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混雑した初詣でのベビーカーは物理的に配慮できないので不寛容とぶった切るのは勘弁して欲しい。

タイトルがすべてなのですが、言葉が足りないので書いておきます。

ベビーカー問題は、車椅子問題でもあるので、両者がスムーズに生活できる社会が良いに決まっているのですが、人混みは物理的に配慮が不可能な場に当たるので、不寛容な社会だと苦言を呈するのはどうなのかなと。

人混みは、屈強な男性であっても危険な場です。人間同士が押し合っている非常に不安定な状態で、ギリギリ均衡が保たれています。そこに、ちょとした不均衡が生じると、その部分に力が集中し、結果的に将棋倒しなどが発生して大惨事となってしまいます。背が低い人は、その危険性を常日頃から感じているのではないでしょうか。
初詣や通勤ラッシュのような人混みの中にベビーカーのような空間ができると、そこに力が集中します。ベビーカーの周りの人は、守ろうとするでしょうが、ちょっと離れるだけでベビーカーの存在は見えなくなります。そのため、ベビーカーの周囲の人に多大な負荷がかかっています。何かの拍子にバランスが崩れベビーカーに倒れるかもしれません。これらは物理的な事象のため、人混みの中にいる人の配慮だけではベビーカーを守ることは不可能に近いです。これは背の低い子どもも同様でしょう。
もちろん、ベビーカーや車椅子用のルートを用意することもできるでしょう。ただし、敷地や人員などに余裕があれですが。

余裕や冗長性が十分でないのに、配慮を求めて不寛容であるとするのは無理解すぎるでしょう。この一因は、人口が過密な上に、交通網が高度に発達しているため、一極集中しやすいからでしょう。デメリットもありますが、過密な人口や、交通の利便性による恩恵を享受もしているわけで、何が悪いのかを論ずるのは難しいところではあります。

十分に配慮しても個人では対処でき事象に対して、ベビーカーに不寛容であると断ずるのはやめて欲しいなと、ベビーカーを使わない自分は思うわけです。

記録用に追記

乗蓮寺としては、ベビーカーを優先していたが、一部の不届き者のせいでベビーカーをお断りしなければならない状況に陥っていたとのこと。
ただし、裏は取れていません。寺に問い合せるまで、ベビーカーを優先していたことを示唆するコメントもなく、ネットで話題になっていた様子も見つけられませんでした。