内定がもらえないんじゃなくて、得る気が感じられない

会社を「駒」呼ばわりしたことが問題なんじゃなくて、「駒」にたとえると言うことはその裏に切って捨てても良いという発想があるわけで。別に言葉尻の問題でもないし、駒にたとえないと精神を保てないとかそんな問題じゃない。心構えの問題。
好景気で新卒側が選びたい放題ならまだしも、今年のように採用を絞っている時期にその発想は無いんじゃないかなと。また、駒が足りない、あるいは尽きたなどと書いてしまうってことは数打てばどっかに引っかかるだろうという考えもあるわけで。一社入魂とは言わないけど、その会社の試験や面接時はそれくらいの気概で受けないと。とりあえず引き取ってくださいなんて人を誰が採用するかって話。
同様に採用側が新卒を「駒」にたとえるのもおかしな話で。「駒」にたとえるってことは簡単に切れると思っているからで。つまり、いくらでも代替可能。日本はどんどん転職していくってスタイルじゃないんだから、簡単に切って捨ててたら教育した分が無駄。

真剣なんですと言っていたけど、今ひとつ真剣に就職活動をしているように感じられない後輩を見て思った次第。