一つの概念で、あらゆる事象を説明するのは危うい

痴漢が行為に及ぶ際に、女性の方が自分の世界に侵入してきたと捉えている場合があることを、「幕」なる概念で説明しているのは分かりやすくて面白いなと感じました。
ただ「膜」の概念は「なぜ痴漢は痴漢をするのか」という問いには答えてないと思ったので、記事を書いてみました。

「膜」とテリトリーと捕獲

「膜」はパーソナルスペースとほぼ一致するでしょう。あまり親しくない人とは、物理的に距離を置きたいですし、親しい人でもある一定以上の距離には近づいて欲しくはありません。一方で、ぐいぐい距離を詰められるとあまり知らない人でも好意を抱いてしまうこともあります。
パーソナルスペースは人によって異なり、異常に広い人もいれば狭い人もいます。ボディタッチなどその典型で、あまりに繰り返されると好意を抱いているのかなと思っていると、ボディタッチする方にしてみれば当たり前の距離感だった、なんてこともあります。つまり、勘違いですね。
この距離感は文化にも依存していて、欧米なんかでは男女でもハグは当たり前みたいな雰囲気があります。日本では、ちょっと考えられませんね。ハグをしてキスをする場合としない場合があり、キスをする場合も色々な流儀が国や地域によって違うようです。

痴漢が、自身のパーソナルスペースに侵入してきた女性に対して行為を及ぼす点を「膜」で比喩したのは分かりやすいなと感じます。上記のボディタッチの勘違いに近いモノがあるでしょう。「膜」そのものがパーソナルスペースであり、テリトリーを意味するのでしょう。また、膜の中にいるのは捕らわれた獲物でもあると連想できます。
一方で、「膜」の概念は痴漢がその女性に手をだした理由は説明できるのですが、痴漢の行動原理については説明できません。「膜」の概念では「なぜ痴漢は痴漢をするのか」を説明できないのです。

なぜ痴漢は痴漢をするの?

では「なぜ痴漢は痴漢をするの」という疑問に対する答えは、そもそも私は痴漢ではないので答えようがありません。
もちろん、女性の身体、特に胸を触ってみたいなと思います。しかしながら、実際には実行には移しませんし、そもそもそんな考えを口に出したりは普通はしません。
胸を触りたいと、口に出したらセクハラでしょう。実際に触ったら痴漢です。

テリトリーに侵入してきた女性に対して、妄想を口にしたり、行動に及んだ理由として「膜」の概念で説明できると思います。もちろん、これは「説明できることもある」が正しいでしょう。なぜなら、全ての痴漢が「被害者の方が俺の世界に入ってきた」と考えているとは限らないからです。「刑事司法とジェンダー」(牧野雅子著・インパクト出版会)に、強姦加害者が「被害者の方が俺の世界に入ってきた」という告白が報告されているそうです。これは、支配欲や征服欲を満たすために強姦を行うわけでは無い、という証左でもありますが、支配欲や征服欲を満たすために、痴漢や強姦に及ぶことも考えられるでしょう。もちろん、その他の理由も考えられます。人間の行動原理は、そんな単純なモノではありません。

また、「膜」の概念ではどうしてセクハラを口にしてしまったり、痴漢行為に及んだのかは説明していません。「膜」に入ってきたらなぜ触ってよいと考えるのか、なぜ触りたいのか、特になぜ気づかれずに触りたいのか、あるいは少しは気づいて欲しいのかなど、「膜」は諸々の根源的な「なぜ」を説明しません。
そもそも、なぜ痴漢という行為に及ぶのかは、痴漢自身にも分からないのかもしれません。

どぶろっくのネタは「膜」の概念で解釈できるか

さて、どぶろっくと痴漢の関係 は「どぶろっく」という、男性の女性に対する勘違いをネタにした芸人の話へと繋がっていきます。女性が、男性の勘違いをネタを笑えないってのはあり得る話です。しかし、笑えない理由を「膜」の概念で説明するのは、少々無理を感じてしまいます。

