非日常へ誘うオープニングと現実へ返すエンディング

はじめに本編前の演出について

映像作品の本編前にある尺の短い演出を一般にオープニングと呼びますが、本編前に挿入される演出としてタイトル・クレジット(Title credit)、タイトル・バック(title background)、タイトル・シークエンス(Title sequence)など色々あります。タイトル・クレジットは製作会社やキャストの名前を表示することで、タイトル・バックはその裏に流れる映像、タイトル・シークエンスは映像とクレジットを合わせたのもので日本だとオープニングと呼ばれるもの。ただし、オープニング・クレジットはタイトル・シークエンスより前の企業ロゴなどを指します*1。映画で言うとライオンが吼えたりしてる奴ですね。

映画ではタイトル・クレジットが主として流れます。ドラマやアニメはタイトル・シークエンスで、日本の場合主題歌と合わせて流れることが多いですね。ゲームは、古い作品では容量の都合からオープニング・クレジットだけが多い。タイトル・シークエンスにはクレジットが挿入され無いことが多いですけど、最近は映画風にクレジットが挿入されることも増えてきました。また、オープニングなどに挿入される制作会社のスタッフやキャストなどの文字をクレジットとします。
区別が面倒なので、本稿では特に断りがなければ本編の前にある演出をオープニング、後にあるのをエンディングとします。

オープニングに結論おいておきますね

映画やアニメ、特撮にドラマ、ゲームにおけるオープニングの簡単な歴史を語りながら、オープニングやエンディングの意味について語ってみます。簡単にまとめると以下。

  • 映画:クレジットが長くなる→オープニング・クレジットの誕生→どんどん長くなる→映画におけるオープニングの誕生→クレジットが増えすぎる→エンドロールの誕生
  • 日本におけるドラマやアニメなどのオープニングとエンディングはクレジットの役割と共に主題歌との相乗効果のため現在も根強く残っている。
  • ゲームにおけるオープニングはプレイヤのためのインスト(状況説明)
  • 映像作品のオープニングは我々を非日常へ誘う装置であり、その逆にエンディングは現実へ返す役割を担っているのだろう。だからこそ一般的にオープニングの曲は明るく、エンディングの曲は暗い。

映画のオープニング史を簡単に

映像作品と言えば映画が最も歴史がありますが、初期の映画はタイトルさえあれば事足りました。映画の数が少ないのでタイトルだけで十分区別が出来ました。しかし作品が増えるにしたがって、タイトルだけでは情報が足りなくなってます。そこで、ワインのラベルのように作者の名前を入れたり、出演者の名前を入れるたりするようになりました。これが、クレジットの始まりでしょう。映画が商業化されるにしたがい、映画に関わる人や団体が増えクレジットの数は膨大になり、本編が始まるまでにつまらない時間が流れてしまう。そのようなつまらないオープニングを変えた一人が、ソール・バスです。
ちなみに、映画などのエンディング(エンドロール)は映画にかかわる人が増えすぎて、オープニングではクレジットが収まりきれなくなったので、それを映画の終わりに持ってきたのが始まりです。映画だと黒バックに白字で文字が下から流れてくるのが一般的。ドラマやアニメでは、本編に関わりのある映像を使用するのが普通でしょうか。

映画のオープニングを変えた、ソール・バス

ソール・バスは元々企業マークのデザインを行っていました。映画に関してもポスターなどを手がけ高い評価を受けていました。その彼が1954年公開の映画カルメンのタイトル・デザインを手がけ話題となります。翌年には「黄金の腕」でタイトルバックを手がけました。「黄金の腕」のオープニングである YouTube - The Man With The Golden Arm は、それまでのスタッフ名だけが表示されるクレジットとは一線を画していたのです。今から見ると単純な線による構成ですが、単純な線であるが故に視線が誘導され、自然と文字に目が行きます。そして最後に現れる腕。線と腕により映画のイメージを売り込んでいます。ポスター等のデザインを手がけていたソール・バスだからこそ単純な線で構成されたオープニングを思いつたのかもしれません。

