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左右はどうして生まれる?

左右について論じてきたが、そもそも左右とはなんだろうか。また、左右はどのようにして生まれるのだろうか。鏡はなぜ左右逆に見えるのかを考えてみると、左右の成り立ちが分かってくるのだが、その前に我々の体について考えてみよう。

左右相称動物

我々は左右対称である。ただし、正確には左と右は違う形をしており、特に顔などは左右非対称である。外見は大体左右対称であるが、その中身は左右非対称である。心臓は中央からやや左寄にあるし、肝臓は右側、その反対側に胃がある。心臓が左側にあるので、左右で肺の大きさが異なっている。さて、この内臓がすべて左右逆な人も世の中には存在する。内臓逆位と呼ばれるが、内臓がまるっきり逆なだけで、生活するうえでほとんど問題はないらしい。この内臓逆位はフィクションで心臓が逆にあるから助かったというトリックとして使われることがある。たとえば、北斗の拳サウザーなど。内臓逆位以外にも、臓器だけが逆の人も存在する。例えば心臓が右側にある人もいる。
我々に限らず、ほとんどの動物は左右対称である。脊椎動物は背骨を中心として左右対称であるし、無脊椎動物である昆虫やエビ、カニも左右対称である。左右対称でない動物は、植物のように自ら率先して動かないクラゲやカイメン、イソギンチャクなどである。動物のほとんどは、左右対称であり左右相称動物に分類される。左右相称動物の特徴として、外胚葉・中胚葉・内胚葉の三胚葉性からなることが上げられる。口と肛門のあるチューブ状の生物を考えていただきたい。この生物において、皮膚などの外側が外胚葉で、口と肛門のつながった消化器などの内臓が内胚葉。そして、外胚葉と内胚葉の間に位置するのが中胚葉で、血管や筋肉、骨格などに相当する。最初に登場した動物であるカイメンは不定形で胚葉はない。少し進化したクラゲは二肺葉だが、左右対称ではない。カイメンやクラゲの後に左右相称動物が生まれたと考えられる。左右対称でなくてもウニやヒトデに、イソギンチャクなどの棘皮動物は幼生時に左右対称であり、左右相称動物に分類される。進化の過程として、一旦左右対称になったあとにその対称性が無くなったと考えられている。
さて、生物は一体いつから左右対称になったのだろうか。進化の順番を考えれば、動物以後に左右対称になったのだろうと推測できる。なぜなら、左右対称な植物はいないのだから。動物がいつ左右対称になったかを分子時計を用い、遺伝子がいつ分化したかを推測することはできるが、実際に確かめるには化石によるしか無い。カナダのバージェス頁岩から発見され、5億年前のカンブリア中期とされる奇妙奇天烈な動物たちは既に左右対称である。例えば、カンブリア中期における最大の肉食動物とされる、アノマロカリス も左右対称だ。アノマロカリスは分類上節足動物に属するとする説もあれば、全く独立した動物門とする説もある。現在見つかっている最古の左右対称の動物は、5億9000年前に生息したベルナニマルキュラと呼ばれるカイメンの一種だ。ベルナニマルキュラは 0.1 mm 程度の極小の生物であるが三つの肺葉に分かれており、口と肛門が存在している。ベルナニマルキュラをはじめとする。左右相称動物は海底面を這って生活していたと考えられている。海底面を這いながら餌を食べるために口が前で肛門が後ろについた結果、左右対称になったのだろう。現在では、6億年より前には左右相称動物が誕生していたと考えられる。

左右相称動物は大きく分けて新口動物と旧口動物の二つに分類できる(新口、旧口動物以外の動物も存在する)。初期胚において形成された原口がそのまま口となる動物を旧口動物とし、原口が肛門となり新たに口が形成されるのが新口動物と呼ばれる。旧口動物は、タコやイカなど軟体動物、昆虫などの節足動物が含まれ、脊椎動物は新口動物である。新口動物と旧口動物は互いの背と腹が逆転した動物だと言える。ちなみに、生物の眼は左右相称動物以前に発生したと考えられ、タコの目は人間の目と同じくカメラ眼と呼ばれる構造をしているが、構造が似たのは偶然である。タコの目の視細胞は網膜の外側にあるため、人間の目のような盲点は存在しない。このように発生様式は異なるが似たような身体的特徴に進化する現象を収斂進化と呼ぶ。たとえば、有袋類であるフクロモモンガとリスの仲間であるモモンガはよく似ているが、それそれ異なる種で、木から木へ飛び移るために手足間に膜を持つ形に収斂進化したのだ。

