ドラクエ11の時渡りの勇者は何を思い、語るか

ドラクエ11を語りたい

随分前にドラクエ11*1をクリアしたので忘れないうちに感想を書いておく。

はじめに

先ずゲームとしての遊びの部分をレビューし、その後に主人公とプレイヤーの距離感を語りたい。
以下に見出しをまとめておく。

遊びとしては非常に満足しているのだけど、中盤におけるストーリー展開にはやや不満がある。特に、主人公とプレイヤーの距離感をどこに置きたいのかを掴めないまま終わってしまったので、非常にモヤモヤしている。

尚、本作はPS43DSのマルチタイトルであり、さらに3DSに3Dと2Dの二つのモードが存在するため、バージョンの違いによりユーザー体験が微妙に異なると考えられる。私は3DSの3Dモードを主にプレイしたことを明記しておく。

ドラゴンクエストのグランドフィナーレ

ドラクエ11には、各シリーズのオマージュやセルフパロディが随所に散りばめられている。副題も「過ぎ去りし時を求めて」だし、タイトルイメージはドラクエ1のを反転させたものとなっている。クリアすると「ふっかつのじゅもん」により無料でドラクエ1をプレイできる。
3DS版には、各シリーズの世界を訪問できる「時渡りの迷宮」を中心としたおまけクエストが用意されている。

ドラゴンクエストシリーズは、堀井雄二鳥山明すぎやまこういちの三人のクリエイターが売りのタイトルである。
もちろん、現在はこの三人がメインで作ってるわけではない。堀井雄二はゲームバランスやテキスト、謎解きなどの細かな部分では無く、全体の方向性を決める役割を担っている。かつては鳥山明がモンスターのデザインも行っていたが、現在はメインキャラクターのイメージを担当しているだけだ。すぎやまこういちは音楽を担当しているものの、音色などはサウンドエンジニアに任せている*2。この三人がいなくてもドラクエは成り立つだろう。

それでもやはり、11作もの間、この三人の名前があってこそのドラゴンクエストであり続けた。一方、すぎやまこういちは86歳と高齢である。他の二人も年齢を重ねている。三人が名前を連ねるドラゴンクエストとしては、本作である11が最後になるかもしれない。それもあって、11は過去作品を意識した作りになっているのであろう。そして、12は新しいドラゴンクエストシリーズとしてスタートするのではなかろうか。

ドラクエらしい遊び

ゲームバランスやシステムなど、遊びの部分はドラクエらしい出来栄えだ。街中にいるモブのテキストもしっかり作り込まれているのもドラクエらしい。ただちょっとテキストや呪文に堀井節が薄いなと感じるけども。素材集めやクエストなど、フィールドを巡る楽しさもある。

戦闘は、3Dモードだとテンポが悪い。戦闘だけを楽しむなら、2Dモードの方がすっきりしている。一方で、2Dモードはフィールドでのエンカウント率が高い。3Dモードはシンボルエンカウントのため、プレイヤーがエンカウントを調節できる。どちらも帯に短したすきに長し状態だ。PS4では戦闘中にキャラクターが自由に動けるらしいけども、特に意味は無いらしい。

スキルパネルがドラクエに上手く取り込まれている。各キャラクターをプレイヤーの好みに成長さえることができる。スキルは振り直せるので安心だ*3。連携など、格闘ゲームにおける超必殺技のような仕組みも戦闘を盛り上げている。

鍛冶錬金がフレーバーとして上手く機能している。単純に素材を集めて混ぜるだけでなく、ミニゲームである鍛冶を通すことで、より効果の高い武具を作れる。単純に楽しいし、やりこみ要素にもなっている。
スキルや錬金などがあるものの、ダメージがインフレする程でもなく、その辺にドラクエらしい調整を感じる。

本作は属性や状態異常の種類が多くややこしい。普通にプレイする分には、属性はあまり生かされていないように感じた。状態異常を効果的に使用すると戦闘が楽になるのはドラクエらしいが、効果が持続しないため物理で殴った方が早いのも相変わらずだ。
敵もやたらと状態異常攻撃を使ってくるのが面倒である。終盤はその対策に追われることになり、攻撃がままならなくなるボスもいる。ファイナルファンタジーエスナやリボンのように、比較的万能な状態異常対策があれば、その面倒さから解放されるのだが。

