薄い濃いかは使い方次第

切込隊長の事例はかなり特殊なんだろう。モバツイ使ってる人もいる筈だから必ずしもPCの前にいるとはいえない。twitterで発言してるから、PCの前にいるはずで、それなら仕事の催促しちゃおうと思ってる側もなんかすげーが。まぁ、それ以前に「仕事やってないのが当たり前」という信頼関係がまずいんだろうけども。

一方で Twitterでライブドアに入社しました。 なんて人もいる。切込隊長は「私たち繋がりすぎなんじゃね」というが、それは使い方次第で、結局は人間関係の距離感のとり方の問題だと思うのだ。

偶に繋がるから面白いtwitter(遅延の話ではない)

僕はtwitter程薄いコミュニケーションは無いと思っている。皆が好き勝手に書き込んでいる。基本的に反応はいらない。投げっぱなしで良いところが心地よい理由だと思う。ただ、反応があると嬉しい。自身が投げっぱなしで良いと思って書き込んでいるので、他人の発言も興味のあるものしか反応しない。過去ログも暇な時くらいしか見ない。僕は根っからのツッコミなので自分に答えられそうな質問が投げられてると@で返してますけど。気付けば、自身のarchiveが@返信ばかりになってますけど。

インターネットは好きですか? ではインターネットは皆が目隠しをしてそれぞれ好き勝手な方向に好き勝手にしゃべっている状態と表現している。偶に、聞いてる人がいる方向に喋っている。これは、twitterでそれぞれが好き勝手なこと書き散らしている状態に似ている。そして、偶に好き勝手ながら会話が繋がる。

twitterでは各人が自由に独り言を発し、たまに、それが繋がり会話が成立します。現実社会では、類似しているものとして、精神病棟ぐらいしか思いつきません。

eigokun氏のtwitterでの発言は適当な呟きなんですが、不謹慎ながら結構当ってるんじゃないかなーと。
僕は、その偶に繋がる感が面白いのですが。

twitterの可視化

twitterは全体を俯瞰することが難しのがミソなのだろう。基本的に自身がFollowingした人しか見ない。Followingしていない所で話が進んでも、何の話をしているのか分からない。もしかしたら、独り言を呟いているだけかもしれない。話題が伝播していくこともあるけど、この伝播も見ることは難しい。その伝播を可視化するのは、今のところ手動しかない。例えば、ついったーじゃんくしょん | おでん とか。
伝播を可視化するのは難しいけど、ホットなキーワードを可視化したのが、buzztter。また、アルファツイッターユーザーのFavoriteを可視化したのが、ふぁぼったーtwitter内部の検索に特化したのが、Twitter検索 : SearchTwitter検索 : Search ならある程度のキーワードならFollowingしてなくても話題を追うことが可能である。

全体を「俯瞰」するシステムができるたび、新しい視線が生まれ、新しい規範が生まれる。

目を手に入れることで見ることができるようになり、新しい概念が生まれる。何事も可視化しないと、新しい概念は生まれない。知覚できない限り、それは無いに等しい。
このように、twitterを可視化するシステムがどんどん生まれると、新しい発想が生まれてくるのじゃないかなと。

使う距離を考える

切込隊長は「私たち繋がりすぎなんじゃね」と言うがそれは使い方次第。オフ会バリバリしてる人もいれば、ブツブツと呟いてるだけの人もいる。それぞれ心地の良い距離感で使えばいいと思う。繋がり過ぎってことは、使い方として近すぎるんだろう。僕は基本投げっぱなしで良いと思う。投げっぱなしなコメントが繋がっていき、自身の手の度々か無い所まで行ったら面白いと思う。その後忘れた頃に、ふぁぼったー とか、buzztterTwitter検索 : Search で可視化されたのを見るのもまた一興である。