フォント弄りはテンション芸

侍魂見ればいいと思うよ。今でもあるんだし、別に10分も時間取られるような内容でも無いし。
ブログで特大フォント弄りを見かけると一気に興醒め。読む気が失せる。アクセスしていきなり、落ちが目が行くというのはいかがなものか。

何故長文を書くか

長文書きたいから書いてます。何故なら、僕が長文を読みたいから。
あっさりした短文の方が多くの人に読んでもらえるだろうけど、よっぽどうまく書かないと印象には残らない。というか、短文であっさりなら短ければ短いほど良いわけで、そんな短文書くなら僕は今なら Twitter に書きます。スピーチとスカートは短ければ短いほどいい。ただ、長文には長文の利点があって、読みきった時に内容に納得できるなら爽快感が、納得できないでもツッコミを入れたくなり執筆欲が生じます。また、、長文を書くことで興味の無い人しか読まなくなり、ある種の読者の選別ができるという点もあるかもしれない。これは、敷居を上げたい人には長所だが、下げたい人には短所だろう。
テキストサイトとフォントいじり で指摘されるようにフォント弄りが画像に置き換わったという視点はその通りかもしれない。gif動画やFLASHがyoutueb やニコニコ動画などのビデオに置き換わったのと同じかもしれない。僕は説明程度の画像なら作れるけど、画像にはあまり頼りたくない。画像を使えば言葉が要らないので、言葉を考えなくなってしまう。そして、画像中心で作るなら自動スライドを作って ニコニコ に上げた方がはるかに分かり易いだろう。時間が許すなら作ってうpしたいですが。

センスよりも内容の問題

ブログでも稀にフォント弄りを見かけます。要約の意味でボールドを用いるのが一番多いでしょうか。しかし、教科書に蛍光ペン引いたらほとんど黄色になってしまったというネタが示すように、全部が重要な点である。要約なら文頭か文末に要約を書いてしまったほうが良いだろう。また、僕にとって特大フォントの使用は興醒め。特に、この文章のように改行を用いない文章に用いる場合、行間ずれるし場合によっては上下の行と被ってるし、そもそも落ちが一番目立つという最悪な状況。だったら改行使えばいいかというと、無駄にスクロール回数が多くなるのでざっと読めない。結局内容が無いのに改行で膨らませただけってパターンもある。フォント弄りがダメだと言われるのは、センスの問題もあるが多くは内容が無いだけ。内容が無いのにずるずる引き延ばされた漫画やドラマがつまらないのと同じでしょう。つまり、内容が薄まっている訳ですね。というか、この議論もフォント弄りが出てきた頃から言われていますけども。
つまり、フォント弄りの問題はセンス以前に中身が無くても膨らませる事ができてしまう点。何でもない日常でもフォント弄りを使えば面白くなってしまいます、もちろんそれがフォント弄りという芸の面白さで、今なら2ちゃんでみかけるwwwwwwwwwwwが沢山入ったテンション文と同じ。テンション文とはテンション芸人みたいなもので、普通の事でも見ている人のテンションを上げれば箸が転がってもおかしい状態にすることができる文章のこと。テンション芸人同じく、テンションの上げ方が一本調子なので多用されるとテンションが上がらなくなり飽きられる。だから、フォント弄りは廃れたのだと思う。その内www多様も減るでしょう。