ソール・バスと並び称されるのが、YouTube - James Bond 007 - Dr. No Intro において銃口からボンドが見えるオープニングで知られるモーリス・ビンダー。丸いシンボルは右端に移動すると銃口になり、ボンドが映る。敵に気が付いたボンドが銃を撃ち、画面に血が染まる。その後丸いシンボルがおなじみのテーマに合わせて画面を踊る。銃口と同じく、人物のシルエットを使う技法も後のシリーズに使用されています。オープニング見て思ったのは、シルエットや画面がちで染まる演出はサウンド・ノベルであるかまいたちでも使われていたなと。
彼らの手がけた”作品”、特に線や面だけで構成された作品を見ていると、音楽のプロモーションビデオ(PV)にも通じるものがあるなと気付かされます。また、単純な構成は初期FLASHアニメーションにも良く似ていますね。FLASHがソール・パスと直接文化的つながっているとは思えませんが、単純な線や点の構成から生まれた作品ゆえに同じような作品に仕上がるのでしょう。
ソール・バス、モーリス・ビンダーらの登場により、映画におけるオープニングがつまらないクレジットを流すものから、映画を象徴するものへと変わって行きました。

キューブリックとパブロ・フェロ

1960年代になると映画のオープニングは徐々に凝ったものへとなっていきます。1960年代で有名な映画のオープニングといえばスタンリー・キューブリックの作品群でしょうか。特に、「ツァラトゥストラはこう語った (交響詩)」の導入部を用い、並んだ惑星から太陽が表れる「2001年宇宙の旅」のオープニングはあまりにも有名で、多くのパロディやオマージュが存在します。
キューブリックの映画といえば「博士の異常な愛情」のオープニングも有名でしょうか。フリーハンドで書かれた大きな文字は、オープニングを手がけたパブロ・フェロ自身によるものです。パブロ本人はサンプルのつもりでキューブリックに見せたようですが、キューブリックが気に入り、手書きのまま使用することに鳴りました。画面いっぱいに単語を表示する手法は、 「博士の異常な愛情」の予告編 にも使われ、同作品の象徴的な表現技法といえます。
大きな文字といえば、僕なんかはエヴァンゲリオンの極太明朝体を思い浮かべますね。「エヴァンゲリオン文字」の秘密 | 活字中毒R。 によると、エヴァンゲリオンの直角に配置された文字は市川崑監督がてがけた女王蜂(1978年)のタイトルバックを参考にしたものらしいです。女王蜂のオープニングは見つかれませんでしたが、同じ市川崑監督が手がけた、悪魔の手毬歌のオープニング を見るとなるほどそのままですね。では、市川崑監督作品における、極太明朝の源流は何なのか。雪之丞変化(1963年)の予告編 を見ると折れ曲がってはいないが大きな明朝体で、同じような手法が既に使われています。折れ曲がりは文字が大きくなるにつれスペースがなくなった結果なのではないでしょうか。また、日本語が縦書きと横書きのどちらでも書けることも、その一因かも?。さらに時代を下ると 満員電車(1957年)の予告編 はフリーハンドっぽい大きな文字で映画の内容が書かれています。どちらも大映(現・角川映画)の製作で、博士の異常な愛情(1963年)以前なので、それぞれ独自に発展したものかもしれません。

パブロ・フェロが多用した手法として、画面をいくつかに分割して映し出すマルチプルがあります。「華麗なる賭け(1968年)」 などで使われていますが、これも多くの作品で使われるようになった手法です。画面分割を使ったオープニングといえば YouTube - カウボーイ ビバップ「Tank!」 を思い浮かべます。オープニングテーマである「Tank!」の軽快なリズムに乗せた映像は多くの人の印象に残り、多くの人々によりMADが作られています。

カイル・クーパー

一世を風靡した映画のオープニングですが、アメリカでは1970年代になると徐々に減っていきます。オープニングの演出が華やかになったとはいえ、時間の限られた映画には1〜2分の尺は冗長と感じられるのでしょう。それでも、1970年代の終わりには、スーパーマン(1977年) の文字に効果をつけたオープニング・クレジットが存在します。スーパーマンのテーマに載せて残像付きの文字が効果音ともに表れるオープニングは、今見ても格好がいいですね。タイトルはリチャード・グリーンバーグによるプロダクションである R/GA により手がけられました。エイリアン (1979年) も同プロダクションにより作られ、タイトルデザインは何とソール・バスです。
さて、このR/GAが排出したタイトルデザイナーといえば、カイル・クーパー - Wikipedia です。彼の名を知らしめたのが、セブンのオープニングクレジット で震える文字の演出はその後色々な作品で真似されました。
カイル・クーパーの手がけたオープニングとしては、コミックのページをめくる様な演出の後、くもの巣にクレジットが貼り付けられる スパイダーマン や レイピアで切ったかのような効果音と共にレジットが表れ、最後にレイピアの軌跡がZとなる マスク・オブ・ゾロ などかっこのいいオープニングが多いです。ゲームではメタルギアソリッド2と3のオープニングを手がけています。ゲームのオープニングにクレジットが挿入されるのは珍しいですが、メタルギアシリーズの監督である小島さんが映画好きだったことから本人に依頼したそうです。

