更新と巡回を休むと戦うための牙が抜ける

更新しないでアクセスが減ることよりも、書けなくなるほうが怖い

普段は更新、巡回をしなくても書きたいことは浮かぶもんだが、今回は風邪をひいて寝ていたので全く持って何も思い浮かばない。
このブログは更新しなくても意外とアクセス数が落ち込まない』と、こんなサイトもあるそうですが、僕のサイトはアクセス解析して無いのでさっぱり分かりません。更新しないと軒並みアクセスが落ちるという気はしないのだけど、僕の場合は更新及び巡回しないと、戦うための牙が抜けてしまうので、できれば更新したいのだ。
牙が抜けるという比喩は戦意喪失とか言う意味なんだろうけど、ここでは戦うための武器が無くなる、転じてブログを書くための力が無くなるというような意味で使いたい。

更新を休む

更新を休むと牙が抜ける。これはつまり、更新の仕方、偏に文章の書き方を忘れてしまうからに他ならないだろう。
毎日ブログを書いたからと言って文章力が上昇することは無いのだろうけど、毎日生活の一部として、それこそ呼吸するように文章を書いていたのに、それをしばらく休み再開してみると、文章の書き方がトンと分からなくなることがある。恐らく、自分なりに蓄積していたノウハウを思い出すのに時間がかかっているのだろう。まさに、戦うための牙が抜けてしまっている。
これは、自転車や電車などは動き出すまでにエネルギーを使うが、動き出すとスムーズなのと似ているか。

巡回を休む

僕の場合は、更新しなくても巡回をしていることがほとんど。逆に、更新してるけど巡回して無いってことはまずない。巡回しないと、やっぱり戦うための牙が抜ける。これは、ネタや素材、さらには流れが分からなくなるからだろうか。それならば、むしろ『choiris復活に関してのいろいろ』のように、嗅覚が鈍くなるが適格か。
情報に関して、インプットとアウトプットのバランスはインプット≫アウトプットであるから、アウトプットを多くしたいならば、インプットをそれだけ多くしなければならない。何も仕入れずに書けているつもりでも、それは過去の経験を生かしているのであって、やっぱりインプット≫アウトプットだろう。
というわけで、巡回を休めばそれだけインプットが減るので、アウトプットが減るのは必然である。ただ普通は、巡回していない=他の活動をしている、であるからその活動から学んだこと等から書けるネタはたくさん生まれるので、インプット≫アウトプットは保たれる。では、何故書けなくなるのかというと、巡回しないとどうしても自身の属する界隈の流れが掴めなくなる。つまり、比較的注目され易い「お題」に関して反応できなくなってしまう。自身の属する周辺への反射神経が鈍くなるというか、嗅覚が鈍くなるというか、まぁやっぱり戦うための牙が抜けてしまうのだろう。

既出上等!

更新を休むと、自分の書き方のリズムを忘れ、巡回を休むと自身周辺の流れを掴む反射神経が鈍くなる。だからあんまり休みたくないんだけど、まぁ諸般の事情もあるので仕方が無い。
つーか、この件に関しては『いつか記事が書けなくなる日』や『ブログの記事が消費されるなら、何度でも同じ事を書けばいい』で散々同じこと書いてるんですけども、『みんなが同じ事を書くことに意義がある。既出上等で気軽に書かなきゃダメだ。』で触発されました。