プレイステーションが勝者になったのは FINAL FANTASY VII のお陰なんだっけ?

岩崎夏海・稲田豊史両氏による「ゲームの歴史」が話題である。多くのツッコミが入っているが、ハドソンでPCエンジンに関わった岩崎啓眞氏の反論が読み応えあって、いっそ出版してくれ!と願う。しかし、両者とも「岩崎」でややこしい・・・・・・。

反論シリーズの一本である 書籍「ゲームの歴史」について(7) | Colorful Pieces of Game にて、以下のような記述がある。

セガの『バーチャファイター2』は、いわゆるPS1とサターンの次世代戦争のど真ん中、1995年の冬の目玉ゲームで、実に100万本以上を販売したミリオンセラーで、一時的にサターンが台数でPSを突き放す原動力となったソフトだ。

私の記憶としても、バーチャファイターをプレイしたくてセガサターンを買おうと悩んでいたのと一致する。ジャンピンフラッシュでプレイステーションを選んだのは、格闘ゲームがうまくなかったのと、バーチャファイターならゲームセンターでプレイできる点も大きかった。
その後に、FINAL FANTASY VIIプレイステーションで発売されることが発表されるので歓喜したものである。
記憶としては、FINAL FANTASY VIIプレイステーションの普及に大きく貢献したと考えているが、本当にそうだろうか。
そこで、現在ネットで確認できる情報から確かめてみた。
主に、本体の累計集荷台数、タイトル本数および価格の推移を調べた。また、データは特に断りがなければ、日本での推移である。

本体台推移の推移

セガサターンプレイステーションの出荷台数の推移は、ネットで確認できる手段がほぼない。日本でインターネットが発達する以前である1994年末発売であったことも一因だが、ジオシティーズなどに掲載されていた情報が消失した可能性も高い。

現在ネットで確認できるのは、東洋大学学術情報リポジトリにある「テレビゲーム機の変遷--ファミコンスーパーファミコン、プレステ、プレステ2Wiiまで」と「ゲームハードの売り上げ Wiki*」である。

両者の数値は異なるよう見えるが「ゲームハードの売り上げ Wiki*」は累計台数の推移で、「テレビゲーム機の変遷--ファミコンスーパーファミコン、プレステ、プレステ2Wiiまで」は各年の出荷台数でまとめられているため数値としは同じである。
恐らく、同じソースを用いているのだろう*1

セガサターンはなぜ失敗したのか?当時のCEOが語る まとめだよ - 顔面ソニーレイなの! にあるグラフも、同じデータを元に作成されているようだ。

1997年までの累計集荷台数を以下にまとめた。

セガサターンプレイステーションの累計集荷台数

セガサターン プレイステーション
1994年 84万台 60万台
1995年 250万台 245万台
1996年 480万台 650万台
1997年 560万台 1,145万台

セガサターンは1994年11月22日に発売され、プレイステーションは同年の12月3日に発売されている。初年度の1994年は早くに発売したセガサターンが84万台と、プレイステーションの60万台よりも多く、スタートダッシュを決めた形だ。
1995年の出荷台数はセガサターンが166万台で、プレイステーションが185万台であったが、累計ではセガサターンが250万台、対するプレイステーションは245万台と僅差でセガサターンが上回っている。
しかし、1996年にはプレイステーションが累計650万台、セガサターンは480万台とプレイステーションに追い越され、1997年にはセガサターンは560万台、プレイステーションは1,145万台とダブルスコアを喫してしまった。

ちなみに、1996年6月に NINTENDO64 が発売されているが、プレイステーションの勢いが落ちることはなかった。最終的な出荷台数も約550万台(2001年)と、セガサターンの約580万台(1998年)よりも売れていない。

ゲームタイトル数の推移

1996年から1997年にかけてプレイステーションが大幅に売れた理由は、FINAL FANTASY VII に一因があるとの見方が多い。発売は1997年1月だが、発表は前年の1月であった。ただし、1995年の出荷台数はプレイステーションの方が多かった点を考慮すると、FINAL FANTASY VII の発表がなくても、1996年には累計集荷台数はプレイステーションに抜かされていた可能性が高い。
ちなみに、FINAL FANTASY VII の体験版が収録されていた「トバルNo.1」(1996年8月)は、世界累計92万本である。

セガサターンがスタートダッシュを決めた要因はバーチャファイターバーチャファイター2の人気であろう。バーチャファイター2は130万本も売れている。しかし、セガサターンでミリオンを超えたのは本作だけである。つまり、バーチャファイター2以降にヒット作を送り出せなかったのが、セガサターンが苦しんだ点であろう。