一部では、ソール・パスの再来と言われるカイル・クーパーですが、彼が映画のタイトルデザインにかかわろうと思ったのは、アラバマ物語(1962年)のオープニングクレジット を見たからだそうです。人形やガラクタの入った子どものおもちゃ箱をバックにしながら、クレヨンの落書きを写したりと、当時としては非常に凝ったオープニングになっています。

オープニングと主題歌のおいしい関係

映画のオープニングは、制作スタッフの増加のためクレジットが長大になり、客を飽きさせないために登場しました。それと同時に、オープニングは映画のプロモーションという地位を獲得していきました。このプロモーション的手法は、その後に音楽のPVなどにも影響を与えたと思われるのですが、残念ながら僕は詳しくないので追うことはできませんでした。誰か詳しい人が補足して頂けると幸いです。映画のオープニングは多様化していきましたが、映画のスタッフ数はどんどん増え、その結果クレジットはエンディングへと回されれていきました。昨今では、オープニングのある映画は多くありません。これは、映画のプロモーションの方法が「予告編」へと変わっていったこととも切り離せないでしょう。プロモーション用の映像が用意されたことでオープニングをプロモーションに用いる必要がなくなったのと、予告編ばかりの後に映画がオープニングから始まったのでは、客が飽き飽きするという理由もあるかもしれません。クレジットの役割を担う映画のエンディングは、殆どが黒い背景の白文字のエンドロールばかりです。映画館へ行くと、エンドロールで席を立つお客さんも多い。YouTube - Jacky Chen - 成龍 A計劃2片尾NG (Project A II) のようにエンドロールにNGシーンを流す作品もありますが、主流とはなっていません。とは言っても、この黒背景白文字のエンドロールも映画における興奮をクールダウンさせる役割がありそうですが。

映画では廃れてしまったオープニングですが、日本のアニメやドラマには必ずといって良い程オープニングとエンディングが流れます。海外などは24などを見る限り、オープニングやエンディングは必ずしもあるわけではないようです。また、日本のドラマでもエンディングはあるけどオープニングはない、あるいはその逆の場合もあります。ラストシーンにクレジットを重ねるパターンもあります。
日本のアニメやドラマにいつ頃からオープニングやエンディングがつくようになったのかは分かりませんが、少なくとも1963年の鉄腕アトムにはその両方がついていたようです。鉄腕アトムでは、作品名と同じ鉄腕アトムがオープニングとエンディング曲として使われいます。ちなみに、初期は歌が付いていなかったようです(参考:YouTube - 鉄腕アトム 第1作 OP)。YouTube - Tetsuwan Atom (鉄腕アトム) opening (1963) は歌ありですが、クレジットは殆ど無いんですね。最後にアトムが立った場面で提供である明治製菓のクレジットが流れたそうです。
鉄腕アトムのエンディングはオープニングの編曲でしたが、同じく虫プロダクション制作である1965年のジャングル大帝では、オープニング曲がジャングル大帝のテーマで、エンディング曲がレオのテーマと異なる曲を使用しています。
ちなみに、1966年の YouTube - ウルトラQ 第一話 「ゴメスを倒せ!」
YouTube - ウルトラマン 第一話 「ウルトラ作戦第一号」 ではオープニングはありますが、エンディングはないようです。今から見ても、ウルトラマンのオープニングはかっこいいですね。燃えるようなカラフルな煙をバックに、怪獣やウルトラマンの黒のシルエット内にクレジットってのは、007のモーリス・ビンダーっぽいですね。ウルトラQかと思いきや、ウルトラマンって演出も良い。

