はてな村の拡散

はてなが主戦場では無くなった

何をもって面白いとするのかによりますが、昔ほど揉め事に関する記事を書く人が減ったように感じます。書いている人はいるのだけども、ある一つのくだらない話題に、これでもかというほど言及する人は減っているんじゃないかな。
たとえば、ニコニコ大会議質疑応答した人がハゲなどとコメントを書かれた ハゲのオッサン問題問題 ように、それなりに長い感想や分析をモリモリ書く人が減ったように思う。多くは、Twitterなどで言及されることが多いかなと。
というわけで、まとまった記事ではなく、自分の考えを垂れ流してみるのも良いかなと思い、記事を書いてみることに。

もちろん、虚構新聞騒動とは何だったのか のように2012年の「橋下市長、市内の小中学生にツイッターを義務化」に端を発した騒動や、2013年だと 虚構新聞デジタル:本紙記事「日本ユニセフ、寄付金の流れ透明化へ」についてご報告 は、はてなダイアリーやブログでも多くの記事が書かれました。同じ2013年だと 乙武 洋匡氏 イタリアンレストラン入店拒否騒動とその後の動向 - NAVER まとめ などもありましたが、どれも主戦場は「はてな」ではありませんでした。はてなが主戦場ではないという意味で、つまりはてなユーザー間での殴り合いが少ないという意味で昔ほどエキサイティンッ!しないってのは何となく分かる話であります。

揉め事は文化衝突である

揉め事が起こる理由は、大体文化衝突である。文化圏と文化圏のせめぎ合いである。シヴィライゼーションであまりに文化押ししているとAIに攻められます。

はてなは、文化衝突しやすい構造を内包している。はてなダイアリーはキーワード同士により日記が繋がり、idにより自動でドラックバックが送られる仕様であった。さらにはてなブックマークによる記事が発掘され、さらに記事同士が接続される。他のブログサービスよりも、はてなダイアリー同士が繋がりやすい。裏を返せば、異なる文化圏と衝突しやすいとも言える。
2007年以前だと、トラックバックに対する意識の差が文化衝突になりやすかった。現在はほとんど見られないが「リンク」に関する考え方も文化衝突が起きやすかった話題だ。「無断リンク」は特にはてなで定期的に盛り上がる話題だったように思う。

無断リンク問題などは、非常にどうでも良い話題である。はてなでしか盛り上がらないからこそ、はてなが主戦場だったのだろう。もちろん、先のハゲのおっさん問題やトリアージなどは割とまじめな話題ではある。ではあるものの、こちらはじっくり語れる人間がはてなくらいにしかいなかったというのもあるだろうか。

現在はTwitterなどはてな以外が主戦場になることが多いように感じる。もちろん、はてなブックマークに捕捉され、そこからはてな周辺でドンドン記事が生成されるかというと、以前ほどでは無いよなと。
はしごたん騒動は実にはてならしいよなと思ってましたが、TwitterFacebookが流行ってからは、むしろ当たり前の問題のようにも感じられます。

主戦場と敗戦処理Twitter

現在は、Twitterの方が文化衝突が起きやすい。Twitter公式RTが自分とは全く異なる文化圏に容易に届く。しかも、@により容易に異なる文化圏の人にメッセージを送ることも可能だ。特に、非公式RTを相手に対して言及していると考えていないユーザーもいるため揉め事が起きやすい。

揉め事が起こるのは、双方冷静で無いからだ。Twitterはすぐさまツイートできてしまうためクールダウンしにくい。
Twitterが無い頃は、怒りにまかせて記事を書き上げるなんてことは良くありました。恐らく、これがはてな内が主戦場になった理由でしょうし、昔ほど揉め事に関する記事が書かれない理由でもあるでしょう。正直、殆どの揉め事は至極どうでもいいことなんですよ。冷静になってみると、別に記事を書くほどでも無かったなと。

Twitterでグチグチ書いていると、それで満足してしまうのも、書いている間に冷静になってしまうからでしょう。しかも、RTやらふぁぼやら時にはリプライもあるので、自分の考えが相手にどう見られているかがすぐに分かってしまう。Twitterが無い場合は、とにかくブログでもの申してみないと自分の考えに対する反応が分からない。
はてなブックマークTwitterと似てはいますが、100文字しか書けません。タワーを建てることで言及はできますが、わざわざタワーの先を見る人はぐっと減ります。idコールもできますが、Twitterほどの即時性も利便性もないですし。

文化圏の拡大

文化圏の衝突もありますが、文化圏が大きくなりすぎてわざわざ外に出て行くのが面倒になったというのもあるでしょう。文化衝突はありますが、文化圏内の仲間同士で愚痴を言い合えばそれで満足することが増えたようにも感じます。わざわざ、相手の文化圏まで行って戦いを仕掛けなくても、自分の文化圏は十分に守れることが分かっているからです。
また、以前に比べれるとネット上のにコンテンツは遙かに多くなりました。それを消費するのも大変だし、なによりその全てを把握することは困難です。揉め事がはてなで主戦場になり得たのは、やろうと思えば大体の全体像を把握できたからです。現在は揉め事の全体像を把握することはほとんど不可能と言って良いでしょう。揉め事に対する意見のも多様です。特に、異なる文化圏における考え方はその文化圏の暗黙の了解を理解していないと、分からない場合もあります。

ガチで殴り合うのはつらい

はてなが主戦場にならないのは、わざわざはてな内でトラックバックを飛ばし合って言及しなくても揉め事に参加できるようになったからだよねと。
記事を書くほどの熱量も、Twitterなんかで発散できてしまうし、自分の考えに対する反応もすぐに得られる。
何より、わざわざ揉め事起こさなくても自分の文化圏が大体守れるのだし、文化圏内で愚痴ってればクールダウンもできる。
それ故に、児童ポルノ法とか表現の自由とか、政治的な問題は戦わなければ文化圏が守れないので、実際に戦っている人が多いなと。で、政治信条とかになると意見交換を主目的としない限り、揉め事起こしても相手の考えなんてそうそう変えられるものでも無いんですよね。つまり、ガチの殴り合いになるのですが、殴り合った所で双方が傷つくだけという。そんな揉め事を全力ではやらねいですよねと。

という感じで、記事を書いてみました。