栗城さんの死に対してNHKが無自覚すぎる

2019年1月14日にNHKで、2018年5月21日にエベレストで亡くなった栗城史多さんの追悼番組をやっていたが、NHKがあまりにも無自覚で、ひどい構成であった。

番組では、インターネット上の匿名の批判や期待するファンの声によって、栗城さんが追い込まれたのではないか、と締めくくっていた。そこには、NHKを含むメディアやスポンサーの視点が感じられなかった。NHKは彼をしばし好意的かつ無批判に取り上げてきた。そして、今回の番組でも彼に近しい立場での映像がまとめあげられている。つまり、NHKも彼の支援者である。インターネットの声が彼を追い詰めたのならば、NHKも共犯者であろう。しかし、番組においてNHKはずっと傍観者の立場であり続け、メディアやスポンサーへの内省はまったくみられなかった。

栗城さんの最期の挑戦は無謀というより他にない。エベレストの北壁ルートは非常に難易度が高いとされる。それなのに、さらに難易度の高い単独無酸素に挑んでいた。しかも栗城さんは2012年のシシャパンマ挑戦の際に指に凍傷を追い、翌年の2013年にはその影響で9指を切断している。これを無謀といわず、なんというのか。

栗城さんの登山レベルに関しては、登山ライターである森山憲一氏の文春の記事が的確だろう。森山氏は栗城さんに直接会って、彼の挑戦が如何に無謀かを説いたそうだが、物別れに終わっている。

2010年のインタビューから読み解くと、栗城さんは挑戦が無謀であると説かれるほど燃えるタイプであったようだ。最初の挑戦となるマッキンリーも、山岳部の先輩から何度も諭されている。運良くマッキンリーの登頂に成功したことで、栗城さんは無理だとされる挑戦に打ち勝てるイメージを自分の内にも外にも確立していったように思われる。

2007年頃から、ヒマラヤへの挑戦を目指している。ちょうどその頃、電波少年などで知られる土屋プロデューサーが栗城さんを見出した。ニートでも引きこもりでもないのに、「ニートアルピニスト、初めてのヒマラヤ」なる企画名をつけたのは土屋プロデューサーである。この企画を経ることで、栗城さんは全国的に名が知られるようになった。この企画においてチョ・オユーに登頂したことで、支援者やスポンサーが得られやすくなったであろう。


栗城さんが単独無酸素に拘った理由は、彼の掲げる「冒険の共有」にあるのかもしれない。エベレストであっても、十分な支援を受けてのノーマルルートの登頂は可能であっただろう。ただし、ノーマルルートを目指す人は非常に多い。絵面としては「挑戦感」が薄くなってしまう。誰でも登れる感は、栗城さん自身も支援者も望むものではないだろう。「無酸素」に拘ったのも、実況するためだったのだろうと思われる。指を失ったのも「冒険の共有」のためにカメラを操作するために手袋を外したからだとも言われている。「冒険の共有」のための演出が、彼を無謀な挑戦に向けていたように思われる。

先の森山氏の記事にもあるように2015年以降はその「冒険の共有」もうまく行っていなかったようだ。NHKの番組で流れた、亡くなる直前の栗城さんが、キャンプ地でスタッフに激昂している映像は、彼自身が追い詰められている様に見えた。
栗城さんは指を失った2012年からしばらく挑戦をしていない。2015年に挑戦を再開してからは、森山氏が指摘するようにアンコントロールな状態にあったように思われる。このような状態に至ったのはNHKが指摘するようにインターネットにおける批判も一因だろう。先に挙げたように、栗城さんは批判されればされるほど、無理な挑戦を目指すタイプであるし、支援者やスポンサーはそのような彼に期待をしていた。また「冒険の共有」を標榜する以上、インターネットからの応援も、番組が指摘するように、栗城さんを追い詰めたとも想像できる。
番組は、インターネットの批判者が、あるいはファンが彼を追い詰めたという論調であった。しかし、彼を物理的にかつ金銭的に支援するスポンサーがいなければ、彼は挑戦を続けられない。彼自身が、テレビ的な誇張により無謀とされる困難に挑戦することで自身をプロデュースしていたし、そして周囲もそれを求めていた。そのような彼を後押したのはメディアである。特に、NHKは彼を何度か特集している。これにより、支援者やスポンサーが得やすくなった側面はあるだろう。そのようなNHKが自己を内省することなく、栗城さんの死はインターネットの闇であるかのような構成の番組を放映することが信じられない。


森山氏のように、彼に直接忠告する人はいたが、その声は彼には届かなかったし、むしろ彼を奮い立たせるだけだったのかもしれない。指を失って再挑戦してからは、引くに引けない状況になっていたように思える。
多くの支援者の協力を受けて、単独無酸素でない道もあったのではないかと思う。「冒険の共有」としては、その方が正しいとも思える。しかし、彼が確立していった挑戦者というスタイルが、それを許さなかったのだろう。
インターネットの声が彼を追い詰めたとするならば、メディアや支援者、そしてスポンサーも彼を死に追いやって点を明言するべきであったと思う。

追記 2019年1月17日

ブックマークのコメントにて紹介されていた、かつて栗城さんに同行しドキュメンタリーを制作した方のブログを紹介しておく。
自分の「夢」を人に語るな | チェ・キタラの「隅っこまで照らすな!」