鏡はなぜ左右が逆に見えるのか

左右はどこから生まれるのだろうか。ボールに左右はない。野球のバットにもない。テニスラケットにもない。野球のブローブにが右利き用と左利き用があるので左右が生じる。左右の区別がありそうな軍手だが、左右どちらにも装着できるので左右の区別はない。一方、滑り止めをつけると右手用と左手用の軍手が生じる。この時、片方を無くすと困ったことになる。普通の軍手に左右がなくて、滑り止めの軍手に左右が生じるのは、裏表があるからだ。人間の手のシルエットだけでは右手か左手下は区別できないが、写真だと手の甲やひらによって左右を判別できる。ただし表裏があれば左右が生じるわけではない。折り紙やコイン、クラゲには裏と表があるが、左右はない。ここで今一度、左右相称動物の発生についておさらいしてみよう。左右相称動物は海底面を這っていた。この時、表裏、つまり上下が生まれる。クラゲにも上下があるが左右はない。この違いは、左右相称動物には口と肛門により前後があることから生じる。動物は餌を求めて自ら移動することで前後が生じ、その結果として左右対称となった。つまり、上下と前後があってはじめて左右が生まれるのである。
地球上において上下は簡単に識別できる。重力のかかる方向を下向きとすれば良い。それ故、植物も上下を有している。前後は動かなければ生じない。だから植物には前後がなく、動きまわる動物に前後がある。我々は三次元空間に生きるので3つの軸があるはずだ。上下は重力によって決まり、前後は動くことで決まる。三次元におかる二軸が決まったが、残りの軸が左右となる。左右は三次元において最後の方向として定まるのだ。上下と前後が決まった後に左右が定義される。上下は重力によって決まるし、前後は動く方向で決まっているが、左が左である理由、右が右である理由は特にない。だから、左右の識別は難しいし混乱する。

ようやく本題。鏡はなぜ左右逆に見えるのだろうか。鏡の正面に立ち右手をあげると、鏡の中の自分は左手を上げる。右きき用のグローブなどを映せば鏡の中には左利き用のグローブが見える。文字を映せば、左右が逆になった、所謂鏡文字が見える。しかし鏡は常に左右を逆にするのだろうか?例えば、湖面に映った富士山は逆さ富士と呼ばれる。逆さ富士では上下が逆になっている。目の前に大きな鏡があるとし、その鏡に向かって車が進む様子をその後ろから見てみよう。目の前の車はどんどん遠ざかるが、鏡の中の車はどんどん近づいてくるだろう。この時、前後が逆になっているように感じられないだろうか。
鏡を正面から見ている場合をもう一度良く考えてみよう。鏡の正面に立って右手をあげると、鏡の中の自分は左手を上げる・・・。しかしこれは本当だろうか?なぜ我々は鏡の中の自分が左手を上げたと解釈するのだろう。鏡ではなく、二人で向き合って右手を上げた場合、相手は自分から見て左にある手を上げるだろう。自分から見て左にある方が、相手の右手であると知っている。我々は向き合ったときに、互いの左右が逆になると知っている。なぜならば左右とは相対的な方向に過ぎないからだ。我々は鏡を見る際に、鏡の中に自分を置きそれから左右を認識している。この時我々は頭の中でどのような操作をしているのだろうか。鏡の中に自分を置く際、前後を180度回転、つまり逆転させていないだろうか。そう、鏡の正面に立ってみるとき鏡が逆転させているのは左右ではなく、前後なのだ。鏡が前後を逆転させなければ我々は自身の背面を見なければならない。しかしそんなことはありえない。我々が、鏡が左右を逆に映すと思っているのは勘違いなのだ。ただし、見方によっては左右が逆になることもある。例えば、進行方向→の車を鏡に移したら、進行方向は←と逆転する。
鏡はどのような操作をしているのだろうか。逆さ富士の例にもあるように鏡は上下、前後、左右のどれか一軸を反転している。この3軸のうち一つが反転すれば鏡像になるのだ。反転を2回繰り返す、つまり鏡に鏡を映せば元の像に戻る。理容店や美容院にある左右が逆になった時計は、元々が逆転しているので鏡に映ることで読めるようになるのと同じだ。鏡は、上下、前後、左右のどれかを反転させるのだが、我々は左右が逆になったと思い込みやすい。これは何故だろうか。それは、上下が強固に決まっているからだろう。上下を反転させても鏡像になり得るが、しかし重力が常に下を意識させるため上下を逆に想像することは難しい。その結果として、左右を逆にした方が想像しやすいのだろう。物理現象としても、落下が上下逆になることはないが、ボールを投げるといった動作を左右逆にしても何ら問題はない。故に、鏡に映った像を左右逆に捉えるのは自然なことだろう。