2. 紋章のルール

紋章のルールは紋章学と呼ばれます。紋章は騎乗槍試合を起源とするので、識別のし易さを元に体系化されていきました。ちょっと退屈かもしれませんが、お付き合いいただけると幸いです。次に述べる「色」は重要なので、「紋章に使用できる色」だけ読んで、他は読み飛ばしてもらってもかまいません。

紋章に使用できる色

紋章において最も厳密なのは色使い。試合や戦場で即座に個人を特定できるように、コントラストのはっきりした色を用いなければなりません。そのため、使用できる色が限定されています。紋章に使用できる色の種類は、「金属色」、「原色」、「毛皮模様」の三つです。それぞれの色の種類ごとに使用できる色とその意味を以下にまとめる。

  • 金属色(Metals)
    • 金(or):トパーズ、太陽、勇気、名誉
    • 銀(argent):真珠、月、清浄、賢明
  • 原色 (Colours)
    • 赤(gules):ルビー、火星、鉄、権利、愛
    • 青(azure):サイファイア、木星、錫、忠誠、名誉
    • 黒(sable):ダイヤモンド、土星、鉛、頑強、平和
    • 緑(vert):エメラルド、金星、銅、自由、希望
    • 紫(purpure):アメジスト、水星、水銀、栄光、権力
  • 毛皮模様 (Furs)
    • アーミン(ermine):白テン
    • ヴェア(vair):りす

金属色である、金と銀は黄色と白で代用される。紫は色がはっきりしないため好んで使われることは無い。また、毛皮模様であるアーミンやヴェアは色や模様や繰り返し単位の位置により多くの種類があるが、紋章学上は一色として扱われる。時代や国によってはこれ以外の色が使われることがある。また、人間などを描く場合は自然色として肌色などを用いても良い。
白黒印刷しかなかったときは全ての色を表現できなかったので、金色はドット、青は横線、赤は縦線などの決まりごとが存在します。カラー印刷が発展した現代においても、硬貨などに紋章を描く際に使用されることがあります。

彩色の大原則とオーディナリー

紋章に使用できる色は上記のように、金、銀、赤、青、緑、黒、紫、アーミン、ヴェアの9色ですが、彩色にも決まりがあります。それは「同系の色を重ねてはいけない」という大原則です。例えば図1の1番に示すように、青地の上に赤線を重ねてはいけません。赤を重ねたいならば、原色ではない金属色や毛皮模様を下地にしなければなりません。しかし何事にも例外があるように、エルサレム王の紋章 は銀地に金色の十字が描かれています。金と銀は共に金属色で、同系色の色を重ねてはいけないルールに抵触しますが、そのルールが定められる前に紋章が作られたため、特例として認められています。

紋章に描かれる幾何学模様は オーディナリー と呼ばれます。
紋章で最も利用される表現方法です。例えば、紋章の上部1/3に描かれる横帯はチーフと呼びます。図1の1は違反紋章ですが、青地に赤のチーフの紋章と記述します。その他、縦線や、斜め線や十字、×字などがあります。特に十字はキリスト教の象徴なので、様々なバリエーションが存在します。これらオーディナリーは盾の補強に由来すると考えられています。
単純な図形の繰り返しも紋章に利用されます。縦・横線の繰り返しや市松模様など。例えば、モナコ公国の国章 はひし形(ロズンジ )の繰り返し図形です。繰り返し図形は競馬の騎手が着る勝負服に似てますね。

フィールドの分割と三色旗

さてさて、同系色を重ねる、あるいは並べてはいけない紋章ですが、赤と青が隣り合っている図1の2,3番は違反になりません。これは、紋章のフィールドを分割しているから。それぞれ違う領域なので、同系色を隣りに置いても問題ありません。図に示したように、上下、左右に分ける意外にも斜めなどのバリエーションがあります。2分割以外にも、3分割、4分割などがあります。特に3分割は紋章そのものではないですが、見る機会が多いです。三分割の紋章が元になったものが三色旗です。いわゆるトリコロール。ヨーロッパの国旗も紋章の影響を色濃く受けており、色使いや図形、フィールドの分割などは紋章のルールを参考にしています。国旗は国家の象徴ですし、また同時に視認性が不可欠ですから紋章が元になるのも当たり前でしょう。
三色旗 によると最も古い三色旗はオランダの、横三分割で上から赤・白・青の国旗。順番が上から白・青・赤になるとロシアの国旗になります。同じ三色でも縦の三分割で左から青・白・赤だとフランスの国旗ですし、Y字三分割ではチェコの国旗になります。ちなみに、Y字三分割はスコットランドの影響を受けた国に多い。国旗には白が多く使われますが、紋章として考えると、白は本来銀です。
同じ色使いの三色旗でも、配色の順番や、縦・横・Y字のように配置が異なるとまったく違う三色旗になるのは紋章と同じです。このように、紋章では下地の色、地の上に重ねる図形、フィールドの分割、動物などの絵を描くことで、個人を識別するオリジナルの紋章を作って行きます。

