漫画における背景の変遷を、こち亀から追ってみた

最近、アニメで実在する地域を舞台とした作品が増えたなと。より具体的には、場所が特定できる背景描写が増えたなと。。というわけで、カトゆーさんにお願いしたら調べてくれました。

2000年以降の資料ですが、実在する地域を舞台にするアニメが増えたと言えるでしょう。
そこで、私は漫画の場合は、どうなのかをザックリと追ってみました。詳しい分析は、漫画研究家に委ねたいですね。

技術と需要

増えた理由として、作画が緻密になったからだと推測しました。作画が緻密になった理由は、大きく二つに分けられ、一つは技術の向上、もう一つは必要とされるレベルの向上です。ただし、この二つはお互いに相関しており、必要とされる作品の質が高くなると技術が上がりますし、技術が上がれば作品の最低水準も上がっていきます。

一口に技術と言っても、色々ありまして、カタカナで書くならばテクノロジーやテクニックやスキルなどに分けられます。PCでも絵を描けるようになり、紙の上に描くのとは異なるスキルやテクニックが必要となります。 昔は、スキルが不可欠だったのに、今はテクノロジーによりスキルが補われたり、手間暇がかからなくなったり。たとえば、「王立宇宙軍 オネアミスの翼(1987年)」における、ロケットの発射シーンで、ロケットから剥がれ落ちる数多の氷の破片は手描きですが、今だとCGを使うんじゃないですかね。スキルやテクニックというよりも、手間のかけ方の違いですが。

絵を描くテクノロジーのみが発達したわけではなく、資料の参照方法も発達しています。その代表例が、デジカメやインターネットで、これらにより格段と資料を揃えやすくなりました。デジカメにより、写真を圧倒的に揃えられるようになりました。インターネットでは、Googleストリートビューのみならず、多くの人が写真を掲載しています。また、インターネットにより、受け手が舞台を容易に特定できるようにもなりました。
舞台を特定しやすくなったのが直接の要因ではないでしょうが、アニメに限らず、ドラマや小説などの創作において、実在する地域を舞台に使用するハードルが下がったような気がします。個人の感想ですけど。

緻密な作画はリアリティ、つまり説得力を与えます。これは裏を返せば、強力な説得力が求められているとも言えます。そのためには、緻密なバックグラウンドが必要となります。実在する地域を舞台にすれば、バックグラウンドをゼロから構築する必要はありません。これは背景も同様です。幸か不幸か、緻密な背景を描くための技術も向上しているし、資料も集めやすい環境が揃っています。

フィルムツーリズム

ドラマの場合、生放送の頃はセットで撮影するしかありません。一方、映画ではセット撮影もありましたが、ロケ地での撮影もありました。実在する地域の利用や、ロケ地フィルムツーリズムと切っても切れない関係にあり、フィルムツーリズム - Wikipedia にあるように、尾道を舞台とした「東京物語(1953年)」においても、映画による観光効果が期待されていたようです。昨今ではアニメを利用したツーリズムが増加しています。フィルムツーリズムが成立するには、ロケ地や舞台が明らかになっている必要がありますが、昨今ではインターネットにより、特定されやすくなっていますね。

漫画における背景の変遷

アニメでは、実在する地域を舞台にした作品が増えていますが、漫画はどうなのかざっくり調べてみました。

漫画は絵である以上、モデルやモチーフが必要です。全くの想像で描くのは困難です。ただし、デフォルメされた漫画では、どこにでもあるが、どこにもない風景となり、場所を特定できない場合が多いです。また、フィルムツーリズムなどの影響を鑑みて、敢えて特定できないようにしているケースもあります。

リアルな背景の漫画を考察する場合、1960年前後に登場した「劇画」の存在は外せないでしょう。劇画の名付け親である 辰巳ヨシヒロ 1970年ガロ掲載作品 ( 漫画、コミック ) - 萬画三昧―漫画・マンガ・まんがの大好きな人集まれ - Yahoo!ブログ の扉絵は背景が細かく描かれています。ただし、ある特定の場所といった感じでもないですが。

この年代における背景を描き込む漫画家と言えば、水木しげる、そのアシスタントのつげ義春池上遼一などでしょう。つげ義春¤Ä¤²µÁ½Õ¤Ë²ñ¤¤¤Ë¹Ô¤¯/ÆÃÊÌÊÓ¡Ú¸åÊÔ¡Û で紹介されるように、つげ義春福島県岩瀬郡天栄村二岐温泉・湯小屋旅館をモチーフにした「二岐渓谷(1968年)」を描いています。「ねじ式(1968年)」における、あまりも独創的な目医者の絵が有名ですが、最近になって 「ねじ式」眼科看板シーンの元ネタ写真が発見される - Hagex-day info にあるように元となった写真が発見されました。

