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携帯型ゲーム機の流れをテキストで長々と

ここでの携帯型ゲーム機とは、ROMを利用して様々なゲームを遊べるゲームボーイ等のゲーム機をさす。ソフトウェア内蔵式の小型携帯デーム機は、電子ゲーム機(ポケットゲーム)などと表記する。
ゲームボーイをはじめとする携帯型ゲーム機を中心に語るが、世間的に話題となった電子ゲーム機や携帯電話等にも簡単に触れる。以下に参考したサイトを示す。

0. 関連リンク

以下のリンク先などを元に独自にまとめた。

1. 携帯型ゲームの黎明期

一般に、世界で初めてLSIを搭載した携帯型電子ゲームは、1976年にアメリカのマテル社が発売した、Mattel Auto Raceとされる*1。これ以前にもアーケードゲームを模した携帯型ゲーム玩具は存在したが、モーターなどを利用した機械玩具であり、電子ゲーム機には含まれない。同社が、1977年に発売したMattel Footballがヒットし電子ゲームが各社から発売される。
1976年頃と言えば、4種のゲームが遊べるLSIチップが開発されたり、世界初のマイコン搭載家庭用ゲーム機である、CHANNEL Fが発売され、その翌年にはアタリがAtari 2600を発売している事である。
日本においては、1978年にスペースインベーダーがヒットしビデオゲームブームに火がつく。この頃から日本でも家庭でビデオゲームをという流れが起こり始めたと思われる。据え置き型ゲーム機をはじめ、電子ゲームも火がつき多くのメーカーが様々な商品を発売した。当時は表示素子にLEDやFL(蛍光表示管)を用いるゲームが多かった。

据え置き型ゲーム機も電子ゲーム機も様々なメーカーが参入し混沌とした中、1979年にMilton Bradley Company社より世界初のモノクロ液晶搭載でカードリッジ交換式の携帯型ゲーム機である Microvision が発売される*2。ただし、日本では発売されていない。CPUはロムカセット内に搭載されていた。カードリッジ交換式の家庭用据え置き型ゲーム機が発売されたばかりの時代であったため、Microvision はあまりにも早すぎた登場だったと言えるかもしれない。また、同社は後の1982年にVectrex(日本では光速船として知られる)というディスプレイ一体型の据え置き型ゲーム機を発売している。

日本では1970年代後半から電子ゲームが数々発売される。そして、1980年4月28日に任天堂より社会現象を巻き起こすゲーム&ウオッチが5,800円で発売される。クレジットカード程度の大きさで値段も手ごろだったため爆発的ヒットとなる。小さなサイズは高価だった液晶画面をたくさん使用せずに済みコスト削減にも繋がった。時計としても機能するためゲームではなく時計代わりという口実で買った人もいたとかいないとか。また、ゲームコントローラ史としては初めて十字キーが採用される等、ゲーム機の歴史において重要なハードと言える。インパクトが強いせいか、世界初の携帯型ゲーム機とされることもあるが誤りである*3。しかし、電子ゲーム、あるいは携帯できるゲーム機を一般に広めたのはゲーム&ウオッチによるところが大きいだろう。

ゲーム&ウオッチや、据え置き型ゲーム機の登場によりFL(蛍光表示管)型の電子ゲームは徐々に衰退していく。そして、1983年7月15日にファミリーコンピュータが14,800円で発売される。電子ゲームの価格が6〜8,000円だった事もあり、徐々に衰退。液晶画面を用いた電子ゲームも発売されるが、ゲーム&ウオッチを超えるヒット商品はないまま一定数生産され続ける事となる。
また、1980年代前半にはゲーム電卓が電子ゲーム隆盛の中電卓メーカーにより発売された。例えば、1980年にはカシオよりMG-880「デジタルインベーダー」が4,900円で発売されている。しかし、電子ゲームのような市場を獲得するには至らなかった。さらに、同年にシャープよりポケットコンピュータが3〜4万円程度で発売された事を記載しておく。