紋章の統合 マーシャリング

図1の3と6は、共に左が青で右が赤の紋章で一見すると同じ紋章に見えますが、意味が異なります。3はフィールドを分割することで新しい紋章を、一方6はそれぞれ異なる青地の4と赤地の5を組み合わせた紋章です。この組み合わせをマーシャリングと呼び、紋章を持つ家同士が結婚する場合や、領土の併合や分割の際に行われます。婚姻によりマーシャリングを行う際は、盾の左に夫、右に妻が配されます。また、7に示すように二つの紋章を組み合わせる場合でも、見易さなどを考慮して4分割することもあります。
マーシャリングによって紋章が統合されていくのですが、夫よりも妻が死んだ場合や離婚した場合は紋章が取り除かれます。また、婚姻を繰り返していくと紋章が増えていくので格の低い家から取り除かれます。しかし、グレンヴィル家の紋章 のように統合する際に紋章を取り除くことをすることなく、719もの紋章が描かれた紋章も存在します。紋章本来の視認性から考えるとありえない紋章ですが、家系の相続という点ではその歴史が良く分かります。

ところで、上の説明文では図1の3の左が青で、右が赤と書きましたが、正確にいうと、「デキスターが青で、シニスターが赤」です。このデキスター(Dexter)とシニスター(Sinister)はラテン語で、デキスターが右、シニスターが左を意味します。デキスターは右なのに、「図1の3のデキスターが青」なる説明は左右が逆じゃないか、と疑問に思うかもしれませんが、これで正しいのです。なぜなら紋章の左右は、盾を身に付ける側から見た方向で考えるからです。盾を身に付ける側の右(デキスター)は、見る側の左となります。ヨーロッパは右上位ですから、デキスター、即ち見る側からは左が上位となります。だから、夫の紋章が見る側から左にあるわけです。さて、このデキスターシニスターですが混乱しやすいので、本稿では特に断りが無ければ見る側からどちらにあるかで左右を述べます。

紋章の構成

これまで盾の形をしたものを主に紋章、紋章と書いてきましたが、紋章は盾だけではなく様々なアクセサリが付きます。本来は盾が紋章のはじまりなので、盾のみが紋章でしたが、時代が進むにつれ様々な装飾が施されていきました。
Template:紋章の構成要素 に示されるように、シールド(Shield、盾)、ヘルメット(Helm、兜)、クレスト(Crest、兜飾り)、マント (Mantling)、クラウン(Crown)、リース (Wreath)、サポーター(Supporter、盾持ち)、モットー(Motto)などからなります。
マントは先に述べたように、十字軍遠征の際に武器や鎧を日光から守る羽織が元になっています。また敵の武器を絡め取る際にも使用します。頭から被るように使用したので、メットの周りに描かれることが多いです。ただ形は葉っぱみたいでマントに見えないのですけど。騎士が着用するものでしたが、王族や貴族の紋章にも使用され、国よっては使用できる色が身分に世って異なります。例えばイギリスだと金を使用できるのは王族のみです。

メットもやはり騎士が着用するものから。位によりメットの形や色が異なるので、メットを見ることで紋章を所有する人の階位が一目瞭然となります。また、聖職者の紋章にはメットがつきません。なぜなら戦いはご法度だからです。メットの上にあるのがクレストで、兜飾りです。先の騎乗槍試合や戦場において目立つためにつけられたもので、時代が進みにつれ意匠的に凝ったものが使われるようになりました。日本の兜飾りも似たような傾向がありますね。例えば、ひこにゃんで有名な井伊直孝の兜とか。クレストは家ごとに異なるので、日本の「家紋」に近い役割を果たしています。逆に、日本の家紋は「Crest」と訳されます。
クラウンはその名の通り冠で、王や貴族位、騎士によって異なります。Rangkronen に示されるように位が高いほど豪華な装飾が施されます。メット同様に、クラウンを見ればその人の位を知ることが出来ます。ちなみに、ヨーロッパ・日本の貴族爵位 は国により呼び方が違うので面倒です(参考:爵位)。
具体的なクラウンやクレスト、メットの図は英語ですが、Heraldic Dictionary - Crowns, Helmets, Chaplets & Chapeaux がまとまっています。
サポーターは獅子やユニコーン、あるいは人など様々ですが一般的には想像上の生き物が多いです。貴族以上しか使用できないなどの制約があったりしますが、紋章に使われるようになった所以は明らかではありません。モットーは巻物に書かれた家訓や格言です。紋章の上に配置されたり、下に配置されたりします。ラテン語で書くのが一般的です。
紋章は個人を識別するものだいう原則から考えると、盾の部分こそが重要なので本稿では盾を中心に説明しています。個人的な感想をいえば、メット、クラウンにより階位、クレストで家系が分かればそれで良いかなと思っているので、あまり興味がありません。

3. 紋章に歴史あり イギリス国王であるエリザベス女王の紋章解説