日本のアニメや特撮、ドラマにおいてオープニングが不可欠なものになった理由は、主題歌の存在でしょうか。英語で言えばメインテーマですが、主題歌は作品のイメージを形作る骨子とも言えるでしょう。主題歌は、作品のイメージを伝える、つまりプロモーション的な役割も担っている。主題歌をオープニングに用いることで、作品のプロモーションを行いつつ、クレジットも挿入できる。主題歌はテレビ番組の顔であり、曲を聞けば番組を思い出す。1969年からTBSで放映された、ナショナル劇場 水戸黄門から人生楽ありゃ苦もあるさのフレーズでおなじみの「ああ人生に涙あり」が主題歌として用いられています。歴代の助さん・格さん役が歌うのが慣わしで、第1〜3部では杉良太郎と・横内正が、第4〜8部は、YouTube - 水戸黄門第4部オープニング 里見浩太朗 横内正 となっています。同じく、1969年からフジテレビで放映された、サザエさんの主題歌も変わらず使用されている「サザエさん」が、YouTube - サザエさん第1話 から使用されました。
1990年からフジテレビで放映されたちびまる子ちゃんの主題歌である「踊るポンポコリン」は130万枚を売り上げ、1990年のシングルCD年間売げ1位となっています。80年代後半頃から、テレビ番組、特にドラマの主題歌が売れるようになっていきます。Milano::Monolog: 1980年〜2005年 シングル年間ランキング1位と100位 を見れば一目瞭然ですが、90年代以降のシングルCD年間売げ1位のほとんどはドラマに使用された曲となっています。ドラマなどで用いられた主題歌だから売れるのが、良い曲のドラマが見られるのかは分かりませんが、互いに相乗効果を期待できました。しかしそれも2000年代後半からはそれも陰りが見えてきていますが。その代わりに台頭してきたのがアニメの主題歌で、最近では 「けいおん!」が史上初アニメキャラ首位、聖子以来26年ぶり1、2位独占 ... のようにけいおんなどの主題歌がオリコンチャートを賑わせています。このように、主題歌とオープニングのおいしい関係により、日本のアニメやドラマでは映画のようにオープニングが廃れることはなかったのではないでしょうか。

アニメやドラマには主題歌がつきものですが、テーマ曲だけのオープニングもありますね。代表的なのはルパン三世ですが、手頃なのがなかったので比較バージョンである YouTube - Lupin III Original Opening/Metal Gear Solid Split Screen をご参照ください。先に紹介したカウボーイ・ビバップルパン三世の影響を受けていますが、歌ではないメインテーマだけのオープニグはかなりのセンスが求められます。ドラマなら、YouTube - 古畑任三郎オープニング集1 でしょうか。古畑任三郎のメインカラーである黒をベースに血の色を思わせる赤色がなんとも映えます。線を基本とした構成はソール・バスを思わせますね。

前説たるゲームのオープニング

アニメやドラマのオープニングにおけるポイントは主題歌でした。今度は、ビデオゲームに目を移してみましょう。
ビデオゲームに必ずしも、映画やテレビ番組のようなオープニングがあるとは限りませんが、オープニング・タイトル、所謂タイトル画面がその役割を担っています。ゲームの顔とも言うべきタイトル画面には開発会社名などのクレジットが挿入され、そのバックにはテーマ曲が流れるのがほとんどでしょう。初期のビデオゲームは、特に家庭用ゲーム機は容量の都合でタイトル画面のみの作品がほとんどです。音楽が流れないこともざらです。1972年に発売された家庭用ゲーム機、YouTube - Maganavox Odyssey 1972 にはタイトル画面すらありません。時代が進む、つまりゲームの容量が増えるに従って企業ロゴのみが表示されるオープニング・クレジットが挿入されるようになります。
アーケードゲームではタイトル画面の他にもデモ画面が流れることが多い。日本ではブロック崩しとしてしられる、YouTube - Atari Breakout (1976), arcade PCB にもデモプレイ画面が存在しています。1972年のPONGのタイトル画面や、デモ画面があったのかは分かりませんがアーケードゲームの初期の段階からそれらが存在していたと推測されます。アーケードゲームに早くからデモ画面が存在した理由は客の目を引き、どのようなゲームかデモンストレーションするためでしょう。一方の家庭用ゲーム機ではデモンストレーションする必要性が低く容量の制限もあったため、初期ではタイトル画面しかなかったのでしょう。高橋名人が語るボンバーマンとロードランナーの容量のお話 によると、それはもうギリギリまで詰め込んで作っていたようですし。

