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わかりやすさが求められている―佐村河内氏の騒動から―

全聾の作曲家として知られていた佐村河内氏にゴーストライターがいたことが明らかになった。また、聴覚障害に関しても疑念が持たれ騒動になっている。
佐村河内氏の騒動については、興味深い記事が多い。彼はなぜゴーストライターを続けたのか〜佐村河内氏の曲を書いていた新垣隆氏の記者会見を聴いて考える ではオウム真理教の取材をしていた江川氏らしい記事である。また、クラシックに関わる人々により熱量のある記事も必見の価値がある。
佐村河内氏の作ったとされる鬼武者の曲をいいなと思った個人として、一連の騒動を巡って世間はわかりやすさを求めている点について述べて行きたい。

佐村河内氏のゴーストであった新垣氏

聴覚障害の作曲家として売っていた佐村河内氏が弁護士を通じ、これまで発表した曲は別人が作曲していたことを告白した。ソチ五輪に出場するフィギアスケートの高橋大輔選手が、佐村河内氏が作曲したとする「ヴァイオリンのためのソナチネ」をショートプログラムで使用するため、何もこんなタイミングで発表しなくてもと思っていたら、週刊文春がすっぱ抜いていたようで、週刊誌の発売前に自らで明らかにする狙いだったのだろう。

会見によると、実際に楽譜に起こしていたのは桐朋学園大学で非常勤講師の新垣氏で、佐村河内氏の指示により作曲していたとのこと。また、新垣氏は佐村河内氏が聴覚に障害を有しているとは思われない、とも語った。佐村河内氏は聴覚障害を装っていたとは述べてはいないが、ドキュメント映像などを見る限り、少なくとも全聾は詐病であろう。

新垣氏が佐村河内氏のゴーストライターであることをすっぱ抜いたのは神山氏。彼がみっくんという義手のバイオリニストの女の子を取材する過程で新垣氏にたどり着いたようだ。新垣氏はみっくんの教室でピアノの伴奏を担当しており、みっくに目をつけた佐村河内氏がテレビなどに売り込み始めたが、その際にみっくんの両親との関係がこじれたようだ。新垣氏がゴーストライターであることを発表することを決めた要因の一つは、このみっくんと佐村河内氏のトラブルであったらしい。

佐村河内氏にまつわる問題は色々あるが、聴覚障害を装い、それを売りにしていた点が最も糾弾されるべきだとだろう。

私が佐村河内氏を知ったきっかけ

私が佐村河内氏の曲を聴いたのはPS2のゲームとして発売された鬼武者である。和風要素を取り込んだクラシック曲で、戦国時代を舞台としたゲームと良くマッチしていたのを覚えている。私はゲーム音楽が好きで、気に入ったゲームのサウンドトラックを良く購入していた。また、クラシック調の曲が好みでもあったので鬼武者のサウンドトラックを購入するのは自然の成り行きであった。

サウンドトラックにはオーケストラによる交響組曲ライジング・サンも収録されているが、このライジング・サンで指揮をしたのが新垣氏であり、ライナーノーツも書いているらしい。残念ながら、サウンドトラックが手元に無いので確認はできないが、著作権上の問題はあるが、鬼武者のサントラ収録時、指揮をした 新垣隆による楽曲解説(当時、佐村河内守の作曲)と寄せ書き に全文が転載されていたので、紹介しておく。この楽曲解説を誰が書いたかは分からないが、新垣氏が書いたとしても佐村河内氏が書いた、あるいは誰かに依頼したとしても、よくぞここまで自画自賛できるな、と思う。

サウンドトラックを購入する際に、帯に「全聾の作曲者」と書かれており、耳が聞こえないでここまで色々な音色のある楽曲が作れてすごいなと思ったが、その時は佐村河内という名前を覚えるには至らなかった。
私が佐村河内氏をきちんと認識したのは、NHKスペシャル|魂の旋律〜音を失った作曲家〜 を見たときである。この放送の際に、私の中であの鬼武者の曲を作った人とつながった。