先に思いをはせることができないマップ

3Dモードでプレイしたせいか、マップは随分と狭く感じられた。細かな区画が多すぎるのだ。

フィールドとダンジョンの区別はほぼない。リレミトが使えるのがダンジョンなのだろうが、頭上が開けていればルーラがどこでも使える。逆に、天井に覆われているためルーラを使えない街があって不便だった。
フィールドにしてもダンジョンにしても、ストレスを感じない程度に行き止まりがあって、それなりに探索している感覚を与えるようにデザインされている。一方で、しばしロードが必要なマップの区切りが多いため、狭く感じる作りでもある。
特に、フィールドが狭く感じられるのが残念だ。その理由は、関所によって寸断されているからだろう。

従来からマップは関所で区切られていたが、同時に橋でも区切られていた。関所はイベントをクリアしないと通過できないが、橋は自由に行き来できる。その代り、橋を渡ると一段強い敵が出現するため、レベルを上げないと苦労する羽目になる。
ドラクエ11では橋に相当するレベルによる区切りはほぼない。3Dモードであれば、簡単に敵を避けられるからだろう。また、新しい区画に入っても、イベントをこなしフラグを立てないと何も起きない。イベントが見えない関所として機能している。
マップそのものが細かな区画に寸断されているのも狭さを増長させている。先のマップが見えず、どのような世界が広がっているのか思いをはせることができない*4。世界の中心である命の大樹がずっと見るようになっているが、これはゲームのゴールでもあるし、ストーリーの随所にどのような場所かが示唆されている。故に、想像の余地があまりない。

PS43DSの3Dモードもグラフィックの綺麗さに違いはあるが、マップの構成はほぼ同じようだ。2Dモードだと、ドラクエ6以前のように「先が見えるけども行けない体験」ができるのかもしれない。

勇者への回帰

ドラクエ11は勇者に回帰した物語だ。特にドラクエ3の勇者との関連が深い。

ドラクエシリーズは、勇者の物語であったが、5では主人公ではなくなり、6からは主人公補正があるものの誰もが勇者になれる。つまり、選ばれた特定の人物のみではなく、みんなが勇者になれる物語へとシフトしていった*5

ところが、11では選ばれた勇者へと回帰している。もちろん、最終的には「困難に立ち向かう勇気があれば、みんなが勇者になれる」メッセージが込められているが、11の主人公は王族であり、また唯一無二の勇者という、選ばれし者のなかでも、さらに選ばれし者である。生まれた直後に川に流され拾われる当たりは、モーセかよって思いましたが。

勇者へ回帰したのは「過ぎ去りし時を求めて」いるからで、つまり11の主人公が「時渡りの勇者」だからだろう。11の主人公は「時渡りの迷宮」を通して、各シリーズの世界へも渡ることができる。11はドラクエシリーズのターミナルでもある。
「時渡りの迷宮」に関連したクエストで各シリーズの世界へ行けるが、ロンダルキアへの洞くつなど印象深いダンジョンが登場する。ドラクエ9だと、宝の地図によるメタルキングが登場するダンジョンなのが心憎い演出である。ガライの町でガライの墓が攻略できなかったのは残念だったが。

11がドラゴンクエストのグランドフィナーレならば勇者へ回帰するほか無い。各シリーズとの強い繋がりを持つ勇者としては、勇者の始祖であるロトの勇者をおいて他にはいない。
伝説の勇者であるローシュや勇者の剣は3のそれだ。音楽も3からの流用が多く、特にクリア後のフィールド音楽は3の「冒険の旅」である。8のようにラーミアこそ出てこないがケトスの復活やその後の双子による覚醒は、やはり3がモチーフだ。「やみのころも」と、それを祓える勇者の剣などなどなど。世界にも、ロト・ゼタシア、とロトの名が冠されている。

ドラクエ11の主人公も真のエンディングを迎えることで「ロトの勇者」の称号が与えられる。そして、この称号が後の世にも伝われるとされている。聖竜の件からも、11こそがドラゴンクエストの始祖である。