備考:高橋名人シュウォッチ

1986年6月13日にハドソンより発売されたスターソルジャーが一大ヒット。スコアアタックの全国大会も開かれ、高橋名人16連射が一世を風靡する。これによりシューティングゲームが流行し、それと共に連射ブームもやってくる。連射練習用としてハドソンが1987年に連射能力測定機能付きの時計であるシュウォッチを発売する。当時で100万個売り上げたそうである。
2008年9月に復刻版が先行発売され、12月18日に一般販売された。

2. 携帯型ゲーム機時代の幕開け

世界初のカードリッジ交換型のゲーム機は Microvision である。日本初は1985年の春にエポック社より発売された、ゲームポケコンであろう。定価は12,000円。ファミコンが登場するまで日本で最も売れた据え置き型ゲーム機であるカセットビジョンのハンディ版として発売された。液晶画面の大きさは後に発売されるゲームボイーイと同程度だが、75x64ドットのモノクロ。また本体サイズも縦はゲームボーイと同じだが、横はゲームボーイの約2倍と大変大きい。この大きさと液晶の解像度が災いしたのか、さらに1983年にファミコンが登場し1985年に大ヒットしたことからか普及には至らず市場から姿を消す事となる。

2.1 ゲームボーイの登場

カードリッジ型の携帯型ゲーム機の投入は何度かなされているが、本格的な普及に至るのは1989年4月21日に任天堂より12,800円で発売されたゲームボーイである。液晶画面は4階調モノクロ、160×144ドットで電源は単3電池4本で30時間程度使用できる。乾電池を使用しているため各国に普及し、2002年3月末までに世界で約1億1842万台(うち日本国内約3243万台)が出荷された。1990年〜1991年の湾岸戦争においても兵士の暇つぶし用に使われた。
ゲームボーイの耐久性に関しては数々の伝説的な逸話があり、任天堂の社長だった山内溥が完成したばかりの最終デモ機を床に叩き落としたが問題なく動作した、ゲームボーイが耐久性テストで他製品を圧倒した*4、先の湾岸戦争において爆撃を受けたあとも動いた*5などがある。
同時発売のスーパーマリオランド、6月14日のテトリス、12月15日に発売されたゲームボーイ初のRPGである魔界塔士Sa・Gaなどキラーソフトに恵まれ普及を果たす。しかし1994年末にセガサターンプレイステーションが発売された事で、徐々にユーザーが離れていった。そんな中、1996年2月27日にポケットモンスター赤・緑が発売され大ヒットし、小中学生を中心に再度売れ始め復活を果たす。ポケットモンスター赤・緑ゲームボーイの通信機能を最大限に生かしたゲームである。ポケモンの交換と対戦が可能で、交換は互いに所有しないポケモンのトレードや、交換のみで進化するポケモンといったギミックがあり、対戦は互いの手が見えないことで白熱した戦いを繰り広げる事ができる。

2.2 ゲームボーイのライバルたち

ゲームボーイが発売された同じ年である、1989年11月20日にアタリよりAtari Lynxが29,800円で発売される。初のカラー液晶搭載で8人まで対戦が可能であった。3.5インチ液晶搭載。しかし、価格が効果であった事とアルカリ単三乾電池6本で2〜3時間しか稼動しなかったこと、本体が大きく重くさらにソフトを充実できなかった事などから普及には至らなかった。

翌年の1990年10月6日にはセガよりゲームギアが19,800円で発売される。液晶は160 × 144ドットで同時表示色数は4096色(ただしゲーム中は32色)。TVチューナーパック(12,800円)で液晶テレビとしても使用可能。Atari Lynx同様にカラー液晶で、そのため消費電力が大きくアルカリ乾電池6本で約3時間程度しか連続使用できなかった。その代わりACアダプタはメガドライブ用が使える。ちなみに、ファミコン用のACアダプタも使用可能。
電池の持ちもさることながら、STN液晶のため視認性もよくなかった為ゲームボーイを追従する事はできなかったが、ソニック・ザ・ヘッジホッグなどソフトが充実した事で、Atari Lynxよりは売れた。
1996年3月29日には低年齢層向けにキッズギアが14,800円で発売された*6。また、1995年10月にメガドライブの携帯版であるNomadがアメリカで発売されているが、日本で発売されていない。