背景が描き込まれるようになったのは、子ども向けから大人向けの作品への変遷による、デフォルメでない漫画の登場によるものでしょう。もちろん、印刷技術も向上しているはずです。
漫画の背景の歴史は、読者のイメージを喚起する背景の表現法とは?――マンガの描き方の歴史9 | 日刊SPA! に簡単に触れられていますが、ここで紹介されている「まんが・入門編(1971年)」において、背景をじっくり描き込む手法について論じられています。「まんが・入門編(1971年)」 の名義は藤子不二雄ですが、先のリンクで紹介されている絵は藤子不二雄Aによるものですね。

1970年代後半から1980年代前半において、人物と背景を共に綿密に描き込み写真的、映画的な作風の大友克洋は外せないでしょう。江口寿史は大友の影響により、絵がイラスト的になったと語っています、江口寿史のイラストは街を切り取ったスナップ写真のようであり、その作風は江口に影響を受けた上條淳士などにも見られます。この流れは、松本大洋へと続くでしょう。彼の場合は広角レンズから覗いたような絵が特徴的です。

カメラの登場により絵の技法は大きく変わりましたが、これは漫画も同じ事です。1980年頃から、写真的な絵の漫画が増えますが、これは コンパクトカメラ - Wikipedia の普及による影響が考えられます。気軽にカメラを扱えるようになった結果、漫画家自らが写真を撮影し、それを手本として作画することが増えたのではないでしょうか。
また、恐らくコピー機の普及も影響しています。日本国内の複写機(コピー機)の歴史を調べている。①普及状況 年度別の出荷台数あるいは販売台数、1台あ... | レファレンス協同データベース から判断するに、コピー機も1980年代頃から急速に普及しているようです。

1980年後半からは、背景のみならず、部屋やそこに配置されるテーブルなどの家具も、資料を見て描く機会が増えてきています。1986年に発売された、写ルンですなどの使い捨てカメラ(レンズ付きフィルムとも)が登場しています。
unlimited blue text archive:「10」の壁を巡る冒険(『ANGEL HEART 2ndシーズン』北条司の衝撃) では「シティーハンター(1985年~1991年)」の背景が考察されています。初期の机などは、資料を見ずに描いている感じですが、後期におけるウォーターサーバーなどは資料を元に描いているように見えます。エンジェルハートでは、ソファや棚や背景の建物など、何かしらの資料を元に描いていることが明らかです。

90年代前後からは、シティーハンターの後期のように、背景のみならず小道具も資料を用いて写実的に描く漫画が増えています。代表例として、「ろくでなしブルース(1988年~1997年)」や「スラムダンク(1990年~1996年)」を挙げておきます。

緻密な背景の漫画として、バンド・デシネがあります。先の大友もバンド・デシネの影響を受けていますが、週刊連載で緻密な背景が描かれるのは驚くべきことです。ただし、写真のような背景が主流だったわけではなく、機動警察パトレイバー(1988年~1994年)は、漫画的にデフォルメされた背景が描かれています。

2000年前後から、漫画にCGが使われ始めます。GANTZ(2000年~2013年)では、背景にCGが利用されています。漫画のデジタル化は進み、近年では浅野いにお花沢健吾などのように写真をそのまま利用する漫画家も出てきています。これらは、CGソフトの一般化やデジカメの普及によるところが大きいでしょう。また、最近のイラストソフトでは、3D背景素材を利用することもできます。

設定や舞台背景、作画の簡略化のために写真やCGが使われますが、その内AIにより、それっぽいけど、どこにもない風景を生成し、それを利用した作品が登場するんじゃないかと。そこまでくると、作品自体を作るAIができそうですが。

こち亀(1976年から2016年)でみる背景の変化

ざっくりと漫画の背景を追ってきましたが、この辺は漫画研究家の人にじっくり語って欲しいなとも思います。

網羅的に調べるのは大変ですが、一つに的を絞って変化を追っていくと見えてくるものがあるでしょう。また、できれば誰でも参照できる資料を元にしたいものです。そこで、「こちら葛飾区亀有公園前派出所(1976年から2016年)」における背景の変化を各巻の一話ごとに確認しました。
こちら葛飾区亀有公園前派出所 1 | 少年ジャンプ+ から、こち亀の各巻の一話のみを読めます。一話のみですが200巻もあるので200話分になります。

