「萌え絵」を議論したいなら、先ず定義せよ

「テロール教授の怪しい授業」をダイマする

キズナアイNHKノーベル賞解説ページに採用されたことから、一ヶ月くらい長々とジェンダロールやら萌え絵に関する議論が重ねられています。萌え絵をどのような形で、どのような場で公開すべきかについては、これまでにも何度も議論がなされています。この手の議論が起こる度に思うのですが「萌え絵」について議論したいなら、先ず「萌え絵」を定義しましょう。
「定義」と書きましたが、「萌え絵」は辞書に載っている言葉ではありませんし、学術的にも明確な言葉でありません。各々がなんとなくで使用しており、意味が曖昧な言葉です。そのため、それぞれが思い浮かべる「萌え絵」には、ぶれがあるでしょう。後にも述べますが「萌え絵」を定義するのは簡単ではありません。議論がしたいならば、論を述べる人が想像する「萌え絵」の具体例を述べてから行って欲しい。

「定義」に関しては「ネット右翼」も同様で、人によって意味合いが異なりすぎです。

さて、モーニングにて、カルロ・ゼンが原作を務める「テロール教授の怪しい授業」という漫画が始まりました。アメリカ人教授がいたいけな学生をカルトの手法で捕まえてテロに関する授業を行う、心温まるお話です。


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第二話で、教授は学生達に「テロリスト様」な格好をした人々の写真を提示し、その中からテロリストと判断した人と、そう判断した理由を問います。みなさんも考えてみてください。答えは、このエントリーの最後にでも書いておきましょうか。私が冒頭で述べた主旨を理解できる方、あるいは最後まで読んでくれた方には不要でしょうけど。

私が主に言いたいことは既に述べてしまったので、ここからは蛇足です。折角なので「萌え」と「萌え絵」に関する私の考えにお付き合いください。

「萌え」と「イイね」の関係

「萌え絵」を定義するならば「萌え」の意味を考える必要がありますが、「萌え」も随分と曖昧な言葉です。1990年前後に生まれたとされていますが、現在の意味合いは元々使われていた用法ともかなり異なっています。
そもそも「萌え」の発生が判然としません。特定の感情を表現する言葉が求められていた中で「萌え」がぴったりと当てはまったのでしょう。「エモい」や「尊い」なども同じような理由で発生したと思われます。
私は、パソコン通信で使用されていた「燃え」が誤変換され「萌え」となり、それが広まったとするのが妥当だと考えています。
巨人の星(1966ー1971年)」に限らず、熱血主人公は、しばし「燃え」ていました。「あしたのジョー(1968ー1973年)」は真っ白に燃え尽きていましたけど。「聖闘士星矢(1986ー1990年)」はコスモを「燃や」していました。そのような背景において、「燃え」がある対象に熱中することや、心を動かされることを意味するのは、想像しやすいでしょう。
「燃え」がパソコン通信で使われる中で、「もえ」とひらがなで開き、それが「萌え」と変換されたのでしょう。パソコン通信にはじまりインターネットにおけるスラングは「変換」がつきものです。もし、アルファベットしか利用できないネットゲームが流行っていたら「(笑)」が「w」に変化したように、「moe」になっていたかも知れません。
「燃え」が「萌え」に変化し、広まる過程で「恐竜惑星(1993年)」のヒロインである「萌」や「美少女戦士セーラームーン(1994年)」の「土萠ほたる」などが、触媒となり「萌え」を根付かせる一助になったとも考えられます。

私は「萌え」を「ある対象に心を動かされたことを、その対象ではなく仲間などの第三者に伝える言葉」と解釈しています。「萌え」は萌えた対象に向ける言葉でありません。これは「萌え」が主としてフィクションのキャラクターに使われることを念頭に置けば理解しやすいでしょう。フィクションのキャラクターに「かわいい」とか「心動かされた」と伝えることはできません。一方で、そのような心を動かされた気持ちを言葉にしたい思いもありました。それが「萌え」が生まれた経緯ではないでしょうか。「萌え」の対象はキャラクターですが、その言葉が向けられたのは「仲間」です。広まり始めた当初の「萌え」は、現在のSNSにおける「シェア」や「イイね」に近い意味合いもあったように思われます。「ある対象に心動かされたことを、誰かに伝えたい」という情動が「萌え」なのでしょう。そのような意味で「工場萌え」などの無機物に使われるのは、自然な流れに思えます。

「エモい」とか「尊い」なども「心を動かされたこと」を仲間に伝える言葉という点で、「萌え」と共通しています。

「萌え絵」に男の目線は必要か

私の「萌え」の定義を開陳しましたが、賛同頂けない部分もあるでしょう。しかし、開陳しない限りは「萌え」について、お互いに論じることはできません。そもそも、議論の際に先ず重要となるのは言葉の意味のすりあわせです。その上で、お互いの合意を得なければ、議論が明後日の方向に進んでいきます。お互いに見ているものが違うのですから。

