ゲームで終盤に弱体化すると萎える

冒頭からレッドデッドリデンプション2 (RDR2) のネタバレをぶっこみますが、終盤に主人公の能力が弱体化して本当に萎えたんです。それに加えて、エンディングの後にあるエピローグが長すぎる。なんだよ、エピローグ パート2って。

その他、ゼノギアス、NieR:Automata、FF5,6,8,9、DQ9,11、MGSシリーズのネタバレを含みます。

つまり、ゼノギアスだな

RDR2に限らず、終盤にかけて主人公が弱体化する、育ててきた仲間が抜けて戻ってこない、自由に行けた場所に入れなくなるなどの展開に展開に激しく萎えます。ゲームを進めるにつれ、できることが増えるのが面白いのに、それが制限されるのにストレスを感じます。
ってこれ、ほぼゼノギアスの Disc 2 じゃねーか!!主人公の弱体化こそありませんが、終盤にヒロインがいなくなってパーティーには戻ってこないし、ラストダンジョン間近までワールドマップには出られないし、ラストダンジョン突入時にワールマップが復活するものの行ける場所は激減しています。突然ノベル形式になる展開は衝撃を受けましたが、今にして思うと、この演出でなければストーリーを最後まで走らせ切れなかったでしょう。また、ストーリーからのダンジョンの繰り返しは、最近のゲームではよくみられる展開の仕方でもあります。

NieR:Automata の最終章に萎える

ゼノギアスの擁護を終えたところで、終盤に弱体化するゲームの話に戻します。
最近遊んだゲームでは、NieR:Automata の終盤が萎えました。アンドロイドをはじめとする人工的に造りだされた「機械」の自我や心をテーマとしたゲームです。最終章は崩壊していく9Sを軸として描かれており、すばらしいのですが、ゲームプレイとしてはメインキャラクターであった2Bを操作できなくなるのが、ストレスでした。世界観やら、UIのデザインなどは好きなのですが、ゲームシステム系はもうちょっとこなれた熟れた感じにして欲しいです。マップは広くはないけども、移動などが面倒すぎる。
RDR2では、主人公が結核にかかり能力が減退していきます。19世紀末から20世紀初頭が舞台なため、治療は望めません。病気は突然かかるものなので、ストーリーの演出としては正しいですが、遊ぶ上ではデメリットしかありません。RDR2 は、シナリオを進めるための移動シーンが多く、また病気になってからは謎の演出のためプレイアブルでない時間が増えるのもストレスでした。面倒だけど、キャンプで干し草運んだり、水くんだり、薪割ったりと雑用をしている方がまだ楽しいです。

容量の都合で行ける場所が制限される

移動に文句を言っていますが、移動自体は好きです。正確には、移動しながら変わっていく風景を見るのが好きなのでしょう。目的地を目指していく旅も好きですが、その途中で脱線して予想外の所へ迷い込むのも好きです。その点で、スカイリムやブレス・オブ・ザ・ワイルドなどは自由でいい。スカイリムは未だに新しい発見があります。RDR2はマップは広いのですが、シナリオ進行中に寄り道をしづらく、あんまり自由を感じません。この不自由さは、文明化によりフロンティアが失われていく19世紀末のアメリカとマッチしているのでしょうが。

行ける場所が徐々に広がっていく感覚が好きなので、終盤に行ける場所が減るのも萎えます。PSの頃は容量の都合で、終盤に行ける場所が減るゲームが多々ありました。FINAL FANTASY (FF) だと、8 や 9 ではラストダンジョンに突入する Disc 4 になると行ける場所が減るので萎えます。 Disc 4 に入る前のデータと、突入するデータに分けていました。そして、Disc 4 に入ってからは、レベル上げなどは一切せずに、クリアを目指していました。
行けなくなるのが、開発側の都合ってのも萎えるポイントです。新たに行ける場所がラストダンジョンしかないのも萎えます。FF5 でも第三世界で行けた場所が無に飲み込まれますが、それ以上に行ける場所が増えているので萎えません。むしろ、第一、第二世界で行けそうなのに行けなかった場所に行けるようになっているので、上手い作りだと思います。ただし、何度プレイしても第二世界に入ってエクスデスによって辺境の地に飛ばされるとちょっとやる気が削がれますが。

FF6も世界が崩壊し、仲間とバラバラになりますが、最終的には仲間は再集結します。行けなくなる場所もありますが、新たに蹴る場所も増えています。
ドラゴンクエスト (DQ) シリーズでは、そのような展開はあまりありません。だだし、最新作の11は例外でしょうか。世界が崩壊したりと、FF6っぽいなと感じます。

弱体化に納得できるか

主人公が弱体化していく、行ける場所が徐々に減っていくのを前提としたゲームなら、萎えません。前提が共有されていますし、弱体化していくのを楽しめるようにデザインされてもいます。
少し例は違いかも知れませんが、俺の屍を越えていけはキャラクターの寿命が二年も無く、適齢期を超えると弱体化の一方です。世代を超えて強くなっていくので、弱体化そのものは気にはなりません。

主人公が弱体化しても、元の状態に戻るの問題ありません。ただし、弱体化している間はストレスを感じます。ストレスを感じるための演出として盛り込まれていることが殆どです。例えば、メタルギアソリッド (MGS) シリーズでは、捕虜になってアイテムを奪われ、そこから脱出するお約束の展開があります。脱出さえすれば、手に入れたアイテムは戻ってきます。脱出するまでは確かにストレスで萎えますが、復活が約束されています。また、3 では片目を失いファストパースンでの視界が狭まり弱体化します。ただし、これはシリーズを知っていれば納得できる展開であり、むしろ感動を覚える類いの弱体化でした。
DQ9 のエンディングもある意味で、主人公の弱体化でしょう。ただし、エンディング後に復活します。

共有したいから記事を書くのか

要するに、RDR2 と NieR:Automata における終盤の愚痴です。ゲームの終盤にかけてストレスを感じるので、クリアするのにストレスがかかります。ストレスを感じるなら、やらなきゃいいじゃんって話なんですけど、この気持ちを教諭したいからエントリーを書いてるのです。そういえば、最終回が嫌で、わざと見なかった記憶もあります。