ゲームギアの発売後である、1990年12月1日にNECよりPCエンジンのソフトがそのまま遊べるPCエンジンGTが44,800円で発売される。ゲームギア同様にTVチューナ(14,800円)によりテレビを見る事ができる。2.6インチのTFT液晶を採用。据え置き型ゲームとの互換性のある初めての携帯型ゲーム機であるが、価格が高すぎた事、電池の持ちが悪かった事などから直ぐに市場から姿を消す事となる。そのため希少価値が高い。ちなみに似たようなコンセプトとして、1991年12月13日にディスプレイが一体型のPCエンジンであるPCエンジンLTが99,800円で発売された。ただし、バッテリは内蔵していないので携帯型ゲーム機ではない。LTもGT同様に稀少である。

2.3 備考:バーコードバトラー

電子ゲームにおいては、1991年にエポック社より6,800円でバーコードバトラーが発売され大ヒットする。所謂携帯型の電子ゲーム機ではないが、商品のバーコードを読みとり対戦するというコンセプトは独創的であり、コロコロコミックとのタイアップや全国大会などブームとなったため記載しておく。また、類似商品として1982年よりバンダイからスーパーバーコードウォーズが発売される。バーコードバトラーがコロコロだったため、こちらはボンボンとタイアップした。

3. ゲームボーイの復活とカラー化

最初のードリッジ交換型の携帯型ゲーム機任天堂ゲームボーイが制することとなる。ゲームボーイは1989年の発売以来特に技術革新が無かったが、これは液晶ディスプレイ技術が発展途上であったからだろう。しかし、1994年よりセガサターンプレイステーションの発売によりゲームボーイにかげりが見え始める。そんな中、1998年に携帯型ゲーム機業界に新たなる風が吹き始める。

3.1 ゲームボーイ

1994年6月14日に、ゲームボーイのソフトをスーパーファミコンでプレイ可能な周辺機器であるスーパーゲームボイーイが7,000円で発売された。同年1994年11月21日に灰色のみだった本体カラーにホワイト、レッド、イエロー、グリーン、ブラック、スケルトンを加えたゲームボーイブロスが発売され、ゲームボーイの価格も8,000円となる。前述したが、この頃から徐々にゲームボーイの売上も落ち始める。しかし、1996年に発売されたポケットモンスターにより巻き返しが起こりゲームボーイ市場は復活を果たす。
ゲームボーイは廉価版が多く、1996年7月21日にはゲームボーイポケットが6,800円で、1998年4月14日には同価格でゲームボーイライトが発売される。 共に初代よりも小型化軽量化がなされており、ゲームボーイポケットは単4型乾電池2本、ゲームボーイライトは単3型2本で駆動する。
そして、1998年10月21日にカラー液晶を搭載したゲームボーイカラーが8,900円で発売される。画面はTFT液晶で160×144ドット、32768色中最大56色表示可能。 ゲームボーイのソフトもプレイ可能であり赤外線通信を備えていた。また、ゲームボーイゲームボーイカラーの両方に対応したソフトも発売された。

