割と本気でタイムマシンについて考える

皆さんもタイムマシンについて夢想したことが一度くらいはあるでしょう。理系に興味が向いたのは、タイムマシンを考えるために相対性理論について勉強し始めたからなんて人もいることでしょう。というわけで、今回はタイムマシーンについて割と本気で考える。

1. 因果律

1.1. 因果律により過去へのトラベルが不可能な宇宙

タイムマシンを考察する上でかかせないのは因果律因果律と主にタイムパラドックスのことで、その最たるものが親殺し(自分殺しも可)のパラドックスだろうか。過去に戻って自身の親を殺すと自分は生まれない。しかし、その親を殺したのは自分であるが、その自身が存在しないのに、親が死んでいるのは矛盾、パラドックスが生じる。このように、タイムマシンが存在すると、多くの矛盾が生じるので、背理法よりタイムマシンは存在できないというのが先ず一つ目の考えでである。
これは、時間の流れ、時間の矢を遡ることは宇宙の法則に反するということだが、逆に時間を進めることなら幾らでも可能である。例えば、ウラシマ効果は理論的にも、また素粒子などでは実験的にも認められたことである。これを利用すれば未来へのタイムマシンが可能である。ただし、片道切符であるし、実際にロケットを光速に近づけることがエネルギー的に可能かどうかは別であるが。
さらに、このウラシマ効果ワームホールを利用すれば、現在から過去へは戻れないが、現在と未来への行き来は可能であるとする考え方もある。今二つの繋がった、ワームホール、あるいはワープホールがあるとする。その一方を光速に近いロケットに乗せウラシマ効果で時間を遅らせる。例えば、一方のワームホールを100年後に地球に帰ってくるようにすれば、そのワームホールを行き来すれば、現在と100年後を行き来することが可能である。
ただし、これもワームホールを人間は通れるようになるまで広げるエネルギー的問題。そもそも、ワームホールを自由に移動させることが出来るのか等の問題や、ホーキング博士による反証などが挙げられている。
参考:タイムマシン - Wikipedia

因果律により過去へのタイムトラベルが不可能な宇宙。

1.2. 因果律により全てが決定された宇宙

タイムマシンがもし存在しているとすれば、タイムマシンは既に存在しているといえる。遠い未来にタイムマシンが発明されたとしても、タイムマシンが全ての時間に存在しているはずだということだ。この場合、なぜタイムマシンが存在するかは問題ではない。とにかく存在するのだから、ここは疑問に思わず、我々の宇宙にタイムマシンが存在したことを大いに喜ぶべきである。
このような考えはSFでよく見られるが、タイムマシンが存在する代わりに非常に困ったことが生じる。先に考えたように、因果律から過去は変えることは出来ない。しかし、タイムマシンは全ての時間に存在している。これは、全ての時間が過去になるということである。ということは、我々にとっての未来も未来から見れば過去であるから、我々の未来も変えられない。つまり、過去から未来において全ての事象が決定されているということである。
例えば、この手の考えを元に作られたのは、最近ではサマータイムマシーン・ブルースなど。サマータイムマシーン・ブルースはタイムパラドックスを無くそうとする部分をコミカルに描いた作品なのだが、最後に過去を変えられず、未来すらも変えられない、全てが既に決定されているのではないか、と登場人物が疑問に思うラストは寒気を覚える(ただし、最後に救いは存在するが)。このように世界に預言者がいたならば、必ず当たるが絶対にその予言を避けることはできないという、なんとも味気なく救いの無い宇宙である。

因果律により全てが決定された宇宙
過去の未来と同じく決定されているので実線で表現した

1.3. 因果律は依然として存在するが、柔軟な宇宙

先の、因果律により全てが決定された宇宙は非常に味気ない。折角タイムマシンが存在しているのに過去も未来も決められたモノと考えるのはなんとも悲しい。そこで考え出されたのが、過去で何かしでかしても、時間の大きな流れがその矛盾点を打ち消してくれると言うご都合主義的な柔軟な宇宙である。この宇宙はさらに、重大なパラドックスの場合、例えば親殺しなどは時間の流れがそれを阻止するという。つまり、時間の流れそのものがタイムパトロール的であると言う考えである。このようなご都合主義的宇宙ならばたとえタイムマシンが存在し、全ての未来が過去になっても、過去は柔軟に変化するので、過去も未来も既に決定されていると絶望する必要は無い。
このようなご都合主義的考えも、比較的多くのSFで見られる。例えば、これは過去ではなく未来に関する事象なのだが、ドラえもんにおけるのび太としずかの結婚による結果はこのような柔軟なご都合主義的宇宙に基づく。本来のび太ジャイアンの妹であるジャイ子と結婚する筈であった。これを未来からのび太ジャイ子の孫であるセワシドラえもんを派遣することでしずかと結婚させることに成功したのである(この時点で重大な航時法違反の筈だが)。セワシのび太ジャイ子の孫である筈だが、のび太としずかが結婚しても何事も無かったかのように存在している。百歩譲ってセワシが存在しても、のび太ジャイ子の孫であるセワシドラえもんを派遣しているはずなので、のび太としずかの孫のセワシドラえもんを派遣する必要は無いのに、依然としてドラえもんが存在する。この疑問は実際にのび太も思ったらしく、ドラえもんの第一話でセワシに質問しているのだが、「まぁ、何とかなるんだよ」とご都合主義名返答をして、確かに何とかなっている。
ただし、あまりにご都合主義的すぎるので、実際の宇宙がそうである可能性は限りなく低い。しかも、因果律により全てが決定された宇宙や因果律は依然として存在するが、柔軟な宇宙はタイムマシンの存在が許容されているが、実際にタイムマシンを作るとなると、光速を超えることは出来ないという相対性理論的大きな壁が存在するので、タイムマシンを作るのは大変だ。