ただ、聖竜はドラゴンクエストであるからドラゴンを登場させた面が強く、また1の竜王へと結びつけるのはやや強引な後付けに思えた。そもそも、3の竜の女王と1の竜王も無理矢理感があるのだが*6
聖竜が姿を変えた命の大樹は、天空シリーズドラクエ9へ繋げる意味もあるだろう。

ドラクエ11の主人公は何者か

ドラクエ11の主人公は、唯一無二、時渡りの勇者である。シリーズ随一の勇者である。しかし、その主人公は何者であろうか。

ドラクエシリーズの主人公はしゃべらないのが伝統である。7くらいまでのグラフィックであれば、しゃべらない主人公=プレイヤーという演出は上手く機能する。しかし、8からは本格的な3Dになったこともあり、キャラクターの表情が豊かになった。黙っていても、表情が色々なことを語っている。これは11の主人公も同じで、主人公の内面が多大に表出している。
それでも、8や9では、主人公の周りのキャラクターが狂言回しとてストーリーを進めることで、主人公が極めて無口でも不自然さを極力感じないように設計されている。8ならば、ヤンガスであったり、トロデ王であったり、9ならばサンディなどがそれに相当する。8では、馬となったミーティア姫が夢の中でしか語れない点も、しゃべらない主人公の違和感を軽減している。その他のゲームに目を向けると、大神におけるイッスンであったり、ゼルダの伝説におけるナビィなどのナビゲーターが、物語を前へ進めている。一方で、狂言回しによるストーリー運びは、巻き込まれた感触が強く、自ら選択し切り開く物語には、あまり向かない。8で主人公がメーティア姫を選択し結婚する動機が薄いと感じるのも、そのためだろう。
ゼルダの伝説の新作であるブレスオブザワイルドでナビゲーターがいないにも、オープンワールドを自分の意思で切り開くためではなかろうか。

ファイナルファンタジーっぽいドラクエ11

ドラクエは、特に11はプレイヤー自身が勇者になる物語であるから、狂言回しによるストーリー運びは本来上手く機能しない*7。シルビアは性格としても人間関係としても狂言回し的なキャラクターではあるものの、基本的には主人公の意思を尊重するため、ストーリー全体を引っ張る役目はない。

ドラクエ11の主人公は、一人で行動したり主人公が中心となってストーリーが進行するシーンが多い。これは、仲間が揃ってからもだ。そのため、主人公がプレイヤーの意思に関係なく、何かしらの意思決定をしていているシーンも多くなる。
ストーリー中に仲間などに身振り手振りで説明するシーンがしばし挟まれる。ここへ更に顔の表情が加わってくる。ドラゴン11の主人公はゲーム中にテキストこそ表示されないものの、多くのことを語っている。
これらの演出は、主人公=プレイヤーを阻害する演出である。ここまで多くを語るなら、しゃべった方が自然である。11の主人公も回想シーンでは普通にセリフがありしゃべっている。ただ、そうなるとすごくのファイナルファンタジーっぽくなるが。

イベントやムービーも多く、その結果、操作できる=プレイアブルな時間が減少しているのも、主人公=プレイヤーを阻害している。特に、序盤のホムラの里へ辿り着くまでは、イベントが多すぎてうんだりした。命の大樹に辿り着いてからもイベントが多く、再度自由に行動できるようになるまでが長い。
DS版では、ムービーとゲーム内での等身が一致しないので、キャラクターの乖離もが生じている。まさか、2017年にもなって1997年に発売されたファイナルファンタジー7における違和感を、再度感じるとは思わなかった。

犠牲となった中盤

主人公の振る舞いやムービーにおけるプレイアブルからの逸脱などのプレイヤーからの乖離から、ファイナルファンタジーっぽい部分を随所に感じたが、その他にもファイナルファンタジーっぽい点がある。

主人公達は命の大樹に辿り着くが、ウルノーガに破れ「その日、世界は引き裂かれた」。その後主人公が「仲間を求めて」再出発した展開に、ファイナルファンタジー6っぽさを感じた人は多いだろう。また、メインキャラクターであるベロニカが死んでしまうのも、ドラクエとしては非常に珍しい、キーファのように途中で抜ける例はあるものの、メインかつプレイアブルキャラクターが自己犠牲として仲間のために死ぬのもファイナルファンタジーっぽい*8

