断捨離は思想であり、整理整頓は運用である

断捨離とは思想であり、整理整頓の手法では無い。
整理整頓とは在庫管理である。所有物に優先順位をつけ、その順位に基づいて整理する。使用頻度の低いものや、必要のないものは捨てる。
購入する際は、在庫状況とそれを保管するスペースを把握して必要なものを購入する。迷ったら買わない。
整理整頓とは運用であり、「もの」への執着を捨てる断捨離とは根本的に異なる。

整理整頓とは在庫管理だ

たとえるなら、整理整頓とは小売店において商品を途切れることなく提供し続けることだ。家庭ならば、トイレットペーパーなど消費される日用品のストックを無駄なく保持し続けることに当てはまる。日用品を底値で購入するのは良いが、消費しきれないペースで購入し続けると置く場所がなくなり無駄が生じる。数十円の違いしか無いトイレットペーパーで物置を一杯にするくらいなら、他の物を置いた方が有意義だ。
自炊する際に、冷蔵庫の中身を腐らせないようにしつつバリエーションのある食事を作り続ける事ができるのも運用能力だ。安いからといって大量に購入しても、腐らせてしまってはもったいない。必要な物を必要な分だけ買って調理できることが望ましい。

私のスタンスは以前書いたことがあるが、所有する物に優先度を割り振り、使用頻度の高いものは手の届きやすいところへ、低いものはしまい、必要のないもは捨てている。捨てる場合は、1年経過して使わなければ捨てる。もちろん例外もあり、礼服など突然使う可能性がある物は捨てない。また、そもそも必要でないものは保持しない、つまり買わない。
使用頻度の低いものをしまう際に、保管場所や所持していることを忘れるのは良くない管理方法だ。あまり使わないからと言って、奥へしまい込み取り出すのが億劫になれば、それは使えないのと同じである。持っているのを忘れるのはスペースの無駄だし、同じものを二つ購入してしまいかねない。整理整頓する際に容易に取り出せなくなるならば、それは所有物が多すぎる。

スペースは無限にあるわけではなく、その容量は有限である。賃貸なら単位空間あたりにどれくらいの金額がかかっているか計算してみると実感が湧くだろう。新しい物を購入するなら、それを置くスペースがあるかも検討しなければならない。もちろん、工夫次第でスペースを生み出すことはできるが、所有物が増えると管理しなければならない物が増えることとなり、管理できなくなる可能性がある。

小手先の収納術だけでは片付いた部屋を管理維持できない

テレビで収納術を紹介することがある。整理整頓の匠が散らかった部屋を片付ける企画などもある。しかし、恐らく匠よって片付けられた部屋は、早晩散らかっていくだろう。なぜなら、人に片付けて貰うと、どこに収納したか分からなくなるからだ。行動パターンは人によって異なる。例えばテレビのリモコンなどの使用頻度は人によって異なるし、使い方も違う。匠が散らかった部屋を片付けた場合、それは匠の生活行動パターンに最適化された片付け方であって、その部屋の使用者の行動パターンのそれではない。
仮に部屋の使用者が収納術を学んでも、所有物を管理運用することはできない。つまり、整理整頓を継続できない。そのため、部屋は徐々に散らかっていくだろう。

収納術はスペースを生み出したり、収納物の視認性を良くしたり、取り出し易くすることで、所有物の管理を勘弁にする手法だ。しかし、収納術自体は、所有物を管理し運用する方法ではない。収納術を学んだけでは、今後新しい物を手に入れた際にスペースがなくなるし、使用頻度の下がった物を捨てるルールがないため、結局元の散らかった状態に戻るだろう。収納術は収納できるスペースや容量を増加させるが、所有物を管理する方法ではない。

管理、運用方法は人によって異なる。持続可能な管理方法でなければ、いずれは散らかってしまう。よって、上辺だけの収納術などのみを取得しても、継続した整理整頓はできない。

断捨離とは思想である

断捨離 - Wikipedia によると、断捨離のそれぞれの漢字には以下の意味があるらしい。

  • 「断」は入ってくる要らないものを断つこと
  • 「捨」は家にずっとある要らないものを捨てること
  • 「離」とはものへの執着から離れること

断捨離とは、ものへの執着を断つことが根本であろう。きれいさっぱり捨ててしまい、新たにものを手に入れなければ、部屋は片付く。一旦、ものへの執着を捨てれば、特に何も考えずにさっぱりした部屋を維持可能である。
断捨離とはノウハウではない。考え方や心の持ちようである。つまり、断捨離とは思想であり、整理整頓は異なる。

断捨離を極めると、なんにもないぶろぐ: 大掃除 あぁ大掃除 大掃除 のように生活感のない部屋になるのであろう。断舎離している人の怖さ で語られるように、気持ちが悪い。また、これだけものがないならもっと狭い部屋でも十分だ。スペースの無駄である。

汚部屋と断捨離された部屋は表裏一体

散らかり放題の汚部屋と断捨離された部屋は対極に位置するが、根は全く同じである。
所有物の管理・運用ができないため汚部屋となる。置く場所が確保できないのにものを購入する。所有物を把握していないため、同じものを購入する。取りあえず使うからと購入するも、結局使わず忘れてしまう。使うかもしれないと考えて、ものを捨てない。ものが多すぎて、優先度がつけられない。どこに何が収納されているのか分からない。などなど、所有物の管理・運用ができなければ部屋は散らかっていく。
それでも、普通の人は何かしらのルールでもって部屋を片付けようとするが、そのルールを決められない人は汚部屋になってしまう。

汚部屋になってしまう人は、所有物を管理・運用できないため。そのため部屋を綺麗にするには殆どのものを捨て去り、新たに購入するのも控えるしか術はない。つまり、断捨離するしかないのだろう。

実際、先ほど紹介した何もない部屋に住むゆるりまいさんは、持ち物全てを一度に見渡せるくらい”断捨離”して、「家の中で物を探す時間」をなくす。 - 僭越ながら などを見るに、片付けられない人なのだろう。
さて、このブログの記事には『「片づけ」とは「モノの絞り込み」である』と書かれているが、これまで述べたように「片付け」とは「モノの絞り込み」だけではない。「片付け」には、「モノの絞りこみ」は必要であるが、自信が所有する物とそれを収納した場所を把握できなければ「片付け」とは言えない。所有物を管理運用できなければ、「片付け」=整理整頓とは言えないのだ。

整理整頓と断捨離は異なる概念

整理整頓と断捨離を混同している人が多いが、それぞれ別の概念である。
整理整頓は所有物を管理し、運用することである。ものの流入と流出を管理する。保管場所を管理する。所有物を把握する。その際に、必要が無ければ、使用頻度が著しく低ければ、保管スペースが無ければ捨てる。
断捨離は、整理整頓に必要な管理運用を一切放棄することで実現できる。ものの流出入は必要最低限となるだろう。スペースや時間は生まれるが、私はそれを余裕とは呼びたくない。「無」でしかない。