3.2 ポストゲームボーイを狙う携帯型ゲーム機

1998年10月28日にSNKよりネオジオポケットが7,800円で発売される。液晶は、モノクロ8階調で160ドット×152ライン。 単4乾電池×2本で20時間稼動。占いや時計などの内蔵ソフトを搭載していた。ゲームボーイカラーの発売から一週間後であり、さらにモノクロであったためほとんど売れなかった。結局ネオジオポケットカラーを発売する事となる。
翌年の1999年3月4日には、バンダイより4,800円でワンダースワンが発売される。任天堂ゲームボーイを製作した横井軍平の会社コトが、企画・開発に大きく関わった。2.49インチのFSTN反射型LCDでモノクロ8段階調、224x144ドット。単3型アルカリ乾電池一本で30時間駆動。縦横両方にプレイ可能な携帯型ゲーム機である。ちなみに音質が良い。低価格で長時間駆動を売りにした事で、先のネオジオポケットよりも売れたがゲームボーイカラーによるカラー化の流れには勝てずにワンダースワンカラーを発売する事となる。

3.3 メモリーカード型携帯型ゲーム機

1998年11月27日にセガよりドリームキャストが発売される。ゲームデータの記憶媒体としてゲーム機能を備えたビジュアルメモリ(2,500円)が採用された。ミニゲームドリームキャストよりダウンロードしプレイできる。また、専用のミニゲームを搭載したビジュアルメモリも発売された。2台のビジュアルメモリを接続し、データの交換や対戦が可能であった。
ビジュアルメモリの類似商品として、1999年1月23日にプレイステーションのメモリーカードとしても使用できるポケットステーションが3,000円で発売された。赤外線通信ポートを搭載し、ポケットステーション同士での通信が可能。どこでもいっしょのヒットにより一時は品薄であった。
ビジュアルメモリドリームキャストの終焉共に、ポケットステーションも徐々に対応ソフトが発売されなくなり2002年7月19日に生産を終了した。結局、メモリーカードにゲームをダウンロードするというコンセンプトは受け入れられなかった。しかし、現在のPSPDSiのように携帯型ゲーム機本体や携帯電話にゲームをダウンロードする方式は成功を収めているため、メモリーカードにゲームを付加するという中途半端なスペックが普及しなかった一因ではないだろうか。

3.4 キーチェーンゲームの隆盛

1990年代末期になると、価格と小型化による手軽さから電子ゲームブームが再燃する。
1996年にゲームテックより、テトリン55が1,300円で発売される*7。キーホルダー程度の大きさでテトリスをモチーフにしたゲームである。安価な価格とその小ささから中学・高校生を中心に流行。また、同年1996年11月23日にバンダイよりたまごっちが1,980円で発売され、翌年の1997年には社会現象を巻き起こす。女子高生を中心にブームとなり、アニメなども展開された。一時期は品薄であったが、1999年にはブームが過ぎ去りバンダイは大量の在庫を抱える事となった。
たまごっちや、テトリン55の登場により、小・中学生や高校生を中心にキーチェーンゲームがブームとなる。1997年6月にモンスターを育てる携帯ゲームであるデジタルモンスターが1,260円で発売され、小学生を中心に浸透し1999年にはアニメ化される。1997年12月18日には、ハドソンより2,480円でてくてくエンジェルが発売される。歩数計機能付き携帯型育成ゲーム機で一日に歩いた歩数によりキャラクターと連動しキャラクターが成長する。消費カロリーと移動距離も表示される。同じ、歩数計機能付き携帯型ゲーム機としては1998年3月27日に任天堂が2,500円で発売したポケットピカチュウの方がキャラクター人気のせいか有名である。
ポケットピカチュウのハードウェアをそのまま流用した関連用品として1998年8月21日にはポケットハローキティ任天堂から、2000年6月23日に発売したポケットサクラがメディアファクトリーから発売されている。ポケットピカチュウとポケットサクラは共に赤外線通信でポケットモンスター 金・銀・クリスタルやサクラ大戦GB 檄・花組入隊!と通信が可能である。
キーチェーンゲームは携帯型ゲーム機よりも小型で安価であるため、多くの人々に楽しまれたが、1998年頃からゲームボーイカラーや携帯電話の普及により徐々に沈静化していくこととなる。

