ゲームの楽しみ方まで伝えるべきか否か ーゲームとはプレイヤ獲得のゲームである−

ゲームとはルールである

プレイヤ同士がルールに基づいて勝敗を決めるのがゲームである。一般的に二人以上いないとゲームはプレイできない。プレイヤを増やさなければゲームを広く遊ぶことはできない。コンピュータゲームにより一人でゲームを楽しめるようになったが、それでも製作者と対戦していると言えるかもしれない。また、コンピュータゲームもプレイヤを獲得できなければ存続できない。ゲームとはプレイヤを獲得するゲームという面もあるだろう。
さて、ゲームのプレイヤを増やすにはどうするか。ゲームとはルールである。ゲームを遊ぶにはルールを覚えなくてはならない。ルールの覚え方は色々あるが、対人ゲームならば実際に遊びながら対戦相手に教えてもらうのが手っ取り早い。たとえば、将棋ならば駒を並べるところから、実際に遊びながら駒の進み方を教わるのが普通ではないか。ボードゲームなどはルールブックからルールを学べるが、知っている人に手解きを受けたほうが遥かに分かり易いし、実際にプレイしないと分からないことは多い。また、コンピュータゲームと異なり、対人ゲームはプレイヤがいなければ遊べないのでルールを教えるほ方は快く教えてくれることが多いように感じる。
プレイ人口を増やすことだけを考えれば、ルールは単純なほうが良いだろう。鬼ごっこ(tag)は鬼に捕まれば鬼になるという単純なルールゆえに世界中で見られる遊びである。ルールは単純なほうが広まるが、単純だと戦略性が貧しく飽きやすいという欠点もある。面白さを生み出すために、ルールが複雑化していく。鬼ごっこならば、高いところにいると鬼に捕まらない高鬼や、鬼の指定した色を触れば鬼に捕まらない色鬼など。多くのゲームは単純なルールから徐々に複雑になっていくのだろうが、複雑になるとプレイ人口が減ってしまう。現在広く遊ばれているゲームが残っているのは、ルールが難しすぎず飽きにくい絶妙なバランスを保っているのだろう。

ゲームにはツールがいる

ポーカーなどトランプを用いたゲームは世界でポピュラーなゲームだろう。cardといえばトランプを指す。トランプ用に作られたゲームもあるが、既存のゲームをトランプ用に作り変えられたゲームもある。たとえば、同じ数や札を集めて役を作るラミーはトランプである必要はない。日本ではラミー系のトランプゲームとしてセブンブリッジが有名であるが、日本で行われるルールは同じラミー系のゲームである麻雀との関連が深い。バカラやナポレオンに似た、おいちょかぶは数字の書かれた花札(株札)を用いて遊ぶが、トランプでも代用できる。神経衰弱は 貝覆い(貝合わせは神経衰弱ではない)などのように同じ組み合わせあれば遊べる。トランプが世界的に使われる理由は、トランプを用いたゲームの種類が多いからだろう。また逆に、トランプゲームが広く遊ばれるのはトランプ自体が一般的であるからだとも言える。ゲームを広めるためにはルールを周知させることも必要だが、ゲームを遊ぶためのツールも同様に広まっていなくてはならない。長谷川五郎が考えたオセロは商品化される前に病院でのリハビリのためルール自体は普及していた。ルール自体は広まっていたが、ツールは牛乳瓶のふたを用いた手作りであった。ルール自体は広まっていたから、ツクダが製品化をしたとも言われ、製品化によりツールが広まったからオセロはメジャーとなった(参考:オセロ考案者 長谷川五郎さん 〜 シリーズ:茨城発・夢ドキュメント(2))。ツールの存在するゲームは、ルールとともにツールも広めなくてはならない。
突き詰めるると、ゲームはツールがないほうが広まりやすい。先の鬼ごっこもルールの単純さに加えツールがないからこそ世界中で遊ばれるのだろう。野球とサッカーでサッカーのほうがプレイ人口が多いのも、サッカーのほうがルールが単純でボールさえあればプレイできるからという側面もあるだろう。じゃんけんもツールが必要がないので世界的に普及している。
また、ツールがないとツールによる制限もないので様々なルールが生まれやすい。鬼が指定した色を探す色鬼は鬼ごっこの派生であるが、自分、あるいは他人の服や持ち物を用いてはいけないというルールが適宜追加されることもある。このように、子供たちの間で同じ遊びやゲームであっても地域によってルールが異なるつまりローカルルールが存在することは多い。先のトランプでローカルルールの多いゲームの代表格といえば、大富豪(大貧民)であろうか。名前からしてローカル性が存在している。
ルールもツールも単純なほど普及し易い。つまり、大掛かりなツールを用いるゲームほど普及しにくい。ボードゲームの人口が増えにくいのはルールが初心者には難しいことと、ツールがないからであろう。周りにボードゲームを持っている人がいないと知ることすら難しいように感じる。ツールが大掛かりであってもトランプのように様々なゲームができれば、そのツールは普及しやすいだろう。また、ツール自体がルール判定機能を有すればさらに広まり易いだろう。それがコンピュータゲームである。コンピューターゲームはソフトを変えることで様々なゲームをプレイでき、対戦相手も必須ではなく、ルールの判定を機械がやってくれるので楽である。今や、ゲームといえばコンピュータゲームのことである。麻雀をコンピュータで覚えた人は多いだろう。その多くは点数計算ができないのだが。