ゲームにおけるオープニングといえば、映画で言うところの Star War Opening Crawl 1977 のようなプロローグを語る形式が主流でしょう。この際に、映画やアニメ、マンガのようにクレジットが挿入されることはほとんどありません。このスターウォーズのようなプロローグがゲームに挿入されるようになったのはいつ頃なのでしょうか。
系統的にまとめられた資料なさそうなので、コンピュータRPGの草分け的存在であるウルティマについて調べてみました。YouTube - 1980年 初期 ウルティマ(Ultima) Apple II オープニングデモ画面 では、1980年の時点で人の顔が骸骨になるというなかなか凝った演出がなされていますが、タイトル画面の後に出てくるのはゲームの説明で、プロローグなどは語られていません。1982年に発売され、二作目となる YouTube - 初期 ウルティマ2 (Ultima II) AppleII オープニング デモンストレーション ではでも画面の後にプロローグらしき映像が流れています。デモ画面同様に、ゲームの黎明期からプロローグの存在していたと言えるでしょう。1984年のドルアーガの塔などでもプロローグが確認できます。ストーリーは英文で書かれているのですが、”WEARED GOLD ARMOR”と少しおかしな部分があるのはご愛嬌。
オープニングとは言えませんが、1975年に開発された世界で最初のアドベンチャーゲームである、Colossal Cave Adventure - Wikipedia, the free encyclopedia においても、ゲーム開始時の状況説明がなされます。状況説明がなされることで、プレイヤはゲーム内に入って行きやすくなります。ゲームにおけるオープニングは、映画などと異なりゲーム開始時における主人公の状況や世界観を、プレイヤに説明する役割をになっていると言ってよいでしょう。ゲームの容量が増えるに従って、プロローグは凝ったものへとなっていきます。ただし、余りにも長大なオープニングはプレイヤが操作できない時間を作ってしまうためゲームの演出としては不味いです。

コラム:ゲームと主題歌

ビデオゲームにおいて主題歌という観点から見ると、その歴史を紐解くのは難しい。ファミコンやPCゲームの頃から主題歌のあるゲームはありました。ただし、歌詞が表示されるだけで声が付いているものは殆ど無いけども。主題歌の入ったカセットテープが特典として同封されている場合もありました。ゲーム内で歌を歌わせるには、技術の進歩を待たなければなりませんでした。恐らく、最初期なのは1987年にSNKからアーケードとしてリリースされたサイコソルジャーでしょう。YouTube - サイコソルジャー ステージ1 のようにゲーム中で歌っています。音楽部分はFM音源ですが、ボーカルはADPCM音源で再生されています。ちなみに、世界初のしゃべるゲームという触れ込みだったのは 1980年代のゲーム音(スピーク&レスキュー) ‐ ニコニコ動画(原宿)。家庭用のアタリが1977年ですから、スピーク&レスキューが本当に世界初のしゃべるゲームかは分かりませんが、かなり初期の段階とは言えるでしょう。
サイコソルジャーの翌年となる1988年には、世界初となるCD-ROM媒体を用いたゲーム周辺機器であるCD-ROM2が発売されます。恐らく家庭用ゲーム機で最初にしゃべり、かつ歌ったと思われるのが、PCエンジン・CDロム:『No・Ri・Ko』|sinobintage でしょう。CD-ROMの性能をいかんなく発揮していますが、当時もそして現在も殆どの人が覚えていない小川範子さんが、こんな形で残ることになるとは。
ビデオゲームの主題歌といえば、1995年発売の YouTube - 【SFC】 テイルズ オブ ファンタジア を思い浮かべる人も多いのではないでしょうか。SFCでも歌を挿入できることに驚愕したものですが、実は一年前の1994年に発売された、YouTube - ダウン・ザ・ワールド - DemoSFCで最初に歌を挿入したゲームだったりします。テイルズシリーズは主題歌がつくのが定番となっています。90年代後半からは、ドラマやアニメと同様に有名歌手によるタイアップが行われるようになり、1998年に発売された、サウザンドアームズでは浜崎あゆみがオープニングおよびエンディングテーマを歌っています。YouTube - Final Fantasy VIII - Eyes On Me は1999年の日本ゴールドディスク大賞でソング・オブ・ザ・イヤーに選ばれています。その後も、キングダムハーツ2の主題歌に宇多田ヒカルのpassionが起用されたりしています。


ゲームにおける主題歌といえば、美少女ゲームも外せません。美少女ゲームにおいては、アニメのようなオープニングが挿入されることが多く、現在では、アニメ同様にゲームのプロモーションとして用いられています。さてこのオープニングはいつ頃から付くようになったのでしょうか。
1997年に一世を風靡したYouTube - To Heart / トゥハート OP Movie (Leaf) には当たり前のようについている。1994年にPCエンジンSUPER CD-ROM2用に発売されたときめきメモリアルには、まさにアニメのオープニングのような YouTube - ときめき(金月真美) を見ることができる。アニメ視聴者と美少女ゲームのプレイヤが被ることから、この二つは切っても切れない縁があったのだろう。さて、ときメモといえばコナミPCエンジン最後のタイトルであり、コナミのスタッフを集結して作られた作品である。コナミといえば、メタルギア小島監督だよなと思い立ち代表作の一つであるスナッチャーを調べてみらら、1988年の YouTube - PC88版、スナッチャーOP で既に映画やアニメのようなオープニンが挿入されていました。この時から小島監督は軸がブレてないんですね。