4. ゲームボーイを超えたゲームボーイアドバンス

4.1 ポストゲームボーイへの再戦

ゲームボーイカラーに敗れ去ったネオジオポケットワンダースワンであったが、カラー液晶を搭載し再起を図る。
ネオジオポケットの発売から約半年後である1999年3月19日にはネオジオポケットカラーが8,900円で発売される。反射型TFT液晶で、160ドット×152ラインで4096色中146色を同時表示可能。単3乾電池2本で40時間連続使用可能である。ネオジオポケットとも互換性があり、ゲームボーイアドバンスが発売されるまで最も高性能な携帯型ゲーム機であった。ネオジオポケットの不振からSNKは赤字となり、また十分なラインナップのソフトをそろえる事ができず普及には至らなかった。
2000年12月9日に、バンダイワンダースワンカラーを6,800円で発売。2.8インチ反射型FSTN液晶で224ドット×144ライン、4096色中241色を同時に表示可能。単3型アルカリ乾電池で20時間使用できる。ワンダースワンのソフトも使用できる。ファイナルファンタジーをはじめとして、スクウェアのゲームが移植され話題となったが2001年に発売されたゲームボーイアドバンスには及ばず、2002年7月12日にSTN液晶からTFT液晶へと改善したスワンクリスタルが7,800円で発売される。ファイナルファンタジー3の移植などが予定されていたが、2003年2月18日にバンダイよりスワンクリスタルの受注生産へ移行が発表され、事実上携帯型ゲーム機から撤退する事となった。

4.2 ゲームボーイアドバンスの登場

1998年にゲームボーイカラーが発売されたわずか3年後の2001年3月21日に次世代型ゲームボーイトなるゲームボーイアドバンスが9,800円で発売される。2.9インチ反射型TFTカラー液晶で240×160ドット。3アルカリ乾電池2本で約15時間使用可能。性能はスーパーファミコンと同程度だが、音質は劣る。ゲームボーイゲームボーイカラーと互換性がある。通信機能としては4人まで通信プレイができ、また専用ケーブルを用いてゲームキューブ用のコントローラとしても使用できる。
さらに、2003年2月14日には小型化されバックライトとバッテリを搭載したゲームボーイアドバンスSPが12,500円で発売される。ゲームボーイトしては初めて2次電池が採用された。3時間充電で10時間プレイ可能。ゲームボーイゲームボーイカラーと互換性がある。
2005年9月13日には小型化されたゲームボーイミクロが12,000円で発売された。しかし、ゲームボーイゲームボーイカラーとの互換性が無く、同時期にDSが発売された事から売上は芳しくなく現在再戦は終了している。ただし、ファミコンバージョンなどは話題になった。
スーパーファミコン用のゲームが移植されたりと、2007年3月までにゲームボーイアドバンスシリーズは世界で7946万台(うち日本で1666万台)が出荷されそれなりの成功を収めたが、2004年に発売されたDSに大ヒットにより2006年11月30日発売に発売された移植版FF6を最後に、日本ではゲームボーイアドバンス用ソフトは発売されていない。さらに、2008年に発売されたDSiゲームボーイアドバンスとの互換性がなくなった。

4.3 携帯電話の普及

1996〜1997年頃から携帯電話が一般に普及し始める。携帯電話の普及に伴い、携帯電話をゲーム端末として扱う試みがなされる。世界初の携帯電話ゲームは1997年6月16日にバンダイより発売されたPHS「たまぴっち(45,000円)」に搭載されたたまごっちであるとされる。その後、1999年2月22日にはインターネット接続サービスであるiモードが開始され、各社も1999年4月14日にはEZweb、1999年12月10日にJ-Skyウェブが開始される。1999年2月22日の「iモード」サービス開始と同時に公開されたブラウザゲームから携帯電話でもゲームが遊べるようになる。その後、2001年1月26日にはiアプリ、2001年6月22日にJavaアプリ、2001年7月4日にはezplusが開始され、ブラウザゲームから携帯電話にゲームをダウンロードするアプリゲームが主流となっていく。

