そこに愛はあるのかい? 日本産アニメ・ゲームVSアメリカ産アニメ・ゲーム

スクエニ社長の和田氏が「日本のゲーム産業はもはやトップでない」といったという記事に対する、ゲーム作ってる島国さんのツッコミ。
和田氏はハリウッド映画が世界に受け入れれているのだから、日本の特有の絵柄などによる嗜好の違いは日本のゲームが売れなくなった理由にはならないと説明している。先ずコレが大嘘。ハリウッドはとんでもなくリサーチしているし、分かりやすく作ろうとしている。売れるためにリサーチして、世界で売るためにどんな人種、文化の人でも分かるように作っている。そういう市場を相手にするなら同じだけ金出せよ、というのはもっともな話だと思う。特にスクエニの社長に対しては。和田氏は「開発者の能力の高さ」を再三指摘しているが、それを理解しているなら、やはり金出せって話。この辺、アニメも同じですね。

10月27日に放送されたNHKスペシャルである「日本とアメリカ 第2回 日本アニメVSハリウッド」でも、ハリウッドは徹底的にリサーチして売ると、売るためにリサーチして、売るためにならば何でもやると説明していました。印象的だったのはアトムのCG映画化において、事前リサーチの結果子供っぽい顔よりも大人っぽい顔の方が見に行く人が多くなるという結果に基づき、アトムをデザインしたらとんでもなくおっさん顔のアトムが出来上がっていました。アメリカ人的には10歳くらいの顔なんでしょうが、日本人から見たらおさんであり、アトムじゃねーよと。そもそも、アトムは天馬博士の死んだ子供の写し身であり、子供でなくてはならない。売れるから大人顔にするってのは、アトムをただのヒーロー物としか見ていない。ヒーローだけど、フランケンシュタインであり、人間の代わりにはなれないという悲哀を含む原作を理解していない分けで、そこに愛はあるのかと。幸い、手塚プロがOKと言わないと映画化しない、という契約だったので両者が歩み寄りリテイクされてましたが、まぁそのリテイクもアメリカナイズされているというか、バタ臭いというか、悪くはないんだけど何というか俺の知ってるアトムじゃねーなと。

また同番組内で、一旦声優でアテレコしてけど完成間近にルーシー・リューと契約できたから再度撮りなおしみたいなことも紹介されてました。理由はやり直してまでも、ルーシーを起用した方が売れるからと。キャラクターの声にもっともマッチするのがルーシーであり、それをイメージして作ったが契約が無理だったので、他の人あてたものの、運よく後から契約できたという流れなら物作りとして納得できるんですが、売れるからってどうなのよと。もちろん、アメリカと日本の声優の違いもありますけど。この辺は昨今の洋画の吹き替えや劇場公開用アニメの状況に似ているかなと。プロの声優じゃない人が声を当てている例が最近見られますね。これも、声のイメージよりも声を演じる人の話題性で売れることを考えているのかなと。正直、殆ど外れなので止めて欲しいですけど。

売るために徹底的にリサーチして作品を作るってのは市場的に正しい戦略だと思います。しかし、売るためだけに傾倒し何か大切なものを失うのは悲しいことです。特に原作がある場合、その原作のメッセージを伝えられなくなるのは、原作への愛はあるのかい?と。まぁ、愛じゃ喰っていけないんですけどね。