理研の研究不正行為に関する規程における「悪意」とはなにか

理研は小保方氏によるネイチャー論文における、Fig. 1iを改ざん、Fig. 2d, eをねつ造と判断しましたが、小保方氏はそれに対して不服申し立てを申請しました。
小保方氏の不服申し立ては科学的な問題では無く、理研の規程における「悪意」をどのように解釈するかが争点と言えるでしょう。本稿では理研の研究不正行為に関する規程における「悪意」とはなにかを考えていきます。

理研の最終報告と小保方氏による不服申し立て

4月1日理研による調査委員会の最終報告

理研の最終報告書の概要および争点は 時論公論 「理研調査委 “STAP細胞”最終報告」 | 時論公論 | 解説委員室:NHK が分かりやすいかと思います。

理研調査委員会Stimulus-triggered fate conversion of somatic cells into pluripotency : Nature : Nature Publishing Group における、Fig. 1iの電気泳動像の切り貼りをを改ざん、実験条件の異なる小保方氏の博士論文と酷似したFig. 2d, eの蛍光写真をねつ造と結論づけました。
一方、実験手法のコピペに関しては盗用にあたらないとの判断でした。

STAP細胞の有無に関しては、科学的に検証されるべきとの立場から、理研内で丹羽氏を中心に再現実験を行い、一年程度で最終的な報告をする予定であることも報告されました。

また、記者会見で、小保方氏による実験ノートは本人以外が具体的にどのような実験を行ったのかトレースするのが難しいことが明らかになりました。

4月9日 小保方氏による不服申し立ての記者会見

小保方氏は理研調査委員会による最終報告に対して不服申し立てを申請し、弁護士と共に記者会見を行いました。

弁護士側の主張は、理研が改ざんを判断したFig. 1iに関しては、データを見やすくするための修正であり、修正の前後でデータに変化は無いのだから、改ざんの意志はなかった。
Fig. 2d, eに関しては、博士論文からの流用では無く、オリジナルは2011年頃からミーティングで用いていた画像であり、論文の執筆や修正により異なった実験条件のデータを過失で用いただけで、元から全く存在しないデータを作り上げたねつ造では無い。また、小保方は理研の調査委委員に指摘される前に自ら、図の誤りに気づき、共著者である笹井に相談し、その後に正しい実験条件である図を作製した。
よって、理研が小保方氏が「悪意」をもって、データを改ざん、ねつ造し論文を執筆したという報告は不服である。

小保方氏自身は、論文のミスは己の未熟さ故に生じたもので、その点は心からお詫びする。一方、STAP細胞自体は存在すると信じているとの主張でした。


実験ノートは何か、実験やデータはどのように管理されるべきかは以下のリンクの説明が分かりやすいです。

「悪意」の定義を争うのが弁護士の仕事

小保方氏とその弁護士は、「悪意」が無かったので、改ざん、ねつ造には当たらないのに、そうと判断した理研の最終報告に対して不服であると主張しています。弁護士は科学的に実証することはできません。理研の研究不正行為に関する規程における「悪意」を争点とするのが弁護士のできることで、仕事です。
つまり理研と小保方氏間の争点は「悪意」の有無と解釈であり、科学的にSTAP細胞があったかどうかは、あまり関係がありません。

理研の研究不正行為に関する規程における「悪意」をどのように解釈すべきかは、難しい問題です。なぜならば、規程に「悪意」が定義されていないからです。


理系は「悪意」の意味が分かっていない!(STAP論争) では法律上の悪意と解釈すべきだとの主張ですが、その根拠は示されていません。
ちなみに、民法上の「悪意」とは、害を与える気持ちではなく、単に「事情を知っている」こと意味します。対義語は「善意」で「事情を知らず」という意味です。例えば、盗品を商人から「善意」で購入した場合、購入した人が占有者となります。このとき、元の持ち主は占有者に購入額を弁償しなければ取り返すことができません。ここでの「善意」とは、購入する際に「盗品であることを知らなかった」ことを意味します。
つまり、法律上の「善意」と「悪意」は、一般的な「善意」や「悪意」とは意味が異なります。裁判などでは、一般的な意味での「悪意」を表現する際に、「害悪をもって」などと表現することがあります。

小保方さんに「悪意」が無かったことを立証することは可能か - むしブロ においては「故意」と判断しても良いだろうと解釈しています。この点に関しては、理研の調査委員である渡辺弁護士も記者会見での質疑応答で、「悪意」は故意と読み替えても良いと発言していました。