「どぶろっく」のネタはパーソナルスペースやテリトリーに依存する笑いではありません。女性の行動から勝手に勘違いしている男の妄想が笑いになっています。もちろん、この男は人間関係における距離感の捉え方がおかしいわけですが、女性がこの男のテリトリーに入ってきたから生じた勘違いではありません。
「膜」には相手に取りこまれてしまっている、相手の獲物になっているという概念もあります。しかし、どぶろっくのお笑いは果たして相手を捕獲した段階にあるネタなのかと考えると、疑問を覚えます。むしろ、捕獲にすら至っていないからネタになり得るのでしょう。

どぶろっくのネタは突拍子も無いですが「妄想」止まりです。行動に移すネタではありません。仮に、「夜道で前を歩いてた女が、こちらを振り返って急に歩くペースを速めた。もしかして、俺を招くために部屋を片付けたいんじゃないのか?」考えた後に、実際にその女性の家に押しかけたというネタなら「膜」の概念で説明できるでしょう。一昔前のコントならありそうなネタではあります。

どぶろっくと痴漢の関係 において、「妄想する」、「妄想を表現する」、「行動に移す」という3つの過程が一緒くたになって「膜」の概念で説明されているように感じます。実際に「膜」の概念で説明できるのは、「行動に移す」場合と「妄想を表現する場合」です。それとて、必ずしも行動原理そもものを説明できるわけではありません。

どぶろっくのネタは突拍子の無い妄想であることと、その突拍子の無い妄想を表現することが笑いのネタになるのであって、実際に行動してしまったら笑いにならないでしょう。
田房さんはどぶろっくのネタについて以下のように解説しています。

お笑い芸人がギターを持って「老人の家に孫のフリして電話して助けを求めてみたんだ もしかしてだけど 間違えて俺の口座に振り込んでくれるんじゃないの」と歌っても、面白くないし不謹慎だしお笑いとして成立しない。それは、「オレオレ詐欺」という犯罪が実際にあることをみんなが十分に知っていて、その犯人はこういう発想で犯罪をしているということがパッとつながるからだ。そして同時に「老人に対する侮辱」も感じ、不快な気持ちになる。

このネタが成立しないのは、「オレオレ詐欺*1という犯罪が十分に知れ渡っているからでもありますが、ネタの中で電話をかけて実際に実行しているからでしょう。オレオレ詐欺でたとえるなら、「老人の家に孫のフリして電話で助けてを求めてみたら、もしかしてだけど、間違えて俺の口座に振り込んでくれるんじゃないの」とすべきかなと考えます。これが笑えるか笑えないかは微妙なラインですが、不謹慎ネタとしては成り立っているように思います。

まとめ 「どぶろっく」を引き合いに出さなくてもよいのでは

どぶろっくのお笑いは、本来外に出ることは無い「妄想」を表に出しているからネタとして成立しています。ネタとして成立するには「ありえない妄想である」こと共有されている前提条件があります。
また、実際にその女性に言っているわけでは無いし、そもそもその行動を取った女性が実在するわけでもありません。もちろん、これがお笑いとして成立するのは性犯罪者や性的な問題に関する意識が低いからという田房さんの指摘は、その通りだと思います。しかしながら、どぶろっくのネタや「膜」の概念が、痴漢加害者の発想を的確に表現し、分かりやすくまとめているから、中高生向けの教材に適しているとする考えは、少々危うく思えます。

性犯罪には限りませんが、たった一つの概念で、色々なことを説明するのは不可能ですし、いらぬ偏見を植え付けてしまう可能性もあります。
田房さんの「膜」の概念自体は面白いなと思います。「どぶろっく」のネタを引き合いに出さずとも、先の「刑事司法とジェンダー」(牧野雅子著・インパクト出版会)における、強姦加害者が「被害者の方が俺の世界に入ってきた」事例に関して、「膜」の概念を引き合いに出し、「膜」の概念が他でも成立する場合があるかも知れないね、と別の視点を提供するだけでも十分かなと思います。
例えば「膜」の内側に入ってきたら、痴漢をしてもよい、セクハラ的な言動をよってもよい*2と考えている男もいるから気をつけようとか、そう考えている男性はいませんか?と気づかせる点では、わかりやすい概念だと思います。しかし、「膜」の概念で、痴漢や性犯罪者の全てを理解した気になるのは、危ういことだと思うのです。

*1:母さん助けて詐欺

*2:ただし、セクハラ加害者が、必ずしもセクハラと意識して行動をしているとは限らないが