オープニングとエンディングという装置

映画のオープニングはクレジットの増加により、客を飽きさせない演出として登場したと同時にプロモーションという意味付けが付加されていきました。しかし、その後もクレジットは増え続けたのと、映画のプロモーションの手法が変わったことで、現在では必ずしも挿入されるものではなくなっています。
日本においては、ドラマやアニメに特撮では必ずと言って良いほどオープニングとエンディングが挿入されます。クレジットを挿入できると共に、番組のイメージを伝える主題歌などとの相乗効果が期待されるため現在でも残っているのでしょうか。さて、このアニメなどにおけるオープニングやエンディングの存在する意味をもうちょっと考えてみましょう。オープニングやエンディングはなぜ存在するのか。そして、それらが視聴者に与える影響とは何か。
オープニングとエンディングのどちらがプロモーション的かと考えれば、オープニングであろう。主題歌やテーマ曲はオープニングに使用されるし、登場キャラクターや世界観を表現したものが多い。また、使用される曲もなんだかドキドキワクワクさせてくれ、なにか楽しいことが始まるぞ!とさせてくれるものが多い気がします、一方で、エンディングは暗い曲が使用されるケースが多い。詳しい統計はありませんが、鬱になるエンディングテーマ曲決定戦:アルファルファモザイクだった のようにエンディング曲を聞くと欝になるアニメは多いのではないか。日曜日のサザエさんのエンディングを聞くと、日曜日が終わってしまったようで軽くメランコリーになってしまいます。まんが日本昔ばなしに至っては、YouTube - まんが日本昔ばなし:オープニング曲 である日本昔ばなしと YouTube - 日本昔話エンディング であるにんげんっていいを比べると、日本昔ばなしも決して明るい曲ではなく若干怖さを感じ、にんげんっていいなの方が軽快で明るい曲なのに、なぜか後者のほうが物悲しくなってしまいます。サザエさんの例などを考えるに、エンディングは視聴者を現実に引き戻す装置なのではないでしょうか。
ネタバレになってしまいますが、『インセプション』の音楽に「植えつけられた」秘密 - YAMDAS現更新履歴 で語られるように、 インセプションのエンドロールはまさに観客の目を覚ます演出が施されていました。もし未だ見ていない方がいたら、先日インセプションのDVDとBlu-rayが発売されました。また、iTunesからもダウンロード可能ですし、レンタルも17日から開始されるので是非。
エンディングが視聴者を現実に戻す装置ならば、オープニングは非現実、つまり作品の中へ引き込むために存在するといえよう。オープニングは視聴者を非日常へ引き込むためにプロモーション的になるのでしょう。

インセプションのように、本編と関連付けられたオープニングやエンディングは、それだけで印象深い効果をもたらします。特に、オープニングやエンディングが毎週繰り返し流れるアニメやドラマほどその効果は顕著となります。例えば、YouTube - シティーハンター Get wild のように、本編のバックにイントロが流れながら自然にエンディングへと入って行きますが、Get wild を聞けばシティーハンターを思い出すし、シティーハンターを見れば Get wild を思い出されます。また、YouTube - らき☆すた OP「もってけ!セーラーふく」 が最終話へ繋がっている演出には驚いたものです。
最近だと、アニメ版の四畳半神話大系も良かったですね。原作の小説を読んでいる人は YouTube - Yojouhan Shinwa Taikei OP における延々と続く四畳半の意味が分かるのですが、未読の人は最終話になってみて初めて意味が分かるという仕組み。これは、部屋の間取りが増える YouTube - Yojouhan Shinwa Taikei ED も同様。また、四畳半神話大系では最終話に限りオープニングとエンディングが逆になっています。そのため、最後の最後に本来のオープニングを見ることになり、改めてオープニングの意味を知ることになります。ある種のループものだけに、最終話の一番最後にオープニングを挿入するのは心憎い演出ですね。


皆さんはどの作品のオープニングやエンディングが心に残っていますか?

*1:ここら辺認識違いかもです