番組では作曲の過程は放送されず、もっぱら佐村河内氏が心因性、または精神的な病気に苦しみを全面に出していた。個人的には、佐村河内氏が作曲がうまく行かずふて寝するシーン印象的であった。
今にして思えば、作曲過程が放映され無かったこと以外にも、全聾にも関わらず流ちょうに喋ったり、目が頼りのはずなのに暗い中でもサングラスをかけていたりと、違和感を覚える点は多々あった。サングラスは、音のする方へ視線が向いたのを悟られないためにかけているのだろう。密着ドキュメントにも関わらず、NHKのスタッフが佐村河内氏の詐病に気づかなかったのは不思議ではあるが、疑わなければ、そういうものだと受け取るかもしれない。

職人による音楽

新垣氏は 【画像】佐村河内氏の「指示書」を基に制作 時間と楽器は記述なく… - ライブドアニュース において挙げられる佐村河内氏による指示書を元に作曲していたそうだ。またS氏騒動・長文多謝: 隠響堂日記 においてビートルズジョージ・マーティンの関係になぞらえられるように、佐村河内氏がプロデューサーで、新垣氏がコンポ―サーの関係あったと言えるのかも知れない。新垣氏が会見で「私は作曲をしましたけれども、一連の作品というのは、彼とのやり取りの中で生まれたものであるという認識を持っています。」と述べているように、新垣氏と佐村河内氏のどちらが欠けても、一連の楽曲は生まれなかったであろう。


森下唯オフィシャルサイト ? より正しい物語を得た音楽はより幸せである 〜佐村河内守(新垣隆)騒動について〜 にも述べられているが、佐村河内氏が発表した一連の楽曲は、きちんと作曲を勉強した者でないと作ることはできない。どんな風にすれば聴くものが興奮し、悲しみ、心が揺り動かされるかを知っている人でなければ作ることはできない。新垣氏は理論は知っているし、それを実現できる技術もある。しかし、それは既存の作曲家の焼き直しに過ぎない。佐村河内氏による依頼が無ければ、一連の楽曲は世に出ることは無かっただろう。

既存の焼き直しではあるけれど、人の心を盛り上げるとこを目的とした音楽は、映画やテレビ、ゲームなどにはぴったりだ。故に鬼武者にマッチした曲になったのは、ある意味で当たり前のことなのだろう。「クラシックの死」を招かないために〜指揮者・大野和士氏の警告(江川 紹子) において指揮者の大野氏のメールが公開されているが、「いかにも劇伴(映画や劇の伴奏音楽)」と評している点も興味深い。また、聴くことの困難をめぐって - ゲンロンスタッフブログ でも述べられるようにクラシックの手法を用いた映画音楽に代表される背景音楽は目新しいものではない。日本的な音を組み合わせるのは、伊福部昭なども用いている。たがそれが、大衆に受ける音楽だったのだろう。

佐村河内氏と新垣氏による楽曲が、売れるクラシック音楽であった点は、偽ベートーベン事件の論評は間違いだらけ あまりに気の毒な当代一流の音楽家・新垣隆氏:JBpress(日本ビジネスプレス)佐村河内騒動で考える: 松浦晋也のL/D などクラシック音楽をよく知る人も言明しているのが興味深い。

わかりやすさが求められている

私自身はやはり鬼武者の曲は好きだし、面白い曲だとは思うが佐村河内氏が世間的に売れたのは、彼が聴覚障害者であるというストーリーのためだろう。このストーリーがなければ、ここまで注目されることも無かったはずだ。

世間はわかりやすいストーリーを求めている。ある情報を伝える際に、わかりやすいストーリーがあった方が、全く異なる文化圏の人々にも情報が伝わりやすくなる。しかし、それはストーリーばかりが消費され、肝心の情報がきちんと伝達されないリスクもある。

