作品にリアリティを持たせるために上手に嘘とつき合う

リアリティという言葉は便利だ。僕は常々リアリティよりも「説得力」が正しいのではないかと考えているのだけど、ここでは敢えて「リアリティ」を使うことにした。
ある作品がリアルだなと思えるのは、その作品に有無を言わさない「説得力」があるからだ。人が作品にリアリティを感じるときに、その「リアル」が現実に起き得るか否かはあまり関係ない。その作品中で、その「リアル」が起き得ることを説得させれば良いのである。例えば、推理小説の最後に何の説明も無く「密室殺人は霧状に変化した吸血鬼の仕業でした」では読者を説得することはできない。しかし、その推理小説中に吸血鬼がいるような話を構築できれば読者を説得できるだろう。共に、荒唐無稽な推理小説ではあるが前者はリアリティが無いと断じられるに違いない。

攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX精霊の守り人のリアリティ

ユリイカ 2007年6月号 特集=上橋菜穂子 〈守り人〉がひらく世界

ユリイカ 2007年6月号 特集=上橋菜穂子 〈守り人〉がひらく世界

攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX(以下S.A.C.)は精霊の守り人は共に神山健治監督作品のアニメである。どちらの原作付ではあるが、一旦神山健治により解体され再構築された作品に仕上がっている。共に原作のコピーなのだが、彼独自の世界観で構築され、非常にリアリティ溢れる作品である。さて ユリイカ 2007年6月号 特集=上橋菜穂子 〈守り人〉がひらく世界神山健治が両作品に関してインタビューに答えていたので要約する。立ち読みで記憶が曖昧な部分もあるかもしれないのでその点はご了承ください。

神山健治はS.A.C.にリアリティを持たせるために舞台を現在の延長線上に置いたという。また、作中で起こる「笑い男事件」を始めとする様々な事件や問題、政治、社会情勢も実話や現代を元にしている。S.A.C.は現実を担保とすることで作品にリアリティを持たせることができた。それは、S.A.C.が現代の延長線上にあるSFだから可能なことである。しかし、現実の世界と全く接点の無いファンタジーである「精霊の守り人」は、S.A.C.と同じ手法でリアリティを持たせることができない。
精霊の守り人」はファンタジーであるから全てが嘘である。ファンタジーを現実の世界とてらし合わせてみても、嘘で嘘を塗り固めるようなものだ。だから、登場人物のキャラクターや世界観のリアリティは原作で十分に補われているのに、ファンタジーの映像化は難しい。ファンタジーを映像化する際に嘘でない部分とはどこか。それは背景である。そこで、神山健治は「精霊の守り人」の背景を極限まで書き込むことで作品にリアリティを持たせた。実際に「精霊の守り人」における背景は非常に美しく、一見しただけでどのような場所で、どんな気候で、季節がいつかさえも分かるようになっている。そして、その美しい背景が作品へさらなる厚みを持たせることに貢献している。これは、美術監督として活動していたことが活きたのだろう。

ちなみに、元々神山健治は背景が不得意だったそうだ。アニメ制作に携わるようになった際に敢えて苦手な背景や美術の仕事をする挑戦したらしい。これは、背景を緻密煮まで書き込む押井守の影響のようだ。

上手な嘘のつき方

僕は嘘を付くのが好きである。ネットでは誤解を直ぐ解ける状態で無い限りやりませんが、日常生活ではよく嘘を付く。嘘を付くといっても嘘知識というか、ウソチクなど他愛の無いもの。勘違いしていて致命的な場合は嘘ついた後に嘘だよと教えます。教えますが、そんなんだからミシュランガイドはタイヤメーカーのミシュランが作ってるんだよと教えてあげても、3人中3人に嘘教えるなと怒られるんですが!
さて、皆さんは上手な嘘のつき方をご存知か。
先ず、嘘はなるべく最小限にする。嘘を嘘で塗り固めていくといつか必ずボロが出る。嘘で嘘を塗り固めるには、付いた嘘を忘れ無い並外れた記憶力と、新たなる嘘を思いつく類い稀なる発想力が必要です。
つく嘘を最小限にするには、真実の中に少しの嘘を混ぜれば良い。嘘の体験談を語るにしても、まるっきり嘘では荒唐無稽になるので、自身の体験を元に嘘を構築した方が真実味を増す。恐らく、2ちゃんねるで釣りたいなら、丸々考えるよりも、実体験あるいは伝聞や本などを改変した方が良いだろう。

嘘をついて説得力を持たせる

嘘を最小限にするのは、作品にリアリティを持たせる場合も同様である。フィクションなど全てが嘘なのだからリアリティを持たせるのは難しい。
作品にリアリティを持たせる手法として、例えばSFならば科学考証を、歴史ものなら時代考証などきちんと考証して整合性を持たせるのが正統派か。例えば、悪魔や妖怪、あるいは神などを出すにしてもしっかりと調べ上げる。決して何となくでは出さない。入念に考証したことは一部のマニアにしか分からないが、それが作品にリアリティを産む。これはある特定の業種を舞台にした物語も同様。特定の業種を元にした物語なら如何に、その業種の人に「あるある!」と思わせるかが一つのポイントになろうか。
漫画で言うならよつばとげんしけんがこの類いか。共に、日常を元にしたある種のファンタジーではあるが、真実を元に嘘を構築している作品に思える。特によつばとは、先に挙げたアニメ版「精霊の守り人」同様に、緻密に書き込まれた背景によりリアリティを獲得している作品でもある。よつばとに関しては、よつばと!の謎はかーちゃん視点で読めば割と解ける。 なる考察が面白い。

