左右は定義できるのか

左右を相手に伝えることは難しい。互いに正面を向いている時に、「右にずれてもらえますか」と伝えても、伝えた側から見て右なのか、言われた側から見て右なのか説明しないと混乱を招く。また、慣れないと、どちらが左右だったのかすら混乱する。子供などに、お箸を持つ方、お茶碗を持つ方などと具体的な例を示して説明する。しかし、その子供が左利きだった場合は左右の説明が逆になってしまう。道順を教える際に、「右行って、角を左に曲がって、その後突き当たりを右に・・・」と言われても、混乱してしまう。地図を見る際に、地図を回転、あるいは自分を地図の中に置けずに、左右が分からなくなることもある。大人になれば、単純な右と左を間違えることは減るが、左回り、右回りと言われて、直感的に分かる人は多くは無いだろう。時計回り(右回り)、反時計回り(左回り)と説明したほうが理解しやすい。山手線の内回りが左右どちら回りかと問われて、すぐに答えられる人は多くないだろう。答えは左回り。これは電車が左側通行だからで、右側通行なら内回りは右回りとなる。これが、右らせん、左らせんとなると、慣れた人でも瞬時に判別することは困難である。漫画などにおいて、Jガイルではなく右手が二つくっついた人物を描く間違いが起こるのも、右手と左手の区別が難しいからだ。ちなみに、時計が右回りなのは、北半球における日時計の回転方向を同じだから、とするのが一般的な説だ。もし、南半球で出来たら左回りの時計が出来ていた可能性もある。あるいは、太陽ではなく北極星を基準とした文明ならば左回りの時計を作ったかもしれない。
なぜ左右の区別は難しいのか。それは左右が相対的なものだからだ。互いに正面を向いている場合にしても、子供に左右を教えるにしても、地図を見るにしても、誰から見てが重要となる。また、左右の定義も難しい。幾何学的に、つまり絵を用いただけではどちらが左右なのかは説明できない。さらに、左右の定義を言葉だけで伝えることも難しい。例えば、「太陽が最も高くなる方向を見て、太陽が沈む方向を右とする」なる定義は正しいか。北半球では太陽が南天するから南を向いた時の西が右となりこの説明は正しいが、南半球では太陽が北天するかため北を向いた時の西が右となり、誤った説明となる。仮に、ある業者がこの定義を用いて、北半球へロボットの右パーツを、南半球には左パーツを受注すると、右のパーツだけが届いてしまい困ったことになるだろう。受注者は「南を向いて、太陽が沈む方向を右とする」と説明すべきだったのだ。ただし、この説明も「南」が自明でなければ正しい定義とはなりえない。もし、他の惑星に住む異星人に左右の定義を言葉だけで説明するのはどうしたら良いだろうか。この、異星人に左右を正しく伝えることができるか、という問題は俗にオズマ問題とも呼ばれています。これは、普遍的な現象、法則、物質において左右非対称性は存在するのかという問題でもある。

左右のではなく、西と東で考える

これから異星人に左右を伝える方法を述べるのだが、それ以前に、その異星人が「左右」の概念を持っているかどうかすら怪しい。この地球上にすら、左右の概念、言葉を持たない部族がいるのだ。
オーストラリアのグウグ・イミディール族は左右に関する言葉がなく、常に東西南北に当たる言葉で方向を指し示すという。日本語でも可能だが、方向感覚に優れていないと不可能な表現である。彼らが左右の概念を持たなかったのは、平原に住み対象物が無かったからではないかと考えられている。方向感覚に優れる人であっても、地上なら東西南北を言い当てられるが、建物内や地下街では難しいだろう。なるほど、左右は都市型な言葉なのかも知れない。
メキシコのテネハパ族にいたっては、南北に当たる言葉しか存在しない。それは彼らが特殊な地形に住むためのようだ。彼らは山岳に住み、平坦な地形がほとんど無い。彼らの住む村は全体的に南が高く、北側が低くなっている。そのため、南を「上り側」と表現し、北を「下り側」と表現する。これだけでは、完全に左右を表現することはできないのだが、彼らの住む土地においては全て「横」で事足りるのだ。
トロブリアン諸島のキリヴィラ語、マヤ語族のモパン語、トトナック語に至っては左右、東西南北に当たる言葉すら無い。常に身体に部位を用いて説明するという。例えば「前に詰めて」は「胸の方に進んで」、「右に曲がる」は「利き手の方に曲がって(利き手が右なら)」となる。