スカイリムのガセビア

デマやガセが広まりやすいのもわかりやすいストーリーが付随しているからだ。スカイリムというゲームに「膝に矢を受けてしまってな」というある種有名なセリフがある。ゲームをプレイしたことが無くても、セリフだけを知っている人もいるだろう。どの地方の衛兵も同じセリフをしゃべるため、スカイリムの衛兵は膝に矢を受けないと、その職に就けないのかもしれない。
という冗談はさておき、この「膝に矢を受けてしまってな」は古代ノルド語で「結婚」を暗喩している、というネタが出まわっている。元々は英語圏で広まったネタで、それが翻訳され日本のTwitterで広まっている。しかし、The Social Flotilla - "Arrow to the knee" as old Norse Slang: A tribute to Snopes-style Myth-busting に書かれるようにガセネタである。
『スカイリム』の名台詞(?)「膝に矢を受けてしまってな...」の誕生秘話 : コタク・ジャパン によると、元々衛兵に色々なセリフを用意したら、その中で「膝に矢」が特に目立ってしまったというのが真相なのだろう。真実はつまらないものだ。真実よりもガセの方が魅力的なことが多いのが、ガセが広まりやすい要因であろう。

小保方氏への加熱取材

最近の例で言うと、STAP細胞を発表した小保方氏も自信にまつわるストーリーに注目が集まっていた。リケジョ、割烹着、ピンクの壁紙など一般には特異に映る点がなければ研究成果のみが発表され、報道が加熱する事も無かっただろう。取材が加熱したため、小保方氏本人が Obokata Lab/Cellular Reprogramming において取材の自粛を申し入れるのは異例のことだ。

ねつ造を見分けることの困難

小保方氏と言えば、論文一時は却下…かっぽう着の「リケジョ」快挙 : 科学 : YOMIURI ONLINE(読売新聞) などに『論文は当初、一流科学誌から「信じられない」と掲載を拒否された』と書かれているが、これは当たり前のことだ。

論文を審査しチェックする査読

投稿した論文は雑誌に受理され掲載される前に「査読」される。投稿された論文を受け取った編集が、関連する分野に近い数人の専門家に論文を読んで貰い検証する過程を「査読」という。論文が、その雑誌に掲載されるレベルにあるかも検証されるが、一定レベルに達していれば、論文を掲載するのに十分な客観的なデータ、つまり証拠が正しいかがチェックされる。十分でなければ修正が求められる。小保方氏の件も、査読の過程であり、彼女は必要な証拠を積み上げてきちんと結果査読を通過し、ネイチャーに掲載されている。ちなみに、ネイチャーやサイエンスの論文などは、論文を投稿してから掲載されるまで一年以上かかることがあるのはざらである。掲載されている論文の投稿日と受理日を見てみると良い。

彼はなぜゴーストライターを続けたのか〜佐村河内氏の曲を書いていた新垣隆氏の記者会見を聴いて考える(江川 紹子) に佐村河内氏が聴覚障害として売り込んだプロセスを明らかにすべきと書かれている。メディアの査読がきちんと機能すれば佐村河内氏のような件は避けられたのだろうか?実は、査読のある科学の世界でもねつ造を見破るのは難しい。

論文のねつ造

科学の世界には査読があるにも関わらず、それでもねつ造されたさ論文が掲載されてしまう。万能細胞関連では、2005年に黄禹錫によるES細胞に関する論文のねつ造発覚し問題になった。日本でも【捏造】東京大学元教授グループ 43論文で不正 調査委員会「撤回が妥当」と判断 : 理系にゅーす などが問題となっている。私としては、科学史上最大のベル研究所のシェーンの論文捏造事件|MBAによるキャリアチェンジへの挑戦 に書かれている有機物の超伝導の研究に関するねつ造が衝撃的であった。
シェーンは、ネイチャーに7本、サイエンスに9本もの論文を掲載し、それが全てねつ造だったというから驚きだ。
査読があるけれども、査読の際に追実験をするわけではないためデータを偽造してしまえば論文をねつ造できてしまう。もちろん、インパクトのある研究は、多くの人が関連研究を行い追実験がなされるため、再現性が得られずにねつ造が露見する。逆にインパクトが高くなければ、ばれない可能性が高いとも言える。

