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10年前の実名・匿名論を現代から見る

TwitterFacebook2ちゃんねるにブログと、インターネット上の様々な場所で実名と匿名に関する論争は行われている。
最近話題になった記事だと 匿名性と実名性:「ネット上の人格」を考える ? WIRED.jp 世界最強の「テクノ」ジャーナリズム などか。
実名で発言したい場合もあれば、匿名でやりたい場合もありますよね。

荒らしから匿名へ

インターネットにおける匿名はいつ頃から問題視されるようになったのか。まずは、日本のインターネット歴史年表 | Impress Innovation Lab. などを元にインターネットの歴史を振り返ってみよう。

教科書には載らないニッポンのインターネットの歴史教科書

教科書には載らないニッポンのインターネットの歴史教科書

インターネットにおける初期のコミュニティは fj などのネットニューズであろうか。初期のインターネット利用者は学術関係者で狭い世界であったから、多くは実名利用であった。HNも利用されたが、誰かを特定できる状態であったろう。一般人はほとんど利用していなかったので、初期のmixiのようにある種の閉ざされた空間と考えられる。
学術利用が中心だったインターネットとは別に1980年代後半から1990年代前半かけてパソコン通信が広まっていった。趣味的な話題はパソコン通信の方が多かったであろう。パソコン通信はHNでも利用できるが、発言にIDが記録されるため完全なる匿名ではない。匿名の広がりは、インターネットの広がりを待たなければならない。
日本の最初のホームページは1992年に誕生時し、1993年からWWW上にホームページが置かれ始める。趣味的なページを作り始めた多くはサーバースペースを与えられた大学生であった。インターネットの人口が増えるにしたがって、自らのサイトを起点とし情報を発信する者同士の交流から、サイト管理者とサイトに集まる読者との、そして読者同士の交流が生まれていった。90年代後半頃になると、パソコン通信からインターネット上に交流の場が移行していく。交流はチャットや電子掲示板などで行われた。互いを区別するためにHNが用いられたが、名無しで活動することも可能であった。人が少なければ、署名がなくても文体などである程度同一性を確保できたが、人が増えるとそれも不可能になってくる。
大型掲示板の台頭により、匿名が増加し問題視されていったのではないだろうか。特に転機となったのは1997年のあめぞう、1999年の2ちゃんねる設立であろう。

90年代後半の掲示板の利用者間においては匿名固有の問題ではなく、荒らしの問題として認識されたいた。荒らし - Wikipedia の台頭は、匿名投稿が可能な掲示板の増加の他に1995年に導入されたテレホーダイも無縁ではないだろう。テレホーダイにより、従量制から時間制限があるものの定額でインターネットが利用できるようになった。これにより、本来無意味な投稿や物量作戦へ打って出る障壁が下がり、荒らしが容易になったと考えられる。

10年前の実名匿名論

2001年以前のインターネット上における実名・匿名に関して言及した記事など - Togetter をまとめた。本エントリではこれらの文章を元に10年前と今との比較を試みる。

実名・匿名論争なんて15年前位からしてるわ〜

ネット社会の匿名性 のレスの通り、2001年の時点で実名・匿名議論はニフティサーブのフォーラム上で散々話題にされてきた。例えば、1997年9月の 芸術フォーラム(FART)第三次実名登録「強制」反対闘争 など。ただしニフティサーブはID性であるから、厳密な意味での匿名ではない。同ログ上で興味深かったのは 01170/01170 SGS02754 人民K 【氏名表示権をご存知ですか】 なるレスで、著作権法の第19条の氏名表示権を持ってして匿名での投稿を擁護している。全ての書き込みが著作権で保護されるべきとは言えないため、著作権法をもって匿名で書き込む権利があるとは言えないが、インターネット上のトラブルを著作権を錦の旗にするのは10年前から変わってないなと。

ちなみに、年代が下るとインターネットにおける実名に関する話題は、実名報道を問題視するものが多い。特に1997年に起こった酒鬼薔薇聖斗事件こと神戸連続児童殺傷事件に関する文章が多い。同年7月にFOCUSと週刊新潮が事件を起こした少年の実名を顔写真を掲載し、それらのコピーがインターネット上に流布された。現在ならば週刊誌よりも先にインターネットに誰かが公開したのではないだろうか。
参考:言論の自由と責任

実名推進者「匿名は規制すべき!」

インターネットにおける実名推進者が匿名を規制したい主な理由として「匿名での発言で問題が起こった際に個人の特定が困難である」と「匿名での発言は責任感が薄れ反社会的になりやすい」などがあるが、これらも10年以上前から繰り返しなされているようだ。

発信者を容易に特定できるようにすべき

米は言論の「匿名性」保持 朝日1月20日夕刊記事 に1999年の記事が転載されております。転載は褒められた行為ではありませんが、この記事から得られると知見は多い。アメリカで匿名による発信は憲法に定められた言論の自由に関する問題であり、匿名は自由な言論のために必要だと解釈されるようだ。言論の場では匿名が保持されるべきだが、商取引においては匿名はありえないだろう。ネットで通販する際に匿名で行う自由は保証されない。
インターネット利用者はプロバイダや携帯電話事業者と契約しなければならないが、契約者名と利用者は必ずしも一致しない。インターネットにおける個々の発言を容易に参照可能にする方法として、インターネット利用時、あるいは投稿を行う際にパソコン通信mixiのようにIDで紐付ければよい。ポイントとなるのは、出会い系サイトなどのコミュニケーションを主体とした場だろう。現状では、メールやブログサービスを利用する際に住所などを書くが証明書が必要なわけではない。登録時に身元を確認した方が、トラブルが起きた際に素早く動ける可能性もある。その一方 ソニー PlayStation Network / Qriocity で個人情報が流出、詐欺やなりすましに注意 -- Engadget Japanese などの情報流出が起こっている。ネットを完全実名制、あるいはID制にすると情報流失の危険度が跳ね上がる。匿名により自身の個人情報を守る選択肢があってもよいはずだ。