5. DSとPSP、そしてiPhone

5.1 携帯型ゲーム機の新機軸DS

ゲームボーイアドバンスが発売されたわずか3年後である、2004年12月2日に任天堂は新しいコンセプトの携帯型ゲーム機であるニンテンドーDSを15,000円で発売する。デュアルスクリーンでさらに、下画面はタッチスクリーンとこれまでのゲーム機とは一線を画し、新しい遊びを提唱するゲーム機である。マイクも装備され、1983年にファミコンのコントローラにマイクが搭載されて以来、ようやく音声認識を実現できたと言える。また、ゲームボーイアドバンスとの互換性がある。通信には無線LANを使用する。
同時期に発売されたSCEIPSPの方が性能的には高かったが、ゲームボーイアドバンスとの互換性があり、さらに値段もお手ごろであったこと、そして何よりタッチスクリーンや音声認識などの斬新な操作方法により、これまでゲーム機に興味の無かった人々を取り込む事に成功したと言われる。特に、脳トレのようにこれまでのゲームらしくないゲームの爆発的ヒットや、これまで成功しないと言われていた、えいご漬けなどの教材用ソフトが売れるような市場を作り出した。その一方でほとんどのヒット作が任天堂タイトルが占めている。
互換機が次々に発表されるハードでもあり、2006年3月2日には、小型化されたニンテンドーDS Liteが16,800円で発売された。一時期は品薄続きであった。 2008年11月1日には、ニンテンドーDSiが18,900円で発売された。ゲームボーイアドバンスとの互換性は廃されたが、カメラやSDメモリーカードスロット、フラッシュメモリを搭載。AAC形式の音楽ファイルを再生でき、またDSi本体にブラウザなどのツールやゲームをダウンロードできるが、これはPSPを意識していると思われる。
元々はゲームボーイの後継機ではなく、新しいコンセプトの新しいゲーム機として発売されたが、結果としてゲームボーイの市場が縮小し、現在ではゲームボーイの後継という形になっている。2008年末においては、同時期に存在するゲーム機の中で最も売れているハードである*8

5.2 ゲームボーイの牙城を崩さんとあらわれたPSP

DSが発売された後である2004年12月12日にSCEIよりプレイステーション・ポータブルが19,800円で発売された。1,8GBの容量をもつUMD、4.3インチのモバイルASV液晶、メモリースティック Duoを採用し動画、音楽を再生できる。CPUやグラフィック性能はPS2に若干劣る程度と、据え置き型ゲーム機と同程度のグラフィック性能をもつゲーム機として投入された。また、システムソフトウェアアップデートによりウェブブラウザやインターネットラジオなどの機能を素早く追加する事ができるのも特徴である。
2006年11月22日よりゲームアーカイブスとしてPS用ソフトをダウンロードしてプレイできるようになった。軽量化された、PSP-2000は2007年9月20日に、マイクを内蔵しテレビ出力機能などを備えたPSP-3000は2008年10月16日に発売された。

