野暮なツッコミと残念な演出

雰囲気作りのための演出が、知ってる人から見るとおかしいことは良くあります。ツッコミを入れたくなりますが、下手なツッコミは野暮です。野暮なツッコミを見ると、それに対して揶揄したくもなります。
一方で、整合性の取れていない残念な演出もあり、それに対するツッコミを揶揄するのは違うでしょう。

弓道警察だ!弓道警察が来たぞ!

艦これ弓道描写へのツッコミを弓道警察と名付けるのは、皮肉が効いてるなと。東方を手がけていたが、艦これを扱うようになった同人作家を取り締まる東方警察のもじりでしょう。弓道警察は購入厨くらにはインパクトのある言葉ですが、それ以上に東方警察の言霊力が強すぎるってはっきりわかんだね。

弓道は、型をみっちり仕込まれることが多いので、ちょっとした違いが気になってしまう経験者はそれなりにいるでしょう。高校の頃に部員が多いため型ばっかりやらされて、とうとう道場にすら上れなかった元弓道部の一意見としては、戦闘中にツッコミを入れるのは野暮かなとは思いますが、弓道場でのツッコミは生暖かく見守って欲しいなと。
「昔はお前のような弓道部だったが、膝に矢を受けてしまってな・・・」

ツッコミの多い加賀のイラストは疾走感があって良いと思います。

中途半端な演出や設定ってツッコミたくなりますよね

弓道警察ではありませんが、知ってる人から見るとおかしな描写にはツッコミを入れたくなる魔力を持っています。
私は理系の実験経験者なので、理系描写でツッコミを入れたくなる事があります。

例えば、古畑任三郎福山雅治がゲストの回で、エバポレーターがポンプやアスピレータにつながってないとか。新品だったので、きっと注文してとりあえず置いといたのでしょう!
ドクターXで、実験で使うマイクロピペットがオフィスに置いてるのはツッコミを入れる前に笑ってしまいましたが。撮影のため手配したものの、何に使うのかよく分からないので、インテリアとしてオフィスに置いてみましたって顛末でしょうか。
最近だと、ドラマ版のすべてがFになるで「ゼミ幹」なる、おそらく理系を含まない一部学部でしか使われない言葉を使ったりとか。そもそも、すべてがFになるに関しては、脚本もさることながら、なぜ犀川先生がMacを使わないのか!という話であります。


理系に関しては、とりあえず白衣を着とけば良いと考えてる節がありますね。医者以外で、食堂で白衣着る人はまずいないですよ。医者は、病院以外では白衣脱ぐべきだと思いますが。って別にドラマ関係ないですね。

脚本と矛盾が生じるのはもったいない

先に挙げた実験器具や白衣などはリアリティよりも、雰囲気を醸し出すための小道具なので、見ている大部分の人がそれっぽく見えれば、それで良い部類の事柄でしょう。もちろん、ツッコミがないに超したことはありませんが。

小道具や演出は、雰囲気作り、あるいはリアリティを産むためのものですが、きちんと考証しなかった結果、脚本上との齟齬が生じるのは残念だなと感じます。演出、考証ミスと言って良いでしょう。

最近話題になった中では、幸腹グラフィティの描写などは残念に思えます。
原作では、長めに切られた長ネギ(白ネギ)なのに、アニメ版では薬味っぽい感じの青い刻みネギが乗っている。必ずしも原作通りに従う必要は無いですが、原作でもアニメでも「ネギが甘い」と言ってるので、アニメ版の描写はおかしいよねってツッコミ。
火を通した長ネギなら甘く感じますが、刻みネギが甘いとは思えないので、作画の指定ミスでしょう。食事がテーマのアニメだけに、もったいないミスだと思います。【レビュー】アニメ『幸腹グラフィティ』夜食テロアニメを期待させる第1話 で紹介されるように、いなり寿司の作画が半端ないだけに余計に残念だなと思います。

おそらく、作画の指定では「ネギ」としか書かれていなかったのでしょう。この「ネギ」がくせ者で、一口に「ネギ」と言っても思い浮かべる「ネギ」が異なってきます。例えば、私はうどんに「ネギ」と言われると 小ねぎ - Wikipedia を思い浮かべます。一方、鍋物だったら「長ネギ」を思い浮かべます。
作画において「ネギ」とだけ指定されると、それこそ人によって様々なネギが描かれることになるでしょう。