以上のように左右の概念は普遍的に存在するものではない。左右は自己を基準とした、人によって方向の異なる相対的な方向であり、東西南北は空間そのものを指す絶対的な方向である。先の、オーストラリアのグウグ・イミディール族やメキシコのテネハパ族絶対的な方向に生きる人々だ。ある人物が絶対的、あるいは相対的な方向のどちらを利用しているかは次のような簡単な実験で確かめることが出来る。先ず被験者を東に向かせて、その時北から「ABC」と書かれた文字を見せる。次に西を向かせ、さっきと同じ順番でABCを並べさせる。我々なら、自己の左、この時は南から「ABC」と文字を並べるだろう。これは我々が普段、相対的な方向の中で生きているからだ。先のイミディール族やテネハパ族に同じ実験を行ったら、彼らは北から「ABC」、つまり左から「CBA」と我々とは逆の並べ方をするだろう。なぜなら、彼らは絶対的な方向で生活しているからだ。

オズマ問題 普遍的な左右非対称な現象は存在するか

左右という言葉はなくても困らない。常に絶対配置である東西南北を基準にすれば事足りる。しかし、上下すら定義できない宇宙には東西南北からなる絶対配置は存在しない。星を基準にしても場所によって見え方は違うし、常に移動しているため距離によっては同じ場所には見えるとは限らない。自己を基準とした左右の方がある意味普遍的であるかも知れない。さて左右を伝えるにはどうすればよいだろうか。何か基準が必要であろう。どのような基準を用いれば左右を正しく伝えられるだろうか。

我々の外見は左右対称であるが、中身は左右非対称だ。我々が左右を説明する際に、心臓のある方向を左と説明することが多い。しかし、稀に心臓が右側にある人もいる。極々稀に、臓器がまるっきり反転してる人もいる。人によっては臓器が前後逆の場合もあるらしい。異星人の場合、左右非対称である可能性もあるので体を左右の基準にはできない。ならば、もっと小さく我々を構成する分子に着目してはどうか。我々を構成するアミノ酸はL 型(左)のみである。アミノ酸を基準にしたいところだが、我々を構成するアミノ酸がL型となった必然性はいまのところ明らかになっていない。たまたま、右ではなく左が選らばられただけであって、異性人も同じL 型のアミノ酸で構成されているかどうかは分からない。そもそも、アミノ酸で構成されている可能性すらないわけだが。生物を左右の基準にするのは無理そうだ。
より大きなもの、惑星の自転や公転はならどうだろう。太陽の自転は、北から見ると反時計回り、つまり左回りだ。惑星の公転も太陽と同じ向きだ。自転は金星と天王星を除き、公転と同じ左回りである。ただし、金星は地軸がほぼ180度、天王星は90度傾いていると考えると公転と同じ左回りとなる。衛星も基本的には、惑星の自転を同じ向きに公転しているが、惑星の自転と逆回りに回転する逆行衛星が6つ存在する。逆行衛星として代表的なのは海王星トリトンで、その他木星に4つ、土星に1つ存在する。太陽系の惑星の公転が太陽の自転と同じなのは、太陽系ができる際に惑星の下となったガスや岩が太陽と同じ方向に回転していたからだろう。惑星の公転を左右の基準にすることができるだろうか。残念ながら、できない。なぜならこれらの回転は逆側、つまり南から見るとすっかり反転してしまうからだ。宇宙に上下はなく、我々は勝手に上下の基準を北と南を利用しているだけで普遍的なものではない。よって、公転の方向を左右の基準にはできない。同様の理由で、宇宙の角運動量の方向も左右の基準にすることはできない。