連載開始時はデフォルメされた絵でしたが、1980年前後から写真を元にしたと思われる背景や小道具が描かれ始めます。
1985年頃から、場面転換として小さなコマに下町の風景がカットインされ始めます。また、1986年からは下町の風景が扉絵に利用されるようになります。1989年から1996年までは単行本の表紙も下町となっています。
1990年代からは、小さなコマに下町を使う表現が減りますが、1990年代後半から取材力の高い話が増え始め、そのような回は背景や小道具にも気合いが入っています。
2000年以降は背景技術が熟れてきて、2005年頃には写真を加工としたと思われる背景も見られます。
これらの変遷は、1980年代のコンパクトカメラ、1980年代中盤は使い捨てカメラ、2000年以降のデジカメの影響などが考えられそうです。

しかしながら、2010年頃からコマ割り大きくなったものの、凝った背景を利用した話は減ってきます。これは、年齢的な問題のような気がします。

以下に、分析をまとめておきます。

1~10巻 デフォルメの多い初期

10巻の一話(1978年)までは、漫画的な背景となっています。一部の小道具のディティールがしっかりしており、特に拳銃は描き込まれています。黒電話などの小道具はデフォルメされています。
自動車類はピンキリで、スポーツカーなどはミニカーのような感じです。そんな中、9巻(1978年)のポルシェはしっかりと描かれています。

11~30巻 徐々に写真が使われ始める

10巻以降は徐々に写真を元にしたと思われる絵が増え始めます。
14巻(1979年)の9ページの背景は、モデルがありそうです。また18巻(1980年)の「劇画刑事・星 逃田IIの巻」では写真がそのまま利用されています。ギャグ漫画なので、元々このような実験的手法がやりやすい作品ではあります。
背景ではありませんが、13巻(1979年)のヤマハ製のスノーモービルはしっかりと描き込まれています。

23巻(単行本:1982年)の表紙は写真が使われています。28巻(1983年)の旧警視庁は資料を元に描かれているようです。25巻に収録されている「ゴキブリ帝国の巻(1981年)」は、両さんが小さくなってゴキブリに追われる夢の話なのですが、リアリティを出すためか、タバコやラジオなどのディティールはすごくしっかりしているのに、電話機は適当に描かれています。

31~50巻 下町が意識され始める

30巻以降は、写真を利用した背景が散見され始めます。
31巻(1984年)に明治神宮駅前と原宿駅前が登場します。写真を元にしたわけではありませんが、建物の位置関係などが意識して描かれています。36巻(1983年)のアメヤ横町は、資料を元に描かれているように見えます。

39巻(1984年)のジープや鉄道も資料を元に描かれています。また、全く同じジープが他のコマにもあるため、コピー機も使われているようです。
44巻(1985年)の荒川の工場(?)は、実在する風景を元にしているように見えます。
48巻(1985年)の扉絵は戦車ですが、戦車はもちろんのこと背景も写真を元にしているようです。また、49巻(1986年)「なんてたって愛ドールの巻」の13、 21ページにはワンカットの下町の風景が描かれています。

1話のみしか追っていませんが、下町の風景が場面転換のカット割りとして使われたのは49巻(1986年)が初めてです。同様の表現は50巻(1986年)にも見られます。梗概:漫画『こちら葛飾区亀有公園前派出所』における下町描写に関する研究 における論考において、1979年頃から下町空間が描かれ始め、1984年から1987年当たりに秋本治がその点を意識するようになったとあり、この年代とよく一致します。

51巻~70巻 下町探訪扉絵シリーズが始まる

52巻(1986年)では、下町探訪扉絵シリーズの第二弾として浅草の花屋敷が描かれています。53巻の「 麗子の秘密の巻(1986年)」は写真背景こそ使われていませんが、小道具のディティールがしっかりとしています。
54巻(1987年)には富士五湖が、56巻の「ニセ車販売店を探せ!の巻(1987年)」では、非常に細かなカットに下町の風景が利用されています。また大量のポルシェが描かれたコマはコピー機を使ったものですね。
同様に、57、58、59巻(1987、8年)の一話には、小さなコマに写真を元とした下町の風景があります。

45巻(1985年)頃から写真を元にした背景が増え始め、55巻(1987年)以降は、秋本治が下町の風景を意識して描いていることが分かります。

63巻(単行本:1989年)からは、単行本の表紙が実在する下町の風景が使われ始めています。63巻は帝釈天参道、64巻は駄菓子屋、65巻は浅草寺の雷門となっています。
64巻(1989年)は1話から4話までが下町シリーズとなっており、背景の描き込みに力が入っています。

