ゲームソフト交換屋の記憶

長崎にいた頃ですが、私の家の近所にもゲームソフトの交換屋がありました。しんざきさんの記憶と同様に、その店でもゲームソフトのランクがリスト化されており、新作が発売される金曜日に更新されていました。 自転車で通えるくらいの距離にあったので、そのリストを目当てによく通っていました。
私はスーパーファミコンの頃に交換屋を知り利用していたのですが、ファミコンの頃からあったのかはよく分かりません。いつの間に通わなくなり、PSが台頭してきた頃には閉店していたように思います。
名前はアルファベットのBから始まる3文字で「BUG」だったような気もしますが、今思うとゲーム屋さんにはあんまり相応しくない名前なので、違う店名だったかも知れません。小中学校よりは世界が広がった高校の友達の情報から判断するに、長崎市内とその周辺に同系列の店舗が3つくらいあったようです。 系列店では同じランク付けのリストが配られていたようです。
しんざきさんのブログのコメント欄に長崎県諫早市の方が、80年代後半にはあったが90年代にはなくなったと書いています。私が利用していた時期が違っています。
北九州にいた頃には中古ショップしかなかったと思います。ただ、その頃は友達の間でミニ四駆とかBB戦士などが流行っていたので、ゲームまでお金と時間が回っていなかったので、知らないだけかもしれません。

私の通っていた交換屋は買い取りもしていましたが交換が主でした。広さが三畳くらいでとても狭くおばあさんが一人で切り盛りしていました。偶に若いお兄さんがいましたが、今思うとその方が経営していたのかも知れません。ただでさえ狭い店にゲームソフトが並べられていたので、子どもが数人で一杯になります。大人が来るような店ではなかったので、広くなくてもやっていけたのかもしれません

毎週配布されるランクのリストを見ては自分の持ってるソフトを確認して一喜一憂していました。通常は発売された日数が経過するほどランクが落ちますが、時々上昇することもあり、また掲載されているソフトの数もかなり多かったので、眺めるだけでも非常に楽しめるリストだった記憶があります。残しておけば良かったなと後悔しています。

私は何度か交換したことがあります。微妙なゲームは交換屋で手に入れたものが多く、ほとんどは直ぐに他のゲームへと交換されていきましたが。「課長島耕作」に交換したことがありますが、なぜ小学生だか中学生だかが課長島耕作なんぞに興味をもったのか。我ながら謎です。コマンド式のアドベンチャーゲームで、出勤するもやることが分からず、そのまま窓際族になって終わるエンディング以外に記憶がありません。この「課長島耕作」は在庫数があまりなかったせいか、しばらくランクが下がらず、それなりに良いレートで交換できたのは不幸中の幸いだったかも知れません。
新作ソフトも取り扱いますが、人気ソフトはランクが高く、また数本しか入荷しないため、ほぼ交換できませんでした。この交換屋で手に入れたゲームで印象深いのは「ガイア幻想記」で唯一の当たりゲームじゃないかなぁ。

小中学生くらいだと、中古ショップでゲームソフトを売るには親の同意書などが必要で色々と面倒でしたが、交換屋は金銭のやり取りは発生するものの、交換という名目上、そのような書類が必要ありませんでした。今から考えると、グレーというかほぼ黒な業態だと思います。しんざきさんも予想するように、業態として問題になって無くなってしまったのでしょうが、私の記憶では4, 5年はやっていたような気がします。
私は親からゲーム交換屋で交換することに関しては特に注意されませんでした。中古店でゲームを売ることが特に禁止されていたわけではなかったと思うのですが、わざわざ親の許可を得るのはハードルが高かったので、交換屋は重宝してました。結果として、碌でもないゲームばっかでしたが。