「馬車馬のように働け」と発言するつもりが、「泥のように眠る」が頭をよぎって混じってしまったのかなぁ?
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意味を汲み取る
まず入社して十年間は泥のように働いてもらう。はい上がる気力や苦しい時に周囲を思いやる気持ちを育てるには、どん底に突き落とすしかない。入社4年までに全員を海外に研修に出す。海外の若者がどれだけハングリーに働いているかを見てきてほしい。
丹羽宇一郎氏が何をもって「泥のように」という謎の比喩を用いたのは分からないが、意味的には「どん底に突き落とされてもハングリー精神をもってそこから這い上がるように働け」か。あるいは、10年は泥のように働け - 池田信夫 blog において池田先生が分析するように丁稚奉公的、徒弟修業型に働けってことか。要するに、上司の手足となって何も考えずに働けということなんだろうか。すると、「次の十年間は徹底的に勉強させる。」につながりますね。
「汗水たらして、ドロドロになって一生懸命に働け」とはちょっとニュアスが違うかも。それにしても、10年「泥のように」働いてそれから勉強って遅くないですかね。
「泥」の語源から考える
「泥のように」に続くのは普通は眠る。「泥のように眠る」の語源は明らかではありませんが、慣用句辞典 とら〜とん によると「泥の如し(でいのごとし)」と関係する言葉ではないかと分析されています。
泥の如しとは、人が酒に酔って正体を失った様子の喩え。「泥(デイ)」は、中国の空想上の虫のことで、南の海中に住み、身体には骨がなく、陸(おか)に上がると酔っ払って泥土のようになるとされた。
慣用句辞典 てあ〜てと より
つまり「泥のように働け」を文字通り解釈すると「泥(デイ)のように働け」となる。陸に上がった河童は、水中で生活する河童は陸に上がると勝手が違って力を発揮できないことから、自分の得意分野を離れて手も足も出なくなった状態のことを意味します。「泥(デイ)のように働け」を考えるに、泥(デイ)は陸に上がったら成す術がなくなるどころか、酔っ払うわけですから河童よりもひどい状態で働くことになる。無理やり解釈すると、自分の不得意な分野で朦朧となりながら働くということか。成る程、「どん底に突き落とされてもハングリー精神をもってそこから這い上がるように働け」はある意味正しいのかもね。
ただ、「泥のように働く」なんて言葉はないし、おそらくここまで考えて発言しているわけでもないだろう。明らかな誤用を何のためらいなく使えるような情報処理推進機構の人もどうかと思うし、さらにそこを指摘できなかった学生もやれやれですよ。