ネットワークにおける法律問題 は1997年に書かれたと思われる文章で、インターネットの匿名による過剰な表現で傷ついた場合、匿名では発信者を特定できないのだから匿名による表現は何らかの規制がなされるべきとの主張が見え隠れする。匿名による誹謗中傷が泣き寝入りかと言われると現在はそんなことはなく 痛いニュース(ノ∀`) : 「小女子焼き殺す」 2ちゃんねるに書いた無職、「小女子(こうなご)は魚のこと」と主張するも…懲役1年6月求刑 - ライブドアブログ に見られるように匿名掲示板に書きこんでも身元を特定できる。インターネットが匿名で利用できるならば、「小学校で小女子を焼き殺す」と2ちゃんねるに書き込んだ人物を特定できないはずだ。現在ならば、事件性が高い場合においてはプロバイダ等に問い合わせれば個人を特定できる状態にある。個人情報保護の観点からもこれ以上容易に個人を特定できるようにすべきだとは言えないだろう。

匿名で発信することで無責任な暴言が増えるから、実名制にすべき

1998年9月に書かれた [~shell]Akabei's Dialy:インターネットは反社会的か もアメリカにおけるインターネットに関する文章です。インターネット利用者は反社会的になる傾向にあり、その理由は実社会とのつながりが弱くなるからではないかと説かれています。インターネットにおけるコミュニケーションでは顔も見えず声も聞けないため、表情や語調によるニュアンスが伝わりにくく、相手の顔を想像しづらいために攻撃的になりやすいと考えられる。実名にすれば、人物像を想像しやすくなるでしょうが、実名で活動していてもやたらと攻撃的な人もいるので実名にすれば誹謗中傷が減るかと言われれば疑問ですね。

実名とは何か

実名・匿名論争における「実名」とはインターネット外の実生活で使用される名前だ。一般に戸籍上の名前と一致する。この名前とは何だろうか。よくよく考えてみると、我々は名前だけで自らの素性を明らかにすることはできない。名前だけでは、学校に通えないし、会社勤めはできないし、家も借りられないし、公共サービスを受けることはできない。ファミレスでご飯を食べたり、ホテルに宿泊することはできますけどね。
自らの素性を明らかにしてくれるのは名前ではなく、戸籍であったり住民票であったり、運転免許証であったりと各種のIDである。このIDがあってこそ、我々は実生活を営めるわけだ。実生活においても名前だけ名乗っても素性は明らかとはならない。素性は何かに保証してもらわなければならない。著名人であっても、身元が明らかにならなけれ公共サービスは利用できない。

1999年5月に書かれた文章だが既に、電網空間での実名にどこまで意義があるか と説かれている。インターネットにおいて実名だけ名乗っても、著名人や余程ユニーク名前でない限り、素性を明らかにした事にはならない。私の実名は山田太郎ですと名乗った所で、それを保証するものは何も無いし、どんな人間か分かりはしないだろう。

インターネット上で著名人以外が素性を明らかにする方法としては 「匿名」による批判の禁止ルールについて における「匿名」の定義が参考になるのではないだろうか。この文章は1999年1月に黒木のなんでも掲示板で定められた「匿名」による批判の禁止がルールを説明するものだが、ここでの「匿名」とは一般的な意味での「匿名」ではない。インターネット上で発言者の同一性を確認でき、趣味嗜好などが明らかであれば「匿名」ではないとしている。これに則ればツイッターのアカウントの多くは「匿名」ではないだろう。黒木玄氏の説明する「匿名」は、小飼弾氏が 404 Blog Not Found:匿名発言者は、自分の気持ちがわからない人が多い で説く「実名」と似た関係にあるだろう。両者ともに、インターネット上の発言の同一性を確保できれば「匿名」ではないとしている。

実名推進者が匿名由来の問題と考えることも「実名」ではなくHNや顕名を利用すれば解決することも多い。もちろんHNを利用しない自由もあった方がよいでしょうが、実名・匿名論争における諍いは個々人の名前に対する感覚が異なることにより起こるような気がします。

最後に、HNで書かれた 「コンピュータ室運営日誌」の公開に関する話題 を紹介。1997年1月18日付の日記で筆者は同サイトが雑誌に無断で掲載され身内バレするのではないかと、無断で掲載した雑誌社に不快感を顕にしています。雑誌にどのような形で公開されたのかはわかりませんが、匿名での身内バレの感覚は昔から変わらないようです。現在の感覚からするとインターネット上に公開しているなら雑誌に掲載されようがその内身内バレするだろって感じですが、、1997年となると日記にも書かれているようにまだまだインターネット利用者が多くなかったですからね。いやしかし、Read Me!とか日記猿人なるキーワードは懐かしいですね。

追記

コメント欄より、2000年頃のまとめを紹介していただいたのでリンクとしておきます。