論文がねつ造される背景には 捏造は研究室の中だけの問題か? - 化学者のつぶやき -Chem-Station- において語られるように世間の目(正確にはお金の出所)があるだろう。研究費が欲しいため、データをねつ造してしまう。また、研究費を得るためにはやはりわかりやすいストーリーが求められる。信用の問題であるだけに、良心や倫理観の問題でもある。しかし、一旦無くした信用を取り戻すことは容易ではない。

世間には偽装があふれている

昨年末に 食材偽装、ホテルオークラも エビや牛脂注入肉:朝日新聞デジタル に代表されるように多くのホテルがメニューにバナメイエビと芝海老と表記するなど表示の偽装が問題となっていた。また、三越伊勢丹でも虚偽表示=中国産クリを「フランス産」 - WSJ.com などのように産地偽造も問題となった。ホテルやデパートというブランドの信用に関わる問題だ。

個人的には、産地偽装は消費者を騙しているが、メニューの場合は偽装表示であるけれども、一概には消費者を騙しているとは言えない点が、難しい問題だと考えている。
食品の表示は線引きが難しい。ホテル食材偽装一覧wwwwwwwwwwww「おふくろの味の定食」→中年男性コックが料理 : ガジェッターZ のように手作り風ハンバーグは消費者を混乱させるため、好ましくないと判断されるようだが、個人的には「風」なのだから、手作りで無いことは明確ではないだろうか。これらの食品の表示を受けて 森消費者相「サケ弁でも問題なし」 NHKニュース と発表するなど国を挙げての問題となっている。

ちなみに、京都吉兆のローストビーフに結着剤利用の肉 食品衛生法違反か - MSN産経west は食品偽装でもあるけれど、衛生面で深刻な問題だと認識するべきだ。サイコロステーキなどの成型肉は危ない?食中毒になりやすい理由 に書かれているように結着剤を利用した成形肉は中まで十分に火を通さないと食中毒の危険がある。故に、余熱で仕上げるローストビーフに用いるのはもってのほかだ。

メニューなどは、正しい名称で表記するべきだが正しい名称ではよくわからないことがある。佐々木俊尚さんのツイートまとめ/ホテルの結婚式でワインをシャンパンと表示し提供/「本物」とは一体何なのか?問題となった「表示」の是非について - Togetterまとめ に挙げられるように、シャンパンとは本来シャンパーニュ地方のスパークリングワインである。しかし、日本ではスパークリングワイン=シャンパンと認識している人もいる。一般名と正式名とが乖離しているのは食品に限ったことではない。例えば、ホッチキスやウォークマンなど商品名の方が知られている場合は多い。ステイプラーというよりもホッチキスと言った方が通りがよい。
また、回転寿司、なぜ正確なネタ表示がされない?透ける消費者庁ガイドラインの難しさ で挙げられるように回転寿司ではかなりの多くの代替魚が使われている。タイにはティラピアが使われているそうだが、メニューに「ティラピア」と書かれても、味などが想像できないため困ってしまう。寿司ではないが、現在売られているシシャモの殆どはキュウリウオやカラフトシシャモ(カペリン)という魚であるが、正式な名称で書かれても、どんな魚か想像することが難しい。これはホテルのメニューも似たような事情があるだろう。バイナメエビは分からなくても芝エビならどんなエビかわかる。しかしながら、偽装し続けるのも問題ある。タイ風(ティラピア)などと併記して、代替魚を周知させる必要があるのではないか。

食品の偽装表示は「わかりやすさ」の問題でもある。代替魚など代替食品の名前で書いても消費者には伝わらない。しかし、嘘の表示は消費者を騙している事に他ならない。食品業界は代替食品の名前を広める必要もあっただたろう。