PSPは発売こそ遅れをとったものの、発表自体は2003年5月14日とDSの発表*9よりもPSPの方が早かった。憶測でしかないが、2001年にゲームボーイの後継であるゲームボーイアドバンスが発売された事で、任天堂はしばらく次期携帯型ゲーム機を出さないのではないかと睨んだSCEIがPS以上の性能を持つ携帯型ゲーム機を市場に投入する事で、PS発売時に据え置き型ゲーム機の市場を奪ったように、携帯型ゲーム機の市場も掻っ攫おうとしたといわれている*10。しかし、2003年8月7日に任天堂は「異質な商品」の開発を発表。そして、翌年2004年1月21日にはデュアルスクリーンを搭載したニンテンドーディーエスを同年末に発売すると発表する*11。2004年末と言えばPSPの発売と重なる。そして、2004年5月12日にアメリカで行われたE3にてDSとPSPの仕様がそれぞれ発表される。さらに、東京ゲームショウの前日である9月21日15時30分から、SCEIPSPの発売日と価格が発表されるはずであったが、発表予定の約1時間前に任天堂がDSの発売日と価格をウェブページに掲載する。その後、SCEIの発表は「役員が交通事情で到着が遅れてたため」との連絡があり、17分遅れの15時47分に開始されが、PSPの発売日と価格は発表されなかった。これが世に言う「空白の17分間」である*12。完全なるカウンターを喰らったSCEI陣営。結局発売してみると、タッチパネルなどで新しいコンセプトを打ち出したDSの方が普及することとなった。
しかし、2008年末において、PSPは日本ではモンスターハンターポータブル 2nd Gのヒットにより売上を伸ばし約1100万台、アメリカでは1500万台を売り上げた。これまで、任天堂の独壇場だった携帯型ゲーム機市場において市場を完全に奪うことはできなかったが、一定数のシェアを獲得できたのある意味成功だったのではないか、

6. 今後の携帯型ゲーム機

日本においては据え置き型ゲーム機よりも携帯型ゲーム機のほうが普及している。これは、日本の住宅環境や生活様式に依存していると考えられる。特に、ゲームのプレイスタイルはテレビの前でじっくりでは無く空き時間にちょこちょこプレイするものへと変化してきているようだ。暇潰し用のゲームを考える上で、多くの人が所有する携帯電話を外す事はできないだろう。
日本では発売されていないがノキアが2003年10月7日にN-Gageを発売する。Bluetoothを搭載し、FMラジオやMP3再生やメール機能を備えていた。

日本のおいてはゲームに特化した携帯電話は発売されていないが、携帯型ゲーム機が進歩していく中で、携帯電話も徐々に機能が進化していく。FOMA「900i」に対応したドラクエとFFが2004年3月1日より配信される。グラフィックはスーパーファミコン程度。さらに、2005年にはEZアプリ(BREW)版にプレイステーションで発売されたリッジレーサーが配信されたように、3Dも問題なく表現できる。また。ゼビウスのゲームデザイナーであった遠藤雅伸が携帯電話アプリでゲームを手かげるなど、携帯電話でのみ配信される名作も存在する。課金単価が安く、携帯電話が一人一台にまで普及していることから、携帯電話向けのゲームは今後さらに広まっていくと考えられる。また、通信価格次第ではネットワーク対応ゲームが携帯電話からブームとなる可能性も十分に考えられる。
しかし、携帯電話は操作という面で携帯型ゲームに劣る。激しいアクションを求めないRPGやアドベンチャーやパズルにワンボタンアクションゲームなら問題なくプレイできるが、アクションやシューティングはやはり厳しい。そこで、目が離せないのがタッチスクリーンを搭載したiPhoneの出現である。アメリカでは2007年6月29日*13、日本では2008年10月30日に発売された。グラフィック的にはPSP並みであり、操作性においてはタッチスクリーンや加速度センサーを搭載しているものの、やはりDSには劣る。しかし、セガをはじめとしてハドソンコナミなどの日本のゲームメーカーもiPhone用ゲームへと参入している。これまで世界共通のプラットフォームを持つ携帯電話は無かったが、iPhone の登場によりそれは変わった。ゲーム業界は現在開発費の高騰などから、ハードを区別することなくマルチプラットフォームでソフトを配信する事が当たり前になってきている。その、マルチプラットフォームの中にiPhoneが入って来ても全くおかしくない状況であろう。

iPhoneをはじめとする携帯電話の展開次第では、携帯型ゲーム機の今後が大きく左右される可能性がある。据え置き型ゲーム機においても、ハイスペックなXbox360PS3よりも、トリッキーだが新しい可能性を見出したWiiの方が売れている。ハイスペックでは頭打ちになる事は目に見えている。よって、携帯型ゲーム機もさらなる新しい遊びの提供を考えない限り生き残りは難しいのかもしれない。