類い稀なる発想力というか、パワーがあるなら嘘を嘘で塗り固めていくのも一つの手である。僕の知っている作品を上げるなら、JOJOのスタンドは荒唐無稽だけどあの画力と緻密な異能力バトルによってリアリティを獲得している。まさに力技。ドラゴンボールのカメハメ波にしても、ドラゴンボール世代なら一度はエアカメハメ波をやってみたことがあるはずだ。カメハメ波なんて嘘なんだけど、なんか出そうな有無を言わせぬ説得力である。年代が下れば、ライダーキックやスペシウム光線になるのか。理屈は良く分からないが、本当っぽい。それは、製作者がまじめに嘘をついているから。決して子供騙しで済まそうとしてない。作品にリアリティを持たせるには、もっとまじめに嘘をつけ ということだ。

リアリティを持たせるために逆に嘘をつく

これまでは、嘘であるフィクションにリアリティを持たせるための方法として、真実の中に嘘を混ぜる、あるいは真実を元に嘘を作る方法を述べた。しかし、逆にリアリティを持たせるために嘘をつく場合だってある。これが多く見られるのが映像作品。例えば、普通の笑い顔を写真にとっても微笑み程度にしかならない。笑顔を撮りたいならば、過剰とも思える笑い顔を作る必要がある。被写体はカメラを通すと、演出が控えめになったり過剰になったりする。人間の見た目を実現する、つまりリアリティを出すために演出が過剰になる場合が少なくないのがテレビであろうか。少しの嘘ならば問題ないが、これが行き過ぎると捏造になってしまう。分かり易くするためとはいえ、行き過ぎは良くない。

リアリティを持たせるために嘘をつくのはゲームも同じ。例えば、ゲームデザイン研究所 第2回:ゲームのリアルって何よ!? に挙げられるスーパーマリオブラザーズスーパーマリオブラザーズの物理は現実にはあり得ない。あんなにフワッとジャンプしないし、ジャンプ後にその軌道を自在に操るなど考えられない。しかし、このジャンプ後に操作できる点がマリオを自在に操れるという点でプレイヤーにリアリティを感じさせる。その点、魔界村はジャンプ後に軌道が変えられない点でリアルであるが、難しい。

例えば、リアルということ エースコンバット/エースコンバット2 に挙げられるエースコンバットシリーズも嘘によりある種のリアリティを実現している。現実にエースコンバットに登場するようなミサイルを数十発も搭載で、高硬度でも失速せず恐ろしい旋回能を持つスーパー戦闘機など無い。しかし、そのような嘘をつくことで戦闘機で大空を自由に飛び回るというリアリティを実現している。
あるいは、第17回 「マリオカート」と「ニコニコ動画」の共通点 で説明されるマリオカートの「加速ドリフト」。実際の車でドリフトしたら減速するはずである。プレイヤーもリプレイなどで観客的な視点で見たらそのように考えるはずだ。しかし、プレイヤー的視点で見ると、ドリフト時には画面がめまぐるしく変化し加速したように感じる。加速したように感じるのに、減速するのはプレイヤーの感覚と乖離している。そこで、マリオカートではドリフト時に加速する仕様になっている。これも、現実的に考えれば嘘であるが、嘘をつくことによって逆にリアリティを持たせている。

マンガやアニメの物理法則も、現実の物理法則に従わずマンガ物理学 - Wikipedia などと揶揄される場合もある。しかし、マンガ物理学もリアリティ=説得力を持たせるために敢えて嘘をついているわけである。

まとめ リアリティと嘘の微妙な関係

本当らしい嘘をつくなら少しの嘘で。才能があるなら力技で嘘で嘘を塗り固め続けるのもアリ。
嘘も方便で、本当のことをより本当らしく見せるために嘘をつく場合だってある。
本当らしい嘘をつくのが、フィクションを作る時。嘘を減らしたいなら、考証をしっかりやる。考証をしっかりとすることでそこだけは本当になり、つかなければならない嘘が減る。才能があるなら、力技で嘘を信じ込ませても良い。例えば怪談などは話術と雰囲気で信じ込ませる。小説は文章力で。マンガなら画力でなど。
ノンフィクションでは、本当らしさを出すために嘘をつく場合もある。偉人の伝記の逸話の全ては本当の話ではない。例えば、雪舟も写楽も、ピカソダヴィンチもダリもミケランジェロも、幼少の頃に涙でネズミの絵を描いた逸話がある。テレビもその一つで、通常は演出を呼ばれるが行き過ぎると捏造だ。ノンフィクションであると謳われたプロジェクトXでもそれは問題になった。また、現実をシミュレートしたゲームも本当らしさを出すために嘘をつく。客観的に考えたら嘘であるが、プレイヤーの主観的には嘘のほうが本当っぽい場合、その嘘がリアリティを産む。
嘘をつく、つまりフィクションを作る場合は嘘を減らす。一方、本当のことでも少し嘘をついた方が信じてもらえることもある。リアリティを獲得するには、上手に嘘とつき合わなければならない。