「萌え」を定義しましたが「萌え絵」となると非常に難しい。先の私の定義を拡張すれば「ある対象に心動かされたことを誰かに伝えたくなる絵」と説明できるものの、これでは範囲があまりにも広すぎます。一般に用いられる「萌え絵」はより狭い特定の絵を指すことが殆どです。つまり、アニメや漫画、特に美少女の絵に対してです。ただし、漫画やアニメの絵であれば「萌え絵」と判断されるわけではありません。荒木飛呂彦の絵を「萌え絵」と断ずる人はあまりいないでしょう。また、手塚治虫藤子・F・不二雄の絵は「萌え」の萌芽はあるものの、やはり「萌え絵」と見る人は少数派に思えます。

しばし「萌え絵」は「少女漫画の顔に男性向け漫画の体を付けた絵」と説明されます。より踏み込むと「男性オタクが楽しむために用意された少女の絵」ともされます。これらの定義はかなり狭まってきていますが、まだまだ見る人に依存した定義です。
例えば、この定義からすれば「セーラームーン」は「萌え絵」と判断されませんが、「萌え」た人は多いでしょう。これは「プリキュア」も同様で、プリキュアに「萌える」ことはできますが、マーケティングとしては女の子向けのコンテンツなので「男性オタクが楽しむために用意された少女の絵」ではありません。

「萌え絵本」を眺める

「萌え絵」談議で話題になるのが、河出書房新社が出版する上北ふたごが絵を担当する絵本です。プリキュアのコミックスを担当しており、今風の絵柄の絵本です。
個人的にはかわいいと思いますが、「萌え絵」かと問われると判断に迷います。ただし「男性オタクが楽しむために用意された少女の絵」でないことは明らかです。

ある絵をかわいいとか魅力的であると感じるのは主観です。男女差もあれば、個人差もあります。ある絵を、女の子がかわいいと感じるのと男性オタクが魅力的であると感じるのは両立し得ます。「男性オタクが楽しむために用意した絵」を子どもがかわいいと思うこともあれば、「女の子向けに絵が描かれた絵」を男性が魅力的だと感じるのは、矛盾しません。つまり「萌え絵」の定義あるいは説明として「男性オタク」あるいは「男性」云々を盛り込む必要はありません。

万人が納得できるように「萌え絵」を定義するのは難しいことです。学術的に絵の手法、主題、あるいは歴史などから紐解く方法が考えられますが、簡単ではありませんし、素人には理解が難しい定義になる出よう。
個人的には 萌え絵と汎用的なイラストって何が違うの? 広告系イラストレーターの私が考える「役割」の違い – かわいいイラスト制作所 イラストレーターよぴんこ における「キャラクターの魅力を引き出すための絵」は、合点できる解説でした。「魅力を引き出す手法」を詰める必要があるでしょうが、この説明ならプリキュアや、上北ふたごによる絵本も「萌え絵」に類するでしょう。

本当の争点は「性的」か否かですよね

ある程度「萌え」と「萌え絵」が固まってきましたが、「キズナアイ」などを問題視した人達の論点は「萌え絵」ではないはすです。本来の争点は「エロ」や「エッチ」、つまり「性的」か否かでしょう。もちろん萌え絵と汎用的なイラストって何が違うの? 広告系イラストレーターの私が考える「役割」の違い – かわいいイラスト制作所 イラストレーターよぴんこにおける「萌え絵」を是としない人だっています。日本テレビの「スッキリ」にて「萌え絵本」に抵抗があるかないか視聴者アンケートを行っていましたが、抵抗のある人の方が多かったようです。


「男性オタクが楽しむために用意された少女の絵」ならば「性的」である可能性が高いです。また「キャラクターの魅力を引き出すための絵」であっても「性的」な魅力が強調されるケースもあります。
「性的」か否かは「絵」を描いた人の性別や意図で判断することではないでしょう。「性的」かどうかは「どう見えるか」あるいは「どう見たか」です。あやふやな基準ですが、ある程度の合意は形成できます。所謂「18禁」や「わいせつ罪」などは、そのような合意の上に運用されています。そのような合意を形成する際に、雑な括りで「萌え絵」を問題視したり、論じたりするのは、議論を発散させるだけです。実際、何も進展していません。「キズナアイ」始まる論争は、双方が勝利宣言をしている状態です。未だに参戦してくる人がいるのも、ジェンダロールとか萌え絵とか性的であるかとか、論点がぐちゃぐちゃになっているからでしょう。まぁ、最初に問題視した人の論点がぶれぶれだったのが、ここまで延焼している一因ですよね。

最後に答え合わせ

長々と私の持論に付き合っていただきありがとうございます。あるいは、答えを見に来た人だけもいるかもしれませんが、興味をもってもらって嬉しいです。
話合いをするには、地ならしが必要で、そのためには言葉を尽くすしかありません。その点でTwitterは議論に不向きなのは間違いないです。ただ、だからと言って、言葉の意味など共通認識の形成を怠ってよい理由にはなりません。

さて、冒頭にしめした「この中のテロリストは誰でしょう」の答えは「この条件だけでは答えられない」です。納得のいかなかった人は、モーニングを読むか、コミックDAYSを読むか、単行本を待つのです!