物理法則などを利用しなければ左右の普遍的な基準は作れそうにない。多くの物理現象は対象性を有しているが、電磁気学においては非対称な現象が見られる。例えば、フレミング左手の法則はモーターに関する法則であり、右手の法則は発電機の法則で、左右の対称性が破れた現象だ。フレミングの左手の法則は磁界中で電流の流れる導体にかかる電磁気力のことで、電流 I の流れる導体に磁界 B から受ける単位長さあたりの力 F は、F=I×B と、外積で表現できる。小学校で習う掛け算は計算の順番に関係なく答えは同じだが、この外積はかける順番を逆に、つまり B×I とすると、その答えが -F と正負が反転する。腐女子の掛け算同様に攻めと、受けを逆にしてはいけないのだ。さて、フレミングの左手の法則において、左手の親、人差し、中指を直行させ、中指を電流方向(正極から陰極)、人差し指を磁界方向(N極からS極)としたとき、力は親指の方向となる関係が成り立つ。ジョン・フレミングによって考案され、中学校で習う(と思う)。フレミングの左手の法則に関する理科のテストの際は、生徒がそれぞれ自身の左手をあらゆる方向に向ける異様な光景が見られる。
さて、フレミングの左手の法則はどこまで普遍的か。電気における正極と負極は人間が勝手に決めた定義で、電流の向きは逆で定義されても問題ない。しかし、電子の進む向きは宇宙どこでも同じである。電流を電子の進む方向と逆と定義すれば、電流の向きは宇宙どこでも同じである。磁束はどうだろうか。磁場の向きは、N極からS極あるいは、電流の周りにできる磁場の向きは右ねじとしたアンペールの法則により定義される。N極とS極は North と South の頭文字でありコンパスからで磁場がN極からS極に進む理由はなくただの取り決めだ。同様にアンペールの法則も右ねじではなく左ねじでもよかったはずだ。磁場は電流における電荷のような単一の磁化を持つ磁気単極子は発見されていない。磁場の方向は人間が勝手に決めたもので、普遍的なものではない。よって残念ながらフレミングの左手の法則を左右の基準にすることはできない。同様に、磁場に関する物理現象を左右の基準にはできない。

一体全体、普遍的な左右非対称な現象はあるのだろうか。普遍的な左右非対称な現象として知られるのが、パリティ対称性の破れだ。パリティ対称性の破れとは、素粒子間に働く弱い相互作用が関与する現象である。簡単にいうと、弱い相互作用には左右の偏りがあるので、それを利用すれば左右の定義ができるわけだ。では、どのようにすればパリティ対称性の破れは観察されるのだろうか。放射性物質であるコバルト60は、β崩壊しニッケルとなる。この時、電子とニュートリノを放出する。コバルト60の原子核はスピンを持っており、絶対零度付近まで冷却し、強い磁場をかけるとそのスピンが揃う。その際に、S極により多くの電子が、反対のN極に多くの反ニュートリノが飛び出します。これを鏡に写した場合、逆向きのスピンのコバルト60からS極により多くの電子が飛び出す現象となるが、自然界においてこのような現象は起こらず、電子はN極側に多く飛び出る。この現象においては実像と虚像の区別を付けることができる。つまり、コバルト60のベータ崩壊を左右の基準に用いれば右と左を定義できる。具体的には、コバルト60を磁界中に置き、β崩壊する際に電子が多く出てくる方をS極とし、その後はフレミングの左手の法則やアンペールの法則で左右を決めれば良い。楊振寧(Chen Ning Yang)と李政道(Tsung-Dao Lee)はパリティ対称性が破れると予想したことで、1957年ににノーベル物理学賞を受賞しました。
しかし、パリティ対称性の破れを利用しても、仮に宇宙人たちの周囲が反物質から構成されている場合は左右の結果が逆になってしまう。もし、パリティ対称性の破れを利用して左右を定義した後に宇宙人が左手で握手を求めてきたら、その宇宙人は反物質で出来ている可能性もあるので決して握手してはいけないとファインマン先生もおっしゃってました。この、パリティ対称性の破れを物質・反物質まで発展させたのがCP対称性の破れである。Cはチャージで電荷、Pがパリティですね。CP対称性の破れは簡単にいうと、宇宙ができた頃は物質と反物質は同数あったはずなのに、なぜ現在の宇宙には物質からなるのかに対する答えありで、その理由は反物質よりも物質の方がわずかに安定であるからだ。CP対称性の破れを利用すれば、物質と反物質が定義でき、その後にパリティの破れから左右の定義も可能となります。このCP対称性の破れを理論的に説明したのが小林・益川理論で、両名は2008年にノーベル物理学賞を送られています。