おばけな言葉 死語の世界

僕も「ノーボーダー」というネーミングはないかなと思いつつ。

主に語りたいのは、コメント欄のやり取り。通りすがりの人が「アニメ漫画ゲーム」界隈に行き着いてしまった人々を「オタク」と呼ぶのだから、わざわざ新しい呼称は必要ないのではと指摘している。それに対して、敷居さん*1は「オタク」という言葉の意味が広がりすぎていると。確かに現在の「オタク」は「アニメ漫画ゲーム」界隈だけを指さず、ハロオタ、ジャニオタなどアイドルグループに使われたり、服オタ、ワインオタなど比較的おしゃれだとされる分野にも使われるようになっている。コメント欄でも指摘したが「萌え」もずいぶん広い意味で使われるようになったと思う。使う人それぞれで微妙に意味がちがうってのが生きている言葉なのかもしれないなと思うわけです。


ファンションの傾向を表す言葉としては、戦後ならば太陽族、80年代前半は竹の子族と語尾に族がつくのが特徴。おたくも90年代初頭にはマスコミに「おたく族」と呼ばれていたようです。90年代に入ると、渋谷系のように「族」が「系」にとって変わられる。ただし、渋谷系は元々は音楽のジャンルを指すが。もしかしたら、暴走族がこの頃誕生していたら暴走系だったのかもしれないと。暴走族 - Wikipedia によると50年代頃にはカミナリ族と呼ばれていたそうで、やっぱり「族」なんですね。系は現在でも使われます。例えば00年代から、秋葉原にいるような格好をしている人々やオタク趣味な人をアキバ系と呼称しています。最近では「○○系××」と系の後に男子や女子が付記されることが多い。たとえば文化系女子や草食系男子など。わざわざ男子や女子がつくのは、歴史系女子など意外な組み合わせの妙なのかもしれない。
ここに紹介した言葉のほとんどは時代を表す言葉で、ほとんどが死語になっていくのだろうと思います。しかしファッションやスタイルを指す言葉の中で「オタク」は異彩を放っているなと感じます。先ず語尾に族や系などがつかない。言葉が生まれたのも竹の子族と同じ80年代であるのにも関わらず今も生きた言葉で現在も意味が変遷している。


「オタク」という言葉が今も残っている理由は望まれたからではないかと思う。先の「太陽族」などは太陽族本人たちではない批評家などが区別するためにつけた呼称である。また世代性の言葉でもある。一方、「おたく」は言葉ができる前からおたく気質な人がいたが、言葉が無かったので表現できなかった。特に「おたく」な人々は自己を定義することができなかった。「おたく」なる言葉が生まれたことで、初めて自分を「おたく」であると定義できた。またおたくでない人々も、あの人は「おたく」なのだなと認識できるようになった。これは「萌え」も同じだろう。「萌え」も「おたく」同様に望まれた言葉だったのではないか。
「萌え」という感情は「萌え」という言葉が誕生する前からあった。しかし、言葉ができる前はその感情を簡単に表現できない。「萌え」という言葉が生まれると、「萌え」と言えば知っている人には通じる。だから、「萌え」がオタクの中での共通語になったのだろう。


「おたく」は望まれた言葉である。それでは海燕さんが提言する「ノーボーダー(仮)」な人々はどうだろう。

さて、ここでは仮にその「名前のない集団」が生まれつつあると仮定して、それに名前を付けてみることにしよう。「オタク」と「非オタク」の境界線を意識しないということから、「ノーボーダー」というのはどうだろう?

海燕さんも指摘するように、「ノーボーダー(仮)」な人々は「ノーボーダー(仮)」という呼称などどうでもいいはずだ。「ノーボーダー(仮)」な人々を語りたい側が名前を付けたいだけなので本当に望まれているのかなーと感じる。呼びたい人が呼びたいように呼べばいいさと言うことだろう。必要なら自然と名前がつくものだ。「けまい」みたいに。
自分が面白いと思うことに、自分が好きだと思うことをやるってのはある意味人間の本性であり、先の太陽族竹の子族だって、たまたま自分がやってみたいとか憧れるなと思う矛先が、太陽の時代の受け売りだったりしたわけで、「太陽族になりたい!」って思ってなった人はそうそういないと思うのだ。オタクだって「オタクになりたいっ!」って思ってならないように。だから、「ノーボーダー(仮)」な人々はいわゆる「普通の人々」である。
そういえば「普通の人々」*2といえば、絶対可憐チルドレンに出てきたテロ集団の名前でしたね。どうでしょう「普通の人々」で(笑)。何?分かりにくい?まったくもって(笑)。

*1:http://d.hatena.ne.jp/sikii_j/ まきがいさんとはめったに呼ばれない

*2:椎名先生のことだから元ネタは同名の映画かな?