ゲームのタイトル本数を比較すると両者に大きな違いはない。初年度の1994年こそプレイステーションが17本と、セガサターンの14本よりも多いが、翌年の1995年ではセガサターンが144本でプレイステーションは132本とセガサターンの方が多かった。
その後は、セガサターンが1996年に319本、1997年は351本で、対するプレイステーションはそれぞれ415本と468本とプレイステーションの方が100本近く多いが、セガサターンも特段に少ないわけではない。

第二、第三世代で発売本数が多かった年と比較すると、ファミコンでは1990年で157本、スーパーファミコンだと1994年の370本と、セガサターンスーパーファミコンの全盛期に引けを取らないゲームタイトルを送り出している。

セガサターンプレイステーションで発売されたタイトルの本数

セガサターン プレイステーション
1994年 14本 17本
1995年 144本 132本
1996年 319本 415本
1997年 351本 468本

価格推移

価格は、プレイステーションの方が安かった。プレイステーションは39,800円と4万円を切っていたが、セガサターンは44,800円(正式には49,800円)であった。 もちろん、3DO REAL の79,800円(実売は54,800円)と比較すれば安いのだが・・・・・・。
セガサターンプレイステーション共に値下げが行われたが、1996年の4月と5月を除き、基本的にはプレイステーションの方が価格は低く設定されていた。
セガサターンは1995年7月に34,800円、1996年4月に20,000円と値下げされるが、プレイステーションは1995年7月に29,800円、1996年6月には19,800円である。
プレイステーションが1996年に405万台も出荷されたのは、この値下げも大きいだろう。

セガサターンプレイステーションの価格推移

セガサターン プレイステーション
1994年 44,800円 39,800円
1995年6月 44,800円 29,800円
1995年7月 34,800円 29,800円
1996年4月 20,000円 29,800円
1996年6月 20,000円 19,800円

北米で売れなかったセガサターン

セガは第四世代においては、北米で健闘していた。北米では、メガドライブジェネシス)がスーパーファミコンSNES)と同程度の2,000万台を売り上げていた。しかし、セガサターンは累計で130万台程度しか売れていない。セガサターンは日本よりも北米での失敗が大きく響いていそうだ。

ソースは不明だが N64 x PS1 Sales War in America | Page 4 | NeoGAF によると、北米における第五世代ゲーム機の売上げ台数推移においては、セガサターンプレイステーションの出荷台数に勝った時期はない。むしろ、NINTENDO64 が健闘していることが見て取れる。NINTENDO64は、日本では最終的に約550万台とセガサターンよりも振るわなかったが、北米では約2,000万台を売り上げている。

まとめ

セガサターンバーチャファイターを引っさげてプレイステーションよりも10日程早く発売され、また1995年の年末にはバーチャファイター2が待ち構えていたことで、1995年まではプレイステーションよりも累計集荷台数が上回っていた。しかし、1996年には逆転されてしまう。

FINAL FANTASY VII の発表と発売の影響もあるが、1995年の時点で年間の出荷台数はプレイステーションの方が勝っていたため、FINAL FANTASY VII がなくても、セガサターンの出荷台数は伸び悩んだであろう。たとえば、バーチャファイター2以降にキラータイトルがない。

発売されたタイトル数を比較するとセガサターンは健闘している。1995年まではセガサターンの方が多く、1996年にプレイステーションは約400本もリリースしたが、セガサターンも約300本と、スーパーファミコンの全盛期であった1996年の約300本と同程度である。
価格の面では、プレイステーションの方が安く有利であった。セガサターンも値下げを行うが、プレイステーションの方が安い状況が続いた。1996年にプレイステーションが爆発的に売れたのは、価格が2万円を切ったのが大きいだろう。

セガサターンは北米での出荷台数が最終的に130万台と全く振るわなかった。第四世代のメガドライブジェネシス)は北米ではスーパーファミコンSNES)と同程度の2000万台を売り上げた点を考慮すると、なぜそこまで売れなかったのか。むしろ、日本ではプレイステーションに対して健闘した方だろう。

追記:流通網の変化

本稿では詳しく記述しないが、プレイステーションはこれまでの流通とは異なる展開がなされいた。3DOパナソニックが扱うなど、ゲーム機がおもちゃから家電へとシフトしていった時期である。また、スクウェアによるデジキューブにより、1997年1月、つまりFINAL FANTASY VII の発売以降はコンビニエンスストアでゲームソフトを入手できるようになった。
ちなみに、デジキューブコンビニエンスストアでのゲームの取り扱いへの道を切り拓いたが、残念ながら倒産に至り、スクウェア・エニックス誕生のきっかけの一因ともなった。

*1:もしくは、どちらかが一方をソースとしている可能性もある