「悪意」をどのように解釈するか

理研の規程

理研の規程は 「科学研究上の不正行為への基本的対応方針」制定のお知らせ(理化学研究所) で読むことができます。問題の箇所を以下に引用します。

2. 研究不正
「研究不正」とは、科学研究上の不正行為であり、研究の提案、実行、見直し及び研究結果を報告する場合における、次に掲げる行為をいう。ただし、悪意のない間違い及び意見の相違は研究不正に含まないものとする。(米国連邦科学技術政策局:研究不正行為に関する連邦政府規律 2000.12.6 連邦官報 pp. 76260-76264 の定義に準じる。)
(1)捏造(fabrication):データや実験結果を作り上げ、それらを記録または報告すること。
(2)改ざん(falsification):研究試料・機材・過程に小細工を加えたり、データや研究結果を変えたり省略することにより、研究を正しく行わないこと。
(3)盗用(plagiarism):他人の考え、作業内容、結果や文章を適切な了承なしに流用すること。

規程には「悪意のない間違い及び意見の相違は研究不正に含まないものとする」と書かれていますが、「悪意」とは具体的に何かが書かれていません。理研のこの規程は 科学研究上の不正行為への基本的対応方針:文部科学省 に則ったもので、同様の文言が書かれています。

京都大学の規程

その他の文科省関連の研究機関において、研究不正がどのように定義されているのでしょうか。例えば、京都大学における研究活動上の不正行為の防止等に関する規程 では以下のように書かれています。

第2条
4 この規程において「研究活動上の不正行為」とは、本学教職員等が研究活動(修学上行われる論文作成を含む。)を行う場合における次の各号に掲げる行為をいう。ただし、故意により行われたものに限る。
(1) 捏造 データ、研究結果等を偽造して、これを記録し、又は報告若しくは論文等に利用すること。
(2) 改ざん 研究資料・機器・過程を変更する操作を行い、これにより変更・変造したデータ、結果等を用いて研究の報告、論文等を作成し、又は発表すること。
(3) 盗用 他人のアイディア、研究過程、研究結果、論文又は用語を当該他人の了解を得ず、又は適切な表示をせずに使用すること。

京都大学では、研究不正行為とは「故意により行われたものに限る」と書かれています。

国連邦科学技術政策局:研究不正行為に関する連邦政府規律

理研の規程における「悪意」の定義は分かりませんが、研究不正行為に関しては「米国連邦科学技術政策局:研究不正行為に関する連邦政府規律 2000.12.6 連邦官報 pp. 76260-76264 の定義に準じる。」と書かれています。

国連邦科学技術政策局:研究不正行為に関する連邦政府規律は Federal Research Misconduct Policy | ORI - The Office of Research Integrity で閲覧可能です。長いので、研究不正行為の定義を以下に引用します。

II. Findings of Research Misconduct

A finding of research misconduct requires that:

There be a significant departure from accepted practices of the relevant research community; and
The misconduct be committed intentionally, or knowingly, or recklessly; and
The allegation be proven by a preponderance of evidence.
[Page 76263]

Fabrication is making up data or results and recording or reporting them.

Falsification is manipulating research materials, equipment, or processes, or changing or omitting data or results such that the research is not accurately represented in the research record.
(注釈略)
Plagiarism is the appropriation of another person's ideas, processes, results, or words without giving appropriate credit. Research misconduct does not include honest error or differences of opinion.

捏造(fabrication)、 改ざん(falsification)、 盗用(plagiarism)は米国の規程をそのまま翻訳したものです。これは京都大学の規程も同様で、その理由は 科学研究上の不正行為への基本的対応方針:文部科学省 で示されるように文科省が米国の規律を参考にしているためです。

米国の規律では、研究不正行為(misconduct)は"The misconduct be committed intentionally, or knowingly, or recklessly;"と定義されます。副詞の意味が重要なので、以下にまとめます。

  • intentionally: 故意に、意図的に、意志を持って
  • knowingly: 承知の上で、故意に、(法令上の)悪意で、情を知って
  • recklessly: 意に介さないで、向こう見ずに、無謀にも、よく考えずに

"recklessly"の解釈が難しいです。過失のようにも読めますが、過失とは異なる状態に思えます。

日米における刑事医療過誤 によると米国の法令上で"recklessly"は「無謀」と訳すのが適当のようです。以下に、ポイントとなる箇所を引用します。

1962年に公表されたアメリカ法律協会(American?Law?Institute)の模範刑法典(Model?Penal?Code)は、犯罪の成立に必要な主観的要素を、?目的故意をもって(purposely)?認識故意をもって(knowingly)?無謀に(recklessly)?過失により(negligently)という四つに区分している。

"purposely"と、"knowingly"は、"intentionally(故意)"に対応します。"recklessly"は「無謀」と訳され、その意味は以下の通りです。

「無謀に」と「過失により」は、結果の発生を必ずしも意図していない。「無謀に」は、「行為者が実質的で正当化し得ない危険を認識していたのに、意識的に軽視する」場合である。
(中略)
日本における「未必の故意」に対応するといえる。

"recklessly"は、実害の発生を積極的には望まないが、自分の行為により実害が起こってしまっても構わないと認識してる状態です。日本の法令では「未必の故意」は故意とされます。"recklessly"は米国の法令において、過失とは区別されているため、"recklessly"は過失ではありません。