71~110巻 下町のカット割りは減る

70巻代(1990~1992年)は扉絵が下町で、場面転換のカット割りに下町の風景が必ずあります。一方、80巻から90巻代(1992年~1996年)は扉絵こそ下町となっていますが、場面転換のカット割りに下町の風景が使われる頻度が下がります。

100巻(1996年)以降は単行本の表紙が下町ではなくなりますが、中表紙は下町のままです。
背景とは関係ありませんが、この頃は異常に詳しいグッズ解説シリーズが多いですね。101巻の「両さんのパソコンツアーの巻(1996年)」を始めとし、105巻の「超育てゲー『モンちっち』の巻(1997年)」などはすごく調べてありますね。その他、G-SHOCKバスケットシューズなども。

ちなみに、101巻から目次のページがPCになっています。

111~140巻 取材力の高い話が増える

100巻以降は詳細に取材された話が増えてきます。ギャグパートとは異なり、背景などのディティールが描き込まれています。
例えば、114巻の「トロバス物語の巻(1999年)」や115巻の「亀有名画座物語の巻(1999年)」は詳細に取材して描かれた話と思われ、内容も背景も小道具も非常に力が入れられています。
125巻の「京都ものがたり(1)うわさの二人旅の巻(2001年)」も細かなシーンまで背景が描き込まれています。恐らく、この影響で123巻の一話目(2000年)の扉絵は、東京近郊ではなく京都の嵐電となっています。

また、120巻(単行本:2000年)の表紙は、写真に直接両さんと中川が描かれています。23巻(1982年)の表紙とはまた異なる写真の使い方ですね。実写版と言えば、127巻(単行本:2001年)ではラサール石井が表紙を飾っています。

141~160巻 さらに描き込まれた背景が増えるも

125巻の京都編に続き、140巻の「通天閣署・御堂春(ミドウハル)登場!!(2004年)」と143巻の「大阪はわての地元でんがな!の巻(2004年)」の大阪編も大阪の街が描き込まれています。
また、145巻の「両さん錬金術'04の巻(2004年)」の扉絵における神社は、これまでの背景とはまたレベルの違う仕上げになってます。160巻の「工場に惹かれての巻(2007年)」における工場も同様で、写真を元に加工したように思われます。

153巻の「京都花見百景の巻(前編)(2006年)」は、以前のようにしっかりと取材された記事ではなく、むしろギャグ回ですが、背景がしっかりと描き込まれており、技術として熟れてきた感じがあります。

ちなみに、151巻から目次がお品書きでしたが、156巻からケータイに取って代わられました。

161巻~200巻 線が徐々に簡素に

150巻前後で、写真を加工としたと思われる背景が出現し始めましたが、170巻代(2009年~2011年)からは、扉絵や中扉こそ下町の風が使われいますが、本編では背景が詳細に描き込まれた話が見られなくなります。描き込まれた背景の話としては、179巻の「気がついたら大阪の巻(2011年)」くらいでしょうか。185巻の「迷惑な正夢の巻(2012年)」には一コマだけ経済ニュースでよく見る、エンパイアステートをバックにしたニューヨークが出てきますが、それくらいですね。
それでも、183巻の「1950年代 過去の旅の巻(2011年)」は過去の浅草が舞台なため、資料が多めでしょうか。

190巻(2013年)以降はコマが大きくなった印象があります。また、100巻の頃ほどには凝った背景を描いた話がありません。198巻の「夏の旅行の巻(2015年)」はサーフィンの話で、ここで描かれる波は、資料を元にしているようです。

まとめ

年代が進むにつれ、実在する地域を舞台や背景を利用する作品が増えましたと言えるでしょう。その要因の一つは技術の進歩によるものです。もう一つは、作品のディティールを補強するためです。

1970年代前後では劇画において、実在する地域を背景に描いた作品が増え始めたと考えられます。その後、デフォルメのみならず写実的な表現が増えていきます。
1980年代は、大友克洋などがより写実的な漫画を描いていきます。江口寿史などは街のスナップ写真のようなイラストを描くようになります。写真的な表現が増えた背景として、コンパクトカメラや使い捨てカメラの普及は見逃せないでしょう。
1990年代からは、写真を資料として利用した漫画が増加し、2000年代前後からはPCが利用され始めます。もちろん、デジカメもこの頃から普及し始めました。
2005年頃からは、背景にデジカメで撮影したデータを加工して利用されるようにもなります。
2000年以降はインターネットの利用も見逃せません。目的とする舞台を容易に検索できるようにになりました。ただし、コピーによる不正利用が容易になった面もあります。