この世界が崩壊した後の展開が本当に辛かった。崩壊直後は、魚としてスタートする。ウルノーガから逃れるためとはいえ、このパートを用意する意図が分からない。私にとっては、より主人公からの乖離が強められるイベントだった。
その後も、それまで育てた仲間と離ればなれになっているし、マップはほぼ同じなのにルーラの行き先がリセットされている。つまり、崩壊直後は自由度が極端に低下する。ストーリーも全てが後手後手で、救われないイベントばかり。もちろん、真のエンディングのための助走ではあるが、あまりにも犠牲が大きすぎる。

真のエンディングで救われるとはいえ、物語上の解釈では、崩壊した世界と崩壊しなかった世界では世界線が異なっているようで、崩壊した世界が救われるわけではない。ただ、この世界線の分岐がゼルダの伝説時のオカリナのように、他のドラクエシリーズを生み出していると解釈できるのは興味深い。崩壊した世界では、ロトの称号をもつものがいないので、天空シリーズへとつながるかもしれない。

この崩壊後が特にファイナルファンタジーっぽいのもあり、私は「ファイナルファンタジーをプレイしたいのではない、ドラクエをプレイしたいのだ」と感じていた。

時渡りの勇者はどのように時を渡ったか

それでも仲間が再度集結し、勇者の剣をみなで打ち直すイベントからは、自分としても盛り上がりテンションも高まった。クリア後から真のクリアに向けたドラクエ3を彷彿させる演出も非常に楽しかった。イベントとしては、ホムラの里のイベントなどはドラクエ3ジパングまでもが救われた気がした。遊びの部分では、強いアイテムが手に入るワクワク感や、スキルパネルなどが解放され、キャラクターを更に成長させることができる高揚感がある。

ただ、少々不満もある。クリア後の世界線ではホメロスとグレイグのすれ違いが解消されていないように感じた。ホメロスが死ぬまで誓いのペンダントを持っていたので、グレイグはホメロスの真意を気づいたかもしれないが。また。ホメロスは人として死んだ方が救いはあるだろう。それから、ケトスはクジラじゃなくてラーミアで良かったのでは。

クリア後は確かに盛り上がるものの、主人公との距離感をずっと掴めないでいた。いっそ主人公がしゃべった方が自然ですらある。しかし、しゃべってしまうとドラクエの伝統を失い、ファイナルファンタジーなどとの違いが無くなってしまう。

11の主人公が、どのようにして時を渡ったのかもよく分からない。崩壊した世界に主人公はいないし、アイテムなども持ち込んでいるため、身体ごと時を渡ったようである。入れ替わったのか、融合したのか。この辺ははっきりと描写されていないが、主人公の記憶はおぼろのようだ。。

命の大樹へ出発する前に時を渡った主人公は、その後の未来を仲間に対して語ることはしない。命の大樹で、ホメロスから不意打ちされる直前に、それをフラッシュバックのように思い出し回避している。デルカダール王がウルノーガに操られている点や、ウルノーガにより勇者の力を奪われたのも、同様にフラッシュバックのように思い出している。
崩壊した世界で勇者としての力を失った場面であり、時を渡ってやり直す重要な時点でもあるため、覚えていないのは不自然だ。むしろ、事前に策を錬っておきたい局面でもある。にもかかわらず、主人公は対策を取らないし、直前まで記憶がないような振る舞いをする。そのため、恐らく時を渡りはしたが、記憶が曖昧なのだろう。

