアが些細な違いに拘るからである。その拘りが分らなければ、両者が同じに見えるのは当たり前である。
しかしながら、「AとBは同じなのに、Aは批判されBは許されるのは矛盾である」とか「Aを批判している集団がBを擁護しているのは矛盾である」と非難するのは、その非難の前提が成立しているかは、異なる解像度で、異なるレイヤーでの議論になるだろう。AとBを異なると思っている人にその非難は届かない。Aを批判している集団とBを擁護している集団が同じとも限らない。これは、集団を捉える解像度の問題でもあるあ。しばし、オタクをネトウヨを同一視する人が観察されるのと同根であろう。

手塚治虫キャラクターの萌え化

手塚治虫作品のキャラを美少女化、ゲームアプリ「絵師神の絆」が2019年配信(動画あり) - コミックナタリー
【追記あり】なんでそんなにブラックジャックの女体化が騒がれてるのかわからない

キャラクターを評価する際に、性格などのバックグラウンドが不明のまま絵のみで評価するのはナンセンスではある。しかしながら、現時点でのプロモーションは、萌え化したキャラクターを主としているため、その絵のみで批評されるのは仕方がないだろう。私が仕方がないと判断する側理由に、商業企画であるし、手塚プロダクションが関わっている点がある。ファンが多いのも非難されやすい原因だ。商業で雑な解釈によるキャラクター化だと思う一方で、この企画を許した公式と、お金が回る手塚ブランドすごいなぁという思いもある。

手塚治虫キャラクターを萌え化するのは大変である。その理由にはファンが多いとか、女体化に抵抗がある人がいるなどもあるが、キャラクターのキャラクター化なる難儀なことをやっているからだ。この点が、クッパ姫やFGO、あるいは艦これや刀剣乱舞のような擬人化と異なる。これらは、キャラクターのキャラクター化に比べれば制約が緩い。要素が強調されキャラクターとなったものを、再キャラクター化する際にその特長を扱うかが大変なのだ。

FGOでは英霊化というプロセスが入る。伝説化した偉人であるが、その際に偉人からキャラクター要素が選別され強調されている。そのようなプロセスを経て、実在した人物がキャラクター化されている。擬人化においても解釈が設定が重視されるものの、人の姿でないものを擬人化するのは、キャラクター化を行う人、つまり描く人の自由度や裁量が大きい。

手塚治虫のキャラクターはシンプルである。シンプルであるが故に、端的な特徴によってキャラクターが成立している。例えば、ヒゲ親父はあの特徴的なヒゲがなければヒゲ親父ではない。火の鳥猿田彦として登場する鼻のでかいキャラクターも、あの鼻があればこそだ。ランプも頭にロウソクが乗っているからキャラ立ちしている。
キャラクターの特長とは記号である。髪型であったり、ヒゲであったり、鼻であったり、サングラスであったり。メガネ萌えなる言葉あるように、記号は萌えポイントである。つまり、キャラクターの特長は萌えポイントそのものである。

手塚キャラの萌か化において、顕著に批判されているのはブラックジャックであろうか。白黒の髪にコートを羽織った少女であるが、ブラックジャックの特長ともいうべきツギハギがない。ブラックジャックの左目付近だけ肌の色が異なる理由は原作にも描かれている。ブラックジャックのキャラクターを語る上では欠かせないエピソードである。つまり、萌えポイントなのである。それをスポイルして萌え化するのは、メガネキャラであったキャラクターのメガネを取って再キャラクター化したのに等しい。あるいは、ロングのキャラクターをショートの俳優が演じるくらい物議を醸すだろう。もちろん、人種差別を含んだ表現であるためスポイルした可能性もあるが。
手塚治虫キャラクターのコスプレである、というコメントがあったが、コスプレとしても安易であると思う。

手塚キャラの萌え化で苦労しただろうなと感じたのはロックである。恐らくサングラスをかけた少女がロックであろう。最初は七色インコかと思ったが、ギターをもっていることから音楽のロックとかけているようだ。特に音楽が得意なキャラクターではないのだが。
ロックはいわゆるスターシステムよりのキャラクターで、作品によって様々な役回りを演じている。基本的に、ニヒルな美少年や青年として描かれ、主人公と対立するダークヒーローとして振る舞う。定まったキャラクターではなく、むしろそのように性格付けされている。「バンパイヤ」では千の顔をもつ青年として描かれているのも、そのような背景があるだろう。故に、キャラクターがぶれぶれのロックにギターを持たせてロックにかけたのは努力の跡が見えられ評価したい。ただ、ギターを持たせるくらいなら、スポーツカーにでも乗せとけばよい。その方がロックらしいのだが、キャラクター絵には収まらないし、今時スポーツカーってのもピンとこないアイテムになったなと。

細かすぎて伝わらない選手権

解像度を揃えたところで、マニアの拘りでしかないので伝わる気がしない。ただし、粗い方にしても細かい方にしても、見ているものが違うというのは理解して頂けたのではないだろうか。これは、未だにくすぶっているキズナアイ関連でも同じことがおこっている。お互いに見ているものが違う上に、論点が多岐にわたってしまったが故にずーっと噛み合わないままくすぶっている。キズナアイを問題視したい人達はキズナアイを起点として女性の立場などを語りたいのに対して、キズナアイが批判されたと思っている人達は基本的にキズナアイについて論じている。このような状態で、理解して貰ってないと考えた人が話を整理する割には、両者の視点の違いが広く認知されていないので、くすぶり続けるし、お互いが勝利宣言する状態になっているのだろう。