因果律は依然として存在するが、柔軟な宇宙

2. 多次元的宇宙論

2.1. パラレルワールド

上記のような因果律を打破するために考えられたのが、多次元的宇宙論である。パラレルワールドとも呼ばれるが、これはタイムマシーンで過去へ行き、重大なタイムパラドックスを起こしてもその時点で我々の宇宙と平行に存在するパラレルワールドが発生し、タイムパラドックスを解消するというものである。ただし、時間旅行者が現在に帰ってくる際にどちらへ帰ってくるのかは様々な解釈が存在する。

  1. 元の現在に戻ってくる派
    • 自分の存在する宇宙からは出られない
    • つまり、過去は変えれない
  2. パラレルワールドの現在へ行く派
    • ただし、元の現在へか変えられない
    • 過去は変えれる
  3. どちらの現在へもいけるよ派
    • 時間旅行も出来るなら、パワレルワールドも自由に行き来できると言う考え

多くのSFでは、2. パラレルワールドの現在へ行く派が多いようで、例えばバック・トゥ・ザ・フィーチャー2では、変わってしまった現在について、ドクがそのような説明を加えていた。
ただし、この場合も、光速を超えることは出来ないという相対性理論的大きな壁が存在する。

パレルワールドの存在する宇宙
過去で何かやらかしても、他の宇宙発生しタイムパラドックスを解消できる

2.2. 時空平面

先に、パラレルワールド量子論的にさらに拡張したのが多次元的宇宙論である。シュレディンガーの猫を考えると、箱を開けるまで、猫は死んでいるのか生きているのか分からない。その両方が考えられ、生と死が重ね合わさった状態と言える。しかし、箱を開けるという観測を行えば猫が生きているのか死んでいるのかという結果が分かる。この時、猫が生きている宇宙と死んでいる宇宙が存在し、観測するまでは我々がどちらの宇宙にいるかは分からない。しかし、観測すればどちらの宇宙にいるかは明らかとなる。これは、全ての事象に言えるわけで、我々の宇宙が存在した瞬間から様々な宇宙が存在していると考えられる。つまり、この宇宙には我々の宇宙のほかに平行した宇宙が数多く、それこそ無限に存在するといえる。
これはまさに、先ほどのパラレルワールド的宇宙観を後押しする考え方であるが、これをさらに拡張することも可能だ。多くのありとあらゆる宇宙が考えられるならば、我々よりも1秒遅い宇宙も存在するだろう。1秒と言わず、1分、1時間、1日、1年・・・遅い宇宙も存在するだろう。そのような、我々の宇宙よりも過去の宇宙へ移動できれば、それはタイムマシンと同じことだ。つまり、時空平面を移動していくことになる。この場合は因果律や光速を超えられない相対性理論などものともしない。ただし、宇宙間を移動するのと、時間を移動すると方法は違うが結果は同じであるので、実際は見分けがつかないだろうが。

多次元的宇宙論
宇宙がビックバンで発生したその日から、様々な宇宙が存在する
我々はその一つの宇宙に存在している

実現は限りなく難しい

多次元的宇宙において時空面を移動するとまで考察したが、実際にタイムマシンを作るとなるとやっぱり難しい。
他の宇宙に行くとしても、我々の宇宙と他の宇宙とでのエネルギー保存則や質量保存をどのように解消するか。そもそも、他の宇宙へ移動する方法すら不明だ。ワームホールで繋がっているとする見解もあるが、ワームホールを広げることは可能なのか。そして、諸所のエネルギー的な問題も解決せねばならず、問題は山積み。つーか、そもそも実際に作ってどうするんだというのが最大の問題なんだよね。空想し、思考的実験をするのが一番楽しいのです。