以上の点から、米国の規律では「過失」以外でなされた行為を研究不正と定めていると言えるでしょう。
理研の規程は米国の規程に準じます。「悪意のない間違い及び意見の相違は研究不正に含まないものとする」とは、「過失による間違いは研究不正に含まない」と解釈して問題ないでしょう。つまり、「悪意」とは「過失では無い」と解釈するのが適切でしょう。

証拠の優越とは

米国の規律には、"The allegation be proven by a preponderance of evidence."=「主張は証拠の優越によって実証される」と書かれているのですが、preponderance of the evidence = 証拠の優越は馴染みが無く意味が取りづらい言葉です。これも、米国の法律用語です。

民事事件で用いられる証明の基準は「証拠の優越」であり、刑事事件で用いられる厳しい「合理的な疑いの余地がない」という基準ではない。「証拠の優越」とは一般に、疑いや憶測を克服するに足る十分な証拠があることを意味する。明らかにこれは、刑事事件で必要とされるほどの証拠が、民事事件では要求されないことを意味する。

刑事裁判ほどの厳密な証拠は必要ないが、疑わしいと判断できる十分な証拠がある場合に研究不正行為と認定可能と言うことでしょう。また、研究不正行為と認定する側が証拠を揃えなければならないと解釈できるでしょう。

小保方氏の行為は「過失」なのか

理研の規程では「過失以外を研究不正行為とする」と定められていると解釈できます。それでは、小保方氏の行為は「過失」なのでしょうか。

Fig. 1iの電気泳動増の切り貼りは、何をどう言いつくろってもデータの改ざんにあたるとしか判断できません。研究発表におけるルールを知らなかったとは言っても、データを良く見せるために行ったのは間違いないからです。「未必の故意」あるいは"recklessly"であり、過失とは言えないでしょう。


小保方氏側は、蛍光写真であるFig. 2d, eは、理研内のディスカッションのスライドで用いていた画像であり、博士論文から流用した物では無いと主張しています。スライドには実験条件が明記されておらず、そのため誤って画像を使用してしまったとも説明しています。

この主張で私が疑問に思うことは、博士論文で用いた図と、ディスカッションで用いていた図のオリジナルはどこに存在するのかということ。オリジナルの実験データは博士論文の実験条件と同じなのか、違うのかを知りたいです。ネイチャー論文のFig. 2d, eが、博士論文からの流用なのか、ディスカッションで用いていた図なのかは重要ではありません。小保方氏側は、オリジナルが存在し、その実験条件をきちんとトレースできる点を主張しなければなりません。

ただ、オリジナルのデータが明確であろうがなかろうが、ネイチャー論文のFig. 2d, eが、博士論文からの流用であろうが、スライドから使用した図であろうが、小保方氏が実験条件をきちんと確認していなかったことは明白です。スライドに実験条件が書かれていなかったのなら尚更です。実験条件をトレースすべきだったのにそれを怠ったのは過失とは言えません。データを十分に確認しなかったのは、「未必の故意」あるいは"recklessly"と認定できるでしょう。結果として、存在しないデータを作り上げています。よって、ねつ造であると言わざる得ません。

まとめと実験ノートについて

理研の研究不正行為に案する規程は米国連邦科学技術政策局:研究不正行為に関する連邦政府規律に準じ、それによると「過失は研究不正ではない」とされます。つまり、理研の規定における「悪意」とは「過失ではない」を意味し、「悪意のない間違い及び意見の相違は研究不正に含まない」とは「過失による間違い及び意見の相違は研究不正に含まない」と読み替えることができます。

小保方氏のネイチャー論文における、Fig. 1iはデータを良く見せるために行った行為であることが明らかで、それは意志を持ってなされた行為なので、改ざんと言えるでしょう。
Fig. 2d, eは、オリジナルのデータの実験条件を確認すべきだったのにそれを怠っており、結果として存在しないデータを作り上げているため、やはりねつ造と判断できます。

小保方氏の実験ノートは第三者がトレースできないことが明らかになっています。これは、小保方氏本人も記者会見で認めています。実験ノートは論文や特許のオリジナリティを主張する際に重要な証拠です。例えば、研究結果が誰かに盗まれて勝手に論文を書かれた場合は、実験ノートを証拠として争うことになります。特許の際にも重要な証拠とされます。第三者がトレースできない実験ノートは証拠として不十分です。つまり、小保方氏は自信の実験をきちんとやったと証明することが困難であると言えます。
トレースできない実験による論文にどれほどの価値があるのか、という話で、STAP細胞あるいは現象の有無にか買わず小保方氏のネイチャー論文や特許は意味のないものと言えます。例えば、第三者がきちんと追試できる形でSTAP細胞の作成方法と発表したら、STAP細胞の業績は小保方氏のものではなく、その第三者のものになるでしょう。
小保方氏や共著者である丹羽氏や笹井氏は、きちんと誰しもが追試できる状態にして論文を発表するべきでした。その点を怠った責任は重いと考えます。