ゲームはゴールを目指す

コンピュータゲームにより敷居の高いゲームが広く遊ばれるようになった。たとえばコンピュータ・RPG。ウルティマウィザードリィはTRPGを基にしたゲームである。そして、ドラゴンクエスト(以下ドラクエ)は、ウルティマウィザードリィなどの海外RPGを基にした和製RPGである。元のTRPGと形は異なるが、ドラクエは日本にコンピュータ・RPGのシステムを根付かせたゲームであるといえるだろう。2Dのフィールドを移動し、ターン性の戦闘を繰り返し、経験値を積み竜王を倒す。ドラクエウルティマウィザードリィに一応のストーリーらしきものはあるが無くても楽しめる。そこにダンジョンやクエストがあるからクリアするのだ。ゴールは明確であるが、初心者にはどうやってゴールにいけば良いか分からない。ゴールも遠くに見えるから萎える。それを解決するのがドラクエのストーリーなのだろう。ストーリーによりプレイヤはゴールへと導かれる。しかし、導かれることに慣れきったプレイヤは船という自由を手に入れると途端に何をして良いのか分からなくなる。本来はゲームシステムを広めるためのストーリーが主になってしまったわけだ。ドラクエ4の「導かれし者たち」とは勇者の仲間を指すとともにプレイヤ自身を指すのかも知れない。
ドラクエによりストーリー主軸の和製RPGが誕生した。最近はストーリー主軸の、とりわけムービーを主体としたRPGが槍玉にあげられる傾向にあるがこれは別に悪いことではないと思う。入門用として敷居の低いゲームがあるのは良いことだ。間口を広げる。レベルさえ上げれば誰にでもクリアできるように作られ、ストーリーでプレイヤをゴールに牽引するRPGはビギナーやライトユーザーには適当だろう。ストーリー見たさにゲームをやっていたのがゲームをやりたくてゲームをプレイし始めるかもしれない。ゲームはプレイヤを増やさなければ廃れるのだから、コンピュータ・ゲームのプレイヤを増やすためにも間口が広く、敷居の低いゲームがあったほうが良い。RPGのシステム的な面白さに引かれたならば、より難しいRPGを挑戦していけばよい。
ゲームのプレイヤを増やすために、コンピューター・RPG、特にドラクエをはじめとする和製RPGの例のように、初心者を上手にゴールに導くことも大切だろう。ルールに基づき上手にゴールへ導くことができれば、ゲームの流れが一通り分かる。次回から同じ、あるいは似たようなゲームをプレイする際の参考にもなるだろう。上手にゴールに導くとは、答えを教えることなく適切なヒントを適当な時期に与えることで目標を指し示すわけだが、これをデザインするのは難しい。教育でも同じことだが1を教えてた後に、2があることを気づかせて徐々にギャップを広げ10に導く。ドラクエは当初、ゲームのスタート地点が城と待ちの中間であったらしい。しかし、多くのテストプレイヤが城に入らず全滅。そこで、スタート地点を城内に変え、さらに鍵の使い方や扉の開け方を学習できるようにした(参考:芸夢亭 古今東西のテレビゲームレビュー)。メタルギアソリッド4では、デストプレイにて多くのプレイヤが本作の肝であるオクトカムを使用しなかった。ゲームのデモ中でオクトカムの特色は説明されているものの、それだけでは説明不足だったのであろう。そこで、ゲーム中にオクトカムを使えるようになった旨を表示するようにしたそうだ。答えではなくヒントを示す。MGSシリーズでは答えが分からなくても無線をすればヒントを教えてくれるし、無線しまくれば答えを教えてくれる点は中々良い導き方だろう。

ゲームの楽しさ、楽しみ方を伝える

ゲームプレイヤを増やすためには楽しさを伝えることも重要だ。先に上げたドラクエはRPGのシステムを広めると同時にその楽しさを伝えてきた。レベルを上げて強くなること。仲間と共に旅をすること。転職することなど。ゼルダシリーズもまたゲームの楽しさを伝えるゲームであるだろう。ゼルダの場合は新しいアイテムを手に入れることで、新しい道を自分で考えて切り開くことがその楽しさだろう。
コンピュータ・ゲームはゲームデザインによりゲームの楽しさを伝える。対人ゲームでは対戦相手がその楽しさを伝える。初心者相手に大人気なく本気で相手にしていたら、余ほど骨のある初心者で無い限り続けようとは思わないだろう。指すのが上手い人ほど初心者を導くのも上手い。対戦相手が楽しさを伝えるのは、対戦できるあるいは協力できるコンピュータ・ゲームでもそうだが。モンハンなどは協力することで楽しさを伝えるゲームであろう。対戦型コンピュータ・ゲームでは初心者相手に本気でやってると新規ユーザーが増えずに廃れる事例がままある。また、対戦型に限らずゲームの難易度が上がることでそのジャンルが廃れてきた。古くはシューティングや格闘ゲーム音ゲーなど。昔ほどの隆盛は無い。ジャンルとして定着したともいえるのかもしれないが。
というわけで、プレイヤを増やすためにゲームの楽しさを伝えることは重要である。