プレイヤーはきちんと覚えているのに、主人公の記憶は曖昧のため、ここでもプレイヤーと主人公との間に乖離が生じている。
主人公の記憶が定かな場合、それをドラクエの文法で表現するのは難しく思える。仲間に信じて貰うには、命の大樹に向かう直前では言葉と時間が十分ではない。セリフのない主人公でかつタイムトラベルを描いた作品としてとしてクロノ・トリガーがあるのの、ルッカや時の賢者説明してくれるため、クロノとしてもプレイヤーとしても納得感がある。*9
主人公が覚えている心理描写を描くにも、やはりプレイヤーへの言葉が必要となる。どちらのパターンでも、ウルノーガと対峙する直前に対策を練るには主人公にセフが不可欠であり、ドラクエの伝統からは逸脱してしまう。時を渡る勇者が主人公の時点で、プレイヤーと乖離せざる得ないのだ。

ドラクエ11の主人公は唯一無二の勇者である

ドラクエ11の主人公は、ドラクエシリーズの主人公の中でもさらに選ばれし者であり、唯一無二の勇者である。ドラクエシリーズの勇者や主人公たちを繋げる「時渡りの勇者」であり、「勇者の力」と「ロトの称号」を有している。
「勇者の力」は唯一無二だが、移動することがウルノーガによって示唆されていたし、真のエンディングではセニカに渡っている。

崩壊した世界には「勇者の力」は残っているが、「ロトの称号」が生まれなかった世界。
崩壊しなかった世界には「勇者の力」が残っていないが、「ロトの称号」が生まれた世界。
そして、セニカが渡ったのが「勇者の力」が二つある世界になるだろうか。

セニカが渡った世界はドラクエ3の上の世界で、崩壊しなかった世界は下の世界、つまりドラクエ1の下の世界ことアレフガルドだろうか。「ロトの称号」が生まれなかった世界は、ロト三部作以外へと繋がっているのだろう。

唯一無二であるが故に、主人公とプレイヤーの乖離が激しい。
台詞こそないものの主人公が仲間やNPCに対して身振り手振りで語っているシーンが目に付く。主人公の表情も豊かで、セリフこそも無いものの、ドラクエの主人公の中では饒舌な部類である。主人公が自らの意思で切り開く物語であるから、狂言回し的なキャラクターに引っ張ってもらう訳にはいかない。そのため、主人公が一人になるシーンも多く、それがますます主人公に多くを語らせる結果になっている。つまり、主人公がプレイヤーではない何者かとして描かれている。
ゲーム開始直後や、命の大樹前後は特にイベントが多く操作できない時間が長く、プレイヤーと主人公との乖離が生じる。さらに、崩壊後は自由度が極端に低下する。3DS版ではムービー時とゲーム操作時の等身が異なるためキャラクターの連続性が失われる。2010年代も後半になって、ゲームにおけるストーリーとプレイアブルのジレンマにイライラさせられるとは思わなかった。

遊びの部分では満足だし、クリア後の展開は盛り上がるものの、ストーリーの中盤が犠牲になっておりプレイしていて辛かった。また、主人公とプレイヤの距離感が非常にあやふやである。主人公にセリフを用意した方が、スムーズに事が進む場面が少なくない。また、PS4にもなって声優を用いずに字幕だけのムービーを流す必要もなくなる。 主人公とプレイヤーとの距離感がどうなるかが次回作の不安でもある。

*1:基本的にドラクエと表記する。また、ナンバリングはローマ数字であるが算用数字を用いる。

*2:ただし、このすぎやまこういちのスタイルは昔から。11は過去作品の流用が多いので、負担は軽かったのではと推測される。

*3:レベル99まで上げれば、ほぼすべてのスキルを取得できる。残りはスキルの種で。

*4:序盤のナプガーナ密林は先の見えるつくりになっているが、この手のマップで行けない部分を作ると、そこに行こうとするプレイヤーが出るのでデザインが難しい。ナプガーナ密林では強敵を見せることで、行かなくても良い場所であることをプレイヤーに伝えている。

*5:8以降は勇者ではないのだが

*6:聖竜が命の大樹となり、邪神を倒す勇者が生まれるのを待ったのは、少々ゼノギアスっぽいなと思った。

*7:http;//lastline.hatenablog.com/entry/20090807/1249648140 で書いたように9では従来のドラクエとは逆のアプローチがなされている。

*8:ドラクエ5のパパスはメインキャラクターだがプレイアブルキャラクターかと問われると疑問

*9:少々異なるが、6も似たような状況であつものの、その局面に至る過程のための演出でもある