実話のふりをした創作の方が広まる

消費されているのはストーリー - 斗比主閲子の姑日記 にも書かれるようにわかりやすいストーリーで売るのは別に悪いことではない。小保方氏も、ストーリーがあったからこそ多くの人に知ってもらえた面がある。時節柄の話題を例にするなら、オリンピックにおいて競技だけでなく、その選手の背景にあるストーリーを知れば、より楽しむことができる。

ストーリーで売るのは当たり前のことだ。しかし、嘘のストーリーで騙して売るのは、詐欺と言えるだろう。嘘といっても消費する側が嘘であることを認識しているのならば問題はない。フィクションを嘘じゃ無いかと文句を言う人はいない。また、多かれ少なかれストーリーで売る際には誇張や演出がなされる。故に「消費する側に誤認させて売る」の方がより正確だろうか。ねつ造は信用の問題でもある。


「消費する側に誤認させて売る」例としては、創作を事実として売るが挙げられるだろうか。ゲーセンで出会った不思議な子の話:哲学ニュースnwk などもその一つで、ゲーセンで出会った不思議な子の話とは (ゲーセンデデアッタフシギナコノハナシとは) [単語記事] - ニコニコ大百科 にもあるように真偽が問題となった。【独占】『ゲーセンで出会った不思議な子の話』の作者、富澤南さんインタビュー - ファミ通.com においても、作者本人が創作であることを明らかにしている。
ゲーセンで出会った不思議な子の話に関しては、元々の2ちゃんねるの板やスレッド内においてフィクションである事に対する合意が得られていても、それが広まる過程でフィクションであることが抜け落ちている。2ch「ゲーセンで出会った不思議な子の話」への著名人の反応 - NAVER まとめ などを見ると、事実だと思ったから広まった面があるだろう。
実話として流通する嘘に大喜びする愚民 島国大和のド畜生 でも述べられるように私個人も実話として創作を売るのはフェアではない。佐村河内氏の件も聴覚障害を装うのはフェアではない。また、詐病により儲けていたわけで、それは立派な詐欺である。

実話のような創作は、ネットのいたる場所で消費されている。2ちゃんねるしかり、Twitterしかり、大手小町しかり。実話のような創作を表現する言葉としては、「創作実話」と言うジャンルがある における「創作実話」がぴったりだなと感じる。もちろん、「『創作実話』と言うジャンルがある」という創作実話 という点も含めて。

わかりやすさが偽装につながる

聴覚障害を売りにしていなければ、佐村河内氏はプロデューサーの立場であった、と言い張れることもできただろう。
多くの音楽関係者が語るように、一連の楽曲は新垣氏のみではわざわざ作曲するに至るような曲ではなかった。しかし、映画やテレビ、ゲーム音楽としては技術的に優れているし、「聞きやすい」大衆向けの音楽だったことは紛れもないだろう。一方で、佐村河内氏が聴覚障害を売りにしなければ、ここまで広まることもなかったはずだ。

世間はわかりやすいストーリーを求めている。時に、誇張や演出が行きすぎてねつ造に至る場合もある。「ほこ×たて」不適切演出、フジテレビ役員ら5人処分 もそんな事例だろう。今回の佐村河内氏は聴覚障害をねつ造し、売り込んでいた。
故に、ゴーストライターっていけないことなんすか? の回答としては、ゴーストライター云々よりも佐村河内氏が聴覚障害を詐称して売り込んでいた点がいけないことだった、ということだろう。

食品偽装など世間には偽装があふれている。しかし、その偽装の裏には「わかりやすさ」が求められている。デマやガセもわかりやすい。故に簡単に広まってしまう。真実は得てして退屈でわかりにくいものだ。そのため、デマやガセの訂正はなかなか広まらない。
佐村河内氏の聴覚障害の作曲家というストーリーはとてもわかりやすい。一方で、佐村河内氏と新垣氏の楽曲自体も、ある種の「わかりやすさ」が多くの人へと広まった一因なのでもあろう。