ゲームの楽しさを伝えるのは大切だ。それでは、楽しみ方も伝えるべきだろうか。楽しさと楽しみ方を伝えるのは微妙に違う。ゲームの楽しさとはルールによる楽しさである。ルール内で勝利することが最初の楽しさで、どのように勝つか、負けても勝つためにはどうすれば良いかを考えるのは初心者を脱したときに感じる楽しさであろう。楽しみ方とはなんだろうか。楽しみ方というと NHK 鑑賞マニュアル 美の壺 という番組を思い浮かべる。鑑賞マニュアルという副題のとおり、美術品や骨董、あるいはそれらに限らず色々なアイテムの鑑賞法、つまり楽しみ方を伝える番組である。毎回一つのアイテムを取り上げて、そのアイテムの歴史や魅力を紹介しつつ、その見所、見方を紹介していく。たとえば、File61 長崎の教会|美の壺。教会自体は見るだけでも綺麗だなと思える。しかし、その裏には様々な背景がある。大浦天主堂は日本最古のゴシック建築だけど瓦葺だ。内部もゴシックらしくこうもり天井だけど実は竹でアーチを汲み漆喰で作られている。そんな日本風のアレンジはパッと見ただけでは分からないが、知ってみるとますます楽しい。つまり、見方を知るとさらに楽しく見れる。
僕にとって見方、つまり楽しみ方を知って面白いなと思ったモノといえば、クロスカントリーである。昔クロスカントリーをやっていた友達とごはんを食べに行ったら、冬季オリンピック時期でクロスカントリーをテレビでやっていた。クロスカントリーの見方、楽しみ方が分からなかったので友達に聞いてみると、試合前ならば自身の体調管理は当然として、気候、雪質による板やワックスの調整など色々やることがあるらしい。当然、天候の得意・不得意もあるし板の調整の上手い下手がある。試合中も、平地が得意な人、上り坂が得意な人、下るのが得意な人とそれぞれいるし、スタミナも違うからどこでスパートをかけるかも戦略の一つだと。このように、スポーツ観戦の楽しみ方を伝えるのが解説と呼ばれる人の仕事だろう。選手やチームを把握してみるのが楽しみ方ではあるが、初心者には敷居が高い。解説があれば、ちょっと見てみようかなと思った一見さんを獲得できるかもしれない。最近流行のゲーム実況はある意味、ゲームの楽しみ方を伝える一つの方法なのかもしれない。
というわけで、ゲームの楽しみ方を伝えるのも大切なことである。

ゲームの楽しみ方を見つけるのも一つの楽しみである。あるルールで制限されたゲームにおいて、その制限内で楽しみ方を見つけることは楽しい。新たにルールを加えても良いし、ルールのギリギリに迫っても良いだろう。ルールを吟味することで新しいゲームが生まれたりもする。フットボールからラグビーやアメフトができたように。ゲームの別の楽しみ方を見つけて楽しむのはヘビーユーザーの楽しみ方であろう。ゲームを知り尽くさない限り新たな遊び方を見つけることは難しい。

ゲームはルールでありツールが必要でゴールを目指す

ゲームとはルールであるから、ルールを知らなければプレイできない。ゲームはプレイヤを増やさなければ廃れしまう、だから、プレイヤを獲得することは重要である。ゲームとはプレイヤを獲得するゲームであるとも言えるかもしれない。
プレイヤやを増やすためにはルールの周知が必要である。それと同時にツールも広めなければならない。ツールは単純なほど広まる。単純でなくても様々なゲームをプレイできれば広まりやすい。それはcardことトランプだし、現在のゲーム機である。なるほど、ゲーム機が宗教競争になるわけだ。なぜならば、プレイヤを獲得しなければそのゲーム機は廃れるのだから。
プレイヤを増やすためには、ゲームの楽しさを伝えることも大切だ。だから初心者相手にフルボッコするのもどうかと思う。結果として間口が狭まり廃れてしまう。同様に、楽しみ方を伝えるのも重要だ。楽しみ方とは、ゲームを知り尽くしたプレイヤにしか分からないものである。取っ掛かりを作るためにも、楽しみ方を伝えたってよい。また、プレイヤを増やすためならゲームにより得られる結果を伝えたってよいだろう。ただし、ゲームの楽しさを損なわない範囲内でだけれども。