ツアーでパック旅行か、自分で手配して旅行するか

昨日の 与えられることに慣れすぎたゲーマー に関連して、ユーザーが自由度をどのように楽しむかの問題は旅行のスタイルに似ている。

「自分を楽しませろ!」か「自分で楽しむぜ!」か

「自分を楽しませろ!」というスタンスの人はツアーでパック旅行に行くし、「自分で楽しむぜ!」って人は自分で計画を立てる。
パック旅行なら、交通も食事も宿も手配され、主要観光スポットを上手く巡れるようなツアーが組み込まれている。ツアコンの観光スポットでも説明もあるので分かり易い。初めて旅行する場所や、色々見たい場合は非常に便利である。旅行代理店も「楽しませる」ことを重点を置いている。しかし、その反面あるスポットが気に入ったので、予定を変えて長居しようとかはできない。「楽しませる」反面、計画がきっちりしているので自由度は低い。
自分で手配する場合は、全てを自分で計画しなければならない。飛行機から、宿。観光スポットの計画や、要所要所の交通。さらに、食事の場所までも。観光するにも、由来等は自分で勉強しないといけない。自由度が高い反面、計画をきちんと立てられないとグダグダな旅になることもしばしば。しかし、自由度が高いので回るスポットを好きなだけチョイスできるし、思いがけない出会いもあるだろう。
どちらが好きかは個人の嗜好だが、僕は後者が好きだ。旅は準備が一番楽しいと言うように、計画している時も楽しい。さらに、自分で巡るので、自分で旅をしている感がある。そういえば、僕はRPGでフィールドを歩き回るのが好きなんだけど、これは旅をしている感があるからだろうか。

世間様は時間が無い

世間的にどちらのタイプが多いかはデータが無いのではっきりしませんが、前者の「自分を楽しませろ!」というパックスタイルが多いのではないかなと。まぁ、パックのほうが値段的にお得ですからね。さらに、日本人の休みは短いので要所要所を回れるパックのほうが楽しめる。自身で計画を立て楽しむには、計画するにも旅行するにも十分な時間が必要ですからね。

ここで、ゲームの話に戻すと、ライトユーザーは前者の「自分を楽しませろ!」でハードユーザーが「自分で楽しむぜ!」にあたるのでしょう。
ライトユーザーは時間が無い。時間が無いので、前もってゲーム情報もあまり調べずに買う。だから、続編物が売れる。試行錯誤する時間も無い。だから、「遊ばせる」ゲームが売れる。ただ、「遊ばせる」ために長いムービーゲームを延々見る羽目になるおかしなパラドックスがあるのですが。
一方ハードユーザーは時間がある(ゲームに割く時間が多いとも言う)。だから事前にしっかりゲーム情報を調べる。というか、調べて発売日までワクワクすることすら楽しむ。さらに、ゲームも如何に楽しむかというスタンスで楽しみ、色々試行錯誤する。

割合的にはライトユーザーが多いので、「遊ばせる」ゲームが多いのは仕方が無いのかなーと。

DS登場以降のゲーム層の再編成。

ライトユーザーは時間が無い、ヘビーユーザーは時間があると書いたのだけど、DSが出て以降では幾分状況が変わってきているような気がします。DSが出たからなのか、偶々DSが出た頃が再編成の時期だったのか分かりませんが、ゲームを自ら楽しみたい層に時間が無いようなのだ。一方で、ゲームを楽しませろ!という層に時間があるようなのだ。だから、RPGのクリア時間が長大になる一方なんだろうか。
もちろん、今までのように時間が無くて「楽しませろ!」という層や時間があって「楽しむ」層もいるんだけど。
ゲームを楽しみたい層は時間が無いので、長大なRPGを楽しむ時間が無い。ムービー見てる暇があったらゲームそのものがしたい。だから世界樹の迷宮が一部の層でヒットしたんじゃないかなと。そして、ゲームを中心に楽しみたい層がいるから、CGが綺麗なだけじゃダメだという声が上がるのでしょう。そりゃCGが綺麗でゲームも面白ければ最高ですが。じゃあ実際にCGの綺麗さに見合うだけのゲームがどれ程あるのか。むしろ、CGの綺麗さで誤魔化しているゲームのほうが多いんじゃないか。CGが綺麗な方がゲームを遊ぶ上でも楽しいです。しかし、CGの綺麗さをゲームを遊ばせること=ムービー+小手先の綺麗さ、だけに使っているからユーザーはCGが綺麗なだけと文句を言うのでしょう。

さて、DS自身も新たなる層を生み出しているようで、それが、純粋にゲームというか遊びを簡単に楽しみたい層。ここら辺に、悩トレとか目力なんかが売れているのではと思います。

仮面の男 解説

Lingua furanca.のお題の第9回である「リアルとサイトについて」として書いた、僕の記事である仮面の男 の解説。

実名とHNと匿名と

ネットを巡回する際に、一つのHNを使い続ける人と、様々なHNを使い分ける人がいます。僕は後者のタイプで、lastlineの他に、よりリアルに近い側のHNを持ってます。
HN一つであらゆるネットに関る人でも、2ちゃんねるなどを利用する場合は匿名なんて人は多いのではないでしょうか。また、2ちゃんねる複数の板を利用している場合は、その板の雰囲気に合わせ文調を変える人もいるでしょう。僕の場合、2ちゃんねるではありませんが、ニコニコでは、lastlineとしてなら絶対使わないような言葉を使いまくりです。
このように、名前の使い分けは、ある場でどのように振舞いたいかによって変る。つまり、それはHNや匿名の使い分けである。そして、その場でどのように振舞うべきか、あるいは振舞いたいかで言葉が変わる。たとえば、僕なら、はてダとはてブの言葉遣いは微妙に違います。それは、はてブよりもはてダのほうがより外を向いているから。はてブの方が自分の家感覚で、はてダの方が余所行き感覚。来ている服が部屋着か外着かみたいな。
名前を使い分けるのは、シャアことキャスバル改めクワトロのように仮面を付け替えるようなものである。サイトによってその仮面を使い分ける。僕の場合は、リアルとの係わり合いでその仮面を付け替える。lastlienなら匿名ほどリアルと遠くは無いけど、リアルに近い側のHNに比べるとリアルと遠い。全くリアルと隔絶したいわけではないが、リアルの人間とこのHNとでは関りたくないと言う感じ。

ペルソナ

仮面を付け替えるのは現実でも同じこと。友達と上司の前とでは、口調が違う。特に一人称は全然違う。これもある意味仮面だろう。仕事でも、上司と同僚の仮面は違う。だから、上司に誘われ飲みに行ってもあまり気が晴れないのかしら。上司用の仮面のままじゃ気が晴れないですわ。
この仮面が如実に出るのが同窓会。自分自身、中学→高校→大学とでそれぞれ違うキャラを確立し、中学自体とは全然変ったなーと思うのですが、中学の同窓会に出ると何故か立ち位置が中学生の頃の戻る。これは、その場の雰囲気がそうさせるのでしょうか。所謂「変ってねーな」というのは、大変はその場の雰囲気により当時の仮面に戻るのも一因なのではなかろうか。

解説

自室の仮面と、戸棚の仮面を分けたのは、僕があまりサイトにリアルを持ち込まないから。ただ、所詮仮面で顔だけしか隠れないので、別の仮面をしていても、体格やしゃべり方などから滲み出るものがある。つまり、サイトからリアルへ、リアルからサイトへ漏れ出るものもある。ただ、信条としては別々にしておきたい所。
ちなみに、落ちは僕がオフ会に行くような人間なら「オフ会」と書かれた仮面をつけて出て行くのですがね。