ネギ うどん - Google 検索 を見る限り「ネギ」とだけ指定された場合に、原作通りの長めの白ネギが描かれるのは稀かなとも思います。
ただ、長ネギならきちんと火を通していれば、斜め切りや小口切りでも、甘く感じるはずで、ネギの種類を指定しておけば良かったのではと。原作はぱっと見関東風、アニメ版は関西風に見えるので、東西文化の違いが作画と台詞のミスマッチの一因かなとも思えます。

金と時間の問題だ


最近だとTwitterでは大河ドラマである「花燃ゆ」でも似たような指摘がありました。
札が剥がれて禁書である「海防憶測」であることが明らかになる場面で、書名がでかでかと画面に映し出されます。そのフォントがPCの明朝体っぽくて残念だという指摘です。
萩市立図書館で花燃ゆ「海防憶測」展示 に実物の写真がありますが、大河のフォントとは異なっています。
大河における「海防憶測」の装丁は、きちんと和綴じされ、やや古めかしい感じに仕上げているだけに、チグハグというか、ツメが甘い感じも受けます。


深夜アニメに関しては、監修を入れる予算も無ければ、時間も無いから仕方ないかなと思います。最近の民放のドラマも同じような懐事情でしょう。
また、以前より、画質が上がったことで細かな点がより気になるようになった背景もあるでしょうか。この辺は、ゲームも似たようなジレンマを抱えており、画質の向上で工数が余計にかかるようになってしまいました。
大河ドラマはお金も時間もかけてるはずで、花燃ゆにおける「海防憶測」は、実物が残っているのでそれをコピーすれば良かったのでは無いかなと。他の番組に比べて監修がきちんといるわけですし。

映像化する際のズレ

神は細部に宿るとは言いますが、細部に拘りすぎて大局がおそろかになるのはダメです。
一方で、脚本と演出などの関係がチグハグになっているのはツメが甘く、勿体ないことですし、残念だなと感じます。神は細部に宿りますが、要するに程度問題です。



かのルーマニア人は、そもそも設定からして、2丁拳銃をリロード無しに100万発撃ってもおかしくないキャラクターときわまってると思います。
一方で、妖怪首置いてけとか、与一は人間ではあるので、確かにツッコミがあってもおかしくない気もします。ところで、ノブーの眼帯が左右逆になってるのはてっきりわざとやってるのかと思ってましたが、違うのですね(笑)。

それはさておき、平野耕太先生の場合は、2丁拳銃をリロード無しでぶっ放しても、構成力といいますか、画力と言いますか、コマ割りとか、総合的な「漫画力」が高いので、考証するとおかしいけども、読者を納得させるだけの力や勢いがあると思います。

説得力に関しては、漫画とアニメの表現が違いにより、同じシーンでも説得力を増すためには、異なる手法が求められる事があります。
漫画ならば、実際に刀を抜くシーンを描かなくても、むしろ描かない方が目にも止まらぬ早さで抜刀したことを表現できます。アニメでも可能な演出ではありますが、抜刀シーンをきちんと描かなければ、説得力が足りないケースもあります。

艦これ弓道警察にまつわる問題は、艦これをゲームからアニメに落とし込む際に生じるズレの一つでしょう。艦これは、ゲームの設定がきっちりしてない分だけ、プレイする人の想像力に委ねられる部分が大きいです。例えば、艦娘の大きさとか、戦い方、そしてどうやって生まれるのかなど。
原作の設定がゆるふわなものを、他のメディアに移し替えるときに、「これだ!」というイメージを打ち出せればよいのですが、艦これのアニメ版は評判を見る限り、ズレがあるのかなと感じます。

おかしな点を無理矢理考察してみるのも、おかし

ダイレクトにおかしいと突っ込みを入れるよりも、つじつまが合うように考察する方が面白い遊びかと。つまり、ネタ化して消費する=忘れるってことですね。雑コラも、ネタ化の流れでしょう。

ルービックキューブ警察ではありませんが、ルービックキューブ一つでここまで考察できるのはすごいですね。
ちょっと強引に思えますが、それ故に面白いなと思います。完成しないルービックキューブは単純に作画ミスの可能性が高いですし、狙ってやってるとしたら普通に気がつかない演出だと思いますけど。ただ、最近はWebの普及で、普通は気づかないような演出でも気づく人がいるので、わざとやっている可能性が微レ存?
DVDやBlu-rayが発売される時に、修正